第十九話「誇りもプライドも要らない」
セツナの傷が思いの外深く、俺はその治療に追われていた。
以前ミロクさんに行ったような擬似的な輸液と、骨折部分の圧迫・固定、止血薬くらいしか出来る事はないが、それでも出来る限り手は尽くす。
残念ながら、内臓がやられていたら俺にはなす術がない。
何がやられているのかを把握する為の画像診断が出来ず、かつ手術も不可能だ。
ロボット手術ならともかく…普通の手術をするには常時バイタルチェックと迅速な輸血、麻酔管理、助手の先生、衛生的な環境、沢山の特殊な器具が必要不可欠だからだ。
一通り出来ることを終えた俺は、精神的にも肉体的にも疲れ切って眠りに着いた。
「エーリさん…エーリさん!!」
う、うん…?
ボンヤリと涙で滲んだ視界が、グワングワンと左右に揺れる。
「起きて下さい!大変なんです!」
ウイに眠りの途中で突如叩き起こされたのか。
どうせ大した事ではないだろうとは思いつつも、一応寝ぼけ眼で尋ねてみる。
「何かあったの?」
「村に…村に、帝直轄の騎兵が…」
ミカド直轄の…騎兵…?
なんだそれは。ミカドが俺の知っている言葉なら、もしかして一番偉い人って事か?
「なんだってこんな田舎に突然…」
「わかりません!村長を連れて来いと言ってて…今スープルさんが向かってるんですけど…」
身体を起こすと、隣のベッドには昨日のまま、セツナが寝ていた。
てことは…スーと取り巻きの脳筋だけか…不安だなぁ。
「わかった。俺達も行こう。」
「はいっ!」
正直ここまでとは思ってなかった。
村の入り口に入り切るどころか、どこまでも連なる巨大な運河のような人の波。
こんな大人数、生まれて初めて見た…数百どころじゃない。数千規模で居そうだ。
その一人一人が銀色の鎧を身に纏っており、馬に跨って俺達を上から見下ろしている。
信じられない程の数と財力。これが…帝の力ってわけか。
見せつけて来るねぇ。
「スープルさん!」
「エーリ!…むぅ」
俺が現場に降り立つと、なんだかわからんが露骨に不機嫌な顔をするスー。
しかし今は彼女のご機嫌を取ってる場合ではない。まずは事情を尋ねる。
「彼方は何と?」
「村長を出せと、その一点張りよ。私がそうだって何回も言ってるのに、ぜんっぜん信じてくれないのよ!」
何じゃそりゃ。
スーが若い娘だからって舐められてるのか?
…まぁ、見るからに偏屈そうな顔した軍団だ。さもありなん、と言ったところか…。
「とりあえず僕が話だけでも聞いてみます。それでいいですか?」
「…そうね。仕方ないわ。」
村長代理という事で、俺が代わりに話を聞いてみる事にした。
無礼にならないよう、騎兵の軍団の先頭にいる人物に、深く頭を下げる。
「大変お待たせ致しました。私はカニス村長の代理として参上した、エーリと申す者です。」
フン、と鼻息で返事を返される。偉そうな態度だが…まぁ実際偉いんだろうな。多分。
「…貴様が代理か。まぁ、良い。既に長らく待たされて、一刻の猶予も無い。最早本題に入ろうぞ。」
「寛大な対応、感謝致します。」
感謝する事など特に無いのだが、まぁ言葉はタダだ。とりあえず相手を怒らせないようにしないとな。
「この辺り一帯で、マルトルードの悪魔という名ばかり仰々しい図体のでかい獣が闊歩していると聴いた。知らぬとは言うまい。」
「はい。勿論存じております。」
「ふん。帝=キルワ・ノア様はその被害状況に常々心を痛めておられるご様子。それ故、我々直属の騎馬兵団が直に出向き、その獣とやらを退治してやろうと言うのだ。」
なんと。
昨日の今日でこんなタイムリーな話があるだろうか。
これは素直にありがたい。
これだけの数と武器が揃ってるんだ。期待してもいいよな。
「この上なき喜び。重ね重ね感謝申し上げます。」
「よい。我らが帝はお前達のような下賤の民にも憂慮の念を忘れぬ慈悲深きお方だ。これからも帝の為、命をかけて日々励め。」
「ははぁーっ」
流石に…ちょっと今のは慇懃無礼だったかな。
そう思ったが、彼方は煽てれば煽てるほど乗せられるタイプみたいで、寧ろ機嫌が良くなったようだ。
貴様は農民にしては礼儀を弁えているな、と褒められた。
それで…と騎馬兵が馬の上から俺を見下ろしたまま尋ねる。
「その獣は、一体何処にいるのだ。」
「…何処…といいますと…?」
「これだけ被害が出ているのだ。奴の寝ぐらくらいわかるであろう。」
あーね。いちいちこの村に立ち寄ったのはなんでかなと思ってたら、そう言うことか。
帝に討伐してこいと言われたのに、その情報が無かったってわけね。
でも、俺達だってあいつの被害を減らすことで精一杯だ。
態々森へ帰っていく獣を追ってやっつけようなんて余裕は無いし、力も無い。
これは…あんまり期待できないかもなぁ。
