表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

■第二章:廿日市のすゝめ


 年末、慌ただしく人々が行き交う街の中、私はいそいそと旅支度をしていた。

 誰もが一年を締めくくろうと駆け足で過ごすこの時期に、私はバイクの鍵を握りしめ、別の時間を生きようとしていた。目的地は広島県廿日市。道中、母方の祖父母が眠る墓へ向かい、そして父方の縁者に会いに行く——それが、この年末の旅の理由だった。

 旅といっても、メインは観光ではない。懐かしさと責任感、そして少しの寂しさを背に積んだ旅だった。


 いつもの如く朝の早い段階で家を出る。この時期は寒いから装備がかさばる分荷物が多くなるのだが、前日の段階で用意しておいてよかった。万が一の為のマグマカイロも準備万端だし、この日の為に買っておいた電熱ベストも暖かい。

 夏でも巻いているこのアフガンストールは風よけの効果もあるから持って来いだ。なんたってライダースの上からでも映えること間違いない。

 今回も、一筋縄ではいかない旅路である。本来なら最短の道を行けば済むものを、あえて遠回りし、必要のない道を選んで走る。観光や効率のためではなく、「走るために走る」旅。目的地は口実であり、ツーリングこそが理由なのだ。

 箱根を越え、静岡で三重の仲間と合流。しばし並走した後、鈴鹿市で解散。翌日からは再びソロとなり、和歌山へと南下する。早朝一番のフェリーで徳島に渡り、そこからは下道を辿って今治港へ。さらにフェリーで岡村島に降り立ち、橋を渡って呉へ、そして最終的に廿日市を目指す。効率無視の遠回り。だが、そんな無駄こそが、旅の輪郭を浮かび上がらせる。

 西湘バイパスは絶好調だった。朝の海はまだ眠そうに鈍い色をしていたが、電熱ベストが効いているおかげで、潮風の冷たさも心地よい程度にしか感じなかった。今年の冬は暖冬だと世間では騒がれていたから、このまま順調に走り抜けられるのだろうと、どこか楽観的に考えていた。

 だが、箱根峠は甘くなかった。標識に表示された気温は-4℃。その数字を目にした瞬間、背筋をすり抜ける寒気のほうが、電熱の温もりよりも先に身体を支配した。

 3重に重ねた靴下も、極厚のグローブも、寒気の前では無力だった。指先の感覚がじわじわと薄れていき、ハンドルを握る手が木の枝のように硬くなっていく。

 そして何より恐ろしいのは、峠道の霜と凍結だった。塩カルを撒いた白い路面は、遠目には凍結と区別がつかず、次の一瞬にタイヤが滑るかもしれないという緊張が胸を締め付ける。過去の記憶が甦る。冬の菰野の山を原付で走り、圧雪路に突っ込んで盛大に転倒したあの瞬間。あの時の痛みと冷たさが、まだ身体に刻まれている。

 学んだはずだった——二輪で雪道に挑んではいけないと。けれど今は、その回避すら許されない道を進むしかなかった。

 じわじわと峠を下るたびに、背後から車の列が迫ってきた。譲っては走り、また譲っては走りを繰り返す。ハンドルを握る指先はもはや感覚を失い、慎重さよりも祈るような気持ちでブレーキをかけるしかなかった。

 ようやく下界にたどり着いたときには、体力も気力も使い果たしていた。痺れる手を動かしながら、赤い看板が目に飛び込んできた。二十四時間営業のラーメン屋。ためらいもなくその暖簾をくぐった。

 丼から立ちのぼる湯気に顔を近づけた瞬間、全身に染み渡るような安堵が広がった。ガツンと来る塩味、押し寄せる脂の波。暴力的ともいえる味わいは、冷え切った身体を容赦なく温めてくれる。レンゲを口に運ぶたび、凍えていた心臓まで解けていく気がした。

 この日ばかりは、人の温もりよりもラーメンの温もりの方が何千倍もありがたく思えた。


 身体の芯まで駆け巡る暖かさを手に入れた私は、もはや無敵の気分だった。胃袋に灯った火が、そのまま私自身のエンジンのピストンを叩き起こす。ラーメンの熱が胸の奥で脈打つたびに、体もバイクも再び走り出す準備を整えていた。

 合流地点まで向かうものの、圧倒的にこちらの到着が早い。気づけば静岡に突入し、余裕を持て余すことになった。

 そんな時間を想定して、ひそかに用意しているものがあった。コンパクトな釣り具一式だ。旅先でぽっかりと空いた時間、海が近いなら迷わず竿を出す。スーパーでエビを仕入れ、蒲原付近の堤防へと足を運んだ。

