十八の朝
誕生日の朝は爽やかにやってきた。
天気は予報通りの快晴。冬の寒空に張りついた薄い青がまぶしい。わたしはまず枕もとを確認する。サンタさんからの誕生日プレゼントは届いていないようだ。
きっとクリスマスにまとめて送ってくれるつもりなんだろう。
わたしはフィンランドだかノルウェーだかで熱いコーヒーをすすっているだろう白ひげの老人に感謝する。サンタさん、今年こそはヴィトンのバッグかグッチの財布をお願いします。十二月生まれの不幸な少女は、いつだってクリスマスと誕生日のプレゼントを一緒にされてしまうのです。
リビングに出るとすでに母がキッチンで料理をしていた。いつも通り食卓につこうとすると、手招きをされる。
「ちょっといらっしゃい」
またあの部屋に飛ばされるのだろうかと覚悟しながら向かうと、母はコンロの上におかれた空のフライパンを示した。
「あんた卵焼きの作り方わかる?」
「知らない。家庭科で作ったのは目玉焼きとソーセージだったし。――でも、教わらなくてもわかるよ」
卵を割って、焼く。これ以上にないくらいシンプルだ。
わたしは冷蔵庫をあけて、かたまった。
どこにも卵のパックは見当たらない。昨日、命がけで手に入れてきた二パックはどこへ行ってしまったのだろうか。まさかオムライスという食べ物は一度に何十個もの卵を消費するのだろうか。
「卵はね、このなかにあるの」
母が半透明の引き出しから、魔法のように卵を取り出す。
冷蔵庫のなかにはわたしが見ているよりもずっと多くの食材が隠されているのかもしれない。これからこの冷蔵庫を青タヌキと呼ぶことにしよう。
「これを割って入れればいいんでしょ。ふふん、わたしを甘く見ないでよね」
元気のよさそうな卵を選び、シンクの角で軽くひびを入れる――予定だったのだが、ちょっと力の加減を誤って右手にいやな感触が走った。
家庭科室での苦い記憶がよみがえる。
あれはお弁当が恋しくなる三限目の授業だった。調理実習ということで四人組のグループに分けさせられたわたしたちは、各自分担を決めて卵焼きとソーセージの調理に取りかかった。
わたしに割り当てられた役は、卵焼きの下ごしらえ。砂糖を入れたり、かき混ぜたりということらしい。
偉大なる母の遺伝子を色濃く受け継いでいるわたしは、自分が天才であることを信じて疑わなかった。卵を割った経験など一度もなかったが、無謀にも片手で挑んでしまったのだ。その前夜の料理番組で、イケメンシェフが鮮やかに右手だけで卵をふたつに割っていたのも原因だろう。
粉々に粉砕されたエッグ。
コロンブスの卵どころの話ではない。わたしはこっそりと残骸を処分しようとしたのだが案の定クラスメイトに見つかって散々罵られたあげく、ひとりだけ調理担当からはずされたのだった。
食器洗いにいそしむ時間はとても切なかった。
「……腐ってたのかな」
「あんたの脳みそがね」
わたしの唯一の希望が打ち砕かれる。
母の視線が痛い。そんなこともできないの、と両の瞳が雄弁に物語っている。
「ちょっと箱入り娘に育て過ぎたかしら――それにしては品がないけど」
出来の悪い嫁に小言を垂れるような口調で、卵の割り方を実演してみせる。わたしは失敗すること一ダース。ようやく殻に半分指をつっこみながらも成功した。
「どうよ」
「精進しなさい」
ざるを使って殻の破片をこしとりながら母がそっけない返事をよこす。
ボウルにためられた卵の中身は、ずいぶんと多い。
本当なら卵焼きを作るのまでやらせたかったらしいのだが、もう学校に行くまでの時間がないということで母が作り方を見せてくれた。
「――単純に焼くだけじゃないんだね」
油を敷いたり、蒸したり。わたしは料理の奥深さに愕然とした。
「このくらい簡単でしょ。もうすこし上達したら自分のお弁当も作ってもらうからね」
「そんなあ……」
「さ、朝ごはんにしましょ」
食卓に皿をならべていると、寝起きの悪い弟がのそのそと起きだしてきた。寒いのか毛布をみの虫のようにまとっている。
寝ぼけ眼でもわたしがキッチンに出入りしているのには気づいたらしく、両目を大きく見開く。
わたしは驚いている和也をほうって、さっさと朝ごはんを食べはじめる。重労働のあとの食事は、格別だ。
「この目玉焼きの卵、わたしが割ったんだよ」
自慢してから口いっぱいに頬張る。わたしはソースでも醤油でもなく、塩で食べるのが好きだ。半熟の黄身があふれ出し素晴らしいハーモニーを奏でた。
「姉ちゃん――いったいどうしたのさ」
「わたしも十八才になったってことよ。誕生日プレゼントってことで、これはもらうから」
弟のおかずを食べあさっていたら遅刻しそうになった。朝ごはんからガッツリ食べたのは久しぶりだ。