88話 勇者
『この国に、真の“勇者”は二人居る』
移り変わる戦況を眺めながら、シュートの言葉を振り返る。
『嘘ね。百人はくだらないって聞いたけど?』
『五年前以前のそれを含めるなら、確かにそうだね』
かつて“魔族の王”、“魔王”の脅威を退けた“勇者”。その伝説は今や御伽噺となり、“勇者”の名声もただの肩書きとなりつつある。
『この国ではその成り立ちから、代々騎士団長が”勇者”を任命する慣わしがある』
大陸の多くの国々にとって、“勇者”とは“最強の冒険者”と同義。しかしこの国、“アレクサンドリア”では異なるという。
後に“英雄王”と呼ばれる初代“勇者”、エドワード・イリス・アレクサンドリア。
彼を育てた剣術指南役、アラスター・テオドールが後に私立騎士団を設立し、自らが騎士団長となったことに由来する。
“勇者は剣を手に民衆を救う”といった印象も、恐らくこの辺りから来ているのだろう。
『“試剣”だよ。文字通り騎士団長が挑戦者の“剣を試す”。前任の騎士団長は勇者の名声を金でばら撒いたけど───』
その肩書きにどれ程価値があるのか。
人間の感覚というのは相変わらずいまいち理解し難いが、どうやら大金を積んででも“それ”を得たい者が多く居たらしい。
そして当時の騎士団長は、それを“利権”として売り捌いたという。
『───五年前に、代替わりしてる』
『……なるほどね』
つまり、“剣聖”の台頭はその時期だったということだろう。
そしてあの潔癖男が、金欲しさに下らない利権に手を付けるとも思えない。
『真の“勇者”、一人目がアレックス。“聖剣・陽射”の本物を持ってる男だね』
この話は前にも聞いた。
シュートの剣は刀身が黒く塗り潰されたレプリカらしいが、本物は透き通るような純白の刀身をしているのだろう。
『彼は前任時代、最後の“勇者”。“試剣”で当時の団長をボコボコにして、再起不能にしてしまったんだ』
『……乱暴者ね』
『ま、それも今や彼の逸話の一つだけどね』
団長をフルボッコにしたことで“試剣”は無効に、彼は“勇者”の名を得られなかったという。
しかし後の功績から民衆に強く支持されるようになり、やがてその名で称されることになったのだとか。
『……んで、二人目がジーニアス』
そして、再起不能になった名ばかりの団長の後釜。“剣聖”と呼ばれる男の“試剣”を突破した戦士。
『二年前だよ。レイスが認めた、現状最初で最後の“勇者”。当時“無名”だったアイツは、“試剣”を突破した功績から異名を得た』
それこそあり得ないことなのだろう。
あの“剣聖”に認められる程の傑物が、在野で無名だったなど。
『“勇者”・“至剣”のジーニアス。“試剣”で、“剣聖”から一本取った男だよ』
『そう。それにしても───』
しかし、疑いの余地はない。スタジアムの通路で対峙した男の表層魔力。あれは並の手合いではなかった。
『───そんな男と知り合いだなんて、あなたやっぱり顔が広いわね』
シュートの言葉に嘘はなく、また世辞の類でもなかったのだ。
「あれが“勇者”の実力、ね」
「ふむ。人間に関心を抱くとは意外だな」
呟くように言った僕の独り言に、ハリーは相槌を打つ。
「えぇ。興味が尽きないわ」
「ほう、探究心かね? ならば先の発言は、流石はエルフと改めよう」
ハリーは何やら楽しそうだ。
「心配か? 確かにお主の相棒は、些か劣勢とみえるが……」
「いえ、そうじゃないわ」
シュートのことは、心配していない。
「元々、正面切って勝てるとは思っていないもの」
「それはなんというか……厳しい評価よな」
あの男のことだ。
“剣王”を相手取ると大見栄を切ったからには何か秘策があるのだろう。無かったら無かったで負けるだけだ。別に命の心配がある訳でもない。
「であれば、何故───」
