尋問と告白
「さて、事情を話してもらいましょうか。大丈夫、怒ったりしないから」
「怒ってるじゃん」
「そんなことないよぉ」
せっかくの初デートを台無しにされて最悪だなんてこれっぽちも思っていないという表情を作る。和也は鬼に睨まれたみたいにひっ、と小さく悲鳴を漏らした。
捕まえたストーカー犯が実の弟だったという事実によって、わたしたちは曖昧にデートを終えた。
もっとロマンチックな展開が待っていたことを考えると万死に値する重罪だ。わたしは有無をいわさず弟を自室に監禁すると、尋問をはじめた。
かつ丼をやる優しさは、ない。
「どうしてわたしたちの後をつけてきたりしたの?」
「――そりゃあ、姉ちゃんが心配だったから」
「相手が優一だって知っての行動?」
「彼氏がだれなのかって教えてくれなかったから。駅まで付いて行ったら、優一さんだったんだよ」
家が隣というだけあって早坂家と結城家は家族ぐるみの付き合いである。昔は和也を加えた三人でよく遊んだものだ。
その頃は幼い少年だったのが、いまや姉のストーカーになってしまうとは。
嘆かわしい世の中になったものだ。
「電車にも乗って来たでしょ」
「――お金がなかったから、家に帰った」
和也はわたしと視線を合わせようとしない。
ウソをつくときには首筋を掻くという癖を、姉であるわたしが見逃すはずはなかった。
「最初から尾行するつもりだったんでしょ。ホームで感じた視線は和也だね」
「してない」
「ウソをつくならお母さんにいいつけるよ」
「そしたら姉ちゃんが優一さんと付き合ってることも暴露してやるからな」
「どうせそのうち気付かれることだし。わたしはせいぜい何日かの恥ずかしさだけど、あんたは一生姉のストーカーというレッテルを貼られるわけ。わかる? このヘンタイ」
「そんないい方しなくても……」
「本当のことを伝えなさい。そうすれば許してあげるかもしれないよ」
和也は諦めたように嘆息した。
ため息をつきたいのはこっちだ。
「電車にもついていきました」
「映画も?」
「予想以上に感動の結末だった。ゾンビ男がアメリカ政府に立ち向かっていくのに、ヒロインは止められないところとか」
「そうそう。わたしも思わず泣き腫らしちゃった」
「キスをするとヒロインもゾンビになっちゃうから、愛し合うこともできないなんて悲惨な運命だよな」
「ホント切ないよね――って、わたしを映画の話に誘導しようとしても無駄だからね。話し合うべきはあんたの素行なんだから」
「っち」
「あんたいま舌打ちしたでしょ。ねえ、なにその失礼な態度」
「してないよ」
「した」
「してない」
「決めた。お母さんに報告するから」
「ごめんなさい舌打ちしました」
お母さんの名前を出すとすぐにおとなしくなる。母は偉大だ。
わたしは厳しい取り調べを続ける。
「映画のあとはファミレスに来たでしょ」
「行きました」
「わたしたちが何時間も居座るって予測してたの」
「はい。カップルがいちゃつくには絶好の場所だと思い、監視することにしました」
「で、勉強するふりをしつつ見張っていたと」
「間違いありません」
「――ひとつ質問する」
わたしは人差し指を立てた。
「あんた勉強道具を持って来てたけど、最初からファミレスに行くことを想定してたわけ? 学校帰りでもあるまいし、そうでなければ不自然よね」
「勉強家なもので」
「いい加減素直にげろっちまえよ!」
バンと床を叩きつける。こんな姿、優一には見せられない。
わたしの眉間には青筋が浮かんでいることだろう。
「本当は最初からデートを監視するつもりだったんじゃねえのか?」
「……」
「黙秘か。残念だがお前に黙秘権はないんだよ」
わたしは弟の部屋からくすねておいたアイドルのポスターを眼前につきだした。和也の顔色が見る間に青ざめていく。理科の授業で使ったリトマス紙みたいな鮮やかさだった。
ポスターの上辺に右手をかける。
「お前が黙っているようならこのポスターを引き裂く。たしか限定品で、もう手に入らないんだったよなあ」
「……はい」
「破いたらさぞかし良い音が鳴るんだろうなあ。早く罪を告白しないと手がすべってしまうかもしれないなー」
「本当に、申し訳ありませんでした!」
地面に頭を強打させ、和也は土下座した。階下にいる母にも鈍い音は届いただろう。フローリングに額を密着させたままの弟に尋ねる。
「デートを始終見張っているのが目的でしたか?」
「はい。その通りです」
「どうしてそんなことをしたんですか」
「姉ちゃんに彼氏ができたから、それで。変なことされないかと心配して」
「わたしをそんな尻の軽い女だと思ってたわけ」
「初めての彼氏だから、浮かれてるんじゃないかと思って。姉ちゃん、ちょっと抜けたところあるから」
「失礼な言葉は慎みなさい。それで、映画のあとファミレスに入ることまで推測して長居できるように準備っしてたのね。なんでプランがわかったの?」
