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訓練と母

「ナベ、ピーラー」

「はいはい。えーと……」

「遅い。純くんだったら指示した瞬間に仕事をこなしてるわよ」

「わかってるってば」

 和也から逃げるようにわたしはオペ―レーションの練習に励んでいた。

 モニターに表示された武器の配置を覚えることからはじめる。キーボードの位置を暗記するようなものだ。最初はどこになにがあるのか把握しきれなくて操作も遅かったが、徐々に慣れてきた。

 母の使う武器はそう多くない。

 もともとが調理具のみの使用に限られているため、種類も大した数はないだろうとたかをくくっていた。しかし世界はわたしの想像よりもずっと広大だった。

 メイン武器である鍋ひとつをとっても中華鍋、土鍋、てんぷら鍋、行平鍋など種類は多様だ。そのほかにも世界各国の調理具が取りそろえられているため、ひと通り外見を確認するだけでも二日がかりの作業となった。

 料理は文化だ。

 文化の数だけ、すこしずつ異なる道具がある。

「キッチンは聖域。だから、調理具は神聖なる道具なのよ」

 とは母の言葉だ。

 両腕を広げるよりも大きいモニターにすべての道具を表示できるわけでは当然ない。よく使うものだけをピックアップして、押しやすいよう中央に表示することができるのである。

 いざとなれば登録していない武器も呼び出すことができるが、それは特殊な場合だ。

 わたしの及ぶ範囲ではない。

「サイバシ、オタマ、ナベ、シャモジ」

 母が矢継ぎ早に指示を飛ばす。わたしは頭のなかにたたきこんだボタンの位置と母の要望とを素早く重ね合わせて、左右の指を動かす。

「敵の状況は」

「残り体力七十七パーセント。四肢に異常なし」

「了解」

 純くんのように完ぺきにこなせるわけではない。

 わたしはひたすら訓練に打ちこんだ。近づいてくるトーナメントに照準を合わせるためだ。

 母とのトレーニングが終わるとE4との訓練になる。

 仮想敵を相手に、味方が要求する情報を事前に予測するというメニューだ。人間にしかできない領域だと人工知能は口をそろえていった。わたしの腕の見せ所は、ここにある。

『――下手くそが。そんなんじゃ中古ロボットのほうがましだ。どうして指示される前に判断できないんだよ。この状況では防御が絶対に必要だ。サイバシでどうやって防げっていうんだよ』

「ぱっと反撃するつもりかと思ってたのよ。隙も大きかったし」

『お前が考えてるよりも人間の反射神経はよくない。テレビで見てるプロ野球選手の投球が遅く見えるのと同じだ』

「わたし野球なんて見ないし」

『――じゃ、次行くぞ』

 E4の悪態の雨を全身に浴びながらわたしは数時間に及ぶ訓練を終える。練習すれば簡単に習得できる技術ではないらしい。頭を使い過ぎたことによる頭痛が、ノイズのように鳴り響いている。痛覚はないというから気のせいなのかもしれない。どちらにせよ疲れた。

 プライベートルームに戻ると、純くんが紅茶を持って来てくれた。

 母の召喚したソファーに腰をかけ、息を吐き出す。アールグレイの香りが疲れをほぐす。

 隣に座った母はすこしも疲労した様子を見せない。

「ちょっとはマシになったかしらね。ゼロが小指の爪の半分くらい改善しただけど」

「勉強よりえぐいね、これ」

「あんたが真面目に勉強してるところなんて見たことないわよ」

「わたしだって色々頑張ってるんだから」

「そうだ。三日後に定期試合があるからあんたにオペレーターやってもらう。対戦相手はランクがだいぶ下みたいだからあんたでも勝てると思うわよ」

「はい?」

 わたしは呆れてしまった。

 母は大事なことを後で伝える癖があるらしい。まっさきに治してほしい病気だ。我が子を谷に落とす教育方針を受ける身にとっては、真剣な問題だ。

「負けたらどうすんの。家計がかかってるんでしょ」

「定期試合のひとつやふたつ負けたところで大したことはないの。重要なのはトーナメント本戦で勝ち残ることなんだから。あんたの練習としては絶好の機会なんじゃない」

「そっちで負けたらどうなるの」

「……まあ、お弁当は抜きかしら」

 ぼかしていうが、トーナメントに負けると相当厳しくなるらしいのは母の表情からわかった。もとより失踪した父からの仕送りだけで生活できているなら、母はバトルに参加しなくてもいいのだ。

