オレとアイツと高山先生
実話を基にしています。
「おーい、秀ちゃん! 今日、これからサッカーしねぇ?」
校庭の木々が色づき始めた頃、内川聖人が、沼田と川辺を引き連れて、オレに声をかけてきた。
「ごめん! 今日、塾なんだ……」
申し訳なさそうに答えると、沼田と川辺がすかさず口を開く。
「相沢……ノリ悪くねぇ?」
「ホント、聖人くんの誘いを断るなんて、マジあり得ねぇ!」
すると、内川が二人を怒鳴りつけた。
「あり得ねぇのは、お前らだ! 秀ちゃんは、中学受験に向けて今から頑張ってんだ! そんなことも知らねぇで文句言ってんじゃねぇ!」
「は、はい……」
「す、すみません……」
「謝れ!」
「え……?」
「今……謝った……」
「違う! 秀ちゃんに謝れ!!」
「「は、はい!」」
沼田と川辺が背筋をピンと伸ばしながら、返事をする。
そして、オレの方を向き、勢いよく頭を下げた。
「相沢、ごめん!」
「俺も悪かった! ごめん!」
「いいよ、いいよ。大丈夫だよ、気にしないで」
オレは苦笑いしながら、二人に応えた。
◇
内川は、いわゆるガキ大将だ。
沼田と川辺は、その子分のような存在である。
そんな内川と出会ったのは、小学校の入学式だった。
オレは学区内の幼稚園に通っていたから、顔見知りも多かった。だが、内川は入学前に引っ越してきたらしく、知り合いは一人もいなかった。
ぽつんと一人で座る姿が、なんだか寂しそうに見えた。
だから、オレは何気なく声をかけた。
──それが、小学校生活最大の失敗だった。
あの日以来、内川は休み時間になるたび、オレを遊びに誘うようになった。
オレは自分のペースを乱されるのが苦手だ。それでも気の弱い性格が災いし、一度もきっぱり断れないまま今日まできてしまった。
正直、中学受験なんて気が進まなかった。だが、塾を理由に放課後の誘いを断れるようになったことだけは、ありがたかった。
クラス替えのたび、「今度こそ別のクラスになりますように」と願った。
だが、その願いは一度も叶わない。
一年生から今の四年生まで、オレと内川はずっと同じクラスだった。
◇
塾の帰り道、オレは一組の親子を見かけた。
「ねぇ、お母さん。僕、今日のテスト、百点だったんだ!」
一年生くらいだろうか。男の子が嬉しそうに胸を張る。
「すごいわ! 頑張ったのね!」
母親は目を細め、その子の頭を優しく撫でた。
その光景を見た瞬間、オレの脳裏に、一つの記憶がよみがえる。
それは、内川の母親のことだった。
放課後、内川たちと遊ぶ場所は、いつも公園か空き地だった。野球をしたり、サッカーをしたり、鬼ごっこをしたり……。誰かの家でゲームをすることもあったが、不思議と内川の家へ行くことはなかった。
でも一度だけ、オレはアイツの家に行ったことがある。それは、一年生の頃のことだ。
内川の家は、お世辞にもきれいとは言えない古いアパートだった。玄関は日当たりが悪く、じめじめとしていたのを今でも覚えている。
内川はランドセルから鍵を取り出し、慣れた手つきで扉を開けた。
「ただいま!」
内川がそう言うが、返事はない。
玄関を入るとすぐに小さなキッチンがあり、その奥に六畳ほどの部屋が一つだけあった。
「秀ちゃん、入って」
「うん。お邪魔します」
靴を脱いで部屋へ上がる。
しばらくゲームをして遊んでいると、玄関の扉が開いた。
「ただいま。聖人、もう帰ってたのね。あら、お友達?」
「うん! 秀ちゃん!」
内川は嬉しそうにオレを指差した。
オレは少し照れながら頭を下げる。
「ああ、あなたが相沢秀一くんね。いつも聖人が話してるのよ。『秀ちゃんは優しいんだ』って」
思わず顔が熱くなる。
「お母さん! やめてよ! 恥ずかしいだろ!」
内川が真っ赤になって叫ぶ。
それでも母親は笑顔のまま、オレに向かって頭を下げた。
「聖人と仲良くしてくれて、本当にありがとう」
その笑顔は、とても優しかった。
内川は母親との二人暮らし。
母親は朝早くから夜遅くまで働いていて、家に帰っても誰もいない日の方が多かったらしい。
一方、オレの家には両親がいて、祖父母がいて、兄弟もいる。二階建ての一軒家ですら手狭に感じるほど、いつも誰かの声がしていた。
だからだろうか。
あの日のオレには、六畳ほどの部屋が、とてつもなく広く見えた。
