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.15 消された森

 馴鹿(じゅんろく)タラン・ドラスを追う一行。


 彼らは北上を終え氷河に行き当たったものの、シカの痕跡を見失ってしまっていた。

 かなめであるオオカミの鼻を持った女も、ヴィアの視界の中で目をこすりながら首を傾げてしまっている。



 ――さて、馴鹿はどこに滞在しているだろうか。



 凍原はシカにとって、食料の不足は無いだろう。

 ベリーのたぐいも生えるため、キツネやクマも顔を出す。

 しかし、この地に長く暮らす町の者ですら、大鹿の噂は口にしていなかった。

 見晴らしの良い地形だ。木こり小屋よりも背の高い巨大生物が、人目に留まらないことは難しい。


 餌場と隠れ処の両方を得ようと思えば、樹高のある森ということになる。

 そこはオオカミやクマの棲み処にもなりうるが、幻獣である彼女には恐らく関係がないはずだと考えた。


 ヴィアは平たい岩の上に繋ぎ合わされた羊皮紙を広げる。


 彼らの暮らす国の地図は、三機関がそれぞれ別で製作、発行をしている。

 まずは国家。これは魔技興はおろか、教導会が発足する以前からコツコツと作って来たもので、村落やランドマークの情報に富む。

 しかし、調査が一度きりで放置されているポイントも多く、村や森が消えていることも珍しくない。

 ちなみに、国民の把握は国家の義務であるため、村落の変化に関する情報は公式に買い取って貰える。


 次に教導会の地図。これは村落の情報こそ不十分だが、精霊の溜まり場所や地質学的な地脈、魔力的な地脈などの記載もある。

 加えて、彼らが「誰かに来られても構わない」古代遺構のたぐいについても、毎年更新されている。

 精霊に関する調査だけでなく、生体に関する調査も行っているため、森の進退や、地域限定の動植物に関するメモも記載されている。

 三機関の出すものの中で、もっとも情報源として豊かで、かつ高価な地図だ。


 最後に、魔技興発行の地図。彼らが地図の製作に手を出したのは、この十数年のことだ。

 比較的新しい、既刊の地図をベースに加筆修正しているため、村落の情報については比較的に正確。

 社員向けでもあるため、開発や開拓、観光に有用な道の情報や森林の限界ラインなどの情報も持つ。

 ただし、他機関ほど国土内を探索できているわけでないため、僻地の情報に弱い。

 同時に、教導会の地図では売りである、精霊のホットスポットや、遺跡に関する情報は絶対に載せない(・・・・・・・)

