何の変哲もないヒーローの日常――そして、再会の日 1
待ってた一部の人はお久しぶりだぜ
――大いなる危機。
十二年前に突如として巻き起こった世界的混沌は、そう通称されている。
突如として東京に発生した異世界――魔星との接続門の出現。
宇宙から降りてきた侵略異星人と、後に続いた異星の難民達。
混乱の中で覚醒した――あるいは、はるか昔から存在していた異能者の出現。
絶対に表沙汰に出来なかった筈の禁忌技術の成果の暴走。
一つだけでも世界の危機には十分な事件が、大きなものだけでも四つ同時に起きたのだ。それまでの全ては完全に崩壊した。
国家、国境、人類の基準に至るまで何もかも――そのまま、全てが滅び去るかと思わた時、世界に希望が現れた。
ヒーローと言う名の、戦士たちが。
彼、彼女たちの死にもの狂いの藻掻きによって、世界はどうにか新生した。
世界を統率する地球連邦政府の誕生、人間以外との共存の始まり、超常技術による技術革新。
かつての平穏を失いながらも、新たな平穏を人々は徐々に受け入れ始めている。
しかし、世界には数多の脅威が満ちている。かつての絶対脅威に抗う手段は生まれたが、脅威そのものが消え去った訳ではない。
だが――かつての希望もまた、消え去った訳ではない。
彼らは今も在り続け、十四年前から変わらない戦いの日々と、新たな世界での日常を過ごしていた。
そして、その戦いの第一人者――ドリームマンも、また、例外ではない。
朝四時、脳の休憩を終えたドリームマン――人としての戸籍名、星凪 真は、自らの部屋で意識を覚醒させた。
昨夜はドリームマンとして外国のチャリティーイベントに参加させられたが、他に事件も怒らなかった為、三時間ほど脳を休める事が出来た。ドリームマンとして活動を始めた頃に比べたら、実によく休めている。
二度寝の習慣は真には存在しない、彼は本日の補給を取ることにした。
1階のキッチンを使っている人間はいない。この家の家主が目を覚ますのはもう少し後になるだろう。
故に、気を使うこと無く存分に燃料を入れる事が出来る――真は、特注で備えた業務用の冷蔵庫から三キロ程の人工肉塊を取り出すと、威力を絞った熱視線で軽く全体に火を通してから皿に盛り、黙々と食べ始めた。
星凪真は、経口摂取した物質を体内の異空間に取り込み、消化する事によって純粋なエネルギーとして蓄える事が出来る。
真は、そのエネルギーを肉体に供給することで生命活動を行えるのだが、そのエネルギーを肉体に過剰供給すると、真の身体は完全に戦闘用の肉体へと変質する。それが、ドリームマンの姿だ。
基本的に取り込むものはなんでも――それこそ、幼少期のように道端の土やら石やらでも良いのだが、人間らしい生活をするよう知人に注意されてからは、人間が食べないものは出来る限り食べないようにしている。
朝から肉塊を貪るというのが人間らしいとは真も思ってはいないが、これは人間の食事ではなくドリームマンの燃料補給。貯蔵はタップリとしているが、予期せぬ大事件でも起これば大質量を補給するのは難しい。出来る時に入れておかねばならないのだ。
人工肉を片付け終わろうとする時、真は家主の目覚めを感じた。朝の弱い彼女が降りてくるにはもう少し掛かるだろうが、朝飯を用意してやるにはちょうど良い時間だろう。
食洗機に大皿を入れた真は、朝食を作り始めた。
家主様にトースト、ベーコンエッグ。大量のサプリメント・カクテル、そして泥のようなコーヒー。
自分用にはパック入りの納豆二つとたっぷりの薬味、丼に盛った解凍白米。マグカップにいれたインスタント味噌汁。異空間ではなく、人間の胃腸に朝入れる量としては、このくらいが真の適量だ。
全てを並び終えるころ、家主のシルバリア・ペールフルが、眠そうにまなこを擦りながらキッチンに現れた。
「おはよう、真」
「おはよう、シルバー」
キッチンテーブルに座ったシルバリアの姿は、黒のベビードールを一枚着たきり。スラリとした手足は全て曝け出され、柔らかそうな胸の膨らみと茂み無き秘所は隠されてすらいない、この場に警察が踏み込めば、間違いなくシルバリアは真への性的虐待の容疑で逮捕されるだろう。
もう少しマトモな服を着ればよいのに。そんな思いを込めた真の視線は、シルバリアには通じなかったらしい。黙っていれば可憐な顔が、下品にほころんだ。
「おやおや、やっと色気づいたかね。キミがいつワタシの身体に興味を覚えるかを気になっていたが、よもや今日とは思わなかった。今夜、事件がなければ赤飯でも炊こうか?」
「確かにお前の身体は興味深いね、先週より体重が2キロも増えてる。そろそろ運動しないと、腹に出るぜ」
「ぐ……ワ、ワタシは知的労働専門なんだよ」
