『女性らしさ』がなければいけないですか?
テンポ早めです!
「アンジェラ・フォン・アスター! またそのような場所で何をしていらっしゃるの!」
ヒステリックな声に、私はひらりと枝から飛び降りた。ふわり、と着地は完璧。
「あら、マナー講師のダリア先生。ごきげんよう。木の上から見る中庭も、なかなか乙なものですよ?」
私が淑女のカーテシーとは程遠い、雑な会釈をすると、ダリア先生は扇で顔を覆いながら「ああ、頭が痛い…!」とよろめいている。
私の名前はアンジェラ・フォン・アスター。子爵家の長女で、現在16歳。
そして、今私がいるこの場所は王国の貴族子女が集う、由緒正しき「王立マグノリア学園」。
そして、ここは「婚約者を見つけるための学園」でもある。
この国では、貴族は学園在学中に婚約者を決めるのが古くからの風習だ。もちろん、家柄や権力も大事。でも、それ以上に重視されるものがある。
それは「女性らしさ」。
刺繍や裁縫が完璧なこと。
ダンスや楽器の演奏が優雅であること。
控えめで、一歩下がり、男性を立てる柔和な物腰。
なぜ、こんなにも「女性らしさ」が求められるのか。
それは、数百年前に遡る。
この国が「大厄災」と呼ばれる内乱と飢饉で分裂しかけた時代。当時の国王は剛腕で知られたが、強引な政治が諸侯の反発を招いていた。
そんな中、当時の王妃――ソフィア妃は、決して政治の表には立たなかった。けれど、彼女は刺繍の会やお茶会を主催し、対立する諸侯の夫人たちを根気よく招き続けた。彼女の柔らかな物腰と、慈愛に満ちた対話は、凍り付いた人々の心を解きほぐし、やがて夫人たちを通じて諸侯の和解を取り付け、国を内側から救ったという。
以来、「女性の柔和さこそが国を支える礎」という思想が絶対のものとなり、歴史がそれを証明した、とされている。
だから、この学園の殿方は、皆、ソフィア妃のような「おしとやかで、庇護欲をそそる女性」を妻に求めるのだ。
…という歴史的背景は、もう耳にタコができるほど聞かされた。
そして、私はというと。
「まったく、アスター子爵令嬢。貴女はそのような美しいお顔立ちをしていながら、どうしてそう、淑女の欠片もない行動ばかり…!」
ダリア先生の言う通り、自分で言うのは恥ずかしいけれど私の容姿は少しばかり恵まれていた。
陽光を溶かしたような金糸の髪。父譲りの、夏空みたいな碧眼。何もしなくても男たちが振り返るほどの「見た目」は持っているらしい。(これは友人が言っていた)
だが、中身がこれだ。
刺繍より剣の素振り。
お茶会より馬で駆け回ること。
男性を立てる? 冗談じゃない。間違ってると思ったら相手が王族だろうが噛み付いてしまう。
「アンジェラ、またダリア先生を困らせてるのか」
呆れたような、でも面白そうな声。
振り向くと、そこにはこの国の最高権力(の卵)たち。
金色の髪を輝かせているのが、アルフォンス王太子殿下。
その隣で、黒髪を冷ややかに流しているのが、セドリック公爵令息。
「ごきげんよう、殿下、セドリック様。私は先生を困らせてなどいません。ただ、木の上で風の涼しさを感じていただけですわ」
「木の上に登ること自体、淑女の行動じゃないと言っているんだ、アンジェラ」
アルフォンス殿下が、わざとらしくため息をつく。
「アスター子爵家の令嬢ともあろう者が、木に登って猿のように枝から枝へ飛び移る令嬢がどこにいる。もう少し、淑女らしくしたらどうだ?」
「まぁ、殿下。私は猿ではありません。猫ですわ。しなやかに着地しましたでしょう?」
「そういう問題じゃない!」
「…相変わらず、口だけは達者だな」
セドリック様が、氷のような視線で私を一瞥する。
「その口車とお前の『女性らしくない』振る舞いが、どれだけアスター子爵家の価値を下げているか、理解しているのか?」
カチン、と来た。