 海風は骨の髄まで冷える。正直、こんな寒い日に魚が釣れるはずがないと気休め程度に考えていた。ところが、竿を垂らして間もなく、小気味いい引きが腕を震わせた。

 引き上げればカサゴ。続けてまたカサゴ。さらにタカノハダイ、カサゴ、イシダイまで——。

 「なんでだよ」と笑ってしまう。持ち帰れない時に限って、魚は面白いほど釣れるものらしい。竿先に走る振動と、波の音と、吐く息の白さが溶け合って、旅の余白が一枚の風景画のように広がっていった。


 納竿を告げるかのように、最後に釣れたのはゴンズイだった。ぬるりとした体を外して海へ返したところで、ポケットの中でスマホが震える。

 画面を見れば、仲間からの着信。待ち合わせ場所も何も、ろくに決めていなかったことを思い出す。咄嗟に口をついて出たのは「日本平で落ち合おう」という一言だった。

 しかし、言ってから気づく。蒲原から日本平までの距離を、すっかり忘れていたのだ。

 慌てて釣り具を片づけ、残ったエビは海のお魚さんたちにそっとおすそ分けして、堤防を後にする。エンジンをかけると同時に、彼らはすでに清水ICを降りたところにいると知らされる。

 ——早く出発したはずなのに、結局待たせることになってしまった。

 旅というのは不思議なものだ。余裕を持ったはずの時間が、思わぬところで溶けていく。逆に、切羽詰まった状況でも意外と辿り着けたりする。計画と現実のあいだには、いつも小さなズレが生じる。

 そのズレこそが、旅を旅たらしめているのかもしれない。


 この年末のツーリングはほぼ毎年続いている伝統行事の様なものだった。私が故郷を離れてからは中間地点の浜松で落ち合うことが多かったのだが、いつもこちらが長い距離を走っているので文句を垂れて、半ば無理やり来させた様なものだった。


 静岡へは何度も来てもらってはいるものの、東側をちゃんと走るのは久しいことだった。三保の松原しかり、日本平しかり、静岡はジオスポットの宝庫で、富士山の恩恵を受けている。

