第二十六話「悪魔は兎狩りの犬たり得るか」
ヴァンさんの先導の元、例の獣が眠る屋敷へと向かう。
俺はふと、昨日読んでいた記録のことを思い出していた。
(ロストナンバーについて)
「ここでのロストナンバーとは、亜人を作る際生まれてしまった失敗個体達の事を指す。
その多くは失敗とともに命を落としたが、中には不完全な状態のまま生きながらえるものもあった。
とある研究者たっての願いによって、亜人計画の準備が整った段階で生きていたものは全ては地上へ破棄という形になったが、それらが亜人にとって脅威たり得る可能性は捨て切れないとの指摘を受けた。
あれらは不完全体とは言え亜人の亜種ともいえる存在。故に人類が命ずれば簡単にいうことを聞かせることが可能だが、亜人に取ってはどうだろうか。
元来不完全な生体であるが故に生き残る者はごくごく僅かだと推察されるが、数百種ものロストナンバーのうち何種類かは生き残ったとして不思議ではない。
彼ら、或いは彼女らは人間性と獣性が完全に統合されていない為、知能は高いものの対話による説得などは至難であり、かつ残虐性や凶暴性は据置である場合が多い。
従って亜人達が生き残ったロストナンバーと対立するのは必然であり、加えてその際勝利を収められる可能性は現在の我々には予測不能である。
故にロストナンバーは殺処分すべきであったとの声は高いが、当の入江麗奈研究員はまるで反省する様子は無い。
亜人計画の不確定分子を敢えて野放しにした某研究員の責任は重く、この計画からは外れてもらう事となった。
その後の彼女への処分は負って知らせるつもりである。
以上。」
…麗奈はロストナンバーと呼ばれるいわば失敗個体をこの地上へ放ったことで責任を取らされたんだ。
それが結局どうなったのか個人的にはめちゃくちゃ気になるものの、ここで引っかかったのはロストナンバーの事だ。
要は、あの例の化け物は、ロストナンバーの一人なんじゃ無いかって事だ。
あれは、明らかに他の野生動物とかけ離れている。
あの巨大過ぎる図体もさることながら、狼の癖に一人行動、食べることより殺す事を楽しんでいる節があり、神出鬼没、刀すら通らない身体、満月の夜のみ活動するなど他の野生の狼と異なる点が多い。
加えて、アレには知性が感じられた。まるで俺たち人間の言葉を理解しているような…
もしこれらの異質さがロストナンバーだという理由による物ならば、アレには人間、つまり俺の命令に従うよう遺伝子レベルで擦り込まれている筈だ。
現に以前2回ほど、俺が惨めにお願いすると何故かその場から去るという謎の現象が起こっている。
…本当に俺の命令に従ってくれるなら、そんなありがたい事はないんだがなぁ。
勿論楽観視するつもりはない。
アレがロストナンバーではなかった想定で、今回は作戦を考えている。
「エーリ!もうすぐなんだが…どうもこの先が騒がしいぞ!何か起きてるみたいだ!」
騒がしい…とは。
まさか、満月を前にしてすでに目覚めてしまっているのか…?
