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.13 遺跡とオオカミ

 ステラ・アグリは不機嫌である。


 彼女はロッサと共に待機していたが、いくつかの心配のもと、テントを飛び出していた。

 口数少ないつれあいとは二十余年の付き合いだ。

 彼の持ち出した装備と「出るな」のひとことで、戦略に雪崩を取り込むことは容易に推測できた。


 雪崩が匂いの道筋を押し流しても、風下からモルス・ウルシをつければ、ふたりのもとへと辿り着ける。

 じつのところを言うと、彼女はその気になれば片手でクマの首をひねって殺すこともできた。

 全身を使えば大熊の大樹のごとき首をもへし折る自信があった。


 しかし、ステラの心配は、つれあいや新参者の小娘のいのちばかりではなかった。


 その小娘の体臭だ。

 兄ロッサを救ったのちに、やや好意的に変化していたそれを、オオカミの鼻は敏感に感じ取っていた。

 そして、ヴィアが策略により三本腕の豪熊を押し流したのちに、それは兄ロッサに対して不適切に向けられていたものと同種のものに変じ、心配を現実のものへと変えた。



 ――あいつ、わたしと同じ。ヴィアの役に立ちたがってた。



 ローシャがアサマ族の惨殺現場で見せた、敵討ちへの決意。

 傍目には怒りや正義に映ったであろうが、オオカミの鼻はその偽善の奥にある下心を見抜いていた。


 ステラは別個体の豪熊の存在にも気付き、人狼として割って入るために物陰で脱衣した。

 全身に毛を生やしたとき、クマはまだ接近しきっていなかった。服を畳む余裕すらあった。

 ところが、小娘に差を見せつけるために選んだシチュエーションで、つれあいが思いもよらない行動をとった。



 ――あの場所は、わたしの場所なのに。



 モルス・ウルシに飛び掛かったとき、ローシャを庇うつれあいから感じた香りは、いつかの香りと同種のものだった。

 彼の背後に居る小娘が、いつかの自身と重なった。


 それと同時に自分が今、彼らと違う魔物であることを強く認識した。


 そうして気が付いたら、豪熊の首はへし折れていた。


 もともと、へし折るつもりだった。

 自身よりも強大な魔物を(しい)すつもりだった。

 事実として、モルス・ウルシの首は百八十度以上の回転を果たしている。


 だが、全身に残った手応えと痛みは、それが「意識的な全力を凌駕するもの」だと語っていた。


 ステラはすぐに理解した。

 自身の嫉妬とつまらない意地が、つれあいを生命の危機に瀕しめたことと、二頭の豪熊の退治は、その嫉妬抜きでは決して成し得ないものだったということを。


 やり場のない怒りのはけ口として、つれあいと小娘を繋ぐザイルの切断が選ばれたが、これも悪手だった。

 下山のさなか、難所が来るたびに、恋人の背中が胸の悪い娘の姿にぴったりと寄り添うのを許さねばならなかったからだ。



 ――そんで、わたしは、自分のいのちを狙った男の介護!