 私からしてみれば見慣れた大きな山でも、普段見ない人間にとってはとても新鮮であったのだろう。

市内を散策して、その日はそのままビジネスホテルで1泊することになった。

早いうちから大風呂につかり、近場のスーパーで手に入れた惣菜と刺身、缶チューハイで乾杯したのだ。

メニューはマカロニサラダ、焼き鳥、鶏皮揚げにタチウオの刺身。それからタレメンチだった。

このタレメンチと言うのが仲間の1人である伊藤さんの好物なのである。

彼とも新潟に行ったことがあるのだが、その時にえらく気に入ったようで、以降見かける度に買っている。


男同士というのはなんとも気楽で、こうして好きな物をボンボン寄せ集められるし、ほぼまっ茶色の食卓でも気にしない。

ともすればこういう場の集まりで、ローカルスーパー飯でも許されるのだ。

以前私は、見知らぬ人のSNSの投稿で、旅先のホテルにて、スーパー飯の写真と共に”こんなものが良いのだよ”というコメントがすこぶる叩かれているのを見たことがある。

旅先でそれはないとか、貧乏臭いとか、はたまた持ち込むこと自体が論外だとか。

明らかに禁止しているようなところであればわかるのだが、これが叩かれる理由が私には分からない。

むしろローカルスーパー飯の美味さ、真髄を知らずに人生を送る方が可哀想だなと思う。

マイヤ、リオンドール、ヤオコー、ベーシック、サンシ、ユアーズ、ハローズ、ラ・ムー……

世の中には数多のスーパーがあり、その土地土地で好まれる味付けも違う。

本当にその土地を堪能したいのであれば、1番ローカルスーパーのお惣菜が理にかなっている。

常識的な時間で、常識的な範疇で、他人に迷惑をかけまいとする楽しみ方の何が悪かろうかと思うのだが間違いなのであろうか。

まあ、そんなのはさておき、男は馬鹿な生き物だ。必死でペイチャンネルを見ようとするも、ここは有料チャンネルだった。

無料のエロを何としても見たかった我々は後輩のりきちゃんが持ってきていたタブレットで、10円セールの時に買い込んだ動画を見る。

男が集まって泊まるとなると、終始修学旅行になるのが関の山。自然の摂理と言えよう。

こう思うと、男とは最低で最高な生き物だ。

もしまた修学旅行があるのならば、あの頃と寸分違わず木刀を買おうと思っている。

夜が更け、そんなズッコケ3人組は各々の部屋へ戻っていく。おっさん同士で同じベッドはゴメンだからね。

翌朝、朝日を眺めながら熱っつい風呂にぱぱっと浸かった後、各々に準備を進めバイクに荷物をみ込む。

「あれ?荷物少なくね?」

はい、よくぞ聞いてくれました。今回の旅では服をほとんど持ってきてないのです。

旅先で洗濯して着回すことにより荷物を減らす作戦に出た。

とは言えど、ツアラー仕様でリアボックスの上に薄いホームセンターボックス、リアシートに40Lほどのホームセンターボックス、サイドボックスと積んでいたため、積載はMAXだ。

だが、その中のほとんどは空で

メインで使っていたのはリアシートのホームセンターボックスである。DIYも趣味っちゃ趣味なので、ラッシングが掛けられる取っ手付きの構造にしてあり、さらにカナビラがかけられるフックを複数箇所に着けてある。

じゃあ、空のBOXはどうするか?

聞くまでもない。ロングツーリングで極力お土産が買えるように空けてあるのだ。

荷物の固縛もラッシングベルトだけで済むので準備はすぐに終わる。

そうそうに旅立った我々の背には富士山がでっかく描かれていて、それはまるで旅立ちを見送ってくれるかのようだった。

道中、朝食の静岡おでんをいただく。黒はんぺんは欠かせない。

金沢おでん、関東炊き、京風、仙台風。どれも好きだが、やっぱりいちばんは静岡であろう。

甘い味噌に削り粉の香りがより食欲を掻き立てる。誘惑のコンチェルトを奏でてくる。

欲を言えば仙台麩が入ってると嬉しいのだが、そうなってくるともうどこのおでんだかわからない。

ここは国道1号線にある道の駅。目の前はビュンビュンと飛ばす車の数々。勝手横断は自殺の元になりうろう。


ほとんど高速だ———。


静岡県には大きな川が沢山あり、橋を渡る毎に横風に襲われる。シューベルトの魔王が居るとするならば、この地は絶好のチャンスとも言えよう。二輪車にとっては強敵である。

本来平野部を走り抜けるのには時間はかからないのだが、ここは間のサイレントヒル。進めど進めど静岡の看板。いつまでたっても爽やかな風がジューシーな香りを運んでくる。

愛知県との県境に近くなってきた頃、またも休憩を挟む。足湯のある道の駅で冷えきった足先を温める。

靴下を3重に履いてるとこういう時に不便だ。

道の駅の裏手には浜辺に出れる通路があり、3馬鹿トリオは海へと歩く。

浜で流木を拾い、チャンバラごっこをする。

その様子を爆笑しながら動画に収める。もし傍から見たなら、間違いなく「3馬鹿」と呼ばれただろう。

やがて笑い疲れた私たちは、大きな流木に腰を下ろし、静かな海をただ眺めていた。

波音の合間に、まだ笑いの余韻が残っていた。


そうして夢を語り合った。———そんな日常。




さて、そこからはとりあえずひたすら走り続ける。インカム越しにバカ騒ぎしながら進み続け、鈴鹿へ到着したのは20時頃。


 今日は大晦日、二人は津市へと帰っていき、一人ビジネスホテルで過ごす夜。またもスーパーによって夕飯を買い漁る。小さなおせちセットがすでに半額になっていた。

 独りで過ごす大晦日、除夜の鐘を聞きつつ日本酒を味わい、床に就く。


 翌朝、いつもの如くアルコールチェックは問題なくクリアし出発する。


 故郷の町は目と鼻の先なのだが、立ち寄っている暇はない。この日は青山高原にある父方の祖父母の墓地の墓参りをし、そのまま青山を抜け名張を進み、奈良を経由して南下していく。

 三重の田舎、奈良の田舎はとことん田舎で、みんなが想像するお伊勢さんや東大寺なんていうのはほんの一角。その近辺を過ぎ去れば山々に囲まれた土地である。

 さすがは元旦、山越えをしようというような無粋な輩は私以外ほとんどおらず、すさまじいスピードで進んでいった。

 昼飯を食おうにも店がないので、コンビニでどん兵衛を買う。西の味付けのどん兵衛は、舌に馴染みがない。けれど、その違和感が妙に新鮮で、旅をしている実感を運んでくる。


 ガラガラの京奈和道は快適だった。これが無料だというのだから、東名を走っている人が効いたら嫉妬に狂いだすだろう。

 