オレは足を止め、あの日のことを思い出していた。気付けば、あの親子ももういない。
(明日は塾がない。久しぶりに、内川と遊ぼう)
そんなことを考えながら、オレは家路を急いだ。
◇
季節は秋から冬へと移り、冬休みまであと一か月となった頃だった。
「ねぇ、相沢くん、聞いた? 村島先生が戻ってくるんだって」
クラスの女子が、まるでビッグニュースでも聞かせるように、オレのもとへ駆け寄ってきた。
「村島先生が……?」
「そうなの。私のお母さんが知り合いの看護師さんに聞いたらしいの。冬休みが終わって、新学期になったら戻ってくるんだって」
村島愛莉先生は、オレたちが三年生の途中から産休に入った先生だった。若くて優しく、女子から絶大な人気を集めていた。
「え、じゃあ……高山先生は……?」
高山唯人先生は、村島先生の産休中、代わりに赴任してきた先生だった。こちらも若くて優しく、男女問わず人気のある先生だった。
「うーん……どうなんだろうね。転勤になっちゃうのかも……」
女子がそう言った瞬間──
「おい! マジかよ、今の話……」
振り向くと、そこには内川が立っていた。
いつもの元気な表情はなく、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「お、俺……聞いてくる!」
そう言い残し、内川は教室を飛び出していった。
村島先生が産休に入る少し前から、内川は目に見えて荒れ始めた。
校内の備品を壊したり、上級生とケンカをしたり、学校を抜け出したり。地域の中高生の不良とつるんでいるとか、万引きを繰り返しているとか、タバコを吸っているとか……。そんな噂まで流れるようになっていた。
そんな内川を立ち直らせたのが、高山先生だった。
高山先生は、内川を怒鳴ることも、殴ることもしなかった。ありのままの内川を受け入れ、その寂しさに寄り添い、家族のように接した。その温かさに触れ、内川は少しずつ以前の笑顔を取り戻していった。
きっと、内川にとって高山先生は、父親のような存在だったのだろう。
◇
冬休み前、最後の登校日。
オレたちは、ささやかながら高山先生の送別会を開いた。
発起人は、もちろん内川だ。
あの日、高山先生が学校を離れることを知った内川は、それから一週間ほど学校に姿を見せなかった。
高山先生が何度も家を訪ね、話をしたらしい。
そして、ある日。何事もなかったような顔で登校してきた内川が言った。
「最後は、笑って送り出したいじゃん。だから、秀ちゃんも協力してくれ」
「もちろん! オレも高山先生、好きだし」
「ありがとう。秀ちゃんは、やっぱ優しいな!」
それからクラス全員で、高山先生に気づかれないよう、こっそり送別会の準備を進めた。
送別会も終わりに近づいた頃。
内川がゆっくり立ち上がる。
それにつられるように、クラスのみんなも立ち上がった。
「先生! 今まで、本当に……ありがとうございました!」
震える声を張り上げる内川。
「ありがとうございました!」
みんなも声をそろえた。
「あ、ありがとう……みんな。本当にありがとう」
高山先生は涙をこらえながら言う。
「みんなと一緒に春を迎えられないのは、本当に残念だ。でも、先生はみんなと過ごす中で、自分の未熟さを知った。だから、もう一度大学で学び直そうと思う。もっといい先生になるために」
先生は笑顔を作り、全員の顔を見渡した。
「村島先生も戻ってくる。だから、安心して次の一歩を踏み出せる」
そう言った瞬間、こらえきれなかった涙が先生の頬を伝う。
沼田と川辺も、そしてクラスのみんなも泣いていた。
内川は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
オレも泣き出しそうだった。
「みんな……泣いてくれてありがとう。今、泣いていない人も、家に帰ったら泣いてくれると思う──」
なんだろう……。
その言葉を聞いた瞬間、不思議なくらい涙が引っ込んだ。
その後も、高山先生は色々な話をしていた。
でもオレは、先生が何を話したのか、一つも覚えていない。
『秀ちゃんは、やっぱ優しいな!』
内川のその声が、頭の中で何度も響いていた。
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