「捨てて良い?」

 ステラは背に負ぶったロッサに問う。


「勘弁してくれ。気に入らないなら、ローシャに独りで歩くように言えばいいだろう」

「言えるわけないでしょ。胸が悪いのに」

「普段はこのくらいの山道は平気だぞ」 


「は?」

 ステラは雪の中にロッサを落っことした。



 多くの幻獣は、幼体時に魔力の蓄積に異常を生じることで誕生する。

 二頭のモルス・ウルシもまた、なんらかの外的な魔力の影響を受けていると考えられた。

 特に、写真に描かれた青い光は、劣化した魔力である瘴気を示す。


 一行は、ウェムラ・エッジの北側を下山中に、その原因を突き止めた。


「いつか、東部の遺跡で見たミイラ。あれと同じ臭いがしたのよね」


 日陰の万年雪に開けられた洞穴。

 オオカミの女は、そこからつれあいの喜びそうな臭いを捕まえ、一行を隠された遺跡へと案内した。


 岩肌をそのまま削って造られた古い廟堂。

 壁には何段もの棚が作られており、見上げる位置にまでびっしりと石棺が納められている。

 廟堂としては大きなものではなかったが、正真正銘、古代文明の遺跡のひとつである。


「随分と荒されてるな」

 妹に支えられた長髪の男が石棺を覗き込む。


「発見済みの遺跡みたいですね。埋葬されてる遺体までめちゃめちゃです」

 切り揃えた短髪の娘が顔をしかめる。

 多くの石棺の蓋はずらされており、埃っぽい地面には朽ちた遺骨が散乱している。


 ステラは肩を落とした。



 ――喜んでもらおうと思ったのに。



「クマの糞がある。やつのものか?」

 ヴィアがステラを振り返る。ステラは、めいっぱい息を吸い込んで「そうだよ!」と答えた。

 及ぶまでもなく、廟堂内には例のクマの臭いが染み付いていたし、あれが親子であろうことまで推測できていたが。


「三本腕のほうの内臓からは“瘴石(しょうせき)”が出ていた。瘴気の臭いの種類まで分かるか?」

 つれあいが更に注文を付ける。ステラは「まかせて!」と言うと、鼻を鳴らして廟堂の中を徘徊し始めた。


「探してどうするんですか? 原因は壊れたアーティファクトか、廃棄物ですよね?」

 黒髪が傾く。


「分かってないわね。壊れたものでも貴重なら教導会が欲しがるし、豪熊の発生原因を突き止めれば、情報の価値も上がる。原因が廃魔力品の投棄なら、違法行為への通報にもなるのよ」


 情報屋の相方を舐めるなと言わんばかりに鼻を鳴らす。


「見てください。この石棺の棚、いちばん上の段だけ、どれも開けられてませんよ」 

「盗掘者が無視するはずが無いな。ひょっとして、荒したのはクマだけで、連中の目線より上は無事なのか?」


 兄妹が余計なことを言った。

 ステラはすぐさま石棺を納めた棚をよじ登り、最上段の棺桶の蓋を強引に外した。

 蓋は勢い良く地面に落ち、土ぼこりを上げて真っ二つに割れた。


「危ないな」


 苦情を言ったのはつれあいだった。普段は、そうはならないのに。


「……あった。あまり長くは触っていたくないわ。離れて」


 消沈と共に、石棺の中からブレスレットを引っ張り出し、床に投げ棄てた。

 それは黄金でできており、「青く光る緑の宝石」がはまっていた。


「強い瘴気。私たちの使ってる翡翠石と同じ種類の石ですね」

「だが、こんなに純度の高い結晶は見たことがない。すっかり瘴気に満たされているが、これひとつで部族が潰し合うほどの品だ」

 兄妹はやや身を離しながら宝物を覗き込む。


「さすがに詳しいな」

 ヴィアが魔像機を取り出した。



 ――褒めてるし!



「可視光線化するほどの瘴気は危険だ。浄化するのも、教導会でさえ苦労する。ステラ、戻しておいてくれ。情報だけ持って帰る」



 ――人狼のわたしのほうが、瘴気に曝されるべきじゃないと思うんですけど。



 ステラは証拠の撮影が終わるとブレスレットをつまみ、棚をよじ登って石棺に投げ返した。



 溜め息ひとつ。



 情報屋としての仕事はこなせている。惜しくはブレスレットが危険の無い品であれば、数年は遊んで暮らせたことくらいだ。

 だが、彼女が欲しかったのは金品ではなく、つれあいの“瞳”だ。

 探険好きの青年の瞳は、二分咲きというところだ。相棒としても、この程度の遺跡は見飽きている。

 今回の探索でつれあいが最も輝いていた瞬間は、廟堂の剥き出しの石壁を補強するために使われた木材に、北部では見られないキノコが生えていたのを解説したシーンであった。



「ヴィア、ステラ。戦闘の用意をしろ」

 唐突にロッサが言った。耳長の彼は弓を手にしており、その妹もすでに翡翠のナイフを構えていた。



 ――今度は何?