 これは、教導会との不仲が原因というよりは、開発にとって不都合だからだ。


 そしてヴィアは、これら三版の地図をすべて揃えており、新版が出るたびに更新している。

 もちろん、旅の最中に自身が書き加えることもある。


「書いてあることがバラバラですね……」

 ローシャの切り揃えた黒髪が傾く。


「この辺りを当たってみようと思う」

 ヴィアが指し示したのは、オーロラの町より西南西の地域。

 アロピアス山脈が抱きこむような空間。国家の地図では森、教導会と魔技興のものには何も書かれていない。


「森の後退した地じゃないのか? 古い情報の多い国家版と比べれば、魔技興が森を破壊しているのがよく分かる」

 ロッサが苦々しく言う。


「良く地図を見比べてみて。疑問符のマークが入ってるでしょ?」

 ステラが教導会版の地図を指差す。この疑問符はヴィアの手によって書き足されたものだ。

「ヴィアはね、魔力教導協会の図書館で古い地図の勉強もしてるの」


 教導会は多くの学問に通じる機関で、他機関を差し置いて、首都にて国内最大の図書館を運営している。

 そこには書籍や論文だけでなく、最近の新聞や、旧版の地図なども保管されている。

 ヴィアは古い地図と新しい地図を見比べ、疑問に思った地点に印をつけていた。


「ここは魔技興が地図製作に手を出す前には、精霊の滞留する森として記されていた地なんだ」

「人間の活動が森を破壊したと?」


「いや、魔技興の開発は現状、オーロラの町で打ち止めだ。森の消滅は恐らく、地図上だけのことだ」


 ヴィアは解説した。

 教導会は、魔技興がいくつかの工場を持っているだけの小さな団体だったころから、自然と精霊を脅かす危険な機関だと考えていた。

 彼らは先手を打って、魔技興が燃料として利用しそうな木材や魔力のスポットを地図から削除したのである。


 教導会の推測通り、その後の魔技興は発展し、開拓者を雇って森を植生の乏しい草原や荒野に変え、草地はヤギやヒツジの放牧が推進されて砂漠化を招いた。

 しかし、地図からの削除は、その破竹の成長期に、「書いていないのだし、地図通りになっても困らないだろう」ということでかえって破壊を招き、裏目に出てしまっていた。

 この教導会の読みの甘さは現在、本来は味方であるはずの、精霊回帰主義の活動家によって糾弾されている。

 一方で魔技興は、燃料や建設材の不足に関する将来的なヴィジョンを持っており、自ら木を植えて造林する事業を近年、立ち上げていた。


「どちらが悪いという話ではないのか? 国は何をしているんだ」

 狩人が口を尖らせる。

「国家としては、国内だけでなく、諸外国との競争や貿易も考える必要がある。だから、二機関が競い合って成長することが理想だ」

「国が煽っているのか?」

「そうとも言えるが、国力の礎になるのは国民だ。住民の生活への影響が大きい場合は仲裁に入る」

「俺たちの赤土の村も、魔技興に川を汚された。製糸工場の建設時には森が狭くなった」

「虹色蛾の件に関しては、すでに国家へレポートを提出済みだ。ロッサたちが帰る頃には、工場に指導が入っているはずだ」


「だと良いが……」

 ロッサは腕を組んで唸る。


「ね、地図を見てても何も変わらないわ。行ってみましょ?」

 ステラは岩から立ち上がると、背伸びと共に大きなあくびをした。


 

