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純文学/歴史/アクション

オレとアイツと高山先生

作者: 久我 文
掲載日:2026/07/28

実話を基にしています。

「おーい、(しゅう)ちゃん! 今日、これからサッカーしねぇ?」


 校庭の木々が色づき始めた頃、内川聖人(まさと)が、沼田と川辺を引き連れて、オレに声をかけてきた。


「ごめん! 今日、塾なんだ……」


 申し訳なさそうに答えると、沼田と川辺がすかさず口を開く。


「相沢……ノリ悪くねぇ?」

「ホント、聖人くんの誘いを断るなんて、マジあり得ねぇ!」


 すると、内川が二人を怒鳴りつけた。


「あり得ねぇのは、お前らだ! 秀ちゃんは、中学受験に向けて今から頑張ってんだ! そんなことも知らねぇで文句言ってんじゃねぇ!」


「は、はい……」

「す、すみません……」


「謝れ!」


「え……?」

「今……謝った……」


「違う! 秀ちゃんに謝れ!!」


「「は、はい!」」


 沼田と川辺が背筋をピンと伸ばしながら、返事をする。

 そして、オレの方を向き、勢いよく頭を下げた。


「相沢、ごめん!」

「俺も悪かった! ごめん!」


「いいよ、いいよ。大丈夫だよ、気にしないで」


 オレは苦笑いしながら、二人に応えた。



 内川は、いわゆるガキ大将だ。

 沼田と川辺は、その子分のような存在である。


 そんな内川と出会ったのは、小学校の入学式だった。


 オレは学区内の幼稚園に通っていたから、顔見知りも多かった。だが、内川は入学前に引っ越してきたらしく、知り合いは一人もいなかった。


 ぽつんと一人で座る姿が、なんだか寂しそうに見えた。


 だから、オレは何気なく声をかけた。


 ──それが、小学校生活最大の失敗だった。


 あの日以来、内川は休み時間になるたび、オレを遊びに誘うようになった。


 オレは自分のペースを乱されるのが苦手だ。それでも気の弱い性格が災いし、一度もきっぱり断れないまま今日まできてしまった。


 正直、中学受験なんて気が進まなかった。だが、塾を理由に放課後の誘いを断れるようになったことだけは、ありがたかった。


 クラス替えのたび、「今度こそ別のクラスになりますように」と願った。


 だが、その願いは一度も叶わない。


 一年生から今の四年生まで、オレと内川はずっと同じクラスだった。



 塾の帰り道、オレは一組の親子を見かけた。


「ねぇ、お母さん。僕、今日のテスト、百点だったんだ!」


 一年生くらいだろうか。男の子が嬉しそうに胸を張る。


「すごいわ! 頑張ったのね!」


 母親は目を細め、その子の頭を優しく撫でた。


 その光景を見た瞬間、オレの脳裏に、一つの記憶がよみがえる。


 それは、内川の母親のことだった。


 放課後、内川たちと遊ぶ場所は、いつも公園か空き地だった。野球をしたり、サッカーをしたり、鬼ごっこをしたり……。誰かの家でゲームをすることもあったが、不思議と内川の家へ行くことはなかった。


 でも一度だけ、オレはアイツの家に行ったことがある。それは、一年生の頃のことだ。




 内川の家は、お世辞にもきれいとは言えない古いアパートだった。玄関は日当たりが悪く、じめじめとしていたのを今でも覚えている。


 内川はランドセルから鍵を取り出し、慣れた手つきで扉を開けた。


「ただいま!」


 内川がそう言うが、返事はない。


 玄関を入るとすぐに小さなキッチンがあり、その奥に六畳ほどの部屋が一つだけあった。


「秀ちゃん、入って」


「うん。お邪魔します」


 靴を脱いで部屋へ上がる。


 しばらくゲームをして遊んでいると、玄関の扉が開いた。


「ただいま。聖人、もう帰ってたのね。あら、お友達?」


「うん! 秀ちゃん!」


 内川は嬉しそうにオレを指差した。

 オレは少し照れながら頭を下げる。


「ああ、あなたが相沢秀一くんね。いつも聖人が話してるのよ。『秀ちゃんは優しいんだ』って」


 思わず顔が熱くなる。


「お母さん! やめてよ! 恥ずかしいだろ!」


 内川が真っ赤になって叫ぶ。

 それでも母親は笑顔のまま、オレに向かって頭を下げた。


「聖人と仲良くしてくれて、本当にありがとう」


 その笑顔は、とても優しかった。


 内川は母親との二人暮らし。

 母親は朝早くから夜遅くまで働いていて、家に帰っても誰もいない日の方が多かったらしい。


 一方、オレの家には両親がいて、祖父母がいて、兄弟もいる。二階建ての一軒家ですら手狭に感じるほど、いつも誰かの声がしていた。


 だからだろうか。

 あの日のオレには、六畳ほどの部屋が、とてつもなく広く見えた。




 オレは足を止め、あの日のことを思い出していた。気付けば、あの親子ももういない。


(明日は塾がない。久しぶりに、内川と遊ぼう)