なおもハリーは疑問を僕にぶつける。
「───それ程までに、不安そうにしておるのかな?」
そう、僕は不安なのだ。
「負けるのが、恐いのか?」
「そんなことないわ。ルールがあるもの。盤面が揃ってしまった以上、あとは見届けることしかできないしね」
負けることは恐ろしくない。寧ろ、負けてしまえばいいのだ。
厳しい戦いにこそ身命を賭して挑む。勝てると分かりきっている戦いになど、さしたる意味もないのだから。
「では、何故?」
「さぁ。どうしてかしら、ね」
寧ろ、僕は勝ってしまうことが恐ろしいのかも知れない。
この“盤面”を覆す一手。
そんなものがシュートにあることが。それを彼が、使うことを決断してしまうことが。
『まぁね』
思い出すのは、街で魔族を退けた後の彼の姿。
『昔、パーティ組んでたんだよ。アイツと』
“勇者”と対峙した彼は、またあの“闇”を呼び起こすのだろうか。
───それではまるで……。
歴史に語られる“魔王”のように。
☆☆★★☆☆★☆
───さて、どうしよっかな。
冴えた脳で思考を巡らす。
状況は溜息を吐きたくなる程度には最悪だ。
“剣王”、“至剣”共に健在で、“剛刃”を加えた完全な三竦み。別に勝ちたいとは思ってないけど、条件から言って負けることができない。
その点、エルディンと組めたのは僥倖だった。安全に駒を進めながら、最後に勝ちを譲って痛みその他の損害を抑えられると踏んでいた。
しかし、その線も怪しくなってきた。
俺は、再度考える。今回のクエストにおける、俺に求められる立ち回りについて。そして思う。
───たぶん、“優勝”が目的じゃないね。
あの狡猾な黒猫がそれを要求するなら、そうせざるを得ない条件を俺に課すはず。
しかし現状、俺自身に勝つべき理由が見当たらない。
「───考え事とは、悠長な」
「ぐっ!」
声と同時に振るわれる剣を受け止める。
“剣王”と俺は二歩の間合いで斬り結ぶ。ほんの、半歩。どちらかが踏み出せば首が飛ぶ距離。
───……重いね……。
強化魔法を巧みに操る“剣王”。
長剣の切り返しの速さから、慣性系の魔法を併用しているのだろう。無駄が無く、丁寧な剣捌き。一瞬の迷いが命取りだ。
「───こっちだぞ」
「見えてるよ」
ほんの微かな気配。しかし見落とすには余りに鮮烈過ぎる殺気を背後に察し、躱す。
「ふむ。見事」
「隙ありっ!」
無論、“剣王”に隙など無い。横薙ぎの一閃は容易くいなされる。
「ふぅ……」
「……シュートといったか。俺の“欺瞞”を初見で見切ったのは貴様が初めてだ。褒めて遣わす」
「はぁ……そりゃどうも」
“剣王”の言葉、その表情からも含みは感じない。心底感嘆しているのだろう。お褒めに預かり光栄だ。
───ま、散々予習したからね。
しかし初見という言葉は否定しなければならない。インターネット漬けの日々がこんな形で報われるとは。
「剣も見事。近衛に欲しいくらいだ」
「……買い被り過ぎだよ」
“剣王”の過分な賞賛に首を振る。
「さて、俺も本腰を入れるとしよう」
言って、“剣王”は“欺瞞”を発動する。
「“逃げ隠れする臆病者”では、敵を貫けないからな」
「はは、偽る必要ないと思うよ」
“剣王”の“欺瞞”は、見えるどころか触れることができる。
「臆病者は、そんな戦い方できないでしょ」
言って、俺は苦笑する。
「“戦う王の英雄譚”。実は俺、ファンなんだよね」
それは、とある王国の王を主人公とした英雄譚。それに比べ、俺は相変わらず弱者だ。どの能力で比べても、“剣王”には遠く及ばない。
「戦う王か、この国にも居るのだろう? それに……俺がそう呼ばれていたのは、昔の話だ」
「うん、そうかもね───」
俺は再び剣を構え、対峙する。弱者は弱者なりに、与えられた役割というものを全うしなければならない。
「───今の君になら勝てそうだ」
