時の屍と、赤髪の自画像
見出しには『《果樹園》に謎の焼死体』とある。
かの有名なオークションハウス《果樹園》に侵入者が現れたとあって、この事件は大きなニュースとして新聞の一面に取り上げられた。
死体があったのは、最も高価なコレクションがしまわれている最奥の保管庫。彼女は何重ものロックを解除し、開かれた金属の扉の向こうに横たわった状態で発見された。
全身丸焦げの死体からは身元が判明できなかった。わずかに、彼女は黒髪の女性であることがわかった。
現場には真っ赤な絵具の塊と、それに巻き込まれ固まった黒い髪が落ちていた。女性は何らかの理由で赤色の染料を頭にかぶり、行った先で髪が千切れたのだ。
彼女の手にはライターが握られており、自死の可能性が高いと見られている。しかし、遺体の目の前にあった絵画には傷一つなく、燃えたのは女性一人だけである。
この一件は《果樹園》に忍び込んだ経緯も、目的もわからぬことから、怪事件として世間を騒がしている。
***
わたしは新聞を折りたたんでベッドに放った。今日も一面を飾るのは《果樹園》で、見飽きたオークションハウスの管理人の顔に一瞥もくれてやるつもりはなかった。
新聞と一緒に届けられた封筒はその管理人から。
『メモ紙の一枚もないなんて言わせないからな、ヴィンセンティア。家の隅々まで探して、見つけ出せ。ベッドの下も忘れるなよ』
オークションの目玉商品となり得る作品の提出を催促する手紙だ。
ここ最近、コレクターや芸術家を賑わせているのは、テオドラという若き天才画家だ。彼女の作品は耳と目を疑う額で取引される。
その中心にあるのがオークションハウス《果樹園》。確かな伝手からテオドラの作品を集めては、資産家たちに売りさばいている。
お察しの通り、わたしはテオドラの作品の出品者で、管理人曰く「金のなる木」。けれど、わたしは画家じゃない。
テオドラは美しく、賢く、愛嬌もあった。村の男は皆彼女に恋をした。僻むことすら許さない完璧さに、女も口を噤むしかなかった。
全てにおいて劣るわたしは、「テオドラの姉」でしか存在できなかった。
あの子は奪うばかりで、わたしに何かをくれたことなんてなかった。
でも、あの子の絵は嫌いではなかった。写実的な、正確な線を描くくせに色使いは独創的なのだ。空は緑、羊の毛はオレンジ、レンガは白。
彼女の芸術は理解されなかった。村の人は変な絵を描くことだけが、テオドラの唯一の欠点だと言った。
それも去年までのことだ。
名前は忘れてしまったが、巨匠と言われる絵の世界では有名な絵師がテオドラの作品を評価した。すると、どうだろう。テオドラの絵は驚くほどの値がついた。
テオドラは一躍時の人……いや、もう人ではないから、時の屍とでも言った方が良いのかもしれない。
そう、テオドラは死んだ。三年前、十六歳という若さで。
テオドラは自らの芸術性を他者に理解されぬまま逝った。
死者の作品が日の目を見るには生きている人間に評価されなければならないのだから、皮肉なものだ。
そうだ。何もくれなかったという発言は撤回しよう。テオドラはたくさんの絵を遺してくれた。
遺産として、唯一人の親族であるわたしが全てを受け取った時は、ガラクタだと思った。処分に困って画廊に持ち込んでみたのが成功譚の序章。画廊を営む夫人はテオドラの絵を気に入って購入し、かの巨匠に自慢して見せたのだ。
世間がテオドラの絵の価値に気付いた直後、《果樹園》の管理人がオークションに出さないかと話を持ち込んで来た。妹が直接交渉をかけた時は見向きもしなかったくせに。
ああ、おかげでわたしは村一番の、どころか、州で随一の富豪女子になってしまった。
オークションの高額な手数料を差し引いても、一人では使い切れぬ多額の収入。長い余生を働かずに過ごせるほどだ。
おしゃれな街の高級なアパートへの引っ越しも決まっている。妹のアトリエ、兼、わたしたちの住処は引き払うつもりだ。地味で居心地の悪い村とはおさらばだ。
すっかり物が減った部屋を改めて見渡してみる。頭痛がする絵具の臭いも、目が回りそうなカラフルな床もなくなった。代わりに増えたのは、オークションハウスからの催促状だ。
作家は既に他界している。新たに作品が生まれないとなると、希少性によって価値も跳ね上がる。言い換えれば、木は枯れ行く一方なのだ。管理人はそれをわかっていない。
売れる物は全て売った。あの子が失敗作として完成を諦めた物から練習のスケッチブックに至るまで。売れる絵はもうこの世にありはしないと言うのに。
わたしはベッドの下に手を突っ込んだ。手に触れた大きな包みを引っ張り出し、埃を払った。引っ越しの荷物に最後に入れるつもりでいたキャンバスだ。
キャンバスを覆う布を解くと、目が焼ける程真っ赤な髪の女性が現れた。
白い肌に黒い瞳。儚げに微笑む桃色の頬。テオドラにしてはありきたりな色選び。特徴的なのは髪色くらいなものだろう。
テオドラは風景や動物の絵を好んだ。人をモデルにしたことはない。この作品を除いては。
中身が変わらず美しいことを確認すると、わたしは再び布の端を結び合わせて、絵をベッドの下に隠した。
いつ、誰に見られていたのだろう。
引っ越し目前のある日、いつものように届いた新聞を見て絶句した。《果樹園》で再びテオドラの作品のオークションが行われるらしい。しかも、彼女の自画像とされる作品の、だ。
テオドラの遺作には人物画が存在しないことは知られている。これまでのオークションでただの一度も、人が描かれた物は出品されなかったからだ。
注目のオークションになることは誰の目にも明らかだった。
わたしはめまいを起こして、ベッドのそばに倒れ込んだ。そして流れるようにベッドの下を確認する。
やはりそこに絵はなかった。
一年で得た莫大な利益で、管理人はオークションハウスのセキュリティを強化していた。オークション前夜の厳重な警備をかいくぐり、テオドラの絵を救いに行くのには苦労させられた。
赤髪の女性の無事を確かめると、わたしは胸をなでおろした。そして、もう何度も眺めたはずの絵画を前に、長い長い溜息をついた。
これはあの子の自画像なんかじゃない。この絵のモデルはわたしだ。顎の右下にある二連のほくろが何よりの証拠。
ほくろだけでは信じてもらえないだろうから、髪も染めて来た。あの子が置いて行った臭い絵具で。
自信の象徴、赤の髪。妹の目にはこれほど美しく映っていたのだと思うと、悪くない気分だ。
さて、わたしの分身を連れ帰るとしようか。
ベッドの下にいた時にはなかった、金の綺麗な額縁に手をかける。引っ張ってみたが、びくともしなかった。壁に強く固定されていて、女一人の力で取り外せる状態ではない。
顎のほくろを撫でる。ごつごつとした絵具の感触は人肌と似ても似つかないが、冷たくはなかった。
わたしだけの物でなくなるなら、燃やしてしまおう。
わたしはポケットから、ライターを取り出した。
──時の屍と、赤髪の自画像──
お読みいただきありがとうございます。
姉妹の歪んだ愛情が上手く描けていたら嬉しいです。
皆さんはどんな関係の、どんな愛情の物語がお好きでしょうか。