「セドリック様。私の振る舞いが気に入らないのは結構ですが、実家の価値云々を言われる筋合いはありません。私は私。それ以上でも以下でもありませんわ」
「ほら、そうやってすぐに噛み付く。だからお前は…」
彼らの言葉は、ナイフみたいだ。
確かに、私は「女性らしく」ない。それはわかってる。
でも、彼らはいつもそうだ。私を「淑女じゃない」と揶揄する。
分かってる。彼らは「女性らしい」女性を求めていて、私のようなタイプは目障りなんだろう。
「…失礼いたしますわ」
これ以上ここにいても不毛だ。
私が背を向けると、後ろから「おい、アンジェラ!」、「まったく、可愛げのない…」という声が聞こえた気がしたけど、無視した。
「もう、ひどいと思わない!? エリーゼ!」
私は、学園のテラスで、親友のエリーゼ・フォン・ブラウン(伯爵令嬢)に向かって、先ほどの鬱憤をぶちまけていた。
エリーゼは、私の数少ない理解者だ。栗色の髪をふんわりとさせた、いかにも「女性らしい」癒し系の彼女は、私の愚痴をいつも黙って聞いてくれる。
「まあまあ、アンジェラ。落ち着いて。…また殿下たちに何か言われたのね」
「そうなのよ!『猿』ですって! ひどくない!?」
「ふふっ。アンジェラは猿じゃなくて、綺麗な猫ちゃんだものね」
「もう!エリーゼまで私を揶揄ってる!」
「でも、アンジェラ」
エリーゼは、淹れたてのハーブティーを私に差し出しながら、困ったように微笑んだ。
「殿下もセドリック様も、本当はアンジェラが羨ましいのかもしれないわよ」
「え?」
「だって、あのお二人は『王太子』と『公爵令息』で、いつも立派でいなきゃいけないでしょう? アンジェラみたいに、自由に振る舞えることが、少しだけ眩しいんじゃないかしら」
「…買いかぶりすぎよ、エリーゼ。あの人たちがそんななこと考えるわけないわ」
エリーゼの優しさが心に沁みる。
でも、学園の令嬢たちの多くは、エリーゼとは違う。
「きゃっ!」
廊下を歩いていると、突然、すれ違った令嬢が持っていた水差しの中身が、私の制服にかかった。
「ご、ごめんなさい! 手が滑って!」
白々しい。どう見てもわざとだ。
取り巻きたちがクスクス笑っている。
「まぁ、アスター様。またそんなにはしたない格好(木登りで制服が少し汚れていた)をされて」
「本当に。いつも木登りしたり、剣術の訓練場を覗いたり…目立ちたがり屋ですこと」
私が何か言い返そうとする前に、彼女たちは「あら、失礼」と去っていく。
濡れた制服が、じっとりと肌に張り付いて冷たい。
これが日常。
私は、この学園で浮いている。
型破りな行動が目立ちすぎるせいで、令嬢たちからは嫉妬の対象に。(この見た目もあるかもしれないけれど)
かといって、殿方からは「おてんば」と敬遠されるか、揶揄われるか。
「(…私だって、好きでおてんばなわけじゃない)」
いや、好きかもしれないけど。
でも、こんな息苦しい場所で、自分を偽ってまで「女性らしさ」を演じたくない。
そう思うのは、そんなに間違っていることなんだろうか。
そんなある日の昼休み。
食堂(貴族専用)は、いつも通り、令嬢たちの華やかなドレスと、高慢な会話で満ちていた。
私とエリーゼが、いつものように隅の席で昼食をとっていると、入り口が俄かに騒がしくなった。
「…あ、あれって…」
エリーゼが声を潜める。
入ってきたのは、見慣れない男子生徒だった。
貴族の制服とは少しデザインが違う、簡素だが清潔な服。
すらりとした長身に、黒曜石のような黒い髪。鋭いが、どこか憂いを帯びた瞳。
(…すごく、綺麗な人)
アルフォンス殿下やセドリック様とは違う、高貴とはけして言えないが野生的な、そして研ぎ澄まされた刃物のような雰囲気を持っていた。
「平民の特待生ですって」
「魔法学で、異例の首席だとか」
周りの令嬢たちがヒソヒソと噂している。
彼…特待生は、周りの好奇と侮蔑が入り混じった視線に臆することなく、堂々と配膳カウンターに向かった。
