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宣告

 のぼせた頭で家に帰るとシナモンケーキのかぐわしい香りが満ちていた。犬のように鼻を利かせてキッチンに行くと、母が鍋つかみを手にオーブンから大きな塊を取り出しているところだった。

「あんたが破壊した卵がたくさんあったから作ってみたの。あとでみんなで食べましょ」

 母の隙を盗んで、出来たてのケーキをつまみ食いする。

 甘美な味が舌の上でとろける。スイーツはいつだって心をほぐしてくれるのだ。

「美味しいよお母さん」

「ありがと。それじゃ、ちょっといらっしゃい。電子レンジの使い方覚えてる?」

 わたしは鮮明に残っている記憶から四十五という数字を引っ張り出してくる。そして、反時計回りに反回転。GOというデジタル文字が表示された。

 自慢しようと振り返るのと同時に母の腕が背後から伸びてくる。次の瞬間わたしはあの空間にふたたびやって来ていた。

「なに、どうするの」

「純くん、来てくれるかしら」

 わたしの質問を無視して母は美少年の執事を呼び出した。

 立体映像の少年はうやうやしく頭を下げる。いつ見ても端正な横顔だ。

「この前のトレーニングではレベル十七だったけど、今度はレベル三十二に設定してあるから。純くんはいつものお願いね」

「かしこまりました」

 話についていけないわたしを置き去りにして母はトレーニングルームにワープしてしまった。同時に純くんの姿も消える。ひとり残された孤独な少女に、自称世界最高の人工知能が声をかけた。

『井戸の外に出たカエルみたいな顔してるぜ』

「なにがなんだかサッパリ。お母さんは何をしたいわけ」

『黙って目を大きく開いてな。お前がこれから進む道だ』

 なにが、と問い返そうとする前にトレーニングルームの様子がモニターに大きく表示された。オレンジ色のエプロン姿に中華鍋とお玉で武装した母と、それに対峙するのっぺらぼう。レベルが高くなったせいか、筋肉が盛り上がっている。

 そして、別画面に純くんの姿が映し出されていた。

 どこか知らない空間にいるようだった。美少年執事の周りには株式トレーディングで生計を立てている人のように、何台もの液晶パネルがおかれている。

 わたしは宇宙船と交信するNASAの指令室を思い出した。

「トレーニングレベル三十二スタート」

 純くんのハスキーな声。

 画面のなかの母は、普段からは想像できないような素早い動きで跳躍すると、中華鍋を振りかぶった。無表情なのっぺらぼうは悠々と攻撃を回避する。母が追撃をかける前に反撃したので、防御した黒い鍋が小気味よい音を奏でた。

「サイバシ」

 母がなにか叫んだ。

 右手に持っていたお玉が、細長い箸にかわる。

『これがバーチャル空間での戦いだ。戦闘者はオペレーターの助けを借りることで武器を自在に変更できる。そいつの出来で勝敗が決したなんてのも珍しいことじゃねえ。上位ランカーのオペレーターはみんな優秀な連中だ。強くなりたいのならオペレーターも努力しなきゃならねえってことだな』

 あっけにとられているわたしにE4が解説する。

 戦うのは母だけではないということらしい。この前の戦いでは純くんを連れていかなかった。それだけ実力の差があったということだろう。

「純くんって、すごいの?」

 母の指示を的確にこなしていく執事の目は真剣だ。見た目とは裏腹に熟練した技術を感じる。せわしなく動く両手の指は、ピアニストのようだ。

『可もなく不可もなくってとこだ。純はいわれたことを即座に処理する。逆にいえば指示された行動しかとることができない。本当に優秀なやつらは戦局を読んで、独自にオペレーションをする。ま、それがあいつの限界だな』

「E4はオペレートしないの」

『…………』

 返事がない。

 きっと純くんの方が有能だからクビにされたんだろう。道理でこんなひねくれた性格になってしまったわけだ。

 わたしは人生の敗者に哀れみの視線を向けた。人工知能には微妙な感情がわかるのだろうか。

『んだよ、人生につかれた中年男みたいな眼をしやがって』

 改めて理解した。E4はポンコツだ。

 花の女子高生に向かって中年男などと形容する無礼なやつが、まともであるはずがない。

「お母さんっていつもはどのくらいのレベルの相手と戦ってるのかな」

『対戦相手はランダムで決まるから上から下まで色々なやつがいる。どいつもこいつも必至だから、楽に勝てるような試合はひとつもないけどな。純のオペレーティングは不可欠だ』