…最悪だ。
完全に目覚めているアレに対して、俺たちは無力だ。
ただ一つ、アレがロストナンバーである可能性を除けば。
引き返すべきか考えていると、隣に居たウイが焦った様子でクイクイと俺の袖を引っ張った。
「エーリさん!あそこ、あ、悪魔…誰か…沢山の人が襲われてます!」
ウイが指差すのは目的地の方向。
俺には何も見えないが、烏人族の視力を持つウイが言うならばそれが見えるのだろう。
悪魔と呼ばれるアレに襲われている奴を見殺しには出来ない。
一刻も早くその場に駆けつけて、助けなければ命はない。
だが、無策で覚醒状態のアレに飛び込んだ所で出来ることなどたかが知れている。
ならば…
「皆!止まれ!!!」
皆で行くメリットは無い。悪戯に被害を増やすだけだ。
「僕が様子を見て来ます。皆は反転し、今すぐヤタ村に帰還して下さい!!」
俺が見に行くだけの話だ。
☆
ミカワの国と森を隔てた隣国、イズ。
この国では、イズ皇帝と地方豪族の内戦が長引いており、その燻りは地方の村に於いても消える事は無かった。
村人は年中戦に駆り出される為田畑は枯れ、国力は衰え、争いと病気、飢えと貧困が国を満たしていた。
そんな中、飢えた村人や女子供の為に富裕層を狙って盗賊行為を働くある集団が現れる。
自らを義賊と名乗り堂々と盗みを働くその集団は、俊敏な兎人族が揃っており、一際見目麗しいイロハという女性を筆頭に規模が膨れ上がっていた。
その数なんと150人。主な構成員は皆女性だが、関係者や協力者含めるとその数は最早数える事が出来ない程である。
内戦の終わりが見えない以上規模の拡大収束は見込めず、増え続ける仲間を如何にして食わせるかが義賊の長、イロハの目下の課題となっていた。
そんな中、彼女の長く立ち上がった白い耳に一つの美味しい噂が飛び込んでくる。
曰く、隣国ミカワ皇帝の騎馬軍団があのマルトルードの悪魔に大敗し、北の森には帝直属の騎馬軍団の財が手付かずでゴロゴロ転がっている、と。
直属の兵士の私物や防具なんて宝…手に入れば、一体どれ程の人々が腹を満たせるだろう。
どれ程の人々が身体を売らずに済むだろう。
「皆さん!次の仕事が決まりましたわ!」
即断即決。
イロハの辞書に迷いなどという文字は無い。
その日のうちに、イロハは森での活動に慣れている者を数十人連れて、北の森へと出発したのだった。
北の森、フジ樹海は、ミカワとイズの国境でもある深く暗い森である。
一説によればその森の何処かに神が眠る神殿があるとかなんとか言われていた気がするが、生憎イロハはそう言った神話の類にはろくに興味が無かった。
お話で死んだ者は生き返らないし、病気は治らない。飢えた者の腹も膨れない。
故にイロハの興味は、金になるか、ならないか。それだけに終始する。
しかし今回ばかりはそれが仇となる。
森に眠るとされる悪魔の噂を十分に調べる事なく事に及んでしまったのだから。
程なくして、先行していた団員から喜声が上がる。
「だ、団長!!…ほ、本当にありました!!」
「宝よ!槍も鎧も…金銀宝石もある!!噂は本当だったんだ!」
「やったわ!これだけあれば…皆んな暫く食べていける!」
イロハも少し遅れて到着し、その光景を目にする。
腐敗し一部白骨化した死体があちこちに転がっており、正に噂通りの惨劇だった事が窺えた。
昔ならキャッ!!と女らしく反応出来たかもしれないが、既に色々な山を越えてきたイロハにとってはそれは死体ではなく昔生きていただけの唯の”モノ”である。
それよりも、噂通り騎馬兵の持ち物がそこら中に転がっている事の方が余程有用で喜ばしい情報であった。
「皆さん、とりあえず今は小さいものだけ持って帰りましょう。道は覚えたので、今回は無理せず。改めて人数を増やして回収に来れば良いだけですわ。」
「「はい、ママ!」」
「こら、団長と呼びなさい。」
元気よく笑うのは若い団員達。
彼女らは平均してまだ13、14程。殆どの子が内戦で親を亡くした過去を持つ。
イロハもまだ二十代中半で比較的若いのだが、気持ちとしてはその子達の親代わりをしているのだった。
皆が慣れた手つきで手早く金目の物を各々腰の巾着に入れていく。
その時である。
グルゥゥゥ…
遠くで雷でも鳴っているのかと勘違いする程に低い音。
しかし兎人族の耳はとりわけ優れており、それが怒気を孕んだ森の狩人の唸りだと理解するのは決して難しい事では無かった。
即座にイロハはその場で地面に伏せ、耳を押し当てて足音の数を確認する。
果たしてその数は…
「不味いわね…沢山の足音がこっちに近づいて来てるわ。」
「「ええっ!?」」
それは果たして声の主なのか…それとも全く別の何かなのか…そこまではイロハにはわからなかったが、呑気なことをして居られないのは確かである。
団員の命を無為に散らしてはならない。イロハは直ちに撤退の命令を下したのだった。
だだしその時既に、マルトルードの悪魔の瞳がその方を向いていたのである。
グルルルガウゥウッ!!