そして、トレーを持って席を探し始めたが、誰も彼を自分のテーブルに招き入れようとはしない。それどころか、わざと足を引っ掛けようとしたり、クスクス笑ったりしている。
貴族の「洗礼」というやつだ。
彼が、仕方なく一番端の、汚れたままのテーブルに座ろうとした、その時。
「おい、平民」
声の主は、マルクス伯爵令息。アルフォンス殿下の取り巻きの一人だ。
「そこは貴様の座る席じゃないぞ。ここは高貴なる我らの食堂だ。平民は平民らしく、外の家畜小屋ででも食べてきたらどうだ?」
下品な笑い声が食堂に響く。
特待生の彼――後で知ったが、名前はカイトというらしい――は、表情一つ変えずにマルクスを見返した。
「俺は、学園の許可を得てここで食事をすることを認められている。邪魔をしないでくれ」
「口答えか! この平民が!」
マルクスがカッとなって、カイトのトレーを叩き落とそうと手を振り上げた。
――その手を、私が掴んだ。
「…何するのよ」
食堂中が、シン、と静まり返った。
マルクスが、信じられないという顔で私を見ている。
「ア、アンジェラ…? なぜ、お前が…」
「見てて気分が悪かったからよ」
私は、マルクスの手を振り払った。
「彼は、この学園の生徒でしょう? それを、あなたは『平民』というだけで、食事の邪魔をし、暴力を振るおうとした。身分で人を測って、自分より下だと決めつけて見下す…そんなあなたの心こそ、よっぽど品がないんじゃないかしら?」
「なっ…! き、貴様、この俺を侮辱するか!」
「事実を言ったまでよ」
「女が男に口答えするなんて、なんて野蛮なやつだ…!お、覚えてろよ!」
マルクスは顔を真っ赤にして、捨て台詞を吐いて去っていった。
取り巻きたちも、慌てて彼を追っていく。
食堂はまだ静まり返っている。
アルフォンス殿下とセドリック様も、ちょうど食堂に来たのか、入り口付近のところで驚いたような顔でこちらを見ていた。
私は、カッと熱くなった頭を冷やすように息を吐いて、カイトに向き直った。
「ごめんなさい、騒がしくなって。…あ、トレーが」
床には、叩き落とされはしなかったものの、衝撃でこぼれたスープが広がっていた。
「…助かった」
カイトが、低い声で呟いた。
「トレーは平気だ。それより、君は…」
「私はアンジェラ。アンジェラ・フォン・アスター。あなたも、大変だったわね」
「…カイトだ」
「カイト。…よかったら、私たちの席で食べない? まだ席、空いてるわよ」
私がそう言うと、隣でエリーゼが「え、アンジェラ!?」と小さな悲鳴を上げたのが聞こえた。
カイトは、私と、私の後ろで固まっているエリーゼを数秒見比べた後、ふっと小さく笑った。
「…ああ。恩に着る」
彼が笑うと、少しだけ、近寄りがたい雰囲気が和らぐ気がした。
その日を境に、学園の空気は一変した。
もちろん、悪い意味で。
「まぁ、アスター様ったら。とうとう平民にまでお声がけなさるの?」
「殿方からの覚えが悪いからって、焦るのも無理ないですけど…」
令嬢たちの嫌味は、さらに陰湿になった。
教科書がインクで汚されていたり、椅子の脚がわざと緩められていたり。
『女性らしさ』、というか人としてどうなのかという行動ばかり取っているが、殿方にバレずにやっているのがより一層いやらしいなと思う。
幸い、日頃木登りして鍛えられた私の運動神経のおかげで、椅子が壊れる前に飛びのけたから怪我はなかったけど。
「アンジェラ、本当に大丈夫? あんなに目立って…」
エリーゼが心配そうに眉を下げる。
「平気よ。どうせ、前から嫌われてるんだし、今更よ」
カイトは、あの日以来、私を見かけると、律儀に挨拶をしてくるようになった。
そして、時々、食堂で一緒に食事をするようにもなった。
エリーゼは最初こそ戸惑っていたけれど、カイトが意外と無口で、真面目な生徒だと分かると、少しだけ打ち解けてくれた。
