第十話「狩猟採集社会は命懸け」
ここの村にお世話になり始めてからもう1ヶ月くらい経過した。
別の日の集会で…
「狩りに同行したいって…?」
ヴァンさんは目を見開いて驚いている。
ヴァンさんだけじゃない。周りの男達も同じだった。
周囲から呆れたような困ったような視線を向けられる。
「あのなぁ。狩りってのは結構危険で、怪我人を連れて行けるようなモンじゃねぇんだよ。」
「邪魔はしません。無理だと思ったら自分の足で帰りますから。」
痛みはかなり引いてきて、普通の活動をするくらいならなんの問題もない。
体力の低下は…まぁまだひどいもんだが、ついていくくらいならなんとかなると思う。
「なんでそこまで…」
ヴァンさんが頭をポリポリと掻きながらいった。
それに対して何処かから遠慮無い解答が飛んでくる。
「お前さんが以前、エーリに厳しい事言ったからじゃないべか」
「怪我人も休まず働けとか言ってたよなぁ」
「ありゃちょっと言い過ぎだと思ったね」
ちらほらとそうだそうだと声が上がる。
こう見てると、最初の頃よりだいぶ村の人にも顔が知れてきて、馴染んで来た気がするな。
ちょっと前までは警戒心みたいなのが露骨に飛んで来てたけど、そういうのも最近は感じない。
…やっぱりこれも、頑張って畑の再利用に踏み切って、それが認められたおかげなのかもな。
それはそうとして…
擁護してくれるのはありがたいが、狩りを見たいってのは俺の意思だ。
この世界の事、この村のこと、やっぱりまだまだわからないことだらけだし、知りたい事は尽きない。
早く色んな事ができるようになって、ウイやメイさん、それに村の人に貢献、恩返しがしたいと思ってる。
「ああいや、ヴァンさんが何も言わなくとも、僕はきっと同じ事お願いしてますよ。」
とりあえずヴァンさんをフォローしとく。
それによって俺を擁護する声たちは口を噤んだ。
静かになった所で、ヴァンさんが口を開く。
「…まぁ、働きたいってのは伝わった。しかしな、やっぱりまともに走れねぇような奴を連れてくのは危険過ぎる。今回の話はまたいずれ…来年にでも…」
話は終わったとばかりに閉め始めるヴァンさん。
来年ってのはまた気が長い話だよな。狩りは秋のシーズンがメインだからってことなんだろうけど。
やっぱりダメだったか。
俺は少しガッカリして溜息を吐いた。
そこで隣で話を聴いていたウイが声を上げた。
「私も一緒に同行するならどうですか?」
「えっ?」
「私がエーリさんに付いて護りますから。」
ウイが同行?確か女性や子供は力が無いし危険だから狩りには同行しないんじゃなかったか?
しかし、その提言を聞いた皆の感触は意外にも良好だった。
「ウイが付いてるなら…まぁ大丈夫か」
「確かに。」
「問題無いべな」
なんだこの絶対の信頼感。ウイってそんなすごい人だったのか?この前は森で割と危なかったような気がするけどなぁ…。
ヴァンさんは最後までうーんと低く唸っていたが、皆の反応に押されてとうとう首を縦に振った。
「…ウイがエーリについててくれるってんなら安全だろう。わかった。そこまで言うなら同行を認める。」
「え、あ、はい。ありがとうございます…?」
「明日、日の出の時刻に出発だ。遅れるなよ。無理は禁物だが…弱音も許さねぇからな!」
なんだかよくわからないまま許可を頂いてしまった。
ウイの発言、正に鶴の一声だったな…。
いや、烏の一声か。
俺は呆気に取られた表情のまま、ウイの方を見た。
目があって、少し照れたようにはにかむ彼女。
…一体この少女に向けられる信頼は何なんだ。
☆
いつもより早く、夜明け前にウイに起こされる。
メイさんから風呂敷包みの荷物を渡され、程なくして二人で広場へ向かった。
湿っぽい空気を口いっぱいに吸い込むと、身体がブルっと震えた。
「おう。来たな。」
「おはようございます」
まだ遠くの空が赤くなり始めたくらいだというのに殆どの人が既に集まって来ており、口々におはようと挨拶される。
数は前見た通り20人程。こんな大所帯で森へ入って、うまく連携が取れるんだろうか。
「エーリさん、頑張りましょうね!」
ウイはなぜか俄然やる気に満ちている。