「もう前線に出てるわけじゃないんだから、運動を習慣化しろよ。ヒーローだってとっくに引退したんだからさ」
元々、シルバリアは大いなる危機に端を発する世界的混沌に立ち上がった人間――即ち、ヒーローと呼ばれた超人たちの一人であった。
昔、といっても真が小学校に入るまでのシルバリアは〈サンタ・ムエルテ〉と言うパワードスーツを着装して戦う戦士だったのだが、今はこうして最前線からは引退している。
シルバリアの経歴の全てを真は知らない、本名すら。
今の名前は髪の色から取り、性は響きで決めたとシルバリア自身が公言している。
当人が語る所によれば、シルバリアは悪の秘密結社に生み出された人造の天才科学者。ヒーローになった理由は、組織に消されそうになったので退職金として奪った発明品で戦っていたら、いつの間にかヒーローと呼ばれる様になったらしい。
当人曰く、研究材料を集めるための採取活動を勘違いされただけらしいが……それが照れ隠しでないことを、正体を知られてからの真はよぉく知っている。シルバリアは知的欲求の権化、自称の経歴が与太でなければ間違いなく自業自得で追われる羽目になったのだろう。
ただ、それだけの狂科学者でもない。異常な情を持った変態でもある。
研究対象を手元に置くためとは言え、「戦災孤児」として養子縁組を行い、公的には死んでいた真の戸籍も復活させたのだ。
「確かにワタシはヒーローを引退したが、ヒーローの手助けを辞めたつもりは無いぞ。キミのコスチュームや替え玉を作ったのが誰か、忘れたのかね?」
当人の言葉通り、シルバリアを引退した後のシルバーは真の、そしてドリームマンの支援者として陰ながら活躍をしている。
替え玉のお蔭で、真は出席日数を損なうこと無く即座に事件現場に急行可能であり、彼女のコスチュームがなければ今頃は骸になって転がっていただろう。
学業とヒーローの両立させてくれたシルバリアには、どれほど感謝してもしたりない。真を学校に行かせた目的は、彼女が個人所有しているアルバムの中で、真の学生服や体操着、スクール水着姿が占める割合を見れば明らかだが。
「単に僕を手元に置きたいだけだろ」
真は苦笑いを浮かべた。シルバリアには、間違いなく少年愛の性癖がある。
彼の聴覚が捉えてしまったシルバリアの自慰行為の際の呻きに、自らの名やクラスメートの名が何度混ざったか数えるのも馬鹿らしい。
うざったさのあまりについ指摘して以降、シルバリアの部屋は真の耳でも捉えきれない完全防音となったが、今でもやってることは変わりあるまい。
ただ、それだけではないだろうと真は信じている。
ドリームマンが実は子供だったというのは、ドリームマンを一つの象徴とするヒーロー業界にとって大スキャンダル。
異能者とはいえど、地球人の子供を殺し合いの場に出させ続けた事実を、地球の世論は知らなかったで済ませまい。
それを、真が何より厭うと知りながら――シルバーは、口止め料としての奉仕を一度も要求していないのだ。
研究材料として扱われることはあるが、それにシルバリアの肉体的快楽は伴わない。シルバーと真の接触は、どこまでもドライでプロフェッショナルなものだ。
その理由は、生まれながらの異形同士として、ヒーローとして、僅かなりともシンパシーを感じたからであって欲しいと真は思うが、それをシルバリアに問いただすのは無粋であるし、その勇気もない。
研究対象と性的対象としか見ていないとハッキリ言われたら、明日からどうこの研究所で過ごせばよいか真には想像も出来なかった。
「動機は結果に影響するまいよ。で、どうするのかね、今日は、学校」
サプリメントカクテルをコーヒーで流し込んだシルバリアの問に、真は少し悩む。
ドリームマンと真を結び付けられないため、真は定期的に事件の無い日も休むか、丸一日を 替え玉に任せてアリバイを撹乱している。
また、登校してもシルバリアの急な呼び出しを装って帰る事を頻繁に行っており――率直に言って素行不良だ。
真自身、授業に面白みなど感じたことはないが――学校には友人がいる。
「今日は行くよ。久しぶりに生身で会いたい」
彼が守った日常を友人と謳歌すると言うのは、中々に心地が好いものだ。不愉快なことも多い学校であるが、ヒーロー活動中のストレスに比べて耐えきれぬものではない。
何よりも、守るべき社会の実情を見知るのはヒーロー活動をする上で大いにやる気を生むのだ。
「そうか、まぁ人間ごっこを頑張ってきたまえ」
「あんたはもう少し人間らしくするべきだな」
嫌味に皮肉で返した真は、食器を下げると加速――身だしなみを瞬時に整え、1分も経たぬ内に、玄関を出た。
私の作品はマルチバースですので、同一人物が違う役割で出ることがあります。シルバーは、まぁ、そういう事です。