ARメガネ。
「おはよ……って、それこの間出たヤツじゃん! いいないいなーって、学校持って来て良いのかなそれ」
朝一番、僕の変化に気付いたのは彼女だった。といっても髪を染めたとかモヒカンにしたとかそういう派手な類の物ではなく、メガネを変えただけの話。
「まぁ良いんじゃないかな、一応メガネの効果もあるし」
「本当? ちゃんとメガネ屋さんで買ったの?」
「いやうん、駅前の電気屋だけどさ……」
彼女の指摘した通り、それは最新式のARメガネだった。といっても半分は玩具のようなもので、単にメガネが画面になるというだけのお話。
「何だっけキャッチコピー……見たいものだけ見れる! だっけ?」
「そんな後ろ向きだったかな」
見たい景色をあなたに、とかだったと思うけど。
「で、どんな感じ? 何か見えるの? あ、音楽も骨伝導で聞けるんだっけ授業サボり放題じゃん」
「いやそれがまだちゃんと設定してなくてさ」
「しょうがないなぁ、私がやってあげるから貸してよ」
そう言って彼女は手を差し出して来る。うん、どうやら遊びたいだけだね。
「いやでもそろそろ先生来るし」
「いいじゃん貸して? 何なら貰ってあげても良いから」
「いやちょっと!」
そう言って彼女は僕から眼鏡を奪い取った、瞬間。
裸眼に飛び込んできたのは薄汚い部屋だった。雑誌は高く積まれゴミは散乱し洗濯物が散らばっている。それから落としたのはARメガネが一つ。それから埃被った鏡に映るのは高校生ではなく、無精ひげの生えた自分の顔。
見たいものを見ていた。
玩具のようなもので見た遠い日の光景。現実から逃げるにはうってつけの、在りし日の青い思い出。
このままずっと見ていたかった。手を止めていつまでも眺めていたかった。だからもう一度、その古びた眼鏡に手を伸ばす。
けれど鳴った携帯電話はそれを許してはくれなかった。無視すればいいのかもしれないけれど、そうはできない名前だから。
「はいもしもし」
『あ、もしもし? あと二時間ぐらい……かな、でそっちつくけどちゃんと掃除してる?』
「あー……まぁうん、掃除してたら古い漫画読んだりしない?」
『何漫画読んでるの? 呆れたね、可愛い彼女が遊びに来るってのにさ』
「いや漫画じゃなくてさ、メガネ見つけて」
『懐かし、私が設定してあげた奴じゃん』
「そうだったかな」
『そうだよ。で、何見てたのエッチなの?』
「いや、掃除が終わった綺麗な部屋でも眺めてたよ」
苦し紛れの言い訳を漏らせばため息が一つ返ってきた。
『いいから掃除しなさいっ』
電話が切られる。時計をもう一度眺めれば余裕がないと再認識。僕に呆れる彼女の顔は、あまり見たいものではないから。
思い出のARメガネを、そっと棚の上に戻した。