 そんなことを考えながら、オレは家路を急いだ。



 季節は秋から冬へと移り、冬休みまであと一か月となった頃だった。


「ねぇ、相沢くん、聞いた? 村島先生が戻ってくるんだって」


 クラスの女子が、まるでビッグニュースでも聞かせるように、オレのもとへ駆け寄ってきた。


「村島先生が……?」


「そうなの。私のお母さんが知り合いの看護師さんに聞いたらしいの。冬休みが終わって、新学期になったら戻ってくるんだって」


 村島愛莉(あいり)先生は、オレたちが三年生の途中から産休に入った先生だった。若くて優しく、女子から絶大な人気を集めていた。


「え、じゃあ……高山先生は……?」


 高山唯人(ゆいと)先生は、村島先生の産休中、代わりに赴任してきた先生だった。こちらも若くて優しく、男女問わず人気のある先生だった。


「うーん……どうなんだろうね。転勤になっちゃうのかも……」


 女子がそう言った瞬間──


「おい! マジかよ、今の話……」


 振り向くと、そこには内川が立っていた。


 いつもの元気な表情はなく、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「お、俺……聞いてくる!」


 そう言い残し、内川は教室を飛び出していった。


 村島先生が産休に入る少し前から、内川は目に見えて荒れ始めた。


 校内の備品を壊したり、上級生とケンカをしたり、学校を抜け出したり。地域の中高生の不良とつるんでいるとか、万引きを繰り返しているとか、タバコを吸っているとか……。そんな噂まで流れるようになっていた。


 そんな内川を立ち直らせたのが、高山先生だった。


 高山先生は、内川を怒鳴ることも、殴ることもしなかった。ありのままの内川を受け入れ、その寂しさに寄り添い、家族のように接した。その温かさに触れ、内川は少しずつ以前の笑顔を取り戻していった。


 きっと、内川にとって高山先生は、父親のような存在だったのだろう。



 冬休み前、最後の登校日。


 オレたちは、ささやかながら高山先生の送別会を開いた。


 発起人は、もちろん内川だ。


 あの日、高山先生が学校を離れることを知った内川は、それから一週間ほど学校に姿を見せなかった。


 高山先生が何度も家を訪ね、話をしたらしい。


 そして、ある日。何事もなかったような顔で登校してきた内川が言った。


「最後は、笑って送り出したいじゃん。だから、秀ちゃんも協力してくれ」


「もちろん! オレも高山先生、好きだし」


「ありがとう。秀ちゃんは、やっぱ優しいな!」


 それからクラス全員で、高山先生に気づかれないよう、こっそり送別会の準備を進めた。




 送別会も終わりに近づいた頃。


 内川がゆっくり立ち上がる。

 それにつられるように、クラスのみんなも立ち上がった。


「先生! 今まで、本当に……ありがとうございました!」


 震える声を張り上げる内川。


「ありがとうございました!」


 みんなも声をそろえた。


「あ、ありがとう……みんな。本当にありがとう」


 高山先生は涙をこらえながら言う。


「みんなと一緒に春を迎えられないのは、本当に残念だ。でも、先生はみんなと過ごす中で、自分の未熟さを知った。だから、もう一度大学で学び直そうと思う。もっといい先生になるために」


 先生は笑顔を作り、全員の顔を見渡した。


「村島先生も戻ってくる。だから、安心して次の一歩を踏み出せる」


 そう言った瞬間、こらえきれなかった涙が先生の頬を伝う。


 沼田と川辺も、そしてクラスのみんなも泣いていた。


 内川は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。


 オレも泣き出しそうだった。


「みんな……泣いてくれてありがとう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──」




 なんだろう……。


 その言葉を聞いた瞬間、不思議なくらい涙が引っ込んだ。




 その後も、高山先生は色々な話をしていた。

 でもオレは、先生が何を話したのか、一つも覚えていない。


『秀ちゃんは、やっぱ優しいな!』


 内川のその声が、頭の中で何度も響いていた。

最後までお読みいただきありがとうございます。

誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。

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― 新着の感想 ―
秀ちゃん、キミはは優しいよ 周りよりちょっと視野が広くて大人なだけよ
 今泣いていないからと責める必要は無い旨を伝えたかったと思われる一言に対し、邪鬼に誘われ別の答えに導かれてしまった子供ではなくなりつつある闇深き”こどな“の心象を問う物語ですね。途中まで内川くんが転校…
あ、なんかわかります……。 一気にさめる発言ってあるんですよね。
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