土曜こそはブギー・ナイト
僕の幸せについて、考えることになりました。僕は恵まれた容姿を持って生まれました。目は大きく、ぱっちりとしていて鼻は天から降りるはしごのようで、そこから顎までの伸び方に少しの嫌みもありません。足は長く細く、腰も華奢で繊細な造りをしています。ただ、僕は切ない程に男でありました。
性差のあまり表れない頃はよくオンナノコと間違えられて天使のように可愛がられました。しかし、その後の小学校はよくありませんでした。僕にとってそこは動物園のような場所でした。なぜ自分がそこにいるのか、不思議に思ったくらいです。ほんの些細な性的なことではしゃぐ同じ年頃の子供がひどく醜く見えました。
中学校に上がったくらいからでしょうか。僕は女の子に言い寄られることが多くなりました。それまでは足が遅く日陰でじいっとしている僕に何の価値も見出さなかったオンナノコは簡単に惚れ込んでは撃沈していきました。それで余計にオトコノコから殺意に似た嫉妬を受けるようになるのですから、面倒な事この上ありません。第一、自分よりもはるかに醜いオンナノコがかわいこぶり媚びてきたところで何の可愛さを感じることがあるのでしょう。
数人の初恋を奪ったところで、高校生の僕はほぼ向かうところ敵なしでした。年下、年上、男女もかまわずとっかえひっかえです。本当は男とねんごろになることはおぞましいことでしたが、多分、自棄になっていたのだろうと思います。自分と同じものをぶらんこぶらんこ下げて歩いていく男も、得体の知れないぶよぶよした球をだらしなく下げた女も本当のところ見下していました。それでもお付き合いを重ねていたのは、今思うと自分の落ち着ける場所を求めていたのだと思います。しかし、それが見つかることはなくただ寒さを感じるばかりでした。結局のところ、私は自分であることを辞めることはできないのです。
誰がどうだというのを記憶していられる強さが僕にはありませんでした。しかし一人だけ覚えている子がいます。そばかすが目立つ、気の強い子でした。
「生きてるって感じがしないよね。お人形さんみたい」
僕の顔の柔らかさが逆に気持ちの悪い感触に思えてきました。僕は偽の人間か、或いは死体なのではないかと思うようになりました。僕は笑うたび顔のひきつりの意味の無さを思い知らされます。彼女が歪める顔の何万分の一の喜びも顔に浮かべることは難しいのです。その理由を知ったのはちょっとしたきっかけでした。ぶすという言葉の語源はトリカブトの毒で無表情になっている顔から来ていると現代文の授業でふと出てきたのです。僕の面の皮一枚は、不自然でぶすでした。このぶすに誰かが何かを貢ぎ、祀り上げている奇妙さに僕はいつも不安を感じていたのです。それゆえに、その何もなさを埋めるように沢山の人とお付き合いをしていたのです。
大学生になった僕は惰性が九割でした。僕は人の好意を利用できる限りいいようにしていました。当時、三人と一人の恋人がいました。一人は料理雑事さん、一人はするだけ女、一人は単位用子、そしてもう一人はアッシーメッシー君です。彼女らにとって僕が顔だけ野郎であるように、名前に大した意味などないのです。
そう信じていた僕がヒトと出会ったのは、大学の食堂でした。僕は昼に単位用子と過ごし、試験範囲とレポート、プリントの補完をすることにしていました。眼鏡の彼女に適当なことを言い連ね、ぼうっと辺りを眺めていたとき、はたと目に留まったのです。ワカメうどんを啜る男がいました。しかし、男にしては仕草が何だか丁寧でなよっとしています。短髪であるのでどちらとも取れます。中性的であるのに加えて、歳のころも十八でも二十八でも通用する顔です。それの周りにいる友人と思わしき人も男女ともに入り混じっており、本当にどちらともわかりません。その友人らしき男女はお喋りメス猿に、動きが目障りなオスで無個性に見えます。ただ、一人だけヒトに見えました。だから僕はそれをヒトと陰で呼ぶことにしました。
僕はヒトに興味を惹かれましたが、何と声をかければ良いのかわかりません。いつも笑ってみるだけで上手くことが運んでいたんです。肝心なときにこの面の皮は何の役にも立ちません。ヒトは僕に気づくこともなくA定食を食べ、話に相槌をうち、そこにいるのです。やり場のない気持ちをやるだけ女にぶつけてみることもありました。性的に興奮したというよりは、こんなにも苛立つことが無く戸惑うあまりのことです。僕がどうしていても人は構わず食べたり寝たりして生活しているのです。それが理屈でなく腹立たしい。
講義が空きで僕はたまたま一人になることがありました。喫煙所に向かう途中でヒトが自販機の下に入り込んだ五百円玉を必死こいて取り出そうとしているところを見て吐き気がおこりました。湯が出る口を間違えて手にかけた。自分の靴ひもを踏んですっ転んだ。ヒトはどこまでも馬鹿でありながらもヒトである最低限度を保ち続けました。むしろ、そういうところが自然にも見えました。
