泣いてるの?
ずっと一緒にいたい
恋なんて言葉を知らない子供の頃からずっと、あいつが好きだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「授。葉書が来てるよ」
1月の終わり。学校から帰宅した俺が玄関に入って黒い手袋を外していると、母親が出て来て一枚の薄っぺらい葉書を差し出した。
「誰から?」
「えーっと」
母親は葉書を裏返した。
「佐伯……ひろゆき、さん?」
「……佐伯?なんで」
「クラス会の案内、ですって」
佐伯弘之は中学の同級生だ。三年のとき同じクラスで、委員長をやっていた。
母親は葉書を俺に渡して、そのあとまじまじと俺の顔を見た。
「同窓会かあ。授が高校生になってそんなに経つの?早いわあ。中学の三年も早かったけど、高校の三年間もきっとあっという間ね」
「まだ一年も経ってないけど」
「でも今年度ももうあと二ヶ月くらいしかないわよ。再来年は受験生……なのかしらねえ」
「………………」
受験。つい一年前まで俺は受験生だった。
進学したのは公立の工業。卒業後の進学率は20パーセント前後で、年によっては10パーセントに満たないこともある。
両親が本当は大学進学を望んでいるのは知っている。今はまだ高校受験が終わったばかりで、俺もまだ一年生だし……という言い訳はいつまで通用するだろう。正直進路のことなんて考えられない。
「そういえば」
母親が何かを思い出したような仕草をする。
「日南ちゃん、沢城に行ってるんですって。知ってた?お母さん、聞いたときびっくりしちゃった。さすが日南ちゃん、あの子昔から賢かったものねえ」
突然出たその名前に心臓が跳び跳ねる。
やばい。無理……。
「………………」
「こないだ久しぶりに日南ちゃんのお母さんとランチに行ってね、なんとなく日南ちゃんの進学先聞きそびれてたから聞いてみたの。入学式の写真も見せてもらったんだけど、沢城の制服って可愛いのね。日南ちゃんもしばらく見ない間に大人っぽくなって……」
クシャ。持っていた葉書が無惨に手の中でつぶれた。
「授?ご飯もうできてるけど……」
俺は声をかけてくる母親の横をすり抜け、廊下を進む。母親が何か言ってるけど、聞いてる余裕なんてない。
心が痛い。
自分の部屋に入り、大きく息を吐く。
何も考えるな。無心になれ。無心。無心に……。
『授なんて嫌い』
何も聞こえない。いや、聞くな。もう何も聞くな。
………………。
「日南……」
俺は放心したように力なくつぶやき、ベッドにどさりと倒れかかった。
ふとクシャクシャになった葉書を広げてみる。
~クラス会の案内~
湊渡中学校三年四組の皆さん
お元気ですか。元学級委員長、佐伯弘之です。
さて、恐るべき情報網で既に知っている人も多いと思いますが(笑)、我らが担任・伊藤先生がご結婚されました!
