.10 規格化の正当性
魔導技術興業、現地執行監査官の男イツミ・ツニッチは、頭痛を鎮める丸薬を噛み砕いた。
小気味の良い音が鳴り、口内に馴染んだ苦みが広がる。
――予定外だ。
スぺクルム湖の地下遺構。壁の中に封印されていた古代兵器の暴走。
地上の国軍指揮官のバラックで、広報部の所員と共に新機材と新兵器の宣伝を行っていたところに事件が飛び込んできた。
新型の魔導砲の購入決断まであと一押しというところの僥倖。それはいい。問題はその魔導砲の性能にあった。
――規格通りでない。
鉄の巨人を木っ端微塵にしたそれは、強過ぎた。
――あれは戦術兵器だった。
魔導砲は拠点防衛のために造られた代物である。
それがターゲットの周囲の構造物や、味方の安全を大きく脅かした。
仕様書通りのスペックならば、あれだけの被害を及ぼすはずはなかった。
おおかた、技術部の連中が自分たちの実力の誇示のつもりで規格外の性能を持たせたのだろう。
――教導会にも申し訳ないことをした。
彼らがこちらに鉄人を解剖させることは、まずあり得ない話ではあるが、貴重なアーティファクトを消滅させたのも惜しいことだ。
今回の件では重大なインシデントが発生した。
まずは、最大級の遺構の崩壊。その大部分が水没する結末に至った。
砲撃の震動が大空洞の天井部分――つまりは湖底――の崩落を招いたのだ。
完全に底が抜けたわけではない。ちょっとした穴だ。
それは兼ねてから教導会が想定していた範疇のものであり、緊急の魔導術式を発動して結界により塞がれた。
あとはうちの機材を使えば、湖底は修復できるだろう。
しかし、湖の水の何割かが空洞へと流れ落ちてしまった。
術式の準備をしておいたはずなのに、地下遺構の現場責任者である“掌”が「目先の人命」を優先したからだ。
スぺクルム湖を生活基盤にする住民、水中に暮らす生き物への影響は小さくないだろう。
水位の低下、湖底環境の激変による資源生物の減少。水中の成分の攪拌は結氷へも影響を与えかねない。
この永久の凍湖と共に暮らしてきた者たちのスタンダードを破壊してしまった。
――規格外。
イツミは舌で奥歯に挟まった苦みを掻き出す。
今回の件で魔技興が責任を被ることは無いだろう。
教導会と国家の共同管理の遺跡であり、魔導砲も国軍が購入済み、試射の済んでいないままでの使用も指揮官の決断だ。
二機関は世間からのバッシングを免れない。
いつもの些事とは違い、現地人に酒や金を宛がってごまかせる次元ではないのだ。
だが、魔技興も不利益を被っていた。
この地は自然環境を保持したまま、観光地として開発する計画があった。
――タイガは美しい。
自然に成長をしたというのに、まるで規格化されたかのように似た高さ、似た間隔で木が生えている。
初めてこの地を訪れ、これを目にして、イツミは感動していた。
残念ながら、借り上げたバラックの窓からは、その景観を眺めることができないのだが。
この集落の向こうでは、整然とした天然の規格が誇示されているのだ。
いつか、自身の暮らす首都の荒廃した地に、スギ林を造ってもいいかも知れない。あるいはヒノキ。
森林の乱伐に対する、精霊回帰主義者たちの非難も強くなりつつある。木材資源の確保も兼ねて妙案だろう。
――それが一般の人間にも受けるかどうかはともかく。
新聞社の紹介により、湖の鏡化現象や水中オーロラを見るために他の地域から人が訪ねるようになっていたところだったのに。
この地は極北の領域に近く、運が良ければ空のオーロラすらも見ることが叶う。
地下遺構も調査が済めば、強力な観光スポットや居住区域として機能したはずだった。
「あとは、なんと言ったか……」
――そうだ、水竜ロング・スコリ。
幻獣もまた人を誘うのに使えただろう。それが今回の一件で失われていた。
湖底に開いた穴からロング・スコリが落下し、潰れて死んでしまったのである。
……といってもそれは、いにしえの水竜などではなかったのだが。
潰れたからか、元々なのか。不細工なひしゃげた顔を持った、平べったい身体の巨大怪魚。
それはヒレが大きく、額の位置に長く伸びる器官を生やしていた。
その器官は魔力による強い発光を行うらしく、昏い湖底での生活に役立てられている。
似た生態の魚が海の底にも棲んでいると聞いたことがある。
揃いも揃って、不始末を起こす粗忽者。イツミですら“そういう規格”は歓迎しない。
――それに引き換え。