カイトは、この学園の「女性らしさ絶対主義」を全く知らなかった。
「へえ。ここでは、おしとやかな女性が好まれるのか」
ある日の昼食時、私が学園の風習を(皮肉たっぷりに)説明すると、彼は心底不思議そうな顔をした。
「なぜだ? 人それぞれ、得意なことや好きなことが違うのは当たり前だろう」
「それが通用しないのが貴族社会なのよ」
「…よく分からないが」
カイトは、まっすぐに私の目を見た。
「俺は、こないだの君みたいに、間違ってることに『間違ってる』とハッキリ言える人の方が、よほど魅力的だと思うが」
「…っ!」
不意打ちだったので少しびっくりした。
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだったので、顔がカッと熱くなるのを感じた。
「な、何言ってるのよ! お世辞はいいから!」
「お世辞じゃない」
彼は、平然とした顔でスープを口に運んでいる。
この特待生、恐るべし…。
そして、ある「事件」が学園対抗の馬術大会で起こった。
馬術は、貴族の嗜みとして必修科目だ。
当然、運動好きな私は、座学や刺繍より、馬術が何倍も得意だった。
大会の目玉は、障害物競走。
私は、学園でも一二を争う俊足の愛馬、シルフィードと共に参加していた。
順調に障害をクリアし、トップで最終コーナーを回ろうとした、その時。
「(…あれ?)」
シルフィードの様子が、急におかしくなった。
急に頭を振り、いななき、進もうとしない。
「どうしたの、シルフィード! 落ち着いて!」
なだめようとするが、シルフィードはパニックを起こしたように暴れ始めた。
「危ない! アスター嬢が振り落とされるぞ!」
観客席が騒然となる。
その時、目に入った。
コース脇の茂みに、銀色に光る何かが。
(…鏡!? 誰かが、わざと光を反射させて馬を怯えさせてる!)
令嬢たちが座っている観客席の方だ。
きっと、私に恥をかかせようとする、いつもの嫌がらせだ。
「(…ふざけないで!)」
こんなことで、私とシルフィードの走りを邪魔されてたまるか。
私は、手綱を握りしめた。
「シルフィード! 大丈夫! 私を信じて!」
強く、だが優しく馬の首筋を叩く。
「怖くないわ。ただの光よ。…ほら、行くわよ!」
シルフィードの耳元で、私がいつも口ずさむ鼻歌を歌う。いつも、厩舎で手入れをしながら歌う、私と彼だけの歌。
シルフィードの興奮が、少しずつ収まっていくのが分かった。
「…今よ!」
私は、手綱を一気に引き、シルフィードを無理やり障害物のない内側に誘導した。
そして、そのまま最短距離でゴールへ向かって駆け抜ける。
「な…!? アンジェラ・アスター、ゴールイン! なんという見事な立て直しだ!」
アナウンスが絶叫している。
私は、息も絶え絶えなシルフィードの首を抱きしめた。
「ありがとう、シルフィード。よく頑張ったわね」
観客席は、一瞬の静寂の後、大きな拍手に包まれた。
皆、日頃私のことを馬鹿にしているのが嘘のように私の「騎乗技術」に賞賛を送ってくれていた。
…その中に、一際鋭い視線で、私を凝視している二人の男性がいることに、私は気づかなかった。
「…見たか、アルフォンス」
セドリックが、低い声で呟いた。
「…ああ。あの荒馬を、歌で宥めたぞ、あいつ」
アルフォンスが、ゴクリと唾を飲む。
「いつもは猿だの何だのと揶揄っていたが…」
「…あれは、素直に賞賛に値するな」
「…ああ。…それと、さっきの光。…絶対に調べさせろ」
彼らが、私の知らないところで、そんな会話を交わしていたことも知らずに。
馬術大会の一件から、アルフォンス殿下とセドリック様の態度が、微妙に変わった。
以前のように、頭ごなしに私を揶揄うことが減ったのだ。
「アンジェラ」
ある日の放課後、私が(内緒で)剣術の訓練場を覗いていると、セドリック様が通りかかった。