鼻息荒くなってるし…狩りが好きなんだろうか。頼もしい事だ。
まもなく全員が集まって、皆で森へと出発した。
前よりは少し体力が戻ってきたこともあって、なんとか休憩する事なく森へと辿り着いた。
もう既にヘロヘロだが…
「おいおい、エーリのにーちゃん。まだ始まってすら無いぜ?」
「ハハっ!そんなんで大丈夫かよ」
周りの男達に背中を叩かれ、からかわれる。
「ま、まだまだいけますよ…」
ゼェゼェ…ハァハァ…
息が苦しい。普段どうやって呼吸していたかわからなくなる。
バクバクと大音量で鳴り響く心音は、まるで心臓が頭の中にあるような錯覚すら引き起こす。
「…やっぱり、ちょっと休んだ方が…まだエーリさんは病み上がりなんですから、無理したらダメです。」
「いや、あれだけ大口を叩いたんだ…こんな所でへばるわけには…」
俺は近くに落ちていた太い木の棒を杖代わりにして、なんとか皆について行く。
全身の筋肉痛がやばい。既に手足の自重すら負荷に感じる程に疲労している。
やっぱりちょっと無茶だったか?
「皆、止まって」
俺が満身創痍に近づいていたその時、一人の少年と青年の中間くらいの男が、小声で静止を呼びかける。
俺はその場に崩れ落ちた。
「…エーリさん、大丈夫ですか?」
ウイが小声で話しかけてくるが、大丈夫と返答する事が難しいほどには大丈夫ではなかった。
とりあえず首肯し、皆の様子を伺う。
「アレか」
「デカいな」
わずかな緊張感と高揚感が場に満ちていくのを感じる。どうやら獲物を発見したみたいだな。
「一班、右。ニ班、左から。俺達は裏から回りこむ。」
「「了解」」
ヴァンさんが小声で指示を出した。
それを合図に、男達はこれまでの歩みがなんだったのかと目を疑うほどのスピードで動き始めた。
しかもスピードの割に音が全然しない。
…流石はネズミといった所か?人間の限界を確実に超えている。
「エーリさん、私達も行きましょう。」
「…ダメだ。あのスピードにはついていけない。」
頑張ってどうこう出来る問題じゃない。万全な状態だとしても絶対に不可能だと感じる程、俺とみんなの間には歴然とした運動能力の差があった。
ここまで自分が無力だとは予想できなかったな。
こりゃヴァンさんが反対するわけだ。
そう静かに諦めた時、ウイが俺の方に両手を突き出した。
そして恥ずかしそうに一言。
「エーリさん…私の首に手を回して下さい。」
「…ん?」
…何を言ってるんだ?
理解が追いつかなくてフリーズしてしまう。
ウイは顔を真っ赤にさせて、俺に近づいてきた。
「ん、しょっと」
ウイは俺の腰あたりを軽々と両手で持ち上げると、背中の羽をバッサバッサと羽ばたかせた。
風圧で若くて細い木がバキバキと折れ、下に落ちている朽木が吹き飛ぶ。
いや、色んな意味で、なんてパワーだ…
烏人は鼠人に比べてフィジカルが弱いが、その分翼に全てのパワーが集中しているんだな。
「エーリさん、揺れますから…あの、私の首に捕まって下さい。」
「え?あ、ああ…」
俺は訳がわからないまま、おずおずとウイの言う通り首に手を回した。
年頃の少女の肌に軽々しく触れるわけにはいかない。
そう思って遠慮がちに手を回したのだが…
「いきますよ」
そう言ってウイが大きく羽ばたくと、グイン!とこれまで感じたことがないような加速度を感じる。
驚愕と恐怖で身体中の毛が逆立つ。
エレベーターの加速度などとは比べものにならないほどに、圧倒的な慣性力。
例えるならとても高い所から上へと落下したかのような、そんな感覚を覚えた。
あまりに驚いたので口を開くことさえ出来ず、ただ目を瞑っていた。
やがて加速は止まり、ゆさゆさと足場が上下するような不思議な状態に落ち着いた。
「あの、エーリさん。ち、近いです。」
ウイの戸惑い混じりの声で我に帰る。
うっすらと目を開けると、俺の体は森を上に抜けて、空に浮いていたのだ。
「は、はぁ!?」
眼下に広がる樹海。具体的な高さは分からないが、落ちてしまえば命も終わる。
安全性を担保する装置があるわけでもない。
俺の命を保っているのはウイのか細い二本の手と、俺の腕のみ。
タマヒュン所の話ではなかった。
