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お隣さんは

「まったく、ふざけないでよね。あんたがいないからわたしが大変な目に遭ったんだよ。男ともあろう者が敵前逃亡なんて許されると思ってるの?」

「うるさいなあ――部活だったんだからしょうがないだろ」

「ウソつき。あんたが友達の家で遊んでたって証拠は掴んであるんだからね」

「……どうして知ってるんだよ」

「友達の家に行くときはその兄弟姉妹にまで警戒しておくことね。女子高生の情報網を舐めないでよ」

 わたしは不服そうに唇を尖らせている弟の眼前に携帯電話を突きつける。

 ピンク色の表面は可愛らしいクマのシールでデコレーションされていて、ストラップもたくさんぶら下げている。

 これが女子力の高い携帯電話というものだ。思い知ったか。

「食事中は携帯電話をおいておきなさいっていつも注意してるでしょ。和也は普段から頑張ってくれてるんだから、遥香もたまに手伝ったくらいで威張らないの」

「そうだそうだ」

 弟の和也が調子にのっているので、頬を思いきりつねる。

 涙目になっているのを見て、わたしは口元を歪めた。良い子に育てるには姉の教育が欠かせないのだ。

 今晩の夕食は、買ってきたばかりの卵を使ったオムライス。赤いケチャップライスと、ふんわり卵の対比が美しい。

 わたしはあっさりと夕飯を平らげると、和也のぶんを狙ってスプーンを鋭くつきだした。しかし、思考回路が読まれていたのか弟は同じくスプーンで防御する。

「……よこしなさい」

「やだ」

「わたしは働いてきたんだよ」

「これはオレのだ!」

 平和的な交渉は失敗したようだ。

 わたしは誠に遺憾ながら武力的な措置をとることにした――テーブルの下にある和也の向こうずねを思いきり蹴とばす。

「いっ!」

「隙あり」

 尻尾を踏まれたネコみたいな表情をしている和也から悠々とオムライスを譲り受けると、わたしは幸せな味を口いっぱいに頬張った。自慢じゃないが母は料理がうまい。和食に洋食、中華まで作れないメニューはないといってもいいだろう。

 彼女が料理するとレトルト食品ですら美味に感じられるのだから不思議だ。わたしに至ってはその優秀な遺伝子を受け継いでいるのだからフランスはパリからスカウトを受けるほどの腕前かと思われるのだが、どういうわけか母はキッチンに入られるのを嫌がるので、調理経験はほとんどゼロだ。

 数少ない機会であった家庭科の調理実習では残念ながらその片鱗をうかがうことはできなかったのだけれど。時間があればフランス料理のフルコースだって作れる自信はあるのだ。

「ごちそうさま」

 両手を合わせる。わたしは食べ終わった食器を積み上げると、そのままリビングのソファーにどっかりと腰をおろした。

 そんなんだから太るんだよ、という弟の声は無視。だってわたしはナイスバデーなのだから。

「お母さん、アイスクリームとって」

「はいはい」

 きびきびした動きで冷蔵庫からアイスクリームのカップを運んでくる。こんな些細な用事で母をこき使うのは申し訳ないのだが、本人がキッチンに足を踏み入れられるのを嫌がるのだから仕方がない。

 さすがにおかしいと思って尋ねてみたことがあるのだが、

「キッチンは聖域なのよ」

 と一蹴されてしまった。わたしとしても嫌がるものを無理に押し入るわけにはいかないので、食器も片付けず、料理の手伝いもせず、こうしてテレビを見ているのだ。

 和也はわたしを警戒してかすこし離れた距離に座っている。

 しばらくアイドルグループの出てくる番組を見ていると、キッチンで晩御飯の後片付けをしていたエプロン姿の母が顔をのぞかせた。

「ちょっとお隣に渡してきてほしいものがあるんだけど」

 わたしと和也は瞬時に顔を見合わせる。

 壮絶な心理戦。冬の寒い時期、家の外には出たくない。わたしはテレビの端に映っている時刻を確認すると、交渉を持ちかけた。

「明日の夕食のおかずでどう?」

「……ブロッコリーだけなら」

「好き嫌いしてると大きくなれないぞ」

「自分だって結城さん家に行く用事がほしいだけのくせに」

 結城さんというのはお隣に住んでいる家族のことだ。

「別にそんなんじゃないし。だったら和也に譲ってあげてもいいけど」

「八分の一だけ」

「丸ごと」

「……四分の一」

「オーケー。これで交渉成立ね」

 こういうときは最初から法外な値段を吹っかけておくのが常とう手段だ。泣きそうな目をしている和也を放っておいてわたしは分厚いコートを着込み、マフラーで口元を隠した。

 それからボンボンのついた愛用のニット帽を目深にかぶる。

 鏡に映った自分を確認してほくそ笑む。これで化粧してなくても大丈夫だろう。

「これ、おばあちゃんから送られてきたミカンだけど食べきれないからおすそわけね。ちゃんとよろしくいっておくのよ」

「りょーかい」

 威勢よく返事をして玄関を飛び出す。

 わたしの家のすぐ横にある結城家までは徒歩三秒。おそらく二階の窓からミカンを投げても問題なく配達できるだろう。

 チャイムを鳴らす前に前髪を整え、ひとつ深呼吸。

「こんにちはー。早坂です」

 しまった。この時間帯はこんばんはが正しい挨拶だ。わたしはチャイムをとったのがおばさんであることを祈りながら、ゆっくりとドアが開くのをながめていた。

「――よお」

 サッカー部らしく均整のとれた体格をした幼馴染が玄関を半開きにしながら、息を白くしている。ジャージに安っぽいパーカーを着ている姿は、プライベートな感じがして嬉しくなる。

「あの、これ。おすそわけのミカン」

「ん、どうも」

 ぶっきらぼうな手がミカンのはいった段ボールを軽々とさらう。

 ワックスをつけていないのかくったりとした前髪。わたしよりも頭二つは高いであろう身長に、心地の良いバリトンボイス。昔はわたしのほうが大きかったのを思えばずいぶんと大人になったものだ。

「寒いなか、悪いな」

「ううん。全然平気」

「そうか。じゃ、また明日」

「うん」

 締め出すようにドアが口を閉じた。

 わたしが余韻に浸っていると、急に結城優一がふたたび顔をのぞかせた。

「そういや、お前近ごろ誕生日だったよな」

「うん――いちおう、明後日」

 控えめにこたえる。

「わかった。ミカンありがとな」

 わたしはちょっとだけ頭を下げて会釈する。どうしてこう優一と喋っているときは不器用になってしまうのだろうか。

 ドアの閉まる音は、除夜の鐘のようにわたしを現実へ引き戻した。

 マフラーもコートも、もう必要がなさそうなくらい温まっていた。


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