「…セドリック様。ごきげんよう」
「…馬術大会、見事だった」
「…はぁ」
珍しい。この人が私を褒めるなんて。
「…お前は、なぜ泣かなかった」
「は?」
「馬が暴れた時だ。普通の令嬢なら、そこで泣いて終わりだ」
「…泣いても馬は落ち着きませんから。それより、シルフィードの方が怖かったはずですわ」
「…ふん。違いない」
セドリック様は、それだけ言うと、去っていった。
(…なんだったのよ)
でも、その横顔が、いつもよりほんの少しだけ、柔らかかった気がした。
また別の日には、図書館で。
「アンジェラ。そんな難しい戦術書を読んでいるのか」
アルフォンス殿下が、私の向かいの席に(何故か)座った。
「ええ、まあ。歴史の勉強の参考にでもなるかと思いまして」
「ふうん。…お前、馬術大会で光を反射させた犯人、気にならないのか」
「!」
「…マルクス伯爵令息の取り巻きの令嬢たちだった。一応、厳重注意はしておいたが」
「…そう、でしたか」
「お前は、悔しくないのか。あんな卑劣な手を使われて」
「…悔しい、というより」
私は、本を閉じた。
「哀れですわ。そんな手を使わないと、自分の価値を証明できないなんて」
「…!」
アルフォンス殿下が、目を見開いて私を見た。
「…お前は、本当に」
殿下は、何か言いたそうに口を開きかけたが、結局、ため息に変わった。
「…本当に、面白くないな、お前は」
「はぁ!?」
「いや、面白いのか? …ああ、もう! 邪魔したな!」
殿下は、わけのわからないことを言って、足早に去っていった。
(なんなのよ、二人とも…!)
二人の態度の変化は、明らかに「揶揄い」から「戸惑い」を含んだ「興味」に変わってきていた。
時を同じくして、カイトも、私への態度が少しずつ変わってきていた。
彼は、あからさまに私に近づくことはなかったけれど、図書館で会えば、静かに隣に座って自分の研究書を読み、私が戦術書を読んでいると、
「…その時代の戦術なら、この魔法理論が応用できるかもしれない」
と、ぼそりとヒントをくれるようになった。
「…ねえ、アンジェラ」
エリーゼが、テラスで心配そうに私を見る。
「最近、アンジェラ、すごい注目されてるわよ…」
「え? 私が?」
「殿下も、セドリック様も、カイト様も…みんな、アンジェラのことばかり見てる」
エリーゼの言葉に、私は周りを見渡した。
確かに、食堂でも、廊下でも、視線を感じる。
カイトと静かに本の話をする私。
それに、少し離れた場所から、面白くなさそうな、あるいは焦った?ような顔でこちらを見ているアルフォンス殿下とセドリック様。
そして。
学園の令嬢たちの、嫉妬と憎悪に満ちた、冷たい視線。
「(あ、やばいかも)」
今までは、「おてんば」として敬遠されていただけだった。
でも今は、「殿下たちと平民の両方を手玉に取る、とんでもない女」として、完全に敵認定されている。
「…アンジェラ。学園祭のダンスパーティ、気をつけて」
エリーゼが、真剣な顔で言った。
「令嬢たちが、何か企んでるみたい。『あんな女に、殿下たちの初めてのダンスを捧げさせてたまるものですか』って…」
学園祭のダンスパーティ。
それは、この学園で最も重要な行事。
多くの生徒が、ここで将来の婚約者と最初のダンスを踊るのだ。
「(…私、誰とも踊る気なんてないんだけど)」
そう思ったけど、口には出せなかった。
―・―・―
そして、運命の学園祭、ダンスパーティ当日。
私は、エリーゼに無理やり着せられた、空色のドレスをまとっていた。
「もう、アンジェラ! たまにはちゃんとした格好しなさい!」
「うう…エリーゼ、苦しい…」
「素敵な殿方を見つけるチャンスでもあるから気合い入れないと!」
「え〜、私は別に…。エリーゼは気になってる方とかいるの?」
「え、私?私は学園の生徒はちょっとね…。隣国の貴族様がいいな〜」
