67話 暗黒呪物
『……助ける、とは?』
俺はボディガードとのやり取りを思い出す。
『さっきも言ったが、お嬢は随分舞い上がっちまってる』
可愛らしい言葉の響きじゃないの。
記憶するアリエラの姿とは乖離してるけど、彼女も人並みに大喜びして小躍りしたりするのかな。イメージと違い過ぎるね。
『……花嫁修行、らしいんだが……』
なるほど大はしゃぎしてるらしい。小躍りしてても全くおかしくない程に舞い上がってるね。
いつの間にか結婚を前提に話が進んでるけど、指摘しない。俺は日本人だからね、そこんとこ空気読めるんだよちゃんと。
ただ、男の様子は気になった。何かを言い淀んでるみたいだ。
『料理の出来が、どうも……』
聞いて、安心した。料理の練習くらい、女の子なら皆やってるよね。
彼女は遂に、マフィアから足を洗う気になったのかも。もちろん、慣れない料理の味は劣るだろうけど、時間が解決するんじゃないかな。
『なるほど。俺の口から指摘すれば、改善が見込めるかも知れない。そういう事?』
アリエラは女の子だ。苦手とはいえ、料理について野郎共にごちゃごちゃ言われるのはムカつくんだろう。
しかし、夫候補───誠に遺憾だが認める他ない───の俺の言葉なら聞かざるを得ない。
このボディガードの要件とは、察するにそういう事だろう。
『……やってくれるのか?』
『ま、彼女には俺も恩があるからね』
適当に褒めて、改善点を二、三指摘すれば良いんでしょ? 簡単簡単。
『ところで、えぇと、ジークさん?』
『何だ』
俺は男の名を呼ぶ。流石にボディガードと呼ぶ訳にもいかない。
『料理の出来、実際どうなの……?』
『あぁ』
これは聞いておきたかった。
料理は見た目じゃないけど、場合によっては絶句してしまうかも知れない。今回に限ってそれは絶対に避けたい。で、心の準備をしておきたいって訳。
『見れば分かる。あぁそれと』
しかし、ジークは必要ないという。まぁ、練習してるんだし、相応のものが出てくるんじゃないかな。
『俺のことは、“アニキ”と呼べ』
言って、突如俺の義兄へとジョブチェンジした男は口元の笑みを深めた。
そして現在。
「さぁ、あなた。席について」
目の前には美しく微笑む美女。その妖しい魅力に吸い込まれてしまいそうになった俺は、勧められた席につくと視線を手元に落とす。
「食べましょう?」
小綺麗な器に鎮座するのは、散々辱められ弄ばれた醜い生命の残骸。人間への憎悪を現世に遺しているのだろう。見るからに禍々しいオーラを放っている。
「卵焼き。練習したんだけど、まだ下手くそで……ごめんなさい」
話が違うじゃないか。
俺はアリエラの料理に口を付け、改善点を指摘するだけの役割だったはずだ。それが、失われた黒魔術の実験台にされようとしているのは何故?
───いや嘘は無かったけども!
彼は、アニキは確かに「見れば分かる」と言った。その言葉に嘘は無かった。見た瞬間分かったんだ。俺の置かれた境遇が。この後訪れるであろう災厄、その顛末が。
「シュート」
俺は名を呼ばれ、振り返る。
───アニキ……!
俺は、期待した。恐らくこの場で最も強い発言力を持つ男の出す、助け舟を。
「……食え」
しかし、と思う。俺の乗り合わせた舟は、必ずと言って良い程三途の川を渡ろうとする。
───コイツ、裏切りやがった……!
