働く
「おはよーございます」
「ざいまーす」
「おはようさんです。中山さん、阿賀くん」
俺達に返事をしたのは、小太りのおじさんで、技術担当の責任者だ。名前は幕内育戸。いかにも栄養が溜まっていそうな腹と名前から弁当先輩と呼ばれている。因みに本人公認だ。
「どうしたの?阿賀くんが技術部にくるなんて」
俺は潜水士だからな。
「ええ、まぁちょっと頼みがありまして」
一度息を深く吸った。
「俺も、技術部を手伝わせて下さい」
たっぷり五分は沈黙が続いた気がする。実際はそうたたずに答えが返された。
「いいよ」
しばらく考えて短くそう言った。
「本当で」
すか!?と言うつもりだったが、幕内さんの声に遮られた。
「でも、阿賀くん、君潜水の方大丈夫なの?」
潜水の選抜テストは二ヶ月後に行われる。
選抜では機械の操作や、非常時のマニュアルに関することなどをテストする。
俺は技術部の手伝いをすることによって、機械の操作のコツや、機械の特性を掴むためにここへ来たのだ。
「はい。むしろ、潜水のためにしたいんです」
「はっはっは!頼もしいねぇ」
んじゃよろしく頼んだよ。そう言われた。
つまり、手伝いは認められたのだ。
「そうそう。赤羽さんが君を呼んでたよ」
「ゲッ……あの人ですか?」
赤羽美奈。俺の先輩だ。実は俺と美奈はずっと以前から認識があり、ずばり言うと、俺が小さい時から世話になっている近所に住んでいた『姉』のような存在だ。
顔は幼い頃からあまり変わらず今でも子どものような顔。つまり童顔なのだ。
それに対し、明らかに不釣合いなほどに育った体は始めて見た男の大半が生唾を飲むほどだ。
「全く羨ましいねぇ」
ニヤニヤしながら弁当先輩が言ってきた。
はっきり言えば冗談じゃない!あの人は昔から、いや、俺が中学か高校に行ったあたりからちょっとおかしいんだ。頭がおかしいとかではなく………。
「あ!博人だ!おはよう!」
噂をすればなんとやら。壁に耳あり障子に目あり。というような抜群のタイミングで美奈は出てきた。
「おはようございます………赤羽先輩」
なぜだろう?少し顔が引き攣る。
「………それで?」
美奈が俺の顔を覗きながら言った。
「いつから博人は中山さんと付き合ってるの?」
「ブッ!」
「ヘ……え……えぇぇぇええ!」
腕を組んで本当に残念そうにする美奈。
「がっかりだなぁ……中山さんとくっついちゃうなんて」
「ば………バカちげぇ……違いますよ」
危うく素で話すとこだった。流石に職場でそれはまずい。
「なんでそう思ったんですか?」
やばい……あからさまに俺、イライラしてる。
「二人で仲良く手、繋いでたじゃない!」
「してねぇよ!」
そして弁当先輩、にやにやすんな!
「そうですよ!……私だってそうしたいですけど………」
最後の方は小声で俺は聞こえなかったが、美奈は聞こえたらしく、溜息交じりに言った。
「そうなのよねぇ……このにぶちんは。なんで気付かないのかしら……?」
「気付くってもしかしてイヤリング変えたとかですか?」
「……………博人から貰ったイヤリングを捨てるわけないでしょ!……そんなだから高校で『にぶと』って呼ばれてたのよ」
「そうなんですか?阿賀さん!?」
んなわけないだろ。中山。
さすがにここまで尖ったツッコミはせずさらりと返した。
「なわけないだろ。俺、空気読むのは得意なんで」
内面、やっぱりちぶちんと思う中山だった。
「なぁ?」
昼休み。蕎麦をすすりながら俺は訊ねた。
「ん?どうかしたか?阿賀」
目の前の同期、笠谷京谷と俺は飯を食っていた。
笠谷は自分の名前に『谷』が二つもあるので『ある人』にはタニタニと呼ばれてる。
「俺って……にぶいか?」
笠谷の空のコップにお冷を注ぎながらきいた。
「にぶい?何がだ?」
と、言われてもなぁ……。
「よくわからないんだ。だから昼休みを潰してまでお前とこのクッ……ソまずい蕎麦一緒に食ってやってんだ」
なぜこの男は平気な顔で蕎麦を啜れるのだろう?味音痴か?
味ははっきり言ってコンビニの方がましだ。
「ふむ…………………」
顎に手を当て少し考える。こいつの考える時の癖だ。
「それ、赤羽先輩か?」
なぜわかった?エスパーか?
「エスパーじゃない。だだの勘だ」
心を読むな。エスパーかて。
「そりゃ……言われてもしゃあないな」
「俺、空気とか読むの得意だと思ってたのに…………」
「そういうところだよ……あほか空気を読む前に人の心を察するを練習しろ」
む、そこまで言われるとむかつくな。
「できるわけないだろ。俺、エスパーじゃないし」
「お前…………とりあえず赤羽先輩達に謝れ」
「なんでだよ!」
『達』とかその他諸々に疑問符を頭に浮かべたまま、昼休みは終わった。