あ、目をハートにさせてる。昔から、エリーゼは隣国に憧れてたものね。
そんなたわいもない話をしていると、あっという間に会場に着いた。
会場は、きらびやかなシャンデリアと、着飾った貴族たちで溢れかえっていた。
「(…すごい。空気が重い)」
令嬢たちの、牽制しあう視線がバチバチと火花を散らしている。アルフォンス殿下とセドリック様は、当然、人だかりの中心だ。
カイトは…あ、いた。壁際で、一人でぼんやりと会場を眺めている。彼も、慣れない場所に居心地が悪そうだ。
「アンジェラ・アスター様ですね?」
ふと、侍従らしき男性に声をかけられた。
「アルフォンス殿下が、至急お呼びです。テラスでお待ちです」
「え? 殿下が?」
「はい。こちらへ」
(なんだろう。こんな時に)
少し、嫌な予感がした。エリーゼの忠告が頭をよぎる。
「…エリーゼ、ごめんなさい、ちょっと行ってくるわ。もし私が10分経っても戻らなかったら…先生を呼んでくれる?」
「え!? アンジェラ!?」
エリーゼの不安そうな顔を背に、私は侍従の後を追った。
侍従に案内されるまま、私は会場の喧騒を離れ、夜風が吹き込むテラスへと続く廊下を歩いていた。
「(…あれ?)」
侍従が、さっきから一言も喋らない。しかも、テラスとは違う、物置部屋が並ぶ、人気のない裏手の方へ向かっている。
「あの、すみません。テラスはこっちじゃ…」
私が声をかけた瞬間。
侍従が振り返り、ニヤリと笑った。
次の瞬間、私は、ドン、と強く背中を押された。
「きゃっ!」
バランスを崩した私は、そのまま目の前の物置部屋に倒れ込む。
「ごめんなさいね、アスター様」
背後で、聞き覚えのある、甲高い声がした。
「少し、頭を冷やしていただかないと」
「殿下たちは、私たちがいただくわ!」
ガチャン!
無情にも、鉄の扉が閉まる音。
そして、鍵がかけられる音。
「…やられた!」
私は、慌てて扉を叩いた。
「開けて! 開けてよ!」
でも、返事はない。
分厚い扉は、ビクともしない。
(どうしよう…! まんまとハメられた!)
あの侍従は偽物。声は、マルクスの取り巻きの令嬢たちだ。
こんな暗くて埃っぽい物置に閉じ込められて。
パーティが始まるというのに。
「(…誰か!)」
絶望的な気分で、扉を叩き続ける。
でも、ここは裏手だ。音楽の音で、私の声なんてかき消されてしまうだろう。
どれくらい時間が経っただろうか。
もう、叩く腕も疲れてきた。ドレスも埃まみれだ。
「(…結局、私はこうなる運命なのよ)」
「女性らしくない」私は、結局、誰からも受け入れられず、こうやって陥れられる。
涙が、じわりと滲んできた。
その時。
ドン!ドン!
外から、扉を叩く音がした。
「アンジェラ!」
この声は…!
「アンジェラ! 無事か! 返事をしろ!」
「殿下!? アルフォンス殿下ですか!?」
「ああ、そうだ! …くそっ! 鍵がかかってる!」
殿下が、何かを蹴り飛ばす音がする。
「…アンジェラ、少し離れてろ」
今度は、低く、冷静な声。
「セドリック様…!?」
「エリーゼ嬢から話は聞いた。…アルフォンス、そこをどけ。お前が蹴っても無駄だ」
「なんだと!?」
2人の話し声が聞こえて、安心感が身体を包み込んでくる。すると…。
「…窓から失礼する」
ガシャン!とガラスの割れる音がして、暗闇の奥、高い位置にある小さな窓から、黒い影が飛び降りてきた。
「…カイト!?」
「…すごい埃だ。大丈夫か、アンジェラ」
彼は、平然と制服の埃を払っている。
「どうやって…」
「外壁を伝ってきた。君がこっちに向かうのが見えたからな」
「おい! 中はどうなってる!」
「この声は特待生か!?なぜそこに!」
扉の外で、殿下とセドリック様が騒いでいる。
「…開けますよ」
カイトは、扉の鍵に手を当て、何かを小さく呟いた。
(まさか、魔法!?)