俺はより強くウイにしがみついた。
「え、エーリさんたら…もう…」
ウイの声がやたら近い。ふと右側を見ると、ウイのリンゴのような頬がドアップで目に入った。
あろうことか、俺はウイの肌に密着していたのだった。
「うわっ」
再度別の意味で驚いて、手を離しかける。が、理性を恐怖が上回って離れる事はなかった。
「エーリさん、そのままで。」
「お、おう…」
落ち着いてみると、麗奈の腕は意外にも安定していて、今すぐ落ちると言う事はなさそうだ。
しかし…なんてことだ。
鳥類が空を飛べるのは体が軽く、翼を羽ばたかせる筋力が凄いからだ。
しかしウイの細い身体の何処に、二人分の体重を支える程の浮力を生み出す筋肉があるというんだか。
亜人ってのは、つくづく不思議な生き物だな。
どうでも良いことを考えて現実逃避していると、ウイが顎をクイクイと動かして言った。
「エーリさん、ほら、あそこ。獲物を皆が追ってます。」
「ん?あ、ああ。」
そうか、狩りの現場を見れるように、空に連れてってくれたのか。
怖すぎて忘れてた。
しかし…ウイの目線の先を追ってみたが、あそこと言われてもちっとも見えない。
そもそも森の木々で遮られて下に何がいるかなんてわかりゃしないし。
…やっぱりウイは視力が桁違いなんだな。
「あっ、うまく追い込めましたね!今年一番大きな鹿かもしれないです。」
「そ、そうか。それは良かった。」
恐怖と気まずさがちらついてウイの実況に集中出来ない。
申し訳なくて見えないと言い出せず、そのまま実況を聞いていたんだが、突然、ウイの声色が変わった。
「あっ!た、大変ですっ!ミロクさんが!」
「な、どうした!?」
「テノの事庇って…怪我を…!!」
ミロクさんと言うのは狩りのメンバーの中で一番歳をとっているベテランだ。
50代だと言うが、皆の指導役的立場でもあり発言権も強い。
テノというのはさっき止まれと指示していた若い人だ。
「どうしよう…!私、お薬何も持ってきてないのに…!!」
ウイは突然の事で慌ててしまって、あたふたしている。
とにかく、まずはその場に行ってみないことには始まらない。
薬がなくても、医者として出来ることがあるかもしれない。
「ウイ、連れてってくれ。俺が診る。」
「え、エーリさん…。はい!」
ウイは頷くと、急降下を始めた。
早く、早く診なければ。
その事で頭がいっぱいで、最早恐怖心は消えていた。
下に降りると、男達がザワザワと騒いで群がっていた。
それをかき分けて大声で叫んだ。
「どいて下さい!」
皆が俺の方を振り向き、何事かという顔をする。
俺はなんとか皆を押し除け、怪我人…ミロクさんの元へ辿り着いた。
「ミロクさん!わかりますか!?ミロクさん!!」
「う…うぅっ」
辛うじて意識はあるようで、目が僅かに開いている。
が、しかし、出血が酷いようでヴァンさんがなんとか血をとめようと頑張っているようだった。
…遅いな。やっぱり俺が代わるか。
側に駆け寄る。
「ミロクさん、大丈夫ですか!?」
彼の手を握る。手汗がすごい。痛みに呻くだけだが、俺のことは認識出来ているみたいだ。
ヴァンさんの事は構わず、ミロクさんの脈を触れながら身体中を確認する。
ヴァンさんの手と俺の手がぶつかった。
「おい、エーリ!どいてろ!今お前に構ってる暇はねぇんだ!」
ヴァンさんが物凄い圧を込めて吠える。
だが、俺はここで怯むわけにはいかない。
今考える事はこの人の命だけ。他の事は全部、些細な事だ。
「大腿の複雑骨折か…。とにかくまずは固定します。どいて下さい!」
近くの木の棒を二本持ってきて、俺が着ていた上着を破いた。
それらを使って簡易的な添木として3箇所で固定する。
…よし、オッケーだ。
しかし鮮血が止まらない。早く止血しないと取り返しのつかない事になる。
直接圧迫による止血は感染リスクがあるし、骨を強く圧迫するかもしれないので避けたい。
代わりに間接圧迫を試みる。
もう一枚服を脱いで、股関節部分に強く巻きつけた。
大腿動脈の位置を指で辿っていく。
…出血で血圧が下がってるせいで難しい。全神経を指先の感覚に集中させて、僅かな拍動を捕らえる。
ここか!!