イツミの手が、ソファで眠る白黒の髪を撫でた。
シェルド・シリア。十年前の事件の最大の被害者であり、非人道的な実験の唯一の成果。
この少年は事件後、イツミ・ツニッチとその妻に引き取られていた。
今でこそ、取材だなんだと言って家に寄りつかなくなってしまったが、ツニッチ夫妻は養父母であり、共に過ごした時間は実父母を越えている。
テーブルには、息子の撮影した写真と記事。
古代兵器が人を襲い、教導会の幹部が怖じもせず対峙し、国軍が暴走を食い止める。
二機関は湖で起こる着氷を恐れるだろう。
まだあどけなさを残す息子が、地吹雪を弱めるフェンスを作った。
その恩は決して小さくないものだ。
情報は生もので鮮度が命。息子にはそう教えた。
もう一度、徹夜で記事を書き上げた功労者の髪を撫でる。
「パパ……」
寝言。
イツミは頬を緩めた。
翼に頼った撮影に偏重していた頃は、よく肝を冷させられていたが、いつの間にか判断力を身に着け、地に足のついた写真も撮れるようになった。
「ヴィア兄……ステラ姉さん……」
ちょうど、この夢の人物の名が息子の口から出るようになった頃からだ。
フリーの情報屋の男と、そのつれあいの女。
ヴィア・ヴィルはこちらも把握している、その道では、ちょっとした有名人だ。
彼らもまた、鉄人の暴走を止めるのに一役買っている。
イツミは魔導砲の設置を待つあいだ、彼らの奮闘を崖上から眺めていた。
実際に会ったのは昨晩が初めてだった。
必要な事項のみ話し、淀みなく答える、したたかで精鍛な青年と、その対のような、美しくもややうるさい女。
噛み合わせが良いのだろう。
ボルトとナットのような関係。
シェルドもよく見て支援をこなしていた。特に魔導砲の想定外の破壊力に気付いた勘には敬服する。
彼らはイレギュラーだ。
役立たずや片手落ちなどではない、良質なオーダーメイド品である。
イツミ・ツニッチは思う。
世の中の全ての人間が、彼らのように進歩的で優れたものになれば良いのだが、と。
イツミ・ツニッチは疑問に思う。
なぜ、彼らのような存在が、人間の標準規格でないのだろうか、と。
イツミ・ツニッチは嘆く。
この世界にはかつて、既存の種の利点を複数獲得した優良な生物が生きていた。
それは翼を持ったヒトであったり、獣の生命力を持ったヒトである。
亜人たちの多くは、特性を借りた人間や動物の総合スペックを上回っていた。
彼らもまた繁殖し、文明を持つことができた。
精神の成長こそは途上であったが、新たなスタンダードになりうる候補であった。
たかだが、先に生まれたとか、シェアを占めていたという程度で、劣った人間に絶滅させられるべきではなかった。
聴力に優れる人種こそは居るが、連中は迷信的で、科学文明を好かないようだった。
そのため、人種としては少数派にとどまってしまっている。
――世界はいびつだ。
窓の外では、現地人たちが教導会の管理するバラックの前で抗議をしている。
起こったことは変えられないというのに。
一次産業従事者、市民、企業人、魔術師、政治家、いまだ原始的な生活から抜け出せない部族。
彼らの生活様式はばらばらだ。
世界を構成する部品として役目が違う以上、それを揃える必要はない。
だが、同じ部品同士での標準化すらもできていないのは問題だ。
銃が戦場で壊れたとして、いちいち鍛冶屋に持って行って、部品を打ち直してもらうか?
魔導教員が教える魔術論が教員ごとに違ったらどうなる?
標準化されれば効率が上がり、成長を促し、事故も減るだろう。
ヒトの進歩に規格の統一は必須だ。
だが、彼らは保守的で、過去ばかりに目を向ける。
精霊回帰主義者は言うまでもなく、脱却主義者もまた極端で破壊的。
……精神とは、宿る器によってもその色を変えるものだ。
――世界の規格化に必要なのは、種族という規格の統一であり、旧規格からの脱却だ。
イツミはまだ目覚めぬ息子の私物、肩掛けカバンにしまい込まれたスクラップ・ブックを失敬する。
『平和な南西部に血と炎の悲劇』『実験を行ったのは魔技興か教導会か。国家が仲裁』
また切り抜きが増えていた。
『あの悲劇から十年』
再三、愛息子の髪を撫でる。
「シェルド、いつかきみが、辿り着くんだ」
窓ガラスが白く曇り、抗議の声が掻き消えた。地吹雪だ。
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