「――高校生のデートなんて、そんなもんだし。姉ちゃんやけに映画のCMに反応してたから」
「ストーカーじゃなければ名探偵になれたかもね」わたしは感心していった。「で、あんたはどうしてわたしを監視してたの? いくら彼氏ができたからって身内を尾行したりしないでしょ、ふつう。弁解があるなら、聞いてあげる」
和也は、答えない。
長い沈黙が雪のように積もり、しびれを切らしてポスターをつかむ指に力を込めようとしたとき、和也が叫ぶように言葉を紡いだ。
「好きなんだよ!」
なにをいっているのか理解できなくて、問い返す。
「なにが?」
「姉ちゃんのことに決まってんだろ。姉ちゃんが好きなんだよ」
「……は?」
音を意味のあるものとして認識できない。
和也の口走った言葉がなにを伝えようとしていたのか理解できなかった――というより、無意識に否定しているみたいだった。
とんでもないことを告白した弟は顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。
わたしだって逃げ出したいくらい混乱している。驚くのにはこの頃慣れてきたと思っていたけど、そうもいかないらしい。
「あんた、本気?」
うなずく和也。わたしは乱れ切った思考を落ち着けるために深呼吸する。
――弟相手になにを怖気づいているんだ。間違った考えを持っているなら、それを正してやるのが姉の役目というものだろう。
わたしは、ゆっくりと諭すように話しかける。
「わたしたちは家族同士なんだよ。血の繋がってる姉弟なの。だからお互いのことを好きになっちゃいけない、それはいけないこと。あんたの気持ちは嬉しいけど、姉なんかに恋心を抱いちゃだめ」
よし。きちんといえた。
十八年の短くも長い人生で、男子に告白されたことなんてこれまで一度もなかったのに、立てつづけに二度も起こるなんて。
一生に三度あるというモテ期が到来してるのだろうか。神さまも気まぐれが過ぎる。相手を弟にするなんて。実は血縁関係がないという裏設定もない。わたしはうつむく和也の目をのぞきこんだ。
「あんたの学校にもわたしより可愛い女の子はいっぱいいるでしょ。そのなかから好きな子を見つければいいじゃない」
「……姉ちゃんがいいんだよ」
「どこがいいのよ。こんな姉の」
自分で卑下するのは不本意だったが和也を正常な道に導いてやるには仕方ない。
健康な中学生ならクラスの女子に目が行くものだろう。ムラムラしてどうしようもない年頃だ。
「貧乳なところとか」
わたしは、つい、うっかりと、指を滑らせてしまった。
故意ではない。和也の悪意に満ちた発言に怒ったためでもない。
もろくも破れてしまった限定版のアイドルポスターに涙をふくんだ視線を向けながら、和也は口を開けたまま微動だにしなかった。
「で?」
続きをうながす。
哀れな弟はうつろな瞳を上げる。
「暴力的なところもあるし、おかず勝手に食べるし、わがままだし、怒りっぽいし、すぐ殴るけど――姉ちゃんって優しいんだよ。ツンデレってやつ? それに小さいときからずっと一緒だったから、姉ちゃん以外の女子なんて眼中に入ってなかった」
宝物を無残に破壊されて開き直ったようだった。
和也は鼻息のかかるほど顔を近づけてくる。わたしは和也の真剣さが恨めしかった。どうしてこの情熱をほかのものに向けられなかったのだろう。
「いつからそんな性癖なわけ」
「幼稚園のころから。姉ちゃんが中学に行ってからは、もっと好きになった」
「なんでよ」
「好きなんだ、制服」
どうしようもない。
和也の趣味なんてどうでもいいが、矯正しなければわたしの身が危ない。母も弟も重大な秘密を抱え込んでるくせに打ち明けるときは突然だ。
いい加減にしてほしい。
「もちろん私服も好きだし、裸でも大歓迎だけどさ」
「あんたねえ、いくら姉でも呆れを通り越してうんざりするくらいだよ。変なビデオとか持ってないでしょうね」
「いまどきビデオなんて古いよ。携帯でもパソコンでも好きな動画を検索できるんだから」
こんなところでも無駄な技術革新だ。
わたしは深々とため息をついた。
「――あんたの気持ちはわかった。わたしはその気持ちを受け取ることはできない。和也は弟だし、なによりわたしには優一っていう彼氏がいるから。わたしの好きな人はあんたじゃなくて優一なの。ごめんね」
「いいよ別に。優一さんよりも姉ちゃんのそばにいられるし」
「……アイドルに興味を向けるっていう解決策はないの?」
「無理。姉ちゃんが好きなんだ」
わたしは決断した。
和也をこれ以上甘やかしてはいけない。わたしのことが好きだなんて絶対におかしいのだ。姉として厳しく接しなければ。
夜中に部屋のドアをたたく、ご飯を奪う、靴のなかに画びょうを仕込んでおく――ふと、和也がM体質だったらどうしようという不安がよぎった。
わからない。
弟が何を考えているのかわからない。
わたしは意味もなく和也の頬を思いきりはたくと、そのまま自分の部屋に逃げ帰った。和也は追いかけてはこなかった。