そこで先生を招いて、サプライズパーティー&クラス会を開きたいと思います。
伊藤先生にはクラス会として既に出席の返事をいただいています。
日時 2月X日(土) 午後4時
場所 湊渡中学校近くの喫茶店「プチ・カノン」
※「プチ・カノン」は三木友理奈さんのご実家で、今回の会をサポートしてくださいます。失礼のないように。
何かわからないことがあれば、
佐伯携帯********** まで。
また同じ内容をRainのグループにも載せています。
出席・欠席の返事は葉書、もしくはRainで。
……佐伯、葉書を握りつぶしてごめん。俺は丁寧に葉書のしわを伸ばした。
スマホの電源を入れると、無料SNSアプリ“Rain”に数件の通知が来ていた。全て「3ー4」のグループだ。佐伯からと、それに対する何人かの返事。
クラス会、か。
見たところ、出席率は3分の2程度だ。携帯を持っていない人も数人いるだろうから、もう少し増えるか。
2月……なんか予定あったかな。
考えたあと、俺はスマホに入力する。
クラス会出席します、と。
「授ー!ご飯はー?」
母親の声が聞こえる。
俺はベッドから身体を起こし、ダイニングに向かった。
「母さん、さっきはごめん」
謝ると、母親はエプロンを外しながら微笑んだ。
「あら、反抗期じゃなかったの」
「俺そんな子供じゃないし」
「ふふふ。クラス会、行くの?」
俗にいう反抗期のような時期もなく今まで過ごしてきたと自分では思っている。母親はそれがなんだか物足りないらしく、俺がそっけない態度をとると嬉しそうな顔をする。変わった母親だと思う。
「行く」
俺はクラス会の日付と、その日の夕食はいらないということを告げる。
「そう。授の学校には同じ中学の子が少ないでしょ?久しぶりに懐かしい友達に会えていいわね」
「まあね」
「初恋の子なんかにも会えちゃったりして」
「………………」
無心。無心。無心……。
「さあ、夕飯にしましょ」
母親は鼻歌を歌いながら上機嫌でテーブルに料理を並べる。呑気だ。俺の心を深くえぐっておきながら……。
◇◆◇◆◇◆◇◆
2月。あいつの誕生日。
何も書き込んでいないスマホのカレンダー機能に唯一登録されている日付がある。
2月のカレンダーの中に。
クラス会の数日後だ。忘れないように。いや、忘れるはずもない。毎年毎年、何をすることもできずに悔しい思いをしていた。ずっとそうだ。そしてたぶん、今年も。
俺の心の傷。
それは日が経つごとに癒えることもなく広がり続ける。
あいつに嫌われて。
大好きだったあいつに。
違う。大好きだったんじゃない。それだったら傷なんてとっくに癒えてるはずだ。
今でも……。
俺は今でもあいつが。
◇◆◇◆◇◆◇◆
こじんまりとした個人経営の喫茶店に約30人。入り口には貸し切りの札がかかっている。
高校生程度のクラス会だったら大概はファミレス、部活の打ち上げだったりすると焼肉が定番だ。そこに喫茶店のチョイスはなかなかシュールだ。外観も内装も洒落ていて、騒ぎにくい雰囲気がある。
「皆ー!位置につけー!」
佐伯が号令をかける。
皆がごそごそと動いて、やがて誰かが電気を消した。
喫茶店の入り口が開いた。
パンッ!パンッ!
パンパンパンッ!!
「せーの!」
「伊藤先生、ご結婚、おめでとうございまーす!」
一気に照明がついて、入り口で固まっている伊藤先生の周りにわらわらと人が集まる。
「み、皆どうした?……これ」
「先生のためのサプライズパーティーでーす」
「委員長が企画したんだよー」
「ねえねえ先生、奥さん美人ってホントですか」
破裂音のあと役目を終えたクラッカーを近くのテーブルに置いて、俺もその輪に加わろうとした。
「………………」
と、うつむいてじっと立ち尽くしているあいつが見えた。
その背中がひどくもろそうに思えて、俺の中の何かが痛んだ。痛くて痛くて、どうしようもなくて。
「……日南」
結局声をかけてしまった。
「………………」
日南が顔を上げた。俺の顔を見ると、慌てたようにふいっと目をそらす。
「どうしたの」
「………………」
「日南」
「……クラッカー、鳴らなくて」
見ると日南は不発のクラッカーを握っていた。
「……ふ。やっぱ不器用だな」
思わず笑ってしまって、今にも涙がこぼれそうな日南の目を見て後悔した。
「貸して」
日南の手からクラッカーを取り、ついでに日南の手もつかむ。
日南の顔が赤くなった。
「ほら、ここ持って……引っ張る」
パンッ!
「ん?誰だ、今クラッカー鳴らしたの」
タイミングに遅れて鳴った破裂音に、皆が振り向く。
「せんせーい、桜井と佐々木が愛の共同作業してまーす!」
誰だ、今、余計なこと言った奴。
日南の手が震えている。顔が熟したイチゴのように赤くて、瞳が潤んでいるのをうつむいて隠して……。
俺は慌ててその手を放した。
「日南」
「………………」
日南は俺の視線から逃れるように反対を向いた。
俺の手の中で、また何かがクシャッとつぶれた。
読んでいただきありがとうございます。
感想・アドバイスなどがあればよろしくお願いします。