 アロピアス山脈の北端をなぞるように西へ。

 放牧の家畜や人間たちが足をつけない地域に入ると、ツンドラの植物もやや高くなった。

 水場も草葉に覆い隠され、雪からも逃れて凍らずに、冬でも湿地と化している場所が目立ち始める。

 一行はブーツを泥で汚しながら行進し、二日間掛けてヴィアの示した地点へと到着した。


「無いじゃないか。やはり魔技興だ」

 ロッサが鼻から息を吐く。

 木の生えない雪山のふもとにも、凍原が広がるばかりだ。


「木材を運搬するには距離が長い。魔動車の作った(わだち)も無ければ、車輪はおろかウマが走るにも不向きな地形だった。自然な気候変動による消滅と考えられる」

「どっちにしろ無いじゃないか。山道より歩きづらかったんだが」


「ロッサは文句ばっかり」「こいつ、元気になったらなったでウザイわね」

 女性陣が苦情を述べる。


 ふと、ローシャの耳が小刻みに痙攣した。


「……オオカミの遠吠えですね」

「確かに。人家が近くにあるのか? オオカミは大抵、家畜を襲うものだろう?」


 兄妹が言うが、ヴィアの耳には何も聞こえない。


「それか、人の暮らしに依存しないで暮らせる森があるかだ」

「まだ言うか」

「まあまあ、行ってみましょ」


 一行は山のほうへと歩を進めた。

 蓮の根のような穴の開いた地形はなりを潜め、確かな地面と、一本のハッキリとした川が姿を現す。

 丘の上でシカがこちらを見つけ、慌てて姿を消した。

 それを追えば、草原の中に赤色のちらつく風景が広がった。


「ベリーの群生地! ランチは決まりね。まだパンが残ってたわよね」

「チーズも残しておいて良かったです!」

 女性陣が我先にと丘を駆け下りる。

 ところが、ふたり同時に立ち止まり、険しい顔をこちらに向けた。



 ――遠吠え。



 今度は常人の耳にもはっきりと聞こえた。


「オオカミはシカを追ってるのか? 肉が食べたいのなら、獲ってやるぞ」

 ロッサが背中から弓を下ろす。

「違うの。ステラさんが、人が居るって」

「人が? どこだ?」


「独りぼっちよ。それも、小さな女の子だと思う」

 オオカミの女は鼻を鳴らした。


 ヴィアはレンズの付いた筒――望遠鏡――をリュックから取り出すと、ステラの睨む方角を確認した。


 西側の丘に白い点が現れた。ツンドラオオカミ。一頭、二頭……計八頭のパック(むれ)だ。

 南方向、ベリーの茂みから何かが頭をのぞかせる。背の低いフード頭。


 オオカミたちはフード頭に向かって一直線に駆けている。

 フード頭はそれに気付いたらしく、振り返って背伸びをする。顔が見えた。頬の赤い女の子だ。

 彼女はニッコリと笑みを見せると、襲撃者のほうに向かって手を振った。


「オオカミに手を振ってるが」

「いやいや、殺意がぷんぷん臭うわよ!」

 ステラは犬歯を見せ、シャツのボタンを外した……が、長髪の男のほうを見て取りやめて、人の姿のまま駆け出した。


「威嚇射撃、できるか?」

 ヴィアはもう一本、望遠鏡を取り出して狩人に渡した。


「任せておけ」

 ロッサはそれを受け取って覗き込み、すぐに返すと腰の矢筒へと手を伸ばした。


 オオカミたちは女の子を食い殺す気だろう。

 彼女もようやくそれに気付いたようで、青ざめて振り返り、走り出した。


 二者の距離がどんどんと縮まっていく。人の子の全力疾走など慰めにもならない。

 だが、先頭を走っていたオオカミが急に足を止め、つんのめって転がった。鼻先にロッサの矢がかすめていた。

 二走者や三走者も同じようになった。


 後続のオオカミは、起動を左右に振りながらの移動に変更。速度も乱れ、窪みを飛び越えるのもやめたらしく上下にも振れ、水を跳ね上げた。

 ヴィアの耳には弦の弾ける音が続いていたが、獣たちは止まらない。

 矢に狙われ慣れているパックらしい。


「すまん、打ち止めだ。殺さないのならこれが限界だ」

「大丈夫だ。間に合った」


 望遠鏡に女の子とオオカミが同時に収まるころ、あいだにステラが割り込んだ。

 ステラが体毛と尻尾を逆立てたオオカミに向かって一歩だけ踏み出すと、白い犬たちはすごすごと撤退していった。

 それから彼女が振り返り、両腕を開くと、女の子は跳ねて首へ抱き着いた。



 助けられた女児の名前はアミカ。

 リンゴのような頬をした、空き歯の目立つニコニコ笑顔の女の子だ。


 この近所で、年老いた父親と暮ら……


「パパはおじいさんだけど、すごく元気なの! 森からいのちを少しだけ借りて、山のふもとで暮らしてるの!」


 しかし、彼女は不幸な……


「パパはパパだけど、本当のパパじゃなくってね。あたしが捨てられてたから拾ってくれたの。ママは居ないけど、森がママみたいなものなの!」


「この近辺に森が……」


「森は無いよ! 無いってパパが言ってた。マギコーが壊すから無いって言っとけって。キョードーカイにも来んなって言ってるの! だから無い!」


「そ、そうか」

 キツツキを連想させるお喋り。ヴィアは気を取り直して訊ね直す。