「きゃあ!!」
「危ないっ!!」
団員の一人目掛けて悪魔の凶爪が伸びた。
イロハは反応が遅れた団員を渾身の体当たりで蹴散らし、その奇襲から皆を守った。
兎人族は速さに秀でた種族。
それ故に誰も傷を負う事なく、最初の一撃を躱す事に成功する。
「ま、ママ…ごめんなさい」
「いい事?ちゃんとその耳を使うのよ。」
一瞬姿を表したマルトルードの悪魔はその口角をニヤリと笑うかの如く持ち上げた。
そしてすぐに後ろへと飛び下がり、皆の視界から消える。
「皆さん!!密集せず、周囲の音に集中を!また来ますわよ!」
「「はい!ママ!」」
「団長とお呼びなさい。」
軽口を言える程度には、イロハは焦っては居なかった。
これまでも数々の死戦を潜り抜けてきた彼女に取って、ただ素早いだけの獣は驚異足り得なかったのだ。
獣ならば、獲物にならないと知ったら諦める。それまでひたすらに躱し続ければいい。
それだけだと、思っていた。
しかし…
「…やけに静かじゃない…のっ!?」
この獣は、ただ素早いだけでは終わらなかった。
兎人族が耳を使っていると知った上で、音を殺して忍び寄ったのだ。
目前に突如現れた人の顔ほどもある巨大な爪を、イロハはその空気の振動で察知し、バク転で避ける。
言葉通りの紙一重。
その攻撃をなんとか凌いだイロハは、服の一部がバッサリと切り裂かれているのを見てゾッとした。
マルトルードの悪魔は、その隙を敢えて攻めようとはせず、ただジッと、二つの眼でイロハの顔を見ていた。
その顔は知性に溢れ、僅かに喜色を示しているかの様に思えた。
「…悪魔ってそういう事…。ただの獣じゃ…なさそうですわね…。」
イロハは血の気がひいていくのを感じていた。
今のは決して、速いだけの獣の動きではない。
アレは…瞬歩と一閃。
熟練の剣の達人にのみ可能な秘技であり、イズで犬人族が使うのを一度だけ見たことがあった。
その技と、あまりに酷似しているのだ。
断じて、獣が使えるようなものではない筈なのに。
「まさか…見て、覚えたって言うの…?」
言葉を理解しているかのようにニヤリと笑った悪魔は、もうその姿を隠そうとはしなかった。
のそり、のそりと一歩一歩、イロハの率いる団員の方へと向かってきた。
その行動の意味する所が、イロハにはわかってしまった。
瞬歩と一閃をイロハに見せつけたうえで、敢えてゆっくりと向かってくる悪魔の意図が。
「皆さん…今すぐ逃げて…」
「「ま、ママ?」」
「逃げて!!今すぐに!!!」
「狙いは貴方達よ!!早くしないと殺されるわ!!」
蜘蛛の子を散らす。
正にこの表現が適切だろう。
全ての団員にとってイロハは決して余裕を崩さない頼れる保護者であり、その声がかつて此処まで緊迫したものだった事は記憶にない。
故に如何に異常かつ不味い状況に立たされているのか嫌と言うほどに理解出来たのだ。
恐怖という感情によって。
「い、いやぁあああ!!」
一人の団員が堪らず声を上げた。
それは悪魔にとってターゲットを絞る一つの要因でしかない。
恐怖のあまり漏れ出た声は皮肉にも悪魔を引き寄せるトリガーとなり、その爪は瞬く間に彼女の無防備な背中へと迫った。
イロハは誰よりも速い。
その速さは単に移動のスピードにのみ終始せず、その驚異の動体視力も一因として挙げられた。
故に、達人の一閃ですら目で追う事が出来る。
そんな彼女の目は、大切な団員の背中に向けられていた。
自分の事をママと呼び、慕ってくれている可愛い団員の背中に、無慈悲に迫るその天然の刃。