彼は、子煩悩というか義妹煩悩だ。
嫌われることを恐れた。そうして体のいい生贄として、俺を差し出すことにした。
「脅かすな、ジーク。お前らも邪魔だ。どっか行け」
想い人との逢瀬を邪魔され、憤るアリエラの姿は正しく乙女のそれだ。しかし、状況が違う。
ここは黒魔術の実験場。夢想するウフフな展開などありはしない。
「いいえ、お嬢。ボスの言いつけです。俺には最後まで見届ける義務がありますんで」
裏切り者は言う。なるほど、今回の件にはボスまで関わっているのか。組織ぐるみの、計画的犯行。
つまり、生贄の亡骸を始末するのも簡単って事だろう。
「……アリエラ」
「何? あなた」
気にしないようにしていたが、彼女の常用する二人称は「お前」だ。
丁寧な言葉を使うのは、俺に気があるからだろうか。それともその三文字自体に、何か別の意味合いが含まれているのか。
「卵焼きの色は、黄色だよね。違う?」
これは何だ。
「……少し焦がしてしまって……ごめんなさい」
謝って済む事だろうか。
「……ちゃんと作れるように練習しよう。俺も手伝うから」
だが、これで済む話だ。
「で、でも、味は確かなの! ……一口、食べてみてくれない?」
「……死ねと?」
上目遣いで見つめるのはやめてくれ。俺は、日本人だ。据え膳食わぬは何とやらだ
考えてみて欲しい。
まず、相手は女性だ。それもかなりの美人。そして立場はマフィアの令嬢だ。俺は前世で不良を心底嫌っていた。
ヤクザ美女。そう、この二点だ。出会った瞬間に惨敗していた。
「み、皆にも聞いてみよう! これ、食べ物に見える!?!?」
「当然よ。皆、いつも取り合って食べているんだから」
「本当に!?」
闇に生きる人々は、日々拷問に耐える訓練を受けていると聞く。いや尊敬の念を抱いている場合じゃない。
「じゃあ! 食べられる人は手を上げて下さい!!」
静まり返る室内。誰も、手どころが指の一本も動かさない。微動だにしない。まるで彫刻像のようだ。
「ほらね? 皆手を上げているわ」
「目ぇ腐ってんのか?」
しかし、男達の表情には確かに「お手上げ」と書いてある。
「あなた……お願い」
さて、困ったぞ。
「お嬢、これは食事の席です。親睦を深めてぇなら、相応の態度ってもんがあるでしょう」
───あ、アニキ……!!
俺は遅れて現れた勇者の参戦に震えた。彼こそが俺の救世主だったのだ。優しい声で分かる。
誰だ、うちのアニキを“裏切り者”と断じたのは。恥ずべき無知である。
「食べさせてやりゃあいいでしょう」
「そ、そうか。確かにな」
───なん、だと……?
どうやら彼は裏切り者でも救世主でも、俺に引導を渡す死神でもなくただの義妹煩悩だったらしい。許さない。
「……はい、あなた……あーん」
あーん(死刑執行)
俺は、密かに覚悟を決める。逃げ道がないのだから仕方ない。
まぁ不味い飯を食うぐらいどうって事ないだろう。別に、死ぬ訳でもあるまいし。
「シュート」
義妹煩悩は、哀れみの眼差しで俺を見る。
「……骨は、拾ってやる」
どうやら俺の死は決定事項らしい。
ゴクリ
生唾を飲み込む。最後の晩餐が黒魔術の失敗作とは、我が人生ながら気の毒だ。
「あむ……ぶぐっ!!!!」
口に入れ、そして吐き気を催した。同時に酷い頭痛に襲われ、全身から汗が吹き出す。目が眩む。震えが止まらない。
いったい何をどう調理すればこの味を再現できるのだろう。異次元だ。
俺は座っていることもままならず、床に倒れ込んだ。
「あなた!!」
定まらない視界の中で、アリエラが慌てている。自らが生み出した暗黒呪物の脅威に、今更気付いたのか。
「息してない……人工呼吸、しないといけないわよね?」
違った。どこまでも煩悩に忠実な思春期の乙女だった。
面白いと思って頂けたら下の☆マークを押して評価をお願いします。執筆の励みになります。




