デートアゲイン
冬晴れの空には一筋の雲が泳いでいる。なんとなくトビウオに似ている気がする。電車のレールを走る音が消えて、ドアが開いた。
今日は優一との三回目のデートだ。
クリスマスイブに会ったときはふつうにショッピングをしてレストランに入っただけで、めぼしい進展はなかった。ちょっとがっかりしたのは確かだが、なにも焦る必要はない。ゆっくり愛をはぐくんでいくカップルだっていい。
優一にもらった手袋ごしに手をつなぐ。
本当は直につなぎたいのだが、寒がりな彼氏は肌を露出するのを嫌がるので、手袋同士が触れているだけだ。それでも温かいのは伝わってくる。
クリスマスイブのデートには和也の部活があったので、わたしたちは他人の目を気にせず楽しむことができた。
「――ねえ、なにか視線を感じない?」
ふたたびあの嫌な感覚があった。
背後から誰かに見られているような、なかば確信に近いものを覚える。
「またか」
「逃げたほうがいいかな」
「和也くんにちゃんと話したほうがいいと思う。デートのたびについて来られたら大変だ」
「……そうなんだけど」
和也がわたしへの想いを打ち明けた日から、なんだか気まずくなってしまって口をきいていない。実の弟とはいえ、ああいう感情をどうやって処理すればいいのかわからなかった。
わたしは歩きながら背後を確認する。それらしき姿はない。
「遥香のことが好きっていう気持ちはわかるんだけどな」
「わたしも」
「……ああ」
小難しい表情をしている優一をそばにわたしは携帯電話を取り出した。
「ちょっと電話かけてみる。もしかしたら勘違いかもしれないし」
「あんまり無理すんなよ」
「相手はしょせん和也だから。大丈夫」
数度のコール音のあと、和也の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「もしもし」
「なんだよ姉ちゃん」
「あんたいまどこにいるの?」
「どこって――」弟は大きくため息をついた。「母さんに連れられて特売コーナーだよ。今日は刺身が安いんだってさ。姉ちゃんのほうこそどこに」
通話を切断する。余計な詮索はいらない。
和也周りからはにぎやかな騒音が聞こえていた。あれはスーパーで流れている音楽にちがいない。ということは、視線の正体は和也ではない。
「モテるって、つらいね」
「和也くんじゃないのか」
怖ろしいほどの理解能力を示した優一が後ろを振り返る。平凡な通行人が歩いているだけだ。そして、わたしを睨みつけるように見つめていた視線の気配はなくなっていた。
「――なんだったんだろ」
このあとに不審な人影を見かけることはなく、わたしと優一の三回目のデートは無事に終わりを告げた。
次くらいは腕を組んで歩いてみたい。
「遥香、あんた彼氏とデートしてたんだって?」
その日の夕飯の席で、母がぼそりとつぶやいた。
メニューはナポリタンとサラダ。わたしは危うくむせ込むところだった。
隣にいる和也を睨みつける。驚いたように首を横に振る弟。どうやら犯人ではないらしい。
「で、どこの誰なの」
「――どうしてそれを」
「さる情報筋からね。詳しくはわからないけどあんたが男の子と手をつないで歩いてたって話よ」
「姉ちゃんおれに買い物させといて自分はデートかよ」
和也がぎゃんぎゃんと噛みついてくる。
「あんたには関係ないでしょ。黙っててよ」
「じゃあ彼氏が誰かばらしてやるから」
「和也、話してちょうだい」
母が身を乗り出す。
こういう悪ノリは本当にやめていただきたい。
「姉ちゃんがどうしてもっていうなら聞いてあげないこともないけど」
和也の勝ちほこった顔を見てわたしは無言を決め込んだ。
「優一さんと付き合ってるんだってさ」
交渉というものをまるでわかっていない優一が即座に暴露する。母は満面のニヤニヤを浮かべて拍手をした。
「よかったじゃない。借金を押しつけて蒸発するような男だったらどうしようかと案じてたのよ」
「お母さん面白がってるでしょ」
「そんなことないわよ。さっそく結城さんの奥さんと話のネタにしようとは思ってるけど」
なんて憎らしい表情だ。
わたしは母の頬をつねり、和也のナポリタンにはいっているソーセージを強奪すると、自分の部屋に閉じこもった。主婦の口に戸は立てられない。