 和歌山には早いうちについた。三重での墓参りをゆったりとして来てでも到着は14時程度。体感ではかなり遠く感じたのだが、時間は正直に物語っている。

 

 早々にチェックインを済ませ、あたりを散策する。和歌山城下の神社で初詣を済ませた後、そのまま天守閣を登る。

 見下ろす街並みに、かつての天下統一の夢が重なる。日が傾き、太陽が海に沈む瞬間は、まさにオレンジのダイヤモンドだった。


 ———腹が、減った。


 天守閣を駆け下り、地上に降り立つ。ご当地のモノを味わおうと街へと繰り出すと…。


 どこもやってないのだ。それもそのはず。この日は元旦。シャッターが閉まる街並みに途方に暮れる。地元民も歩いていないので、誰に何も聞きようがない。

 誤算であった。冬の旅の致命傷をここで知ったのだった。そりゃそうだ、私のような社会の家畜である会社員が休みなのだから、どこの誰でも大概休みなのだ。不本意ではあるが、夜もコンビニへ行く。こんな時でもやってくれているコンビニへの感謝の気持ちを抱きながら、大きく会釈。何とか夕飯にありつけた。


 しかしまあこれが後2日続くのか…。そんな一抹の不安を抱えながら、寝た。

 翌朝、まだ薄暗い港に着くと、私のバイクは先頭に並んだ。吐く息が白く広がり、甲板の照明がその煙を照らす。エンジンを切ると、静寂の中に潮の匂いと波の音だけが残る。

  やがて続々と車両が集まり、列はあっという間に埋まっていった。人も車もそれぞれの思いを抱えて、この海を渡ろうとしている。

 船の腹が開き、私たちはゆっくりと飲み込まれていく。暗がりのランプウェイを進むその瞬間、旅がひとつの区切りを迎え、次の幕が上がるように感じた。

 こんな大型のフェリーに乗るのは初めてだった。興奮を抑えきれず、私は甲板に出て潮風を浴び続けた。鼻を突く潮の匂い、頬を切る冷たい風、遠ざかっていく紀州の山々。近くて遠い淡路島の影が水平線に滲み、まだ見ぬ徳島の港へと思いを馳せる。

 約二時間の航海を終え、船は徳島の港へと滑り込む。スターンランプが降ろされ、私はバイクを走らせ、降りた。潮の香りは同じなのに、空気の匂いがどこか違う。四国の地に、初めて足をつける。

 思いのほか栄えている街並みが、朝の光に照らされてサングラスに反射する。

 ——知らない土地の朝に立っている、というだけで胸が高鳴った。


 高鳴った期待を胸に海沿いの道をゆったりと走り出す。陽の光が心地よく、とても真冬とは思えないほど快適であった。

 道のいたるところにさつまいもの無人販売がある。徳島らしい特性がこういったところにも出ているのがまた面白い。

 右手には海、左手にはローカル線、並走する姿を俯瞰で見てみたかったものだ。

 やがて香川県に入る。おなかが減るも、三が日であることを思い出す。昨夜の悲しみを胸に諦めモードで周囲を見渡すと、もうもうと湯気が上がっているところがある。

 温泉か?と思い、横目に通り過ぎようとすると、どうやら違う。暖簾の前には数組の列。

ミラー越しに看板を見ると”う ど ん”の3文字。小麦粉のオアシスがそこにあったのだ。

すぐそこのバス停で折り返してうどん屋に直行する。店の外まで香る強い小麦の香りと天ぷらの揚がる香ばしさに腹の虫がなる。

 注文したのは冷たいぶっかけに、ごぼう天とかき揚げ、そして昆布おにぎり。

 冷えた麺は透き通るように白く、噛めばぎゅっと歯を押し返してくる。しなやかさと力強さが同居したその食感に、思わず息をのんだ。冷たいはずなのに、心の底から温まっていく。

 ごぼう天は噛むたびに土の香りが鼻に抜け、かき揚げはサクサクと油の甘みを残す。素朴な昆布のおにぎりを頬張れば、海の塩気とだしの香りが重なり、口の中で旅の記憶がひとつの景色になる。

