『さくらよ……』 (仮題)
かなり初期に書いたもの。脳内では完結しているけど、実際完結させたかどうか記憶があいまい。
ただ、何度か書き直したことと、別の作品にちょっとつながっていたりしたことをおぼろげながら覚えている。
こんな時間ですが
宜しかったら我家まで桜を見に来ませんか。 これといったおもてなしもできませんが。 お待ちしております。
小野嵜桜子 拝
ほろ酔いかげんでアパートに戻って来たおれは、葉書をみつめた。
流れるような文字で書かれたそれの差出人は高校時代のクラスメイトだ。
葉書を背広のポケットにおしこみ、階段をかけ降りて、自転車に飛び乗った。
小野嵜は高校三年のときのクラスメイトだ。 もう八年も前になるが。
腰までの長い髪。きわだった容姿と優秀な成績。そしてひとつの噂…。おそらく校内で彼女を知らない者はいなかったろう。それほど目立つ存在だった。
なつかしい思い出にひたりながら夜道をひたすら進んだ。
暖かい風のなかに、花たちのかすかな香りが漂う。北国にも遅い春がようやく巡って来たのだ。
自転車こいで約四十分。ようやく彼女の家にたどりついた。
生け垣に自転車を乗り捨てると、庭に一歩足を踏みいれた。
ここは市内からけっこう離れている。そのせいか、人家も街灯もまばらだ。そして明かりの灯る家は、もっと少なく、小野嵜の家は真っ暗だ。
あわてて腕時計を見ると、午前零時にほどなくなるころだ。
やはり非常識だったか。いくらひさしぶりの手紙に浮かれて”お待ちしております”でもこんな時間だ。
おれは適度な運動ですっかり酔いがまわった頭で、どうすべきか考えたが、うまくまとまらない。
桜を見に…とはがきには書かれてあったが、それはいったいどこにあるのだろう。見回すと、しげみのむこうに満開の桜があった。
そして、月明かりが照らしている情景に息を飲んだ。
たった一本の老木の桜のもとに敷かれた、夜目にもあざやかな緋毛氈。
そしてそこには、淡い藤色の着物を着た小野嵜が座っていた。
いちど切った髪は、また腰のあたりまで伸ばし、さらりと背中にながしている。小野嵜は、どこか思いつめたような表情をしている。 ときおり舞い散る桜。
その姿はとうていこの世のものとは思われないほどの美しさと凄絶なまでのあやしさをもっていた。そう、まるで桜の木に棲む鬼のようだ。
声を失って立ち尽くすおれに小野嵜は不意に声をかけてきた。
「広瀬‥」
とたんに小野嵜は明るい顔になった。手招きで俺を呼ぶと座をすすめた。靴を脱いで毛氈の上に座ると、片方の端に錦の縫いとりがあることに気がついた。
「おい、小野嵜これは…」
お茶をいれる手を止めて、彼女は少し笑った。
「これね、お雛さまのやつなの。ほんとは野点てに使うようなのが希望だったんだけど。」
差し向かいに座ると、小野嵜は湯飲みに茶を注いだ。白い湯気が夜風に流れてゆく。
「どうぞ。玉露です。」
湯呑茶碗は、近くでよく見ると白地に淡い紅の線で桜がいくつも描かれていた。
玉露はほどよい苦さだ。酔った頭がすこしすっきりとする。
「ほぼ一年ぶりだな。」
ひこごちついてからおれは口をひらいた。
「これ」
おれはポケットからはがきを取り出すと小野嵜の前においた。彼女はそれを手に取ると、すこしだけ口元をほころばせた。
「日付も書いていないよな。もしおれが来なかったらどうするつもりだったんだ。教えてほしいね。」
上目使いにおれをみつめる小野嵜の目は、まるでいたずらを咎められている子供のそれだ。
「だって、広瀬は必ず来てくれると思ったから。いつでもいいように、毎晩花を見ながらお茶していたの。」
「毎晩って、おれが万が一来なかったらどうするつもりだったんだよ。」
「待っていたわね。きっと。いつまでも。」
なぜ、そんなわかりきったことを聞くとでも言いたげに小野嵜は小首を傾げた。
わかった。
おれは両手を上げた。さっき『万が一』と自分で言ったとき、いや葉書を出した時点ですでに小野嵜の勝ちは決まっていたんだ。
「ほら、拗ねないで。お茶をもう一杯いかが。」
二杯目の茶をすすめてくれる。
「いつもは、一人きりだからお茶会だけど、今夜は広瀬が来てくれたから、茶話会ね。」
ふふっと小野嵜が笑った。
主人公・広瀬にとって小野嵜は憧れの存在だった。
小野嵜には彼氏と噂される人物がいたが、不慮の事故でなくなっている。
……今ならぜったいに書きそうにない物語だ(-_-;)
思い出しながら最後まで書く自信があるのは、やはり書き始めのころで一所懸命だったんだろう。
もう書く気はないが。