カチリ、と小さな音がして、鍵が開いた。
ギィ、と扉が開くと、そこには、息を切らせたアルフォンス殿下と、眉間に深いシワを寄せたセドリック様が立っていた。
三人のイケメンが、埃まみれの私を、三方向から見下ろしている。
王太子と、公爵令息と、平民の特待生。
ありえない組み合わせだ。
「…アンジェラ、その格好は…」
「…ひどい目にあったな」
「…怪我はないか」
三者三様の言葉。
私は、このありえない状況にもう笑うしかなかった。
「皆様、ありがとうございます。…ええ、ご覧の通り、埃まみれですわ」
私は、立ち上がって、パンパンとドレスの埃を払った。
涙は、もう乾いていた。
「(…やられたまま、泣き寝入りなんて、ごめんよ!)」
私が、毅然とした足取りで三人の間を抜け、会場に戻ろうとした、その時。
「アンジェラ!」
心配そうに駆け寄ってきたエリーゼと、
「…アスター様?」
バツの悪そうな、青ざめた顔で立ち尽くす、数人の令嬢たちがいた。
私をここに連れてきた、あの侍従とその主だと思われる令嬢もいる。
「…ああ、貴女たちでしたのね」
私が冷たく言うと、令嬢たちはビクリと肩を震わせた。
「な、なんのことですの…」
「とぼけないで。私をここに閉じ込めたでしょう?」
「…ほう」
背後から、地を這うような低い声がした。
アルフォンス殿下だ。
「アンジェラ。こいつらだったのか。お前を『殿下の名』を騙って呼び出し、監禁したのは」
「か、監禁だなんて、人聞きの悪い!」
「私たちは、ただ、少しアスター様とお話がしたかっただけ…」
「黙れ」
今度は、セドリック様の、凍てつくような声。
「その『お話』とやらをするために、王太子の名を騙り、侍従まで使いあまつさえ鍵までかけた、と。…その罪が、どれほどのものか、分かっているのか?」
令嬢たちの顔が、一気に真っ白になる。
「ひっ…!」
「わ、私たちは、マルクス様のご命令で…!」
「「マルクス?」」
殿下とセドリック様の声が、綺麗にハモった。
「…ああ、もう! 鬱陶しい!」
私が叫ぶと、全員が私を見た。
「もういいですわ! 殿下、セドリック様。この方々は、きっと、私に『女性らしさ』を教えてくださろうとしたのですわ。ねえ?」
私がニッコリ笑いかけると、令嬢たちはガタガタと震えている。
「『おしとやかな令嬢』は、気に入らない相手がいたら、こうして物置に閉じ込めるのが『普通』ですものね? 勉強になりましたわ!」
「「…ぶっ!」」
アルフォンス殿下が、耐えきれずに吹き出した。
セドリック様も、肩を震わせ、必死に笑いをこらえている。
カイトまでもが、そっぽを向いて口元を押さえている。
「…アンジェラ!」
殿下が、高笑いをしながら私を指差す。
「お前、最高だ! はっはっは! そうか、『女性らしさ』の教育か!」
「…アンジェラ。その皮肉、見事だ」
セドリック様が、もはや隠す気もなく笑っている。
「…お前たち」
アルフォンス殿下の笑いが、ピタリと止まった。
「王太子の名を騙り、アスター子爵令嬢を陥れようとした罪。そして、その背後にいるマルクス伯爵令息。…まとめて、相応の罰を受けてもらう。覚悟しておけ」
令嬢たちは、その場にへたり込んで泣き崩れた。
「さて、と」
私は、埃まみれのドレスの裾を、もう一度パン、と叩いた。
「殿下。セドリック様。カイト。改めまして助けていただき、感謝いたしますわ」
「お、おう…」
「…ああ」
「…大したことはしていない」
会場の音楽が、ちょうど、一曲終わったところだった。
静寂の中、次の曲が始まろうとしている。
ダンスパーティの、メインのワルツだ。
アルフォンス殿下が、私に手を差し出した。