 ——こんなものが三が日の朝に開いていてくれたこと、それ自体が救いだった。

 ただの空腹を満たすためではなく、走り続けるための「燃料」として、香川のうどんは私を支えてくれた。

 丼を空にしたあと、思わず小さく手を合わせる。

 ありがとう香川、ありがとう小麦。旅人にとって、あなたは神社より先に拝むべき存在かもしれない。


 満ち足りた腹を抱えたまま、再びエンジンをかける。香川の空気はどこか柔らかく、うどんに救われた余韻をそのまま風が運んでくれるようだった。

 ここで一本の連絡があった。一人九州を目指していたバイク仲間が、どうやら岡山でバイクを壊したらしく、急きょお遍路に切り替えており、付近を練り歩いていたのだ。

 「さぬき市で落ち合おう」

 そう連絡をもらい、私はハンドルをそちらに切った。

 待ち合わせ場所に着くと、懐かしい姿があった。バイクの代わりに手には遍路杖を携えている。その姿は、どこか頼もしく、同時に旅人の哀愁を帯びてもいた。

  三重から持ってきた土産を手渡すと、彼は満面の笑みを浮かべた。

 旅先で差し出すちょっとした贈り物は、独特な重みを持つ。ふるさとを分け合うような感覚があった。


 元陸上自衛隊の彼は、やはりタフだった。バイクに積んであった寝袋ひとつを背に、わずか一日で香川をほとんど踏破していたという。宿泊も寝袋だけで野宿と聞き、並大抵のことではないと驚かされた。しかもそれを笑い話にしてしまうのだから、なおさらすごい。

 香川の空の下、うどんの余韻と仲間の笑顔。走ることばかりに夢中になっていた心が、不意に立ち止まる。——旅とは、ただ前に進むことではなく、誰かに何かを手渡すことでもあるのだと、そのとき実感した。



 だが、ずっとこうしてはいられない。私はこの日のうちに今治まで走らなければならなかった。時計の針はすでに14時を回っている。

 空はまだ青いが、冬の日は思いのほか短い。のんびりしていれば、すぐに闇が追いついてくる。

 別れ際の余韻を惜しみつつも、私は再びハンドルを握った。ここからは、ほぼノンストップで走り切るしかない。

今治に着いたのは20時頃だった。道中のマルナカでご当地の缶チューハイと刺身を揃え、宿へと向かう。ここでも三が日にやってくれていたことに感謝を忘れ

この近辺はお遍路のコースのため宿はかなり安く、気さくなおっちゃんがおおい。

 フロントにいたのは、声の太いおっちゃんだった。皺だらけの笑顔に酒焼けした声で、「遠くから来たんか」と声を掛けてくる。手続きなんてものはあっという間に終わり、気づけばカウンターの奥から一升瓶を持ち出してきて、「飲めや」と差し出された。

 さすがに躊躇したが、強引さよりも人懐っこさの方が勝っていて、気づけば買ってきた缶チューハイと一升瓶を並べて乾杯していた。話題は尽きない。昔の港町のこと、若いころの放浪の話、そして旅人が減った今でもこうして訪れる人がいるのが嬉しいということ。



 「俺もな、若いときゃよう走っとったんや。今はもう無理やけどな。けどこうしてあんたみたいなのが来てくれると、昔の血が騒ぐんよ」

 豪快に笑いながらも、その瞳の奥にちらりと寂しさがのぞいた。

 ただの酒好きな地元民、そう思えばそれまでだ。けれど彼の言葉には、旅人を迎え続ける者だけが持つ重みがあった。酔いが回るにつれ、笑い声と潮の匂いが混じり合い、知らぬ土地にいるはずなのに、不思議と「帰ってきた」ような安心感を覚えた。


 翌朝はもっと早い出になった。せきぜん渡船は本数が少ない。しかも船が小さいから、早出じゃないと乗れないと考えた。たらふく飲んだと思ったが、いつもの如くアルコールチェックは問題なかった。若さとは恐ろしいものだ。

 お墓があるのは広島のTHE・島。今治よりフェリーで岡村島に渡り、橋を越えた先にある大崎下島というところだ。フェリー乗り場の道中にある24時間営業のハローズでしきびを買い、今治城を横目にフェリー乗り場へ向かう。

 昨日の南海フェリーとは違って、並びはほとんどなかった。

 待合所のスピーカーから、出航を知らせる乾いたアナウンスが流れる。港の空気はひんやりとしていて、潮と油の匂いが入り混じっていた。船員が手を挙げ、こちらに合図を送る。