「……抜かせ」
命が害されない範囲において。
☆☆☆★★☆★☆
「私は“フランベル王国”、“王直属近衛騎士団”団長・シエルだ」
栗色の髪を肩まで伸ばした女がこちらに接触してくる。
「“白麗”のハウライネ殿とお見受けする」
どうやら僕ではなくハリーに用があるらしい。
「呼ばれているわよ?」
「ふむ。何用かな?」
表層魔力の強張りで分かる。ハリーは今、緊張しているのだ。
───盤外戦、と言ったところか。
今回のクエストを単なる娯楽と断じるならば、キャットファイトも一興かも知れない。
しかし恐らく、この女───騎士団長? “剣聖”の他にも居たのか───相手にそれは成立しないだろう。
「手合わせを。手加減なら心得ている故、案ずることはない」
───隙が無いな。
体術でこの女に伍する力を、ハリーは有していない。
一見して強過ぎるのだ。例え魔力が十全に扱えたとしても、近接戦闘でハリーが勝つことはないだろう。一方的に蹂躙されるだけだ。
「安心しろ。“白麗”の次は貴様だ」
前言撤回、どうやら本命は僕らしい。視線で分かる。敵意剥き出しだ。
戦況的にも、彼女が“剣王”の相棒なら邪魔なのは“至剣”、次いでシュートだ。
“至剣”のあの魔法を見るに相棒の女への接近は困難だろうし、パーティの弱点自ら戦場に躍り出るなど非合理。
だから繰り上げでシュートの相棒である僕を狙っているのだろう。
となると、ハリーの優先順位はその更に下の“ついで”か。とんだとばっちりもあったものだなと他人事のように思考する。
「我に利がない故、受けることはできんな」
「臆病な。“引き篭もり”の蔑称は事実だったのか?」
騎士団長を名乗る女、シエルの挑発にハリーは口元を歪める。
───おいおいまさか……。
繰り返すが、ハリーにこの女を相手取る技量はない。
「なんとでも言うが良い。しかしお主、“フランベル王国”と言ったかな?」
「あぁ。そうだ」
ハリーの放つ剣呑な雰囲気に肩を竦める。
───どうなっても知らんぞ。
「はて、そんな国、我の地図には載っておらぬが」
表情を醜く歪め、ハリーは言い切る。
「亡国の王が娯楽に興じるなど、臣民は呆れておるのではないかね?」
───許せなかったか……。
“引き篭もり”は地雷のようだ。
「……不敬罪を適用する」
煽られて、シエルも爆発寸前だ。
「出頭せよ陰険な“引き篭もり”がああああ!!!」
───否、既にブチ切れていたか。
低レベルな罵り合い。呆れて溜息が出そうだ。
「二人が合意するなら止めないわ」
とはいえ、静観している訳にもいかない。
「決闘ね。そして、古来から決闘には代理を立てることが認められている」
“決闘裁判”。紛争解決の最も原始的で暴力的な手段。“神は正しき者に味方する”と信じられていた時代の悪しき風習。
「僕がハリーの代理決闘士を務めるわ」
「順番が逆になるが……良いだろう」
成り行きとはいえ、良い暇潰しにはなりそうだ。
気分を変えよう。
下らない思索に耽って憂鬱になるなど僕らしくもない。
「あなたの国では、何か作法はあるのかしら?」
「……互いに誇りを賭ける……無論、貴様に誇る程の信念があればの話だがな」
「安い挑発ね。受けて立つわ」
言葉の端々に感じる僕への嫌悪。謂れのないそれを除けば、如何にも騎士といった心構えだ。
ルールは己に問え、と。そしてその上で彼女は、僕が卑劣な手段を厭わない卑怯者だと侮りたいのだろう。
「あなたが勝ったら好きなだけハリーを甚振ると良いわ」
「無論、そのつもりだ」
「おい待て何を勝手に約束しておる」
「でも僕が勝ったら……ふぅ」
───ぶち殺す。
「少し、恥ずかしい思いをしてもらうわよ」
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