『風花』 初期型
電書になった『風花』の初期型。
ぜんぜん違うもの……
かつらぎ
香瓔は母の名を呼んだ。
「晶妃、晶妃!! 」
「おまえから二度も故郷を奪う気はない。おまえはここに残って私の代わりに弟とあの方を守ってくれないか。雉緒、おまえはきっと力になってくれると信じている。それだけだ。おまえの気持ちにはこたえてはやれない。が、一度だ。一度だけの抱擁なら許そう。」
雉緒は震える手で、恐れ多い人の体に触れた。堰を切ったような力で雉緒は定慧を抱き締めた。けれどそれはもう定慧ではなくなっていた。雉緒には、有間皇子にすり代わっていた。
ただひとつの自分がなじまない都にいつづける動機。
「いいきになるな。」
雉緒の静かな怒りを膚に感じ香瓔は数歩退いた。
大和 甘橿岡 豊浦 蘇我蝦夷 大臣 中臣鎌足 中大兄皇子 天智 大海人皇子讃良皇女 日下部野讃良皇女
草壁皇子
「誰だ!」
鋭い声に香瓔はひるんだ。ついで、薮をかきわける音。助けを求めていたはずなのに、香瓔は思わず木陰に身を隠そうとした。しかし、足の痛みに体は思うにまかせない。しかも、そのときになって香瓔は自分の姿に気が付いたのだ。
とても、讃良皇女の邸の女には見えない。髪も結いあげず、沓も肩布もない。それらは甘橿岡においたままだ。まるで追いはぎにあったようになにもない。
音はますます近くなった。
「定慧さま、お待ち下さい。あぶのうございます。」
さきほどの声が慌てている。聞いたことのない名だ。見知らぬ男が二人も来る! 香瓔の体はおこりのように震えた。どうすることもできない。逃げることも隠れることも。
「ほらご覧なさい。葛木の比女がゆくわよ。」
あからさまに香瓔を嘲りながら女は回廊に消えていった。彼女の嘲笑を聞きながらしかし香瓔は憤ることがなかった。
「いいきになるなよ。」
覚えているのは、なごやかに父と歩いていたこと。その日の狩りは上々で、邑に帰り母の笑顔を見るのを楽しみにした。父もこわい髭に囲まれた口が笑っていた。
けれど次に目の前にあったものは、胸を衝かれて倒れ伏す父の姿。そして額からとめどなく流れる血で濡らした自分の手のひら。
「白雉としよう。白い雉をことほぎ元号を白雉と改める。そなたはこの年に来たのだから雉緒と名付けよう。」
その言葉の意味を理解したのは、ずいぶんあとだった。雉緒は有馬の館に身を寄せた。いや使役されることになったのだ。
雉緒の口は重く、ただ働いた。馬の扱いに長け、館の馬の世話を任された。
額から左眦にいたる傷口にみな恐れをなし、親しくするものはいなかった。
ただ、幼い皇子はそんな雉緒を恐れる事なくじゃれついた。
「尼は、恐ろしくない? 晶妃やわたしにある異能を」
「わたしがまだ幼いころ、ひどい熱を出して苦しんだとき治してくださったのは、あなたの母様です。あのまま熱が下がらなかったらきっと黄泉路に旅立っていたでしょう」
古代史ものが書きたかったんだ。
正確には、鎌足の長子・定慧を主人公にしたお話が。
しかし、知識は乏しく今キャストを見ると、有名どころ過ぎてきっと書けなかったんだろう。
いや、ほんと無理でした。
当初は主人公の女の子が、定慧と出会って……というロマンスめいた展開でしたが、数十年後に出来上がったのは、まったく違うお話でした、とさ。どんどはれ。