 誘導に従ってランプウェイへと入る。鉄板の上にタイヤが乗った瞬間、ギシリと古びた音が響いた。南海フェリーの堂々とした重厚感とは違い、ここにはどこか心もとない響きがあった。だが、その頼りなさがむしろ無骨な旅の匂いを濃くしてくれる。

 サイドスタンドを立てると、鉄の床にカン、と乾いた音が走る。少し歪んだ鉄板の感触がブーツ越しに伝わり、ここが海の上であることを改めて思い知らされる。

 周囲に並ぶ軽トラや古いワゴン車も、どこか地元感を漂わせていた。観光というより生活のために海を渡る人々。その中にぽつんとバイクを停める自分は、まるで風景に紛れ込んだ異物のようでもあり、同時に旅の一部として受け入れられたような気もした。

 大きな船室で感じた安心感とは違い、この小さな船は揺れればすぐに伝わってくるし、波音も甲板を直に叩いてくる。だが、その粗さこそが「旅をしている」感覚を強く刻んでくれる。


 甲板に出ると、冷たい風が頬を叩いた。小さな船体は波に合わせてかすかに揺れ、エンジンの低い唸りが鉄板を伝って足元から響いてくる。南海フェリーの大船にはない、無骨で素朴な響きだった。バイクで例えるならば2ストエンジンの荒々しい力強さ。吐いた煙に、オイルのにおいが混じりけたたましく海を割いて渡る。

 潮風に目を細めて海を眺めていると、隣に腰かけていたお爺さんが声をかけてくれた。孫だという若い女性も一緒で、どうやら地元の人らしい。

 「ほら、あれが来島海峡第三大橋じゃ。瀬戸内はこうして島と島をつないでくれるんだ」

 指さす先に、湾をまたぐように橋が架かっている。お孫さんが補足するように微笑みながら言った。

 「波の向き、さっきと違うでしょ? ここは水位が変わるから潮流信号で船を動かすんです。慣れないと難しいんですよ」

 なるほど、と頷きながら視線を海に戻すと、確かに波頭の流れがさっきとは逆向きになっていた。教えられなければ気づかなかったであろう変化に、胸の奥が少し熱くなる。旅はただ走るだけではない。こうして土地の人から言葉を受け取ることで、見えていなかった景色が立ち上がってくる。

 やがて船は穏やかな瀬戸内を滑るように進んでいった。橋の影が海面を横切り、波の色が一瞬だけ濃く沈む。その様子を夢中で見ていると、お孫さんが少し照れたように声をかけてきた。


 「よかったら、一緒に写真どうですか?」

 差し出されたスマホのレンズに、三人の笑顔が収まる。潮風と船の音に包まれた一枚は、観光写真でも記念撮影でもなく、ただ旅の途中で生まれた小さな縁を閉じ込めたものだった。

 フェリーを降りると、島の空気が違った。潮の匂いは同じでも、どこか湿り気を帯びたやさしさが混じる。鼻先をかすめる風が、懐かしいようで胸を締めつける。あの日の夏の匂いだろうか。子どもの頃に駆け回った道筋が、波間の光とともに脳裏をゆっくりと横切る。僕はエンジンを止め、しばらく海を見ていた。まるで時間が幾重にも重なっているような感覚があった。今と昔が帆布のように並んで、どこかで縫い合わさっている。


 島を回る道は記憶の地図だった。ばあちゃんの家へ続く海沿いの道、夏休みに釣り糸を垂れた小さな岸壁、廃校の正門の大きな校庭——どれも色褪せてはいるが、手に触れられそうなほど鮮明に蘇る。腐り落ちた百葉箱に、青さびの浮いた二宮金次郎像がぽつりとたたずむ光景は、まるで歴史の遺産そのものだ。かつて子どもたちの声が響いたであろう校舎は、今や風と雨にさらされて沈黙している。


 廃校の前でバイクを止めると、錆びた門扉が不意に風に鳴った。カン、と乾いた金属音が響き、遠い夏の日に帰ったような錯覚を覚える。窓ガラスの一枚が割れ、体育館の屋根には落ち葉が層をなし、苔むしたコンクリートに影を落としている。人の気配は、もうない。祖父母の家屋は、その廃校の向かいにあった。屋根の瓦はところどころ失われ、戸は閉ざされたままだ。だれも住んでいない家が、昔のままの佇まいでそこにいる。かつて居間の椅子に腰をかけたばあちゃんの姿、畳に寝転んで笑っていたじいちゃんの声——記憶の匂いだけが、まだ生きているかのように漂っていた。