 周辺地域のほとんどの主婦はランカー同士の戦いに身を置いているという。それだけ日本の経済事情はひっ迫しているのかもしれない。

 それは早坂家も例外ではない。

「わたしなんてオペレーターに使ったら取り返しのつかないことになるかもしれないんでしょ。やっぱり純くんに任せてた方がいいんじゃない?」

「実戦に勝る経験はないのよ。私だって遥香になんの勝算も見込んでないわけじゃないの。万にひとつくらいはラッキーを拾えるかもしれないでしょ。あんたに自信をつけさせることができたら、これ以上ない収穫になる」

「わたしが無理にオペレーターを務める必要もないじゃん。お母さんだって主婦になってから訓練をはじめたんでしょ、だったら――」

「苦労するなら若いうちがいいでしょ。子どもに不便させるとゆがんだ性格に育つわよ」

 あたかも自分の子どもたちがまともに育たなかったかのような口ぶり。わたしはいたって正常だが、和也のほうは教育を間違ってしまっている。姉のことが好きだなんて、思いかえしても異常だ。

 実際、わたしたちも小さい頃は貧乏だった。

 父が出ていってからの生活は、節約にまみれた毎日で、わたしは満足にご飯を食べられなかった覚えがある。

 まだ幼かったため食費がそれほどかからなかったのが幸いだった。

 和也が小学校に入るときには母のランクが上がったためか、父の仕送りが増額されたためか、まともな日常を送れるようにはなっていた。

 母はそのことを後悔しているのかもしれない。

 強くなければ満足な暮らしを送れないのなら、わたしは強くならなくてはならない。

「貯蓄もないわけじゃないし、あんたがミスったところで大勢に影響はないから心配しないでおいて。高校生の娘に心配されるほど私は落ちぶれちゃいない」

「でも、三日後なんだよね」

 まだ基礎さえマスターしていないのに。

 学校のテストでも、どんなに勉強して基本的な問題が解けるようになっていてもテストになるとまるで実力が発揮できないというようなことが起こる。

 本番で上手くいく人なんてほんの一握りなのだ。

「トーナメントまでは一か月ないんだから気合い入れていきなさいよ」

 がさつに笑うと、わたしの背中を思いきりたたく。痛い。

 わたしは母に和也のことを話そうかと思ったが、無駄に問題を増やすこともないと考え直した。彼女はいままで人知れない苦労を重ねてきたのだ。

 多少の悩みはわたしが解決しなければならない。

 しかし、不意に存在に気づかされた背後霊のように、重たいそれはわたしの両肩にのしかかっていた。



 右、左、バックステップからの反撃。

 今度は身体をひねって、武器を中華鍋に変更。――しかし、わたしの予測は見事に外れた。

『バカ野郎! なんで防御のあとに防御用具を出すんだよ。そこはなにかしら反撃の糸口になるものがいい。それもなるべく遠距離から攻撃できるもの……サカビンとかが最適だ。ま、ちょっと考えればすぐにわかることだろ。お前には才能がないんだな、可哀そうに』

 E4の発する言葉のなかで有益な情報が含まれているのは二割くらい。その他は悪態と愚痴で構成されている。まるで出来のいい嫁に嫉妬する姑みたいな性格だ。

 人工知能ならわざわざ腹の立つ気質にしなければいいのに。

 わたしの指導員が純くんではなく口うるさいロボットである理由は明確だ。母が純くんとふたりきりで時間を過ごせるからである。

 くそ、うらやましい。

『ロボットじゃねえ、人工知能だ。一緒くたにするあたり教養のなさがにじみ出てるな』

「それってお母さんを侮辱することにもなってるの、わかってる?」

『……後天的な要素が大きく影響したんだろう』

 E4も純くんも母には従順だ。

 喜美子様、喜美子さん、と飼いならされた犬みたいな反応を示す。

 わたしは昨夜の会話を思い出す。

「ロボット三原則というものがある。ロボットは人間に危害を加えてはならない。ロボットは人間の命令を守らなければならない。これは第一の原則に背くようなら、守られなくてもいい。そしてロボットは自分の身を保全しなければならない」

