デートとストーカー
人生初のデートは、駅での待ち合わせからはじまった。
集合時間よりはやく到着したつもりだったが、優一はすでにベンチに腰かけて待っていた。
グレーのPコートに青いパーカーを着こみ、すらりとしたジーンズ姿という格好で、首に巻いた赤いマフラーが色鮮やかだ。
わたしは勝負服。
ショートパンツに黒いタイツを履いて茶色のブーツという下半身に、雑誌に載っていたくり色のコートを基調としたファッション。パンツの色は赤にしようか迷ったけど、洋服ダンスのなかにそんなものが存在しないことに気がついた。勝負する相手がいなかったのだ。
今日は電車に乗って移動した後、一緒に映画を観る予定になっている。
最近話題のラブ・ロマンス映画だ。なんでもハリウッドの大物女優と3D技術を最大限に使っているらしい。
「3Dっていうくらいだから、飛び出してくるんだよね」
「まあ、そうだろうな」
優一が答える。
もう引退しているが、サッカー部で鍛えた身体は衰えていない。服の上からでもわかる筋肉はわたしの知っている幼少時代とは比べ物にならないくらい発達している。
「あれだよね。赤と青の眼鏡をかけて、おおーっと驚く感じの。恐竜とかが出てくるのかな」
「ロマンス映画に恐竜は……」
「あ、そうだよね。出てくるならゾンビ男とかかな」
「……そうだな」
優一は基本的に口数が少ない。
わたしがなにをいっても、短い返事しかしないことも多々ある。昔はそれがそっけなく感じられたが、いまはなんだってオーケーだ。
「ラブロマンスって、どんな感じなんだろうね。わたし見たことないんだ」
「基本的に、ラブラブするだけじゃないのか」
「え……映画館で?」
「俺たちじゃなく、俳優が」
「あ――そうだよね。ははは」
ドキドキさせる男だ。
そのとき、わたしはふと背後に気配を感じてふりかえった。
「…………」
「どうした?」
「霊感があるのかもしれないって思ったけど、気のせいみたい」
「冬に幽霊は出ないだろうな」
「そんなことないよ。雪男だって実は遭難した人の幽霊だって話が――」
電車がプラットフォームに入りこんでくる。各駅停車なので、この電車を見送って次のに乗る予定になっている。わたしは誰のものともわからない気配に注意を払いながら、ドアが閉まる寸前を待って乗り込んだ。
「うおっ」
優一の身体を引っ張るのに失敗して、ブーツのかかとが閉まりかけたドアに挟まれる。呆れた様なため息をついてドアがふたたび開く。
怪訝そうな幼馴染の表情に、わたしはあわてて弁解した。
「――あの、これは、優一とゆっくり話がしたいなあと思って……なんちゃって」
まばらに座っている乗客からの視線が痛い。
優一は不思議そうな顔をしていたが、あきらめたように微笑むと、口を閉じたドアにもたれかかった。
ふたりで鑑賞する映画は、凶悪なウイルスによってゾンビ化した男と花屋を経営する女性が恋に落ちるという儚いラブストーリーだった。時々、思い出したように3D効果が炸裂するので油断していられない。
わたしはバーチャル空間にいる純くんに思いをはせた。立体映像の技術はどこまで進化しているのだろう。母のいう通り、製品化された技術よりもずっと進んだテクノロジーがあるのなら、この映画だってもっとリアルな映像になったはずだ。
二時間に及ぶ感動物語は、愛した人を守るためゾンビ男がアメリカ政府に立ち向かっていくシーンで幕を閉じた。わたしがとめどなく涙を流していると、優一も泣きながらハンカチを渡してくれた。
こういうところは気が合うのだ。
紳士的な彼氏に感謝しつつ、わたしたちはファミレスで食事をとった。
安っぽい味は母の料理とはかけ離れていたけど、優一と同じテーブルで食べていると時間を忘れた。おかわりし放題のドリンクバーで何時間も粘るというはた迷惑なことをしながらも、わたしは青春を感じていた。
これこそ高校生の春だ。
身体の奥から湧きあがってくる感動をかみしめる。幸せとはこういうことをいうのだろう。
優一との思い出話に花を咲かせていると、喋りすぎてのどが渇いた。何度目かわからないドリンクのおかわりに向かうと、忘れていた気配を背後に覚える。
わたしは動揺を隠して、ゆっくりとコップにジュースを注いだ。
オレンジジュースの甘酸っぱい香りが広がる。それから氷をひとつ、ふたつ。コップの反射を利用して気付かれないように背後をうかがう。
……誰もいない。
おかしいな。首をひねりながら優一のもとへ帰ろうとすると、ボックス席の角で勉強道具を広げている人影に目がいった。
