エピローグ
ラスト一話です。短め。
「『わたしから奪わないで』ですか……ニノア様からあれこれ様々なものを奪った姉姫様が何を仰るのやら」
「アイシャったら」
パーティー後、王宮のニノアの部屋にて。
手際よくお茶を淹れつつ会場でのことを聞かされたアイシャが漏らした素直な感想に、ニノアは苦笑をこぼすしかなかった。
久しぶりの実家で穏やかな夜を過ごす彼女は、例によって膝の上にヴォダの頭を乗せている。夫とともに過ごす時の姿勢は、彼の膝に座らされるか彼を膝枕するかの二択であった。最初はあまりの恥ずかしさに落ち着くどころではなかったけれど、今となっては慣れたものだ。無論恥ずしさが完全に消え去ったわけではないが。
守護神夫妻が一晩とは言え滞在するということで、普通ならば大騒ぎになりそうだが、そこは王命とヴォダの結界という二重のガードにより、無駄に近づこうとする者たちは全力でシャットアウトされている。
そういうわけでいつものように、ニノアの髪に指を通しながらヴォダが言う。
《あの時ニノアは「譲るべき」と言ったのであり、「奪われるべき」などとは一言も言っておらぬのだが……あの姉にとっては「譲られた」ことは「奪った」のと同じだったのであろうなあ。難儀なものよ》
「その二つには、相手の同意の有無という大きな違いがありますのにね。まあ、渋々ながら同意せざるを得ないという状況は多々ありますけれど……」
まさに巫女となるのを決めたニノアがその状況にあった。その結果、こうして神に見初められ妻として溺愛されることとなったのは、どこまでも予想外でしかなかったが。
そんな考えはヴォダに読まれたらしく、不意に起き上がった彼に軽く唇を奪われる。危うくティーカップを引っくり返すところだったニノアが、赤面して「ヴォダ様!」と怒るものの、キスは少し深まり、短くもしっかり舌まで絡められるので逃げられないニノアであった。
アイシャはそんな新婚夫婦を半眼で見ながらもあえて突っ込まず、先ほどからの疑問を口にする。
「結局ヴァッサー公爵子息様は、セレシア殿下とのご婚約は継続なさるのでしょうか? パーティーでのご様子を伺った限りでは、どちらとも判断がつきませんが」
《さてな。だがまあ、そう情の薄い男でもなさそうであったし、おそらくは継続するであろうよ。それが双方の幸せに繋がるかは分からぬとしか言えぬ》
「お姉様を追い詰めた私が言えることではありませんが……どのような形であれ、レオンティーズ様には幸せになっていただきたいと思いますわ。それがお姉様とであったとしても」
偽善や説得力に欠けると言われても仕方ないが、間違いなくニノアの本音だった。恋に溺れた彼の考えなしの行動はいただけなかったにせよ、去り際に深々とこちらに頭を下げてきた姿を思い返せば、しっかり反省をしてくれているのだろうから。
セレシアに関しては今後会うことはまずないと思っているので、これ以上何を言うつもりもない。他者に被害を出さずに姉が幸せになってくれるのなら、特に文句を言う筋合いもないという程度である。
他者に奪われる辛さや絶望をようやく思い知ったであろうセレシア。彼女がどう変化してくれるのか、それとも全く変わらないのか……多少は期待しなくもないけれど、あえて確認する手間暇をかけるほどの関心は既にニノアにはなかった。
《ニノアがそれで良いのなら構わぬが。あの姉も婚約者同様、過去の行いを反省しニノアに謝罪する気になっていたなら、結果論とは言えニノアを我のもとへ寄越した褒美として、婚姻後に下る子爵領へ少々加護を与えてやろうかとも思っていたのだがな》
左手のひらにふよふよと淡い光の球を浮かべていたヴォダは、言い終えたタイミングで音もなくそれを消し去る。どうやらその光が加護であるらしい。
《さて、それはそれとして……明日は帰る前にマイヤ家を訪問するのだったな。邪魔はせぬがあまり長居はしてくれるなよ? 我は早く帰って遠慮なくニノアを愛でたり、ニノアに甘えたりしたい》
「……ヴォダ神様が遠慮なさったことがございましたっけ……」
ついつい突っ込みを入れてしまったアイシャだが、それが神にスルーされるのもまたいつものことであり。
守護神夫妻とその侍女の夜は、所変われどいつも通り和やかに過ぎていくのだった。
それから数年後のこと。ヴォダ神の結婚記念日を盛大に祝う三度目の祭りに、アイル子爵レオンティーズとその新妻が揃って参加する姿が見られたという。
美男美女と名高い二人が祭りを楽しむ様子は、周囲の者たちの大いなる眼福となった。
また、この頃よりおしどり夫婦として有名となったアイル子爵夫妻にはその後、元気な三人の子が生まれ、一家は末永く幸せに暮らしたと、後世に伝わる歴史書や貴族の日記に記されている。
一方ヴォダ神の巫女候補でありながらそのレオンティーズの恋人となり、長年の巫女制度撤廃のきっかけを作ったセレシア王女は、ある時を境に俗世を捨て神殿に入ったと伝わっている。その理由は定かではないが、ヴォダ神への諸々の非礼を恥じたからというのが有力な説である。
その後の彼女は、信仰に目覚め一生を神殿に捧げたとも、還俗し結婚したものの子は成せなかったとも言われる。
《伯母様はよく分からないひとだったみたいだけど、わたしがこうして生まれたのは伯母様のおかげでもあるのね》
後世のある時、神職の女性の耳に守護神のものらしきつぶやきが届いたと某神殿の記録にはあるが、その真偽は定かではない。
お読みいただきありがとうございました。
全員がというわけではありませんが、概ねハッピーエンドです。
レオンティーズの妻となった女性は多分、どこかの侍女です。王宮か辺境伯邸に勤めていたしっかり者の女性で、レオンティーズに並んで見劣りしない程度には美人。もしかすると三歳くらい年上かも。
場合によってはそのあたりを神様が語ってくれることもあるかもしれませんが、細かいところは皆様のご想像にお任せしたいと思います。