72話 君は今、希望に満ちている
人は価値を正しく判断するのが難しい。だから適当に他のものと比較して、相対的に評価して満足するのだ。
前世の父を思い出す。
彼は車を買い替える際、「ミニバンが欲しい」と言っていた。祖父母を含めた六人家族、買い物や旅行、祖父母の通院にも車を利用する田舎では、それが最善の選択肢だと思えた。
しかし彼は、ディーラーに展示された車を見て、言った。
『あの車、カッコいいな』
スポーツカーだった。
販売員は言った。「本当は四百万円ですが、今はキャンペーン価格で三百五十万円です」と。
父は言った。「なるほど、五十万円も安くなっているんですね」と。
愚かな父はそのスポーツカーを購入した。ちなみにミニバンは三百万円だった。俺は思った。
なるほど、五十万円も高くなっているんですね……!!
それどころか、彼は追加十万のオプションでシートを革張りにした。ちなみにリビングのソファは五万のものを十年以上使っていた。既に耐用年数を終えたソファはお尻の跡がくっきり残っていた。
彼は一時の気の迷いで、最初に聞いた四百万円より三百五十万円は安いと判断した。
冷静に考えれば、彼が払う金額は三百万円で済んだにも関わらず、おまけの十万まで取られて「ありがとうございました」って頭下げて笑顔で帰って本当に良いカモだったと思う。
家族は呆れたが、彼が満足ならそれも良いかと思った。スポーツカーの後部座席はラーメン屋のカウンター席ぐらい狭かったが我慢した。
しかし、そんな俺達をどん底に突き落とす出来事が起こる。納車から一週間ほどが経った頃、彼は溜息と共に言ったのだ。
『ミニバンが欲しい……』
恐ろしい話ではないか。
「どっちにしようかしら……迷うわね」
「いや選択肢ないから。予算、分かってるよね?」
「……ローン、という選択肢もあるわ」
「……冗談でしょ?」
俺達は、買い物に来ている。
「その遺伝子に恵まれた聡明な脳味噌でよーく考えてね。俺達の予算は三千万」
そして今日、恐らく俺史上最大の出費をすることになる。
「こっちの安いのが一千万、そっちの高いのは……いくら?」
「こっちも一千万で買えるわ」
「頭金の話はしてないよ。利子って知ってる? とんでもない事になっちゃうよ?」
リアムが見つめる値札、そこにはしっかりと“0”が八つ並んでいる。
「一億なんて払えないから」
「そうね……マフィアをあと七回潰さないといけないわ」
「ディストピア過ぎる……」
人身売買を企む組織がそう何個もあったら、治安がめちゃくちゃになる。
「シュート、よく聞いて」
「うん。終わったら俺の話も聞いてね」
「“先行投資”という言葉があるわ」
「俺のターン!! “ご利用は計画的に”を守備表示で召喚するぜ!!!」
しかし、守備表示では相手を攻撃できない。
「……どっちも高額には違いないじゃない。だったら、性能の良い方を選びましょう」
「気持ちは分かるよ。でも、断言する。君は今、金銭感覚が麻痺してるんだ。後悔するよ」
「何をそんなに恐れているの? 高い方を選んでも、もし不要になったら売却して負債を帳消しにできるじゃない」
「だから、その判断が間違ってるんだよ。安もんから初めて、必要に応じて装備をアップデートしていくのが定石でしょ」
リアムの目が、スポーツカーを眺める前世の父と同じ光り方をしていて怖かった。
「いいえ。最初から良いものを使った方が効率的よ。長く使えば元は取れるんだから」
何かを始める時、人間は希望に満ちている。その状態の人間は視野狭窄となり、失敗について考えようとしない。
例えば「途中で飽きてやめる」なんてありがちな結果も失敗だ。そこに、初期投資で一億など賭けられる訳がない。
希望に満ちた人間は皆言うだろう。「俺が途中で辞めるはずがない」。リアムは「長く使う」と言う。最初から良いものを買っておけば、結果的に長持ちして元が取れるのだと。
希望に満ちた人間は必ずそう言うが、その認識が間違っている。
───大体お前、エルフだろ!!!