「相手は主婦なの?」

『たいていは。ごく稀に、男がいることもある。そういう時代になったってことだ』

 主夫というものだろう。

 最近では男の人でも家庭にとどまって、仕事帰りの妻を待つなんてことがあるらしい。わたしの周りでは聞いたことがないけど、時代は変化しているということなんだろう。

「戦うのって男の人が有利なんじゃない」

 わたしはふと浮かんだ疑問を口にした。E4の小馬鹿にした返事が降ってくる。

『戦闘に男女差は関係ねえよ。現実世界ならともかくここはバーチャル空間だ。オペレーターの技術と経験がものをいう。それに料理の勝負もあるからな。勝率はそんなに変わらねえよ』

「ふーん」

 戦いというのは奥深いものらしい。

 わたしがモニターを見つめているあいだに、母は十種類以上の武器を入れ替えて、のっぺらぼうを劣勢に追い込んでいた。

 どうやらある程度の体力をけずると勝利という判定になるらしい。そこら辺は格闘ゲームみたいだ。わたしは遊んだことのないゲームを主婦たちが懸命にプレイしている光景を思い浮かべた。

 なんというか、羽田と成田を間違ってしまったような違和感。

「あ――お母さんの勝ちだ」

 倒れこんだのっぺらぼうの姿が消えて、母がもどってくる。あれだけ激しい運動をしていたのに息ひとつ乱していない。残念なことに戦いがダイエットに貢献することはないようだ。

 純くんが、お疲れさまでしたと母に声をかける。だらしなく相好をくずすマイマザー。ちょっとは年齢を考えてほしいものだ。

「ちゃんと見てたわね」

 母が指を打ち鳴らすと、なにもなかった空間にソファーが突如現れた。

 バーチャル空間は便利だ。わたしも真似をして指を鳴らしてみる。なにも出てこない。欲しいものを脳裏に描きながら再挑戦。想像力を全開に挑んだにもかかわらず、チーズケーキは召喚できなかった。

「なにを買うにもポイントが必要なのよ。あんたはアシスタントなんだから、自由に物を移動させられないし」

「アシスタント?」

 見学だけのつもりがいつの間にか助手にされてしまった。

 母はどっかりとソファーに腰を下ろすと、長テーブルと紅茶を召喚する。どうやらプライベートルームは文字通り母の私的な隠れ家になっているらしい。

 わたしも母のとなりに座って、紅茶を一口すする。

 アールグレイのさわやかな香りが鼻孔をくすぐり、同じ色をした味が舌の上を踊っていく。高級品らしいことはわかる。家では味わったことのない一品だ。

「ちょっと高くても一度購入しちゃえば何度でも呼び出せるから奮発しちゃった」

「ここでも、味とか匂いはあるんだね」

「そりゃそうよ。戦うだけの殺風景なところだったら飽きちゃうでしょ」

「自分は美少年を囲って楽しんでるくせに」

「あんたたちの世話が大変なのよ」母はわざとらしくため息をついた。「育ち盛りの子どもがふたりもいると、お弁当も作らなくちゃいけないし部活も大変だし、勉強のことだってあるし――」

 延々と愚痴がはじまりそうだったので、わたしは母の言葉を遮った。

「ねえ、ここってどんな仕組みになってるの。電子レンジで変な世界に飛べるし、ランクとかよくわかんないし」

「詳しいことは私も知らないのよ」

 お天気の話でもするような気楽な口調。

 わたしは思わず声を大きくした。

「なんで? お母さんずっと戦ってきて、苦しい思いをして来たんじゃないの? 生きるために必要だったってそういってたじゃん。それなのに仕組みも知らないなんて――」

「知ったからって、どうなるのよ。戦わなくちゃいけないのは変わりないし、真実を知ったところで世界が広いなあって思うだけ。余計なことには首を突っ込まない方がいいこともあるの」

「でも、おかしいじゃん。わたし、こんな漫画みたいな世界があったなんてちっとも知らなかったし、ほとんどの人は知らないよ。どうして隠されてるの?」

「規則でね。あんまり他人に話しちゃいけないことになってるの。――私が聞いた限りじゃ、どこかの企業か国の実験らしいわね。それに協力する代わりにポイントをもらって、生活する。これからはバーチャル空間が主流になるから、データが必要なんでしょうね」

「電子レンジは――」

「誰かから配布されたもの。どういう理屈でバーチャル空間に行くのか、そういうのはちっともわからないわ。ただほかの機械をいじってもランカーの対戦には参加できない。うちの場合は電子レンジが特殊なんでしょうね」

「でも、いまの日本にはこんな技術ないでしょ」

「遥香」母は紅茶のカップを置いた。「いまある技術が製品になるには、数十年とかかるのよ。高度な技術があったとしても、それを製品化するには時間が必要なの。あなたが思っているよりも世界は進んでいる。見えているものだけが真実じゃないのよ」

「そんな――」

「それから」有無をいわさぬ口調で母はいった。「あんたには明日から純くんの代わりを務めてもらうからね」

「え?」

「オペレーターになりなさい。あんたも一緒に戦うのよ」


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