特訓
トーナメントは地区予選からはじまる。
周辺地域のランカーが一堂に会するため、毎日膨大な数の戦いが行われる。上位ランカーのなかには予選免除の待遇を受けている人々もいるようだが、それはごく少数だ。
大多数は地道に予選から勝ちぬかなければならない。
母もそのうちのひとりだが、予選会に出場するランカーのなかでは上位に入っているため、比較的容易に戦いを進めることができた。
わたしは予選の行われている一か月近くを、すべてE4との訓練に明け暮れていた。
大学は推薦入学が決まっているため勉強の必要はない。同世代の高校生たちがセンター試験を受けている間に、わたしはわたしの戦いをしているのだ。
『レベル三十三スタート』
着実に上がりつつあるレベル。
わたしは配置を完全に頭に叩き込んだパネルに手をかけながら、モニターを凝視する。
訓練の段階は無機質なボックスのなかでの戦闘から、実戦さながらの広大なフィールドに変わっている。仮想敵はどこから襲ってくるかわからない。
攻撃パターンにある程度の法則があるとはいえ、都筑さんが火を放ったことは強烈に印象に残っている。人間相手だと想像をはるかに超える戦術をとってくる場合もある。
あのときはわたしが素人だということを見越しての無謀な作戦だったのだろうが、強い敵にあたるならどんな戦法でも想定しておかなくてはなるまい。
E4の浅はかな知識では人間を驚かすようなパフォーマンスができないのは残念だ。
『――地割れが起こったら面白いかな。もしくは雷を落とすとか』
物騒なことをつぶやく人工知能だ。
ちなみに純くんはひとりで留守番である。母とわたしのトレーニング中は暇なのだ。
「調理道具でどうやってそんなことするのよ」
『さあな。人間様のやることはわからねえ』
「あんたの無駄口に付き合ってる暇はないんだから」
トーナメント本戦まではあと一週間も残されていない。それまでにわずかでも技術を向上しなければ。
ランクが下の相手なら仮に戦闘で負けても料理で勝てていたが、上位が相手なら料理でポイントの差をつけることは難しい。
料理対決は絶対評価でポイントがつけられるのに対し、戦闘では相対的に評価される。
つまり勝負のカギを握るのは直接的な戦いということだ。
「ねえ、お母さんの戦績ってどのくらいなの」
なんの気なしに聞いてみる。
予選ではほとんど負けなしの母だ。トーナメントもかなり上まで勝ち進めるに違いない。
『万年、一回戦までだな。数度だけ二回線までいけたことがあったが、それまでだ』
「え――それホント?」
『オペレーターが純になるまではもっと成績は悪かった。上位になればオペレーターはかなり優秀なのがそろってる。そのなかで戦ってるんだから立派なもんだ』
「あの、わたしって……」
『下の下だ。自惚れんな』
返す言葉がない。
オペレーターの訓練を積んではじめてわかったことだが、わたしと純くんの差は歴然だ。
正確無比の人工知能に対しわたしは母の指示から一拍遅れて操作をする。たまにはミスもする。武器交換に注意しているときはモニターでの戦況把握がおろそかになるなど、いろいろ欠点がある。
大器晩成型なのだと自分にいい聞かせているが、とりあえず現時点では遠く及ばないのは事実だ。
その純くんでさえ中の中くらいだというのだから世界は広い。
東大の上にハーバード大学があるようなものだろう。
『お前ごときが東大を名乗るなんてな。笑止千万だぜ』
「ちょっと難しい四字熟語をつかってごまかそうとしてんじゃない。読解力ないんじゃないの? 東大ってのは文脈的に純くんのことでしょうが」
『じゃあお前はどのくらいなんだよ』
「えーと――マサチューセッツ工科大学とか?」
『その過度な自信を実力に変換できる装置を開発できたら、てっぺんも見えてくるな』
E4をはやくアップデートしてほしい。
画面のなかの母は策敵を行っている。
無暗に歩き回るのは危険だが、戦闘ポイントの評価には決着までのスピードなども考慮されるらしい。
その他、ダメージの量、使った武器の数、戦闘の鮮やかさ、など。基準は公開されていないが、経験から推測するにこれらの要素が大きく関わってくるのだという。
自分はダメージを受けずに一撃で勝負を決めることのできる不意打ちのスタイルを選ぶランカーも多いのだそうだ。
とくに入り組んだステージではその割合が増えるのだという。
奇襲に警戒するのも訓練のうちというわけだ。都筑さんとの戦いで、死角から襲われるのを察知していたのも日ごろの訓練の成果なのである。
「お母さん、後ろから来てるよ。注意して」
「了解」
モニターにちらりと映った影を逃さず母に伝達する。
たとえ戦闘の実力で劣っていても、足元の地形や武器の選択、心理状況などでも勝敗はわかれる。その可能性を最大限に引き出すのがオペレーターなのだとE4が偉そうに講釈を垂れていた。
『カメラに映らない敵を探す場合、どうするんだったか覚えてるか』
教師さながらにE4が尋ねてくる。
わたしは記憶の引き出しを開けた。
「たしか、モニターのなかに精神を飛ばすんだっけ。あんたもロボットのくせに無茶なこというよね」
『ロボットじゃねえ、人工知能だ。目に見えないものでも、感じることはできる。大切なのはそれをオペレーターがやることだ』
「はいはい」
『信じてね―な』
「やだなあ、世界最高の人工知能様のありがたい教えを、バカみたいだなんて思ってませんよぉ」
母が敵を発見した。
トレーニング用ののっぺらぼうは何度見ても気持ちが悪い。人型をしたスライムのような肌をしているので、半透明の身体が透けている。
自分よりも上背のある相手を中華鍋の一閃で片づけると、母はカメラを見上げた。
「トレーニングはこのくらいにしておくわ。そろそろ戻りましょう」
「はーい」
バーチャル空間で鍛えた能力はもちろん現実世界に反映されるわけではない。だが、バーチャル空間内で鍛えた能力は、そのままセーブされる。ゲームのなかだけレベルアップできるというわけだ。
だから一般的な主婦からは考えられないような身体能力を、バーチャル空間では発揮できる。
プレイベートルームに戻ると純くんが頭を下げた。
「お疲れ様です」
「うん、ありがと」
「喜美子様、予選通過のお知らせが届いております。おめでとうございます」
母とわたしは顔を見合わせ、ハイタッチした。
ほとんど母の実力によるものだが最低限のラインは突破した。あとはどれだけ順位を伸ばせるかだ。
「次の対戦相手は?」
「トーナメントでは対戦相手のデータは公表されません。事前の準備なしに戦ってほしいとの考えです」
「それって有利なの、不利なの?」
「実力がある人にとってはメリットが大きいわね。相手に対策を練られる心配がないから、順当に実力が評価される。けどデータがないということは、下剋上も起こりやすい。相手を見くびっていると足元をすくわれるわね」
母は大きく伸びをした。
最近はこちらで訓練をよく行っている。わたしの目を気にする必要がなくなったので、電子レンジを利用しやすくなったのだ。
「私はとりあえず一回戦を突破しなくちゃ。相手が弱いといいんだけど」
そんなラッキーがあり得ないのは百も承知だ。
わたしは自分の両手を広げた。この指が、母の命運を握っている。