 ステラは気怠く入り口のほうを見やった。

 “口を閉じ聞く者たち”と呼ばれる耳長の人種。彼らの聴力は他の人種を大きく凌駕する。

 それは単純な性能でいえば、裏返らないステラの鼻にも及ばないものであった。 

 だが、廟堂には通風孔や別の出口が無いらしく、風もろくに吹き込まず、空気はすっかり滞留していた。


 環境ゆえの敗北だったが、ステラの不機嫌を強く後押しした。



 白い毛皮の生物。しゃがれた声まじりの呼吸。無数の小さな足が砂まみれの床を叩く音。

 一匹や二匹ではない。群れだ。


「ツンドラオオカミだ! クソッ、狭い!」

 ロッサが矢をつがえるも、オオカミたちは足を止めない。


「ヴィアさん!」

 ローシャが悲鳴を上げる。

 ツンドラオオカミの群れは、他の三人には見向きもせず、真っ直ぐとリュックサックの男へ向かっていく。


 全頭、揃って。なんらかの目的と意志が感じられた。


「ヴィア、背を向けて!」

 彼の防御姿勢。言われるまでもなく、彼は対応済みであった。

 白いオオカミたちが次々と飛び掛かり、牙と爪を立てる。

 それは人間の男ではなく、彼のリュックサックや、その上に丸めて載せられた茶色い毛皮ばかりに執着している。

 ヴィアもまた、バトンを抜いてはいたが起動させる様子はない。



 ――そっか、この子たち。モルス・ウルシを倒しに来たんだ。



「ヴィアさん、すぐに助けます!」

 翡翠のナイフに赤い光。

「待って。オオカミに手を出さないで」

 ローシャを手で制するステラ。



 ――彼はそんなの望んじゃいないわ。



「大丈夫よ。あのクマはわたしたちがやっつけたわ。二頭ともね」


 オオカミの女は優しく語り掛けた。

 その声音はまるで子を想う母のようであった。いちおう、そのつもりだ。



「そっか! 人狼だから、オオカミと会話ができるんですね!」

「彼らもまた、モルス・ウルシに暮らしを脅かされていたんだな!」

 兄妹が歓声まじりに言った。



 ……が、オオカミたちは唸り、吠えて、荷物への攻撃をやめない。

 大型のオオカミの重さをいくつも受け、さしものヴィアもリュックの下敷きとなっていた。



「やっつけた、つってんでしょ……!?」

 ステラの細い腰でベルトの尾錠が悲鳴を上げた。

 半袖シャツのボタンが弾け、犬歯が伸びてくちびるを刺し、全身を発毛のかゆみが襲う。



 途端に、オオカミたちはピタリと動きを止め、ゆっくりとリュックサックから離れると、尻尾をすっかりと下に垂らし、何度も女を振り返りながら退出していった。



 ステラは人狼であるが、オオカミの言語は特に理解していない。

 しぐさや体臭の変化で、ある程度は彼らを理解できたが、声に関してはワンワン言ってるようにしか聞こえなかった。



 ――また、締まりが悪い。



 オオカミの女は深いため息をついた。砂埃が目に入ったらしい、思わず目をこする。



「彼らを傷付けずに済んで良かった」



 つれあいの手が、はだけてしまったシャツの胸を合わせ直してくれた。

 感じられるのは確かな「ありがとう」の香り。


 魔物発生原因も究明され、問題は解決し、一同は遺跡をあとにする。


 ステラは遺跡を振り返った。



 ――ま、良しとしておきましょうか。



 ミイラの眠る石棺たちに笑い掛け、少しだけ酸っぱい思い出を胸に刻み、大きなリュックの背中へと向き直る。


 目的の地は近い。馴鹿タラン・ドラスを追って北へ。



 それから数分後のことだったであろうか。

 彼女がずり落ちたショートパンツに足を絡ませて新雪に顔型を作ったのは。



***

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