56話 次ぐ屋根を待つ
いつか「特別な存在」になりたいと思っていた。
俺は前世の、生まれた時の記憶が残っている。視界の端で揺れる、清潔感のある白いカーテンを覚えているんだ。
生まれた時の記憶がある人間は「天才」である事が多いらしい。俺もその例に漏れる事はなかった……はずだ。
前世の俺は幼い頃、意外にも何でも出来た。でも、だからこそ燃える様な情熱を抱く様な事もなく、パッとしない幼少期を送っていた。
友達を作ろうとしたり、身体を鍛えようと格闘技をやってみたり、芸術に触れようと絵や歌を嗜んだり、良い進路を選ぶために勉強したりもした。
しかし、何かが違う。どうも俺の思う「特別」の要件を満たしている気がしない。
そんな俺の、小学校時代の話。
☆☆★☆☆☆☆☆
俺は、思った。
───友達が欲しい。
本当にふとそう思った。
それまでの俺は、独りを苦にしていなかった。しかし、気付いてしまったんだ。
───他人と比べなければ、そして上回らなければ、自分の「特別」を証明出来ないのでは?
と。そして気付いた俺の行動は早かった。
ある日、俺はクラスのイケてる女子の筆頭、ハナミヤちゃんに話し掛けた。
『人魚の鱗は実は刺青で、裏社会を牛耳ってるらしいよ!』
確か、他人に鼻で笑われたのはこの時が初めてだったはずだ。俺は話題を間違えてしまったらしい。
幼い女子に、これ程高度なジョークは難しかったのだろう。今なら分かる。俺が選ぶべきだった話題は、
『メイド服を着たメスゴリラが訪問販売でヤバい薬を売り歩いていたよ!』
だ。大爆笑間違いなしである。
レベルアップ。トーク力が上がった!
そんな事を繰り返していたら、俺はいつの間にかクラスで浮いていた。
───誰も俺に並ぶ事は出来ない。強者は孤独。
嬉しかった。これが一年生の時の出来事だ。
しかし、圧倒的な話術を見せつけた俺は、他者を認識すると同時に気付いた。
───如何に強者と言えど、数の脅威には敵わないのでは?
俺は絶対的な個の力が必要だと思った。ここでも俺の行動は早かった。
放課後の教室で「喧嘩道場」なる新流派を立ち上げたキムラくんに近付いた。
キムラくんは俺の内なる才能に気付くと、すぐに道場の門下生へと迎えてくれた。彼は幼いながらに中々見る目があったと思う。
喧嘩道場でキムラくんは、絞め技、関節技を披露し、俺はその全てを一身に受け止めた。違う。断じてサンドバックではない。
『いいか! 人体力学の極意は”脱力”だ! 抗うな! 力を抜けぇぇえええ!!』
キムラくんの至言には毎度感動させられた。
ただ、「喧嘩道場」なのに打撃技じゃないの? とは言わなかった。言えなかった。
───“コブラツイスト”! “バタフライロック”!! “ステルスバイパー”!!!
魅力的な技名ばかりだ。
君達は「エンドゲーム」を知っているか? とにかく名前がカッコいい俺のお気に入りのプロレス技である。
ある日、同門のナカジマくんが組手中に怪我をして、キムラくんは責任を追及された。そして彼は道場をたたむ事になる。
先生は言った。
『外傷の残らない絞め技で痛めつけ、親や学校にバレない様にするなど陰湿だ』
と。俺は思った。
それはそう。
しかし、感謝もある。実際にキムラくんは俺に技を見せ、鍛えてくれた。
その恩に報いるべく、喧嘩道場の最後の日、俺は決死の覚悟でキムラくんに飛びかかった。
あと普通に鬱憤が溜まっていた。
───絞め技なんて生ぬるい! 男なら打撃あるのみ! 拳で語れぇぇえええ!
そして返り討ちに遭った。その時、キムラくんは一切の迷いなく顔面をグーで殴ってきたのだ。
普通に打撃の方が痛かった。
キムラくん、いや師範は最後に、身をもって打撃の重要性を俺に説いてくれたのだ。
感動した俺は鼻から血を噴いて倒れた。レントゲンを撮ったら、鼻中隔が見事にくの字に折れ曲がっていた。
ふふ。これでは更に、男前に拍車がかかってしまうではないか。
レベルアップ。防御力が上がった!
これが二年生の時