 夏の午後、じいちゃんと釣りをした岸壁の風景がよみがえる。じいちゃんはとにかくおしゃべりで、糸を垂れながらも絶えず話しかけてきた。海の話、魚の話、村の噂、昔の笑い話——どれも取り留めのない話だったけれど、その声を聞いているだけで安心した。魚がかかった瞬間、竿を握る僕に「おお、来たぞ!」と大声で叫び、子どもだった私をさらに慌てさせては笑っていた。僕が必死に竿を引く様子を見て、じいちゃんはまるで自分の手柄のように誇らしげに笑っていた。その笑い声は、海風よりも強く胸に焼きついている。

 墓前に立つと、島の空気は一層澄んでいた。季節の匂いに線香の香りが混じり、柔らかな風が背中を押す。墓石に触れると冷たく、その冷たさがじいちゃんやばあちゃんの不在を実感させた。持ってきた線香に火をつけ、長く手を合わせる。言葉は出なかった。出すべき言葉も、逆にいらない言葉も、両方がそこにはあった。頭の中は遠い日の光景でいっぱいになり、気づけば胸の奥に溜まっていたものがゆっくりと溢れ出していた。

 5年程前——役者をしていたころの自分の姿が、重なるように浮かぶ。昼はITの仕事、夜はホスト、合間に舞台や撮影。落語の小屋で笑いを取った翌日には、知人の動画編集を手伝い、さらに週末はエキストラやモデルの仕事で現場を駆け回る。生きるために、何でもやった。誇りがあるようで、どこかむき出しの生活だった。汗と眠気にまみれ、夢と現実の境界を見失っていた時期だ。

 あの日、ばあちゃんの最期に間に合わなかった。確か、その日は新人声優の宣材を撮るためにカメラをかかえ走り回っていた。風景を撮るのが好きだった自分が、人を撮ることを選んだのは生活のためだった。シャッターを切るたびに、胸のどこかで「これは本当にやりたいことか?」と問い続けていた。そうやって選んだ仕事が、自分の手の届かないところでばあちゃんを送り出したのだと知ったとき、言葉にならない後悔が襲ってきた。

 ばあちゃんは、最期まで私の出ていたドラマを見てくれていたらしい。オカンがそう教えてくれたとき、嬉しさと同時に自責が胸を突いた。やっていてよかったと思う一方で、「そのとき」に駆けつけられなかった自分が許せなかった。私がカメラから距離を置いたのは、それが理由だったんだと思う。信念を曲げてまで、何を追っていたのか。夢を生きているはずなのに、どこかで自分を失っていた。

 線香の煙がゆらゆらと立ち昇り、青空に溶けていく。その揺らぎを見つめながら、僕は思った。過去は私を裁くためにあるのではない。過去は、ただ形を変えて私に何かを伝え続けるだけなのだ。ばあちゃんの笑顔も、じいちゃんのおしゃべりも、すでに届かないはずのものが、こうして今も私を生かしている。

 目を閉じると、波の音が遠くで囁いた。祖父母の家の方角から、夏の虫の声がまだどこかで生きているように聞こえる。あの頃と今が、島の空気の中で静かに混ざり合う。そっと目を開け、墓石にもう一度手を当てた。冷たさが骨の奥に染み込み、それでも不思議と温かかった。


  橋を渡り、呉の街を抜けて広島市街へ。造船所のクレーンが並ぶ港を横目に走ると、鉄の匂いが風に混じって鼻をくすぐる。子どもの頃、社会科見学で見たような風景に一瞬引き戻される。

 叔母の家を訪ねると、従兄弟たちが待っていた。三人兄弟のうち、その日は長男が不在だったが、残る二人は変わらぬ笑顔で迎えてくれる。互いに大人になった顔を眺め合いながら、昔の話に花が咲く。苦しかった頃の自分の話をすると、「よく腐らずここまでやってきたな」と肩を叩かれた。その一言に、妙に胸が熱くなった。遠くとも血の繋がりがあるからこその率直さと、同じ時間を生きてきた者だけが持つ重みが、そこにはあった。

 再びバイクに跨り、廿日市へ向かう。次に訪ねたのは父方の祖母の妹――大叔母の家だった。出迎えてくれた顔が、亡き祖母に驚くほどよく似ていた。笑いじわの刻まれ方や目元の優しさまで、記憶の中の祖母と重なり、胸の奥に切なさがこみ上げた。