わたしたちが話しているのと同じくらい長時間ファミレスに居座っている計算になる。
こういう場所で勉強している学生は珍しくもないが、わたしの興味をひいたのは彼が帽子をかぶっていることだった。冬の日差しは強くない。おまけに分厚いコートを着込んでいる。暖房のきいた屋内で。
怪しい。
わたしの直感が違和感を訴えていた。限りなく黒に近いグレーだ。
あまりじろじろ観察していても感づかれる可能性があったので、いちど優一のところに戻る。開口一番、わたしは怪しい男のことを告げた。
「あそこの角にいる人、ちょっと変だと思わない? 室内なのに帽子かぶってるし、ずっと居座ってるし」
「寒がりなんじゃないか」
「それにしても――」
「じゃ、ちょっと外に出てみるか」
優一が伝票を持って立ち上がる。
わたしは財布を出すタイミングを失って、そのままふたりでファミレスをあとにする。道路をはさんで向こう側にあった電柱のかげに身を寄せると、優一の体温が伝わってきた。
張り込み刑事の気分。
吐き出す息が、白い。
「俺もちょっとおかしいと感じてたんだ」
「でしょ?」
「早坂は後ろになってて気付かなかっただろうけど、しきりにこっちを見てた。ストーカーに心当たりはないのか」
「うん――まあ、わたし可愛いから……」
はあ、と悩みの乗ったため息。
優一は複雑そうな表情をしたが、思い直したように口を開いた。
「仮に早坂につきまとっている男だとして、俺とのデートのことを誰かに話したのか」
「ううん。いってないよ」
母と和也には出かけることを報告したが、優一の名前は伏せてある。それにデートの日程なんて教えてない。彼氏と映画に行くなんていったらどれほどからかわれることか。
わたしのプライベートな情報を把握している不審者がいるのかもしれない。ファンが多いというのも悩みものだ。
「――出てきた」
相変わらず帽子を目深にかぶり、あたりをきょろきょろと見回している。黒いコートにジーンズという特徴のない格好だ。わたしはその服装に見おぼえがある気がして、目を凝らして観察した。
「どうする、話しかけてみるか」
優一が提案する。
わたしはかぶりを振った。
「もう少し尾行させてからにしよう。もしかしたら勘違いかもしれないし、単に勉強をしてただけの寒がりなのかも」
「わかった。危なくなったらすぐ逃げろよ」
わたしの手を握って、電柱の影から飛び出す。
急だったので何歩か歩いてから恥ずかしさがこみあげてきた。優一が女の子に慣れた感じでいるのが悔しい。わたしは経験値ゼロの、若葉マークなのに。
黒いコートの男はわたしたちの姿を認めると距離をとって追いかけてきた。こちらが足を止めると、物影に隠れて身を隠している。
どうやら完全にストーカーらしい。浮気現場を調査する探偵ではないだろう。
「……クロだな」
刑事さながらの鋭い眼つきで優一が断言した。
わたしは正直、このまま手を握っていたいくらいだったのだけれど、そういうわけにはいかないようだ。
「エスカレートする前に止めなきゃ。被害にあってからじゃ遅い」
「捕まえるの? どうやって」
「いったん二手に分かれよう。悪いけど遥香には先に行ってもらって、ついてきたら俺が挟み撃ちにする。隠れたままだったら、後ろから回り込んで追い出してくれ」
「了解」
わたしは敬礼すると、不自然でないように胸を張って歩きだした。優一は無意識だったかもしれないが、下の名前で呼んでくれた。じんわりと胸が熱くなる。
何度か道を右折するが、優一が声を上げている気配はない。三回目の曲がり角でターゲットの背中をとらえた。
背はわたしよりも若干大きいくらいだろうか。
帽子からはみ出した髪の毛だけが見える。忍者のように物音をたてず接近し、思い切り声をかけた。
「わ!」
「うわっ!」
化け物に襲われたかのような過剰反応で男は逃げだした。
すぐさま優一が両手を広げて回りこみ、逃げ道を封鎖する。行き場を失った謎のストーカーはわたしと優一を見比べて、どちらが突破しやすそうか計算しているようだった。
わたしは舐められてたまるものかと威嚇の雄たけびを上げる。
突然の大声に注意を向けた一瞬のすきをついて優一は男の身体に飛びついた。あっけなく体勢を崩し、アスファルトに尻もちをつく。
わたしは駆け足で近寄ると、男の帽子を取り上げた。
よく見知った顔がそこにあった。
「なにやってんの、あんた」
「…………」
気まずそうにうつむくその人は、わたしの弟に間違いなかった。