「オオカミに襲われていたが、独りでベリーを採るなんて……」


「いつもは森の子たちがあたしを襲うことなんてないの! あの子たちはきっと、パパの言ってたシンザンモノなのよ!」

「他の獣には襲われないのか? ここには他にも獰猛な……」

「クマも、オオヤマネコもあたしの友達! 背中にも乗れるよ! あたしは森の精霊にキスして貰ったから!」


「その精霊って、大きなシカだったりする?」

 キツツキ娘を肩車するステラは苦笑いだ。


「どうして知ってるの? お姉さんたちも、精霊の知り合い?」

 女の子は首を傾げた。



 アミカの案内に従い、彼女と彼女の父親の暮らす小屋へと案内して貰った。


 毛皮のフードも要らないような豊かな白髪と髭の男が、ポーチでパイプをくゆらせながら椅子で揺られている。

 確かに年寄りであったが、その腕は丸太のように太くて毛むくじゃらで、上着も着ないでいた。

 彼のそばに立て掛けてあった斧も、手入れが行き届いている。


「娘をオオカミから救ってくれたそうだな。礼を言おう」


 と言う割には、こちらの目も見ず、パイプを咥えたまま口を曲げている。


「娘さんから、この付近に森があると聞いたのですが」

「無い。俺や、こいつには見えても、魔技興や教導会には見えんぞ。国にもな」


「せっかく助けたのに。ヴィアはフリーの情報屋よ」

 ステラが口を尖らせる。


「なんとか屋は全員、金儲けの連中だろうが。娘のいのちを救ってくれたのには感謝している。だが、そのために八頭ぶんのいのちが失われた」

「はあ? 愛娘と天秤に掛ける? っていうか、群れのことを把握してたのに、この子を一人にしたわけ?」

「俺たちは森に生かされてるんだ。あの群れが新参者だろうと、俺は森の決めたことに従う。俺がアミカを拾ったのも、アミカがオオカミの糧になるのも、精霊の示した道だ」


「なんだ、このジジイは。俺はオオカミに矢を当てていないぞ」

 ロッサが口を挟んだ。


「ははあ。ヘタクソか」

 老人は寂しくなった矢筒を見て笑った。泥で汚れたのが二本入っているきりだ。


「おい、こいつ殴って良いか?」「ロッサ、やめて!」

 兄が女児を見て年寄りを指差し、妹が怒鳴る。


「殴って良いよ。パパ強いし」

 空きっ歯を見せて笑うアミカ。

「パパ、みんなはオオカミを一頭も傷付けてないよ」


「それで、どうやっておまえを助けたっていうんだ。誰も怪我をしてる様子もないだろう」

「ステラお姉ちゃんがやめろって言ったら、やめた」


「この女が、オオカミに……?」

 老人の目が鋭くなった。



 ――勘付かれるか?



 ヴィアの脳裏に、老人の人里との関わりへの探りが生まれ、一瞬で打ち消された。

 ローシャにやいばを向けたときは高揚したが、馴鹿と出逢った今となっては、辺境で捨て子を拾って育てる老人とその子を不幸に貶める案が一瞬でも持ち上がったことに、酷い怖気と羞恥を感じた。


「タラン・ドラスを追っています。存在を記録することができれば、魔技興の開発の禁止区域に指定することが可能です」


「たらんどらす?」

 アミカが首を傾げる。


「大きなシカですよ。魔力を蓄えてて、暗闇で赤く光るの。角が綺麗な音を鳴らしたりするんですよ」

 ローシャが解説する。


「精霊のことだね!」「アミカ、余計なことを言うな!」


 父親が強い口調で遮る。だが、娘は負けじと睨み返した。


「パパ、余計も余分も無いんだよ。在ったものが在るだけ。起こったことが起こるだけ。それが精霊の示す道……でしょ?」

「……彼女がオオカミを鎮めたんだな?」

「うん。お姉ちゃんたちは、精霊に会いたいんだって」


「会ってどうする気だ?」

 白髪の男はヴィアの目を見た。ほかの誰でもなく、彼の目を選んだようだった。


「以前、会ったときに問われた気がしました。答え損なったので、その返事をします」


「その箱で撮影とやらをするのが目的なんじゃないのか?」

「それは一種の礼です。タラン・ドラスの生息域の開発は法律で禁じられています。個人的なあやまちを彼女に正して貰ったんです」


「ほう、彼女(・・)ときたか」

 白いヒゲヅラが笑う。一転、睨み。

「それだけじゃないな?」


「あとは……個人的な趣味です。ただ、もう一度見たい」


 ヴィアが正直に答えると、男は下を向き、肩を引くつかせ、笑い始めた。


「町でも見たことのない顔だ。“雪落とし”の者でもないな?」

「アロピアス山脈を越えてきました。生まれは国の南部です」


「この山をか!? シカを見るだけに!? 南部からはるばると!?」

 更に大きくなる笑い。娘が真似をして、爆笑の大合唱となった。

 耳長の兄妹は揃って顔をしかめて、耳を塞いだ。


「アミカ、案内してやれ。こいつらはすでに導かれている。仕上げの案内は、おまえに相応しい」

 父親がそう言うと、歯抜けの娘は満面の笑みで返事をした。



***

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