 「もし祖母が認知症にならず、最後まであの笑顔のままでいてくれたら」と考えてしまった。現実にはどうしようもないことだと分かっているのに、心のどこかで「もうひとつの世界線」が確かに存在している気がしたのだ。あの優しい声で「よく来たね」と言われたかもしれない。正月のこたつで「もう一個食べなさい」と言いながら、手渡しのみかんを笑顔で差し出してくれたはずだ。白い息を吐きながら、台所で煮しめの鍋をのぞき込んでいた姿も思い浮かぶ。そんな「もうひとつの世界線」が確かに存在しているような気がして、胸を温めると同時に締めつけた。

 仏壇に線香を手向けると、いくつもの記憶が一気に押し寄せてくる。大叔父にゆめタウンへ連れて行ってもらった日のこと。あの人の笑い声が隣にあるだけで、退屈な買い物が遠足のように楽しかった。日曜の「笑点」を見る習慣も、嫌いだったソラマメを食べられるようになったのも、大叔父の影響だった。思えば、落語を好きになり、専門学校で落研を立ち上げたのも、有名な噺家の前座に立つ機会を得たのも、すべては大叔父が笑点を好んでいたことに始まるのかもしれない。

 ふと記憶の底から、ゆめタウンの駄菓子屋の光景が蘇った。大叔父に連れて行ってもらい、棚に並んだ色とりどりのお菓子に目を輝かせた幼い自分。中でもひときわ欲しかったのは、持ち手に金平糖が詰められた小さな風車だった。あの時、大叔父は何も言わずにそれを手に取って買ってくれた。回すたびにカラカラと軽やかに鳴る風車の音、握った柄の中で転がる甘い砂糖の粒。あれを口に入れたときの優しい甘さが、今でも舌の奥に残っている気がする。

 回る風車を見つめる自分と、仏壇の前で線香を見つめる自分が、一本の糸で結ばれているように感じた。人は出会いと別れを繰り返し、記憶の中で形を変えながら、何度も縫い直されていく。もし祖母が健やかなままだったなら、もし大叔父が今も生きていたなら――そんな「もし」ばかりが頭をよぎる。けれど、今こうして過去を抱きしめ、感謝の言葉を胸に置ける自分がいる。それもまた、ひとつの答えなのだろう。

 線香の煙は静かに立ちのぼり、やがて細い筋となって天井へ消えていった。残された香りが部屋に漂い、まるで亡き人々が「まだここにいるよ」と語りかけてくるようだった。私は長く目を閉じ、深く息を吸った。鼻腔を抜ける線香の香りに、風車の金平糖の甘さが重なり合う。過去と今とがひとつに融け、心の奥に確かな余韻を刻んでいった。

 失われた人たちの影響が、今も自分の中に生きている。声や仕草や小さな癖が、気づけば自分の中に根を下ろしている。思い出すたびに胸は締めつけられるが、それと同時に確かな温もりもあった。

 長い時間、仏壇の前で目を閉じていた。線香の煙が細くなり、やがて消えていくのを見届けると、心の中に不思議な静けさが宿っていた。過去と今が重なり合い、胸の奥に刻まれていく。

 外に出ると、冬の夕暮れが廿日市の街を淡く染めていた。遠くに見える宮島の鳥居は、夕日に照らされてより一層赤々としていた。坂の上から見下す風景は、灯りがひとつ、またひとつと灯っていく。私はヘルメットをかぶり直し、再びエンジンをかける。鼓動のような振動が胸に重なり、旅がまだ続いていることを告げていた。

 その夜は広島市街地へ戻り、ホテルに身を寄せることになった。だが、その帰り道に何があったかは——機会があれば語ることにしよう。


毎年の如く年末はバイクで走っておりますが、年々寒さに耐えられなくなってきましたね……。


しかしながら冬は冬で違う顔を持つ街並みを流すと、それはそれで楽しいもんです。


電熱ベストなんていう文明の利器がありますが、昨今では電熱グローブや電熱パンツなんてあるそうで……


進化が著しくおいちゃんついていけません。


対して夏はまだ扇風機の着いた空調ベスト止まり。あれはあれでいいんですが、電熱ベストと比べるとまだまだ改善の余地がありそうですね。


いつの日かクーラー、温熱切り替えられる服が出来ることを願ってます。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