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灰の灯  作者: 明月 太陽
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第1話 灰に沈む朝

アラームが鳴った。

手探りで止める。

毎朝の動作が、もはや身体に染みついている。


カーテンを開けると、今日も空は灰色だった。

光があるのに、眩しくない。

太陽の位置すら分からないのは、この街ではもう当たり前になっていた。


部屋は静かだ。

時計の音と、冷蔵庫の低い唸りだけが響く。

在宅勤務の朝は、外の音すら遠い。

世界のすべてが分厚いガラスの向こうにあるような気がする。


ノートパソコンを開き、電源を入れる。

画面の光が顔を照らすと、

ほんの一瞬、自分の輪郭がモニターに映り込んだ。

その顔を見て、私は思う。

――いつからこんな顔をしていたのだろう。


仕事が始まる。

淡々と流れるチャット、同僚の名前、進捗報告。

声を出すことはほとんどない。

世界はすべて文字列でできている。


会議が始まる。

誰もが当たり障りのない言葉を交わし、

カメラの向こうでは誰も笑っていない。

私は画面の隅に小さく映る自分を見ながら、

心の中で“誰だろう”と思う。


昔は「生きるために働く」と信じていた。

けれど最近は、働くために生きているように感じる。

食べて、眠って、また働く。

繰り返すうちに、日々の境界が曖昧になっていく。


外は雨が降り始めた。

細かな雨粒が窓を叩く。

ふと、目の端に違和感が走った。

雨の中に、ひとつだけ“逆向き”に落ちている滴がある。

上に、戻っていく。


目を凝らすと、それは確かに雨粒だった。

だが一粒だけ、空へと昇っていく。

まるで、時間が反転したかのように。

息を呑む。

瞬きをした瞬間、それは消えていた。


「……疲れてるんだろうな」

そう呟いて、無理やり笑ってみた。

でも、笑い方を忘れていた。


午後になっても、集中できなかった。

ぼんやりとした頭でタスクをこなす。

気づけばマウスのクリック音だけが部屋に響いている。

時計の針は進んでいるはずなのに、時間が動いていない気がした。


そのときだった。

モニターが一瞬、点滅した。

ノイズが走り、画面が真っ白になる。

再起動したのかと思ったが、中央にひとつだけ文字が浮かんでいた。


──【今日も、生きていますか】


誰のメッセージでもない。

チャットログにも履歴はない。

ただ、その一行だけが画面に浮かんでいた。


息が止まる。

指が震える。

画面を閉じようとしても、マウスが動かない。

代わりに、文字が増えていく。


──【この世界は灰に沈んでいます】

──【あなたの灯は、まだ消えていません】


“灯”?

意味を理解するより先に、背筋が冷たくなった。

私は電源ボタンを押す。

パソコンの光が消える。

暗い画面に、自分の顔が映った。


その背後に、もう一人いた。


私と同じ髪型で、同じ服を着た“誰か”。

ただ一つ違うのは、瞳が淡く光っていたこと。

まるで炎の残り火のように。


反射かと思い、振り返る。

誰もいない。

心臓の音がやけに大きく聞こえる。

息を整えてもう一度モニターを見ると、

そこには、光る点が一つだけ残っていた。


それは小さな炎のように揺れていた。

淡い橙色の灯。

手を伸ばすと、指先にほんのり温かさを感じた気がする。


次の瞬間、耳元で声がした。


──【探して。灰の中の灯を】


誰の声でもなかった。

女とも男ともつかない、静かな声。

部屋の空気が震え、電源がすべて落ちる。

闇が広がる中、私は自分の掌を見た。


そこには、小さな光の粒が浮かんでいた。

それは、脈を打つように明滅していた。

まるで、“生きている”ように。


思考が止まる。

恐怖よりも先に、なぜか涙がこみ上げてきた。

その光を見て、私は思った。


――もしかして、これが“生きる”ということなのか。


涙が一粒、掌に落ちた。

光はそれを吸い込むようにして、すっと消えた。


静寂。

暗闇。

灰色の朝が終わり、

世界は、知らない色に変わろうとしていた。

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