「アンジェラ。こんな格好で申し訳ないが、最初の一曲は、俺と…」
「待て、アルフォンス」
セドリック様が、その手を遮る。
「彼女を救出したのは、俺たちだ。まず、俺が…」
「…二人とも、彼女は疲れている」
カイトが、一歩前に出る。
「アンジェラ。休める場所へ案内しよう」
三人の、三様の視線が、私に集中する。
「(…うわぁ、どうしよう、これ)」
いつの間にか会場中の令息、令嬢たちも、固唾を飲んで私たちを見ている。
私が、誰の手を取るのか、と。
私は、にっこりと淑女の笑みを浮かべた。
そして…
「エリーゼ!」
と、一番近くでオロオロしていた、親友の手を、ギュッと掴んだ。
「え!? ア、アンジェラ!?」
「皆様、お誘いは大変光栄ですわ。でも」
私は、三人のイケメンたち(と、会場全員)に向かって、高らかに宣言した。
「私、今夜の最初のダンスは、昔からの親友と踊ると決めておりましたの! …ね、エリーゼ!」
「ええええええ!?」
私は、あっけにとられる三人と、泣き崩れる令嬢たち(と、なぜか赤面するエリーゼ)を残し、
「まずは着替えないとね! 行くわよ、エリーゼ!」
と、親友の手を引いて、その場を颯爽と(?)退場した。
テラスで、着替えを終えた私達は、涼しい夜風に当たっていた。
「もう、アンジェラったら! 心臓が止まるかと思ったわ!」
「ごめんごめん。でも親友のおかげで助かったわ。あの状況で1人を選ぶことなんて、ちょっとできなかっただろうし」
「…まあ、親友を助けたからよしとしますわ。あ、そういえばさっき耳にしたのだけれど、あの令嬢たち、停学処分ですって。マルクス様も、ご実家から呼び出しだとか。…ちょっとスッキリしちゃった」
「あ、そうなの!?自業自得ってやつね」
私たちは、顔を見合わせて笑い合った。
会場からは、楽しげなワルツの音楽が聞こえてくる。
「…結局、踊らなかったわね」
「いいのよ。あんなところで踊るより、こうしてエリーゼといる方がずっと楽しいわ」
ふと、会場の方を見ると、ガラス越しに、二人の姿が見えた。
アルフォンス殿下は、不機嫌そうに腕を組んで、令嬢たちのダンスの申し込みを断っている。
セドリック様は、壁際で、冷ややかに会場を眺めている。
カイトは…もう、いない。きっと、騒がしいのが嫌になって、先に帰ったんだろう。
二人が時折、私たちがいるテラスの方を、気にしているのが分かった。
「(…女性らしさ、ね)」
ソフィア王妃が国を救ったのは、「おしとやか」だったからじゃない。
きっと、彼女も、大切なものを守るために「戦った」んだ。
その武器が、刺繍と対話だっただけで。
「私の武器は、なんなんだろうな」
馬と剣と、それから、この生意気な口、かしら。
「アンジェラ? どうかした?」
「ううん、なんでもない」
面倒なことに巻き込まれたけど、悪いことばかりでもなかったかもしれない。
「女性らしさ」が全てのこの学園で、私は、私らしくいることを選んだ。
「エリーゼ。そろそろパーティに戻りましょうか」
「え、でも…」
「大丈夫。今度は、ちゃんと踊りましょ。…殿方と、じゃなくて、私たち二人で!」
「もー! アンジェラ!」
「私の、おてんばな学園生活は、これからも変わらない。
けれど、この『女性らしさ』が全ての息苦しい学園で、『私らしく』いるという選択が、今、確かに、周りの空気を変え始めている。
それが、これからどんな物語を――そして、きっと、たくさんの波乱を――巻き起こしていくのか。 胸の奥で、新しい風が吹いた気がした。
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