振り返る
「阿賀!ちょっと……」
「?わかりました」
仕事が終わりかけた時、俺の先輩、那覇信三に話しかけられた。
「先輩。これ」
ヒュッという風を切る音がし、缶コーヒーが俺の手から那覇先輩の手に移った。さっきまで持っていた缶コーヒーの温もりはまだ、手に残っている。
「サンキュー」
缶コーヒーを黙って啜る二人。
「正直、お前がここに来るとは思わなかった」
「ま、普通はそうですね。でも……」
「あの時、俺たちはあいつを助けられなかった。本当に悪いと思ってる」
…………一つ気になった。
「俺の親父……死ぬ直前までこんな風にワクワクしてましたか?」
そう。俺の親父は日本深海センターに勤めていたのだ。そしてここで…………
俺が中学生の時だった。
俺と親父は仲が悪かった。いや、話さなかった。というのが正しいか………
普通に学校に行き、普通にダベって、普通に勉強する。それに幸せを感じると同時に退屈さを感じていた。
そんな時、俺の親父は俺を親父の職場へと連れて行った。
「悪いな。急に連れ出して」
親父が車のハンドルをカーステレオから流れる音楽に合わせ、小刻みに指で叩きながら言った。
「いいよ。親父のそういうとこは慣れてるから」
ところで、と話を進めることにした俺はあることを聞いた。
「親父は—————————」
この時の、俺と親父のやりとりは今も鮮明に覚えてる。
「これが……日本深海センター」
一度咳払いをして貯めてから少し照れ臭そうに言った。
「父さんの職場だ」
息を呑む、その意味をその時初めて知った。
「親父は………ここで………潜ってんのか?」
「いや、まぁまだ試験みたいなのの途中だけどな…………」
………この時思ったんだ俺は。
「俺も………ここで………」
変わらない日々。なんてのはその人が創り出す幻想に過ぎない。俺はそう感じ、変わらない日々を閉ざした。
「あなた……なんかあなたの職場に行ってから……あの子、すごい頑張ってるわよ」
晩酌中の親父達の会話が勉強してる俺の耳に入った。
「俺を目指してんだ。あんくらいじゃないと」
でも………子があんなに頑張ってくれると嬉しくなるな……そんな続きを聞き、顔から、目から汗が出てきた。理由は分からなかったが。
「親父、俺もいつかあんたみたいに……!」
こう胸に誓ったのはいつだろう?
あの頃の俺は親父を本気で尊敬し、憧れてた。まぁ今も憧れてはいるが。
「本当に大丈夫なんだな?」
新型の海底探査機・ヒノハタに親父が乗ることが決まった。
その時から俺は那覇先輩の事は知っていた。
だから那覇先輩にも溜め口で話していた。
「ああ。何かあっても俺達が助ける」
「頼んだぜ。那覇さん」
羨ましさ、嬉しさなどが混ざり合い、マーブル色になる自分の心を見ながら、親父の出発を待っていた。
親父達は船に乗りまず、目的地の真上まで行く。その後、深海探査機に乗るのだが、家族はそこまでは行けない。
せいぜい船出を見守るので精一杯だ。
「んじゃ行ってくるな」
俺の頭をクシャクシャと掻き乱す。
「生きて戻って来いよ。その記録を超えてやる!」
ふふっ、と笑った。
「あぁ。楽しみだな、そりゃ!」
それが最後の会話だった。
気が付けばみんな泣いていた。
親父の死体は確認出来なかった。しようにも、深海探査機自体の場所が分からないのだから無理だ。
こっそり俺はトイレに行くと、壁を何度も殴った。手に血が滲むまで。壁が血で汚れるまで。
気がつくと奥歯を噛みしめていたせいで顎が痛かった。口を開くと知らずにこう叫んでいた。
「ふざけんなぁぁあああ!」
最後に壁を殴った時、壁にひびが入ったことに気付いた。
「お父さんから、これを預かってます」
葬式から帰る寸前、日本深海センターの係りの人に手紙を渡された。
俺は家に着き、自分の部屋で一人でそれを読んだ。
博人へ。
これは遺書みたいなもんだ。
なんか………はずいな。こんなの書くのって。
俺はお前に聞きたい。
俺が深海センターに連れて行った時、お前はこう聞いたの覚えてるか?
「親父は、夢を追うのが怖くなかったか?」
って。
あん時はカッコつけて、
「ワクワクしてた」
なんて言ったが本当はすげー怖かった。
本当に自分にそれが出来るのか?
普通に過ごすべきじゃないのか?
周りから『浮き』はしないか?
でも最近になって分かったよ。
夢を怖がってる人はいない。ってことにな。
だって、そうじゃなかったらこの世に『夢に憧れる』なんてないだろう?
だから、胸はって、深呼吸して、思いっきり笑って生きろ!
それが『夢に向かう』ってことだ。
頑張れ!負けんなよ!
最低な親父より、最後のメッセージを込めて。
「あんた…………なに言ってんだよ…………………最低なんかじゃない……さい…………」
もう言葉にならなかった。
泣き喚き、叫び散らし、ひたすら泣いた。
親父が死んで、初めて出た涙だった。
那覇は缶コーヒーを飲み干し、こう言った。
「あんたの親父さんは、『楽しみだな!』なんて笑いながら海に行ったよ」
空になった缶コーヒーを強く握る。
「安心できまし………たっ!」
もう熱は残ってない心配をゴミ箱に投げ入れた。