老人の記憶
リノアたちはガロンと別れてから数日、埃と疲れにまみれながら小さな町に辿り着いた。町は「クレスト」と呼ばれ、石畳の道と傾いた木造の家々が並び、市場では魔法の灯りが薄暗い夕暮れを照らしていた。一行は空腹と疲労で足を引きずりながら、通り沿いに立つ古びた旅館を見つけ、扉を叩いた。
出てきたのは、白髪と皺に覆われた老人だった。背は曲がり、杖をついているが、目は鋭く、どこか威厳を漂わせていた。「旅人か。部屋なら空いてる。一晩だけなら泊めてやる」とぶっきらぼうに言い、リノアたちは感謝しながら中へ通された。暖炉の火がパチパチと鳴り、粗末なスープとパンが振る舞われた。カイルが「うまい!」とがつがつ食べ、ミラが「ありがとうございます」と頭を下げた。
食事が終わり、暖炉の前で体を休めていると、老人——名前はハランだと名乗った——が突然口を開いた。「お前ら、律師を追ってるな?」
リノアが驚いて顔を上げると、ハランは目を細め、「その目だ。若さゆえの無謀さ。昔の俺を思い出す」と呟いた。一行が息を呑む中、彼は杖を握りしめ、遠くを見るような目で話し始めた。
「俺はな、かつてロディナ帝国の魔導隊にいた。50年も前の話だ。あの頃、帝国は周辺国を従え、40万の軍勢を誇ってた。魔法使い、騎兵、傭兵…ありとあらゆる力を集めてな。だが、ある日、5人の律師が現れた。たった5人だ。それが地獄の始まりだった」
ハランは震える声で続けた。「奴らは黒いローブに身を包み、言葉も交わさず魔法を放った。炎が空を焼き、刃が大地を裂き、魔法弾の雨が兵を切り刻んだ。俺たちの魔導隊は精鋭だったが、モノの数十分でほぼ全滅。大半が塵と化した。俺は死体の山の下で息を潜め、奇跡的に生き延びたが…あれは人間の戦いじゃなかった。奴らは神の怒り、否、神そのものだ」
部屋に重い沈黙が落ちた。カイルの手からスプーンが滑り落ち、テオの顔が青ざめ、ミラは両手で口を押さえた。リノアは石版を握り、唇を噛んで震えを抑えた。ハランは目を閉じ、「律師を追うなら死を覚悟しろ。あいつらは止められねぇ」と吐き捨てた。
その夜、寝床でミラが小さな声で言った。「ねえ…やめたほうがいいんじゃない?私たちじゃ無理だよ…」 彼女の目は涙で濡れていた。カイルが「確かにヤバい話だ。戻るのもありかもな」と珍しく弱気になり、テオも「俺だって怖いさ。でも、ここでやめたら何も変わらないだろ」と反論した。リノアは眠れず、暖炉の残り火を見つめながら考えた。戻ることはできる。でも、石版の謎、律師の目的——それを知らずに生きるのは、もう耐えられない。
翌朝、一行は無言で荷物をまとめ、ハランに礼を言って旅館を出た。老人は黙って見送り、最後に「生きて帰れよ」とだけ呟いた。クレストの町を後にする時、ミラの足取りは重く、カイルの表情は硬かったが、リノアは前を向いた。律師の恐ろしさを知った今、旅はもう遊びではない。だが、戻る道はすでに閉ざされていた。
太陽が昇る中、一行は再び荒野へ踏み出した。遠くで風が唸り、まるで律師の影が嘲笑うようだった。