晴れの日の奇跡【お狐様と青年 番外】
本作は【お狐様と青年】第拾壱話 願いと祈りの数年後の
物語となります。本編をご覧いただくと、より楽しめる作品となりますので、未読の方はよろしくお願い致します。
──春の花がほころび、境内にあたたかな風が吹く日。
青年は、いつものように参道の掃除をしていた。
お狐様は縁側で日向ぼっこをして、うとうとしている。
そのとき──
鳥居の下から、誰かが階段をのぼってくる音がした。
「……ん?」
青年が顔を上げると、そこに立っていたのは──
数ヶ月前、母の病気を祈りに来たあの少女だった。
でも、どこか違う。
少し背が伸びて、制服姿に。
髪も少し整えられていて、顔つきもきりっとしていた。
「……覚えてますか?」
そう問いかける少女に、青年は静かにうなずいた。
「もちろん。来てくれてうれしいよ。」
「……おかあさん、もうすっかり元気です。
神様に、お礼を言いたくて──それと、報告も。」
「報告?」
少女は、巾着袋からそっと封筒を取り出した。
「今度、地元の小さな中学校に入学します。
将来は、お医者さんになりたいって思ってるんです。」
「それは……すごいな。」
「病院で寝てたおかあさんに、『将来は助ける側になりたい』って言ったら、
すごくうれしそうに笑ってくれて。」
青年が言葉を探していると──
ふと、お狐様が現れた。
「来てくれたのね。」
少女の顔が、ぱっと明るくなった。
「……神様!」
「今日は神様らしい言葉、ちゃんと準備してきたの。
“よく来たね。願いは届いていたよ。”──どう? それっぽいでしょ?」
少女は笑って、ぺこりと頭を下げた。
「神様、ありがとう。
わたし、願いが叶って、そしてまた、新しい願いができました。」
「うん。じゃあまた、それもお供えしていって?」
「はい!」
少女は、きれいに折られた紙をひとつ、拝殿に置いた。
“お医者さんになって、たくさんの人を元気にできますように。”
それを見て、お狐様はにっこりと笑う。
「大丈夫、きっとまた叶うよ。
だって、君の“最初の願い”は、ちゃんと神様に届いたんだから。」
少女はしっかりと手を合わせて帰っていった。
残された青年とお狐様は、しばらく黙って空を見ていた。
「……君、本当に“神様”だな。」
「ふふ。今日は自分でも、ちょっとそう思った。」
──春の神社に吹く風は、あの日の少女の願いと、
これからの未来を優しく包んでいた。
そして、月日は流れ
──早春の、まだ肌寒さの残る午後。
山道を上がってくる足音が、静かな境内に響いた。
それは遠慮がちで、でも確かな歩み。
青年がほうきを片手に顔を上げたとき、
その人物は鳥居の前で深く一礼していた。
白衣の下に清潔な青のTシャツと動きやすそうなズボン。
肩には黒いバッグ。
ブラウンの落ち着いていて綺麗な髪のその女性は──
「……来てくれたんだな。」
青年の声に、女性──あの少女が微笑んだ。
「お久しぶりです。ずっと、また来たかったんです。」
お狐様が、奥から現れる。
姿は昔と変わらないはずなのに、なぜかその佇まいが
“時を経た再会”の重みを静かに感じさせていた。
「……よく来たわね。元気そう。」
「はい。おかげさまで。……母も、元気にしています。」
小さな祠の前に、彼女は膝をつき、
ゆっくりと、手を合わせる。
「あなたの祈りは、ちゃんと届いていた。
だから、今度は……あなたの言葉を、聞かせて?」
お狐様の言葉に、彼女は小さくうなずき──
バッグから、小さな紙包みを取り出した。
中には、大学の卒業証書の写しと、白衣姿の写真。
そして、ひとこと添えられた手紙。
> あのとき神様に救われた命に、
今度は自分が手を差し出す側になりました。
医師として歩み始めます。
この道をくれた神様に、ありがとうを伝えたくて。
青年とお狐様は、無言でそれを見つめる。
やがて、お狐様が、静かに目を細めた。
「……わたしね、願いを叶えるたびに、少し力を使うの。
でも、それ以上に“こうして”……
誰かの未来に灯がともった瞬間を見られるなら、
いくらでも願いに応えたくなる。」
彼女は少し泣き笑いのような顔で頭を下げた。
「……いつか、誰かが同じように祈りに来たら、
今度はわたしが、そっと支える側になります。」
「うん。それが、たぶん“信仰の連なり”なんだと思う。」
お狐様は手を伸ばし、彼女の肩をぽん、と軽く叩いた。
「あなたの祈りが、この神社を、わたしを守ってくれたのよ。」
帰り際、少女──いや、もう立派な医師となった彼女は、
境内の桜の蕾を見上げてつぶやいた。
「また、来てもいいですか?」
青年とお狐様は顔を見合わせて、同時にうなずいた。
「うん。また、春でも、夏でも、冬でも。
君の信じた“神様”は、いつでもここにいるよ。」
──彼女が去った後、青年はそっと言った。
「お前、ちゃんと“誰かの未来”になったんだな。」
「ふふ……君もね。
だって、わたしが“信仰を叶える神様”になれたのは、
君がそばにいたからだもの。」
風が吹いて、蕾がほころぶ音がした。
それは、願いが繋いだ未来の、
とても優しい余韻の残る日だった。
__数日後、とある診療所にて。
「診察室へどうぞ。」
看護師の元気な声で、ふたりの親子が中待ちから、診察室へと入っていく。
キラリと光る聴診器と真っ白な白衣を着た女性の目の前と座り。
「本日はどうなさいましたか?」
そこには優しい声で、親子へと話しかける少女。
いや、立派な医師の女性の姿があった。
彼女は青空の下、
かつて神様にもらった奇跡のように、今日も誰かを助けている。