「いえ、残念ながら。彼の獣は俊敏で…朝靄がかかると風のように闇の中に消えてしまうのです。我々農民にそれを追跡する事は叶いませんので。」
騎馬兵は俺にゴミでも見るような視線を向けて言葉を捨てた。
「チッ。その程度の見当もつけていないとは…つくづく使えない奴らだ。」
「誠に申し訳無いです。」
まあいい、と騎馬兵は言った。
「大方あの森の何処かにいるのだろう?それさえわかっていれば、我々直属騎馬兵団が見つけ出せない筈もない。
我々は精鋭にして、その動きは俊敏。お前達の力があろうが無かろうが、目的達成に何の支障も来さぬのだからな。」
「流石でございます。」
俺のヨイショに満足したのか、騎馬兵達はやっと踵を返して森の方へと走っていった。
騎馬の大群が見えなくなったので、ふぅ、と一息ついて緊張を解く。
すると直ぐ様、後ろから少し不機嫌そうなスーの声がかかった。
「ちょっとエーリ!あれは流石に下手に出過ぎなんじゃ無いの…?」
後方腕組みをキメていたスーが俺の脇を突っつく。
ちょくちょく後ろから聞こえてきた唸り声は、やっぱりスーだったか。
「あの手の輩は下手に出る方が上手くいくんで。ダメでしたか?」
「私達は誇り高き狗鳴組よ!幾ら相手が帝の使いだからって、あんな卑屈な態度取る必要無いじゃ無い!」
やっぱりお気に召さなかったようだな。
まぁ、たしかにあそこまでやらなきゃいけなかったかと言われると微妙だけど、俺に狗鳴組のプライドなんか無いからなぁ。
あの場を丸く収める事に全力を尽くしただけなんで、後悔はない。
というかそもそも俺、犬人族じゃなくて人間だし。
一旦その辺はっきりさせとくか。
「スープルさんは狗鳴組かもしれませんけど、僕は違いますから。誇りも何もありませんよ?」
「なっ!?」
「昨日だって見たでしょう。僕は何も勇敢にアレと戦ったんじゃなくて、ただ情けなくお願いしただけですし。たまたま何故かなんとかなったってだけの話で…」
「…え、エーリ…」
別に事実を言っただけなんだが、何故だかワナワナと震えだすスー。
「エーリは私と同じ…狗鳴組の一員になったのでは無かったの?」
「え?」
「え…?」
なんだってそんな寂しそうな顔でこっちを見るんだ…
まるで…捨てられると分かった子犬みたいな目を向けて来るじゃないか…
ここで、いや、違うよ?とか言ったらヤバイかな?
でも実際、俺はヤタ村に恩があるし…どっちかというと彼方の所属なんだよなぁ。
てかそもそも、俺は出張でこのカニス村に来てるだけで、立場的にはヤタ村の代理代表者なんだけど。
こっちにずっと居るから勘違いさせちゃったかな。
どう説明しようか悩んでいると、俺の側にいたウイがまるで威嚇するようにバサバサッと大きく翼を羽ばたかせ、俺とスーの間に入ってきた。
「エーリさんは、わたしたちの村の男です。履き違えないで下さい。」
…う、ウイさん?かつて無いほどに挑発的な語調だな。
あのポワポワした健気な雰囲気からはちょっと想像出来ないんだが…
急にどうしたってんだ。
「…なっ!?そんな事、あなたが決める事じゃないわ!引っ込んでなさい!」
負けじと食らいつくスー。身長的に下から背伸びする形でなんとも微笑ましい感じにはなっているが…
ウイの胸がデカいせいでちょっと息苦しそうなのがコミカルだな。
「いいえ。これはれっきとした事実です。エーリさんの帰る場所はこの私の実家です。この村には、技術提供のお仕事で来ているに過ぎません。」
実家ですって!?と仰天し、ぐぬぬ、と犬歯を噛み合わせるスー。
「エーリは私の為に命をかけてくれたのよ!?それも、仕事だって言うの!?」
「仕事です。エーリさんは底無しに優しい人です。貴方が勘違いするのも無理は無いですが、あくまでもそれは勘違いです。」
「そんなはず無いわ!エーリは…きっとこのまま私の側で狗鳴組を…」
「いいえ。エーリさんは将来、私が上社を継いでからヤタ村の村長になります。これはゆらぎようのない、決定済みの事実です。」
…いや、初めて聞いたんすけど?
確かに村を任せるとかはこの前言われたけど…俺、村長になんの?
「エーリ!」
「エーリさん!」
「は、はいっ!?」
なんでここで矛先が戻ってくるんだよ…
「「本当の事を言ってやりなさい(やってください)!」」
都合よく寒気がしてきた俺は、その場で勢いよくぶっ倒れる事にした。
こう言うめんどくさい時は、寝たフリに限る。
「え、エーリさん!?どうしたんですか!大丈夫ですか!?」
「皆、彼を屋敷に運んで!直ぐによ!」
「あなたが変なこと言うから!」
「何よ!あなたこそ無理矢理だったじゃない!」
なんだか大事っぽい感じになってしまったが、まぁ疲れてるのは事実だし、許されるだろ…。
はぁ…なんでこんな事になっちまったんだが。
俺は束の間の休息を噛み締めるのだった。