誰よりも速いともてはやされた脚をどれだけ高速で動かしても、その背中には決して届きはしない。
この手が届かない事があるなんて、イロハはこれまで思いもしなかった。
「やめてぇぇぇ!!!」
イロハの絶叫が森の中に響く。
悪魔マルトルードは、その声を聞いてか、まるで人間のように笑った。
その時である。
彼女の視界に白い物体が現れ、一瞬で横切った。
一閃の剣先すら見切るイロハの目にもぼやけた残像として映ったそれは、まるで目の前で今にも殺されようとしている団員を抱えたかのように見えた。
悪魔の爪が空を斬る。
グルゥゥ…
苦々しげな唸り声を上げる悪魔。
果たしてかの団員の姿はイロハの視界から消えていた。
一体何が起こったのか。団員の子は助かったのか。
彼女の頭は混乱していた。
キョロキョロと周りを見渡す悪魔。
その視線は呆然と立ち尽くすイロハの視線と交差する。
次に爪が向く先は自分なのだと、彼女は本能で理解した。
自分ならば、あの攻撃を辛うじて躱す事ができる。
しかし、自分が仕留めるのが厄介だと知ったら、悪魔は今のように簡単にターゲットを変えるだろう。
ならば…
自分が食われている間に、皆は逃げる事が出来るだろうか。
そんな事を考えた。
恐怖で膝が笑う。
死にたくないと、身体が叫ぶ。
逃げろ!逃げろ!
心臓が、脚が、涙腺が、そう訴える。
しかし彼女の脳だけはそれを良しとはしなかった。
一人でも団員が生き残る事が出来るたった一つの手段があるとしたら、これだ。
そう、脳は知っていたからだ。
故にイロハはその場に座り込み、震える手で胸のロザリオを握り、祈った。
「主様…どうか私達兎人族を、御守り下さいませ。」
グルゥフフ…
明らかに笑った悪魔の顔には、溢れんばかりの嗜虐心と、これからの殺戮への期待が込められているようだった。
悪魔はイロハの髪に唾液がポタポタと垂れる程に接近し、もはやこれまでかと目を瞑った。
その顎門がゆっくりと開かれ、今にもイロハを飲み込もうとするその瞬間。
「間に合ったか」
何処か浮世離れしたようなマイペースな男の声が聞こえた。
イロハの身体がフワッと浮いて、風のように舞い上がる。
予期していたのと異なる感覚に、彼女は戸惑いを込めて目を開いた。
そこにあったのは、見慣れない白い服を着た男の横顔。
イロハと同じような白くて長い耳がピンと立っており、柳の如く風に靡いていた。
間違いない。自分と同じ、兎人族だ。
「あ、貴方様は…」
イロハは夢の中にいるのかと錯覚した。
先程までの絶望感とこの男の腕に抱かれている安心感が、まるで別世界のようだったからだ。
誰かを守らなければならないと思って生きてきた自分が、まさかか弱い娘のように守られる事になるなんて…
恥ずかしい。しかし、思えば何処かこんな事を求めていたような気がする。
イロハはこんな時だと言うのに自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じた。
なんて凛々しいお方なんでしょう。
イロハはつい、男の澄んだ黒い瞳を覗き込んだ。
そんなイロハの視線を感じてか、男は子供のような無邪気な笑顔を見せた。
「もう大丈夫。必ず、生きて帰すよ。」
イロハは何故かちゃんと返事が出来ず、こくこくと生娘の如く頷くことしか出来ない。
この胸の高鳴りは、もはや先程までの恐怖によるそれとは異なっていたのだった。
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