放課後の音楽室
放課後の校舎はひっそりと静まっていた。昼間は子供たちが喧嘩をしたり、歌ったり、笑いあったりと賑やかな空間だったが、今やつくえの裏にさえその痕跡を見つけることができない。
尚希は上履きもはかず、廊下の白いタイルにぼんやりと反射した蛍光灯の光の上を、ペンギンのようにぺたぺたと歩いていた。
9月のタイルはひんやりとしていて、体に溜まった熱を足の裏から連れ去ってくれた。
尚希は友達たちと放課後に校舎の一階でかくれんぼをしていた。おには尚希の番だった。下駄箱に近い廊下の端の教室から、友達がいそうな場所を順番に調べた。いつも友達が隠れている教卓の下や、掃除用具入れの中、カーテンの裏を探したが、どの教室にもいなかった。尚希はがっかりしたが、また廊下の端の教室から、さっきよりも入念に探した。けれどもやはり誰もいなかった。
みんなで決めたルールでは校舎の一階だけが隠れていい範囲だった。けど、いくら探しても誰もいないから、みんなルールを破って二階に隠れているんだろう、と尚希は思った。校舎の二階は上級生の教室になっているので行きたくなかったが、一人きりで探し回っているのが寂しいので上の階に行くことにした。
ぴょんぴょんウサギのように跳ねながら階段を上っていると、廊下の奥の方からピアノの音が聴こえた。
音は二階の廊下の一番奥にある音楽室から流れ出ていた。何という曲なのかは分からなかったが、どこかで聴いたことのある心地の良い綺麗な曲だった。
ドアから顔だけを出して音楽室の中を覗くと、きつね色をした夕陽のスポットライトを浴びながらグランドピアノを牧先生が弾いていた。ぴかぴかに磨かれた鍵盤に掌を重ね、そこから延びる白くほっそりとした五本の指をいっぱいに広げて音を紡いでいた。
紡がれた音たちは夕陽の光と交り、くるくると踊ってた。夕陽に引き伸ばされた色んな楽器の影たちもまた踊っていた。
尚希は友達を探すのも忘れ、その光景を眺めた。音たちは尚希の心をつかみ、離そうとしなかった。
突然ピアノの旋律が止まった。牧先生が尚希が覗いていることに気づいたからだった。尚希は申し訳なくて逃げたくなったが体は動かなかった。
「尚希君も弾いてみる?」
そう言うと牧先生はにっこりしながら、手をこまねいた。尚希はこくりと頷いて、ぺたぺたと歩き牧先生の隣に立った。先生からチューリップ畑のような香りがした。
人差し指を立て、恐る恐るゆっくりと白鍵を押すと、メダカが咳をしたようなとぼけた音がした。
「もっと強く弾いてごらん」
優しい声で牧先生は言った。尚希はまたこくりと頷き、さっきよりも強く鍵盤を押した。すると、ポーンと音が鳴り音楽室中に響いた。
嬉しくなって、尚希が他の鍵盤も弾いてみると、それに呼応してピアノは音を産んだ。
「ここを弾いてごらん」
牧先生は鍵盤を一つ一つ指さして言った。その指を追って、尚希は指一本で鍵盤を弾いてゆく。
聴いたことのある旋律だった。きらきら星だ。
産み出された音たちが肩を並べひとつの曲を連ねるのが心地よく、夢中になってピアノを引き続けた。
すると牧先生も尚希の弾く音に合わせて弾き始めた。尚希が少し困惑して音がバラバラになったが、徐々にひとりで弾くよりも良い旋律となった。牧先生の音と尚希の音が重なり合って共鳴し、大きな川のように流れた。
夕陽の光は音に当てられ星くずとなり、ピアノの上を跳ね回っていた。二人は夕陽が薄れて消えるまで、何度も繰り返し引き続けた。