 優一が電話でそう教えてくれた。

 距離でいえばほんの数メートルしか離れていないわたしたちだけど、ロミオとジュリエットのように夜中逢引するわけにもいかないので、会話はほとんど電話で済ませている。

 ほんの十分程度の会話だけど、メールすら稀だったことを考えれば大きな進歩だ。

 短い時間だけは嫌なことを忘れさせてくれる優一とは、クリスマスにデートの予定を入れてある。初めて異性と過ごすことになるであろう聖夜に期待をつのらせながらも、訓練は激しさを増している。

 E4の悪口は、精神的に人間を傷つけることにはなっていないのだろうか。

 ロボット三原則とやらに反する悪い機械ということらしい。スクラップにだしてもらおう、とわたしは心に誓った。

『ロボットじゃねえっていってんだろ! 悔しかったらさっさと上達することだな。ボタンすら正確に押せないようじゃ瞬殺されるぜ』

「ちょっと混乱してるだけでしょー。わたし本番には強いタイプなの」

『手に汗をじっとりかいているのが見えるぜ。かなり緊張してるみたいだな』

 バーチャル空間というやつは痛覚以外のものをリアルに再現してくれるらしい。非現実なんだからまつ毛をちょっとだけ長くしてくれるとかサービスがあってもいいのに。

 ちなみに、痛覚はある一定の度合いを超えるとシャットアウトされるのだと純くんが教えてくれた。

 痛みは触覚の延長にあるもので、人間の脳に流れる電気信号がうんたら――という説明だったが、正直なところ彼の端正な横顔に視線をくぎ付けにされていたので、内容は微塵たりとも頭に残っていない。

『そろそろ一時間になるな。練習は切り上げた』

「なんか、あっという間に過ぎてくね」

 優一と喋っているときほどではないけど、と内心つけ加える。

『バーチャル空間でも現実世界でも時間の流れ方は一定だぞ』

「知ってるよ。感覚的なことをいってるの。このポンコツ」

 電子レンジによってバーチャル空間に飛ばされるのはいいが、わたしたちの身体はキッチンのなかに横たわっているらしい。

 和也が見たらさぞかし驚くことだろう。だから母はキッチンにわたしたちを入れようとしなかったのだ。

 母と姉が気絶していたら大事だ――ひょっとしたら変なことをされてるんじゃないかと黒い疑惑が浮かんでしまうのが悲しい。

 レンジは脳波と上手く干渉しあってバーチャル空間を作り出しているともいっていた。最初はキッチンの不可解な仕組みを知りたかったが、あまりに説明が難解なので挫折した。母もきっと同じだろう。

『泣きべそかいて逃げ出すのがいまから楽しみだぜ』

「そんなことしないもん」

『どうかな。絶対に逃げ出すって確信がある』

「逃げない」

『どちらにせよ、明日の実戦次第だ。喜美子さんに恥かかせるんじゃねえぞ』

「あんたの存在のほうが恥ずかしいよーだ」

 返事のかわりにプライベートルームへ送還される。

 見ると、母と純くんが楽しげに紅茶を楽しんでいるところだった。わたしが必至に訓練を行っているあいだに母は美少年と戯れていたらしい。

 E4と交換してほしいと切に願う。

 悪びれた様子もなく母はソファーから立ちあがると、唐突にわたしの頭をなでた。そんなことをされるのは小学校の卒業式以来だった。友達の何人かは受験して、中学が違ったためにもう二度と会えないような悲しさを感じていたのだ。涙が止まらなくてせっかくの集合写真も赤い眼で写っているわたしの頭を、母はいまみたいに優しくなでてくれた。

 まるでわたしが泣くことを見越しているかのように。

「明日だよ」

 と、わたしはいって、母の手を払いのけた。

 最初から諦めるつもりはなくなった。こうなったら絶対に勝って、見返してやる。

 ――喜美子さんに恥かかせるんじゃねえぞ。

 E4の言葉がなぜだか頭のなかでリピートした。戦うのは、母だ。わたしではなく。

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