ちなみに俺の言う“希望に満ちた人間”とは前世の父と同義。即ち“愚か者”のことを言う。
「そこなお二人、なんやお困りどすか?」
一人の女性が声を掛けてきた。透き通る声、甘い香りが俺の脳を刺激して現実に引き戻す。
店先で揉めるなんて迷惑だ。俺は謝罪するつもりで声の方を振り返った。
「あぁ、いえ……え」
そしてその姿を見て、俺は一瞬硬直した。
「お、おい、リアム!」
「……! やっぱり? こっちが良いわよね? やっぱりそうよね!?」
「じゃなくて!!」
───知り合い?
「ふふ。お久しゅう、リアム様」
「あら、あなた───」
現実離れした美貌、細く伸びる特徴的な耳。
「───ちょうど良いわ。お金貸してくれないかしら?」
「いや誰に頼んでるんだよ!」
「えぇ、もちろんよろしおすえ」
「もち、え、どっち?」
「ありがとう、恩に着るわ」
「良いの!?」
現れたのは、草色の瞳、金髪の長髪、やや言葉にクセのあるエルフだった。
☆☆★★★☆★☆
「間に合ったわね」
「うん、そうみたいだ……」
俺達は駅に到着した。
「この程度で息切れするなんて、修行が足りないわよ」
「誰の、せいだと……思ってるんだ……!」
買い物に時間を掛け過ぎて、駅への到着が出発時間ギリギリになってしまっていた。
「ふふ。それにしても、楽しみね」
「ふぅ……そうだね。でも意外だったよ。君ならもっと警戒して、断るんじゃないかと思ってた」
俺達が駅を利用する目的は、件の人工ダンジョンの依頼だった。
「そうね。確かにルーニアの思惑は気になるけど、面白そうだと思わない?」
「はは、まぁね」
発見されたダンジョンは、冒険者達に解放されるまでに幾つかの手続きを踏む。その一つが調査だ。
先日、俺達がレジルの新ダンジョンを調査した様に、その危険度や魔獣の種別、取れる素材の情報を集める必要がある。
そうしてダンジョンは四段階のランク付けがなされ、調査で得られた情報と共に冒険者達に解放される。
逆説的に、正規の手続きを踏んでしまえば正真正銘の「ダンジョン」と認められるんだ。
「人工ダンジョン初潜入の冒険者か。俺達、歴史の教科書に載っちゃうかもね」
人工ダンジョンが天然のそれに並ぶと認められる瞬間を目撃する。それが今回のイベントの趣旨だ。
「そうね。それに、ただ探索するだけで報酬一千万ペイなんて夢のようだわ。本当、ランクが上がって良かったわね」
「はは、すごい自信」
運営がダンジョンの調査をイベントと銘打って、大々的に開催している意味。
“調査のダンジョン配信”。前代未聞の異例だ。
そして運営は是が非でもこのイベントを盛り上げたいらしい。
「優勝する気なんだね」
「当前よ。仕事なんだから、全力で取り組むわ」
参加報酬の他に、優勝報酬が用意されている。それがリアムの言った一千万ペイ。
「安心してちょうだい。戦闘は僕が前に出るから、あなたはついてくるだけで良いわ」
「とか言って、また前みたいに一人にしたりするんでしょ?」
「……それ、面白いわね」
「んー!? なんか急にやる気が出てきたぞ!? これは二人一緒に乗り越えるべきクエストだ! 違うかい!?!?」
初めての共同作業。
「次の方、どうぞ」
「行きましょうか」
「あ、はい」
駅の職員から呼ばれ、二人して案内された部屋に移動する。そこは六畳程の小綺麗な空間で、床に如何にもな魔法陣が描かれていた。
駅とは言っても電車を待ったりしない。この魔法、異種族なんでもござれの異世界では、もっと便利な移動方法があるんだ。