ヒトを追いかけすぎたせいで、僕は単位用子を失いました。そののため楽しいナントカ概論の代返もできず、出席しなくてはなりませんでした。ヒトをその講義で見かけたのはたまたま偶然でした。その講義だけは何があっても休むことはなくなりました。ヒトが窓に張り付いた虫を眺めていることを確認せずにはいられないのです。
ヒトはあるとき休んだ分のプリントがなく少し斜めに傾いていました。僕はここぞとばかりに話しかけます。
「よかったら、うつしますか?」
自分が発した一言が僕の胸を後悔でひねりつぶそうとします。ヒトはまた傾き、少し揺れたのちに曰く
「ああ。どうも。あ、りがとうございます?」
たったのそれだけ。まったくそれだけ。腸も捻じれ千切れ爆散させる言いぐさです。肩がどっと疲れ、布団に沈みたい気持ちでした。やるだけ女は必要ありません。次の回からヒトに僕は気安く話しかけられるようになりました。と、申しますよりも疲れたのです。媚びる、媚びられるどちらも体力が必要なことです。気になるのは止まない気持ちでしたが、その勢いが緩やかになっていきました。僕が面白いことを言おうと言うまいと、ヒトは静かに聞いています。ヒトから話をするときは決まって自分に関わりのない誰かが話していたことで気になったことの掘り返しです。自分にしか意識の向かない僕と、自分にはこれっぽっちも意識を向けないヒトは奇妙に合致しているように思いました。最初はヒトとだけ話をしていた僕でしたが、だんだんとヒトの周りの大学生ABCDとも会話をするようになりました。その関わり合いの中で、消費し磨り潰さない生活のやりかたを学びました。僕を埋めるためにやけになって求める必要はなく、流れるままに流されていれば楽なのです。僕は笑うことを嫌煙しなくなりつつありました。ヒトは僕を弱くしました。
「好きな人が出来たよ」
突然つげられた十文字に僕の胸は苦しくなりました。淡い期待と、予想される続きによって。
「てっちゃん、てさ。どんなのが好きかわかる? こういうの、というか、男の好きなものってわかんないからさ」
てっちゃんは鼻が低くずんぐりむっくりした気のいい男です。率先してヒトを話に参加させようとするし、いじりによって絡め取っていきます。僕がこうであれば良いと思う限りの良い性格です。それなら仕方がないことで、僕はヒトに親切にしてやるべきです。ヒトに恩義を感じるのならば、そう思いました。
「てっちゃんって、やっぱりかっこいいよね」
「そうかな」
あの豚の、どこが、どう格好が良いのか。あの潰され横に広がった鼻、シジミめいている瞳、汚いぼこぼこのじゃがいもに似た肌。言い尽くすところのない、ひどい造形。
「てっちゃん、のさ。目がいいんだ。笑ったらシワがみって寄ってるとこ。優しそうだから。実際ホントの所、やさしいんだけどさ」
なんということでしょう。絶望した、崩壊した、そのわけは、自分こそが見た目にひっかけられ捕えられていたからです。
ヒトとてっちゃんが幸せになるためにやれる限りの親切を僕はやりました。花嫁姿の人はまるで女のようでした。僕は結婚式場から帰るとき、夜道で惨めに泣きました。顔をくしゃくしゃにして、鼻水と涙と涎とふくら瞼で、おいおい泣きました。姿格好はかっこいいまま顔を膨れ上がらせました。たまたま僕を見かけた通りすがりの人がぎょっとするような形相でした。
僕が欲しかったものをようやく手に入れたのです。僕の顔は新鮮で、ちゃんと楽しく動くようになりました。喜びも悲しみも怒りも女のことを想えばそれが全てです。そのどれもが本物ですから、きっと魅力的なのでしょう。
僕は今、五十の手前です。遠い学生時代の青春を思い出すくらいにおじさんです。僕の隣にはこちらより三十近く若い肌がぬめぬめとしています。女のおかげで会得した表情によって僕は今も美しくあり続けています。美しさは衰えるものですが、魅力はいくつになってもむしろ経験を重ねる程に磨きがかかります。
不安のない今こそ僕は幸せです。僕は、美しいのですから。
【美意識】
美意識とは、人が美しいと感じる心の働き。美しいと感じる対象は個体差が大きく、時代、地域、社会、集団、環境などによっても大きく異なる。
~あとがき~
こちらは一週間の何気ない幸せな一ページを切り取ったような短編群と嘘をついてどうもこんにちは。
今回は日月火水木金土、楽しくパワフルでねちっこく湿っぽい毎日をお見せ致しました。日曜日はとにかくしつこく言葉遊びを、月曜日は女の子の雌臭さ、火曜日は目覚めるキュートなサディズムを、水曜日はゆるふわスティーブン・キングごっこ、木曜日は木になるあの子と気にならない彼、金曜日は金庫にしまっちゃわれる下種娘、土曜日は顔だけが命砂の屑男。よりどりみどりですね。
全編通して意識したのは、被害者に見える側、加害者に見える側、どちらも人として最低と見下しせるような描写を入れることです。読後感はさわやかすっきり、明日も頑張ろう! と思って頂けるような一冊になっていれば幸いです。