そこを強く押さえる。
…ダメだ。力が足りなくて全然止まらん。
地面が柔らかいから体重をかけるわけにもいかない。
俺は近くで目を丸くして固まっているヴァンさんに声をかけた。
「ヴァンさん、ここを力の限り強く押さえて下さい」
「お、おう。こ、ここで良いのか?」
「はい。僕が良いというまで決して離さないで。」
血が中々止まらない。ミロクさんの目も虚になって来て、汗もどんどん出てくる。
おいおい…どんどんショック状態になってくじゃないか。早く止血しないと命が危ない…。
…仕方ない。
今朝メイさんが渡してくれた風呂敷を取り出して、中身をだす。
その風呂敷をヴァンさんが押さえている部分と出血している部分の中間付近に巻き付け、強く縛り上げた。
足の動脈に触れ、脈が弱まっているのを確認する。よし。
これでなんとか止まってくれよ…?
俺の願いが届いたのか、血液がこれ以上勢いよく溢れることはなかった。
ウイという高速移動手段があったのもあり、ミロクさんはいち早くメイさんの家に届けられた。
そのあと食塩と砂糖を混ぜた簡易的な高張輸液を作り、注射器でなんとか擬似的に輸液を行った事でショックから脱する事ができた。
山場は越えたと言った所か。
「ふぅ…なんとか…なったか…」
点滴も無いからヤバイかと思ったが、意外となんとかなるものだな。
俺は額から流れる汗を拭い、その場に座り込んだ。
「も、もう大丈夫なのか…?」
ヴァンさんはじめ、多くの狩りのメンバー達が聞いて来た。
「とりあえずは。油断は出来ないですけどね。」
バイタルに加え、血液検査も出来ないので詳しい事はわからない。
そう、わからないのだ。
これまでだって、命に関わるような病気の治療は何度もして来た。しかし、これまでは仮に患者が命を落としたとしても、自分の治療が間違っていなかったという確信があった。
今回は…何が適切だったのか、わからないまま処置をした。
この輸液が正しかったのかさえ、はっきりしないのだ。
最悪俺のせいで助かるはずの命が助からない事だって…
…こんな無責任なことで、俺は治療を行なって良いんだろうか。
俺が不安感と罪悪感に飲まれていると、ヴァンさんが俺に深々と頭を下げた。
「ありがとう。エーリのおかげで、ミロクの親父が死なずに済んだ。」
「ちょ、待って下さい!まだ助かったわけじゃ…」
「それでも!お前が居なきゃ俺達はただ、泣いて祈るしか無かったんだ。」
そうだそうだ、と皆が口々に言った。
「ミロクの親父が仮にこのまま死んだとしたら、それは俺の責任だ。断じて、お前が気に病むような事じゃねぇよ。」
「ヴァンさん…」
「お前は必死にやってくれた。それは俺達にも痛いほど伝わったぜ。」
人の命に対して無責任な治療を行ったという重圧があまりにキツかった。
そんな責任感を、ヴァンさんが肩代わりしてくれた。そんな気がした。
俺はつい、ポロリと目から熱いものが流れた。
「ありがとう。兄弟。お前は俺達の恩人だ。」
「ありがとう、エーリさん」
「最高だ。カッコよかったぜ。」
皆が俺の背中を叩いて感謝を述べる。
その言葉が、逆に俺を救ってくれた。
ここで初めて、村のみんなに本当の意味で認められたんだなと肌で感じた。