「二名さま、目的地は“ゴールディエ”ですね」
言って、職員は俺達に接近する。
「魔石を確認致します」
駅の利用に際し、利用者は特殊な魔法式の刻まれた魔石を買う。職員はその魔法式を確認すると言う。
「これで良いかしら?」
「結構です」
「はい」
「……結構です」
俺達は順に、円形に加工された魔石を職員に見せた。
俺の魔石を手に取った職員がそれを返却するまでに一瞬の沈黙があったが、きっと気のせいだろう。
「では転送を開始します」
職員の言葉の次の瞬間、魔法陣が光だした。それに呼応するように魔石の魔法式も光だし、眩い光に視界を奪われていく。
「……良い旅を。“照準転送”」
───魔石の加工技術と魔法式の知識があれば、一生食い扶持無くならないだろうね。
次、器用なドワーフに会ったらやり方を聞いておこう。
考え事をしている内に、周囲の光は収まり辺りの景色が変わっていた。
「……何だ? あれ、リアム?」
駅の一室は清潔感のある内装だった。
しかしここは魔法陣こそあるものの、元いた駅の印象とはかけ離れた風景。壁が崩れていて、元いた部屋よりも広い。そして何故か、リアムの姿がどこにも見当たらなかった。
───え、何? ここどこ?
明らかに廃墟だ。
「へっへ、よく来たな」
「ん?」
声の方を振り返ると、如何にもな風貌の男が立っていた。その男に続くようにぞろぞろと配下らしき男達が入ってくる。
「おいお前ら! 次の獲物のご登場だぜ!」
「あの、ここどこですか?」
俺は、一か八かで現れたチンピラに尋ねてみた。
「お前の墓場。恨むなよ、運が無かったのさ」
───なるほど雑魚だね。けど、
「……良いの持ってるね」
「へへ、分かるか? まぁ俺くらいになりゃあ、得物もそれなりもんが相応しいって話よ」
チンピラが持つ剣から、僅かに魔力の流れを感じた。となれば、柄頭に光る石は単なる宝石ではなく魔石だろう。
呪器。一介のチンピラが、ねぇ。
「そっか。良いよ、俺も今日は剣あるし。少し相手してあげよう」
言いながら、腰に手をやる。円形の魔石は転送のために消費されて無くなったが、その他の持ち物はちゃんと手元にあった。
「何だ、威勢がいいな。試し斬りさせてもらうぜぇ」
「はは、少しだけだよ?」
───ざっと二十人くらいか。
「お前ら! やっちまえ!!」
頭目らしき男が檄を飛ばす。
「おらぁ!」
「死ねぇ!」
前方からチンピラ二人が突進してくる。二人が持つ剣にも魔石が施されていた。他の者が持つ剣も同様だろう。
俺は二人の剣を紙一重で躱す。もちろん、すれ違い様に足をかけて転ばせてやることも忘れない。
「くらえ!」
間髪入れずに別のチンピラが無詠唱で火球を放つ。大した規模ではないそれを、身を翻してやり過ごす。
「ぎゃあっ!」
「おい! 周り見て使え!」
状況は明らかに劣勢。しかし、所詮はチンピラだ。
剣技も魔法の扱いもまるで素人。狭い室内では、飛び道具は使いにくい。そんな事も分からないのか。
「次は俺だ!」
「もらったぁ!」
俺はしゃがみ、前後から接近する男達の剣を躱す。そして立ち上がると同時に剣を抜き、真一文字に振り抜いた。
「なっ……!」
「おい、怯むな!」
たった一振りで、生首が二つ転がる。
───まぁ、こんなもんか。
「……君達さぁ」
───どうでもいいね。
「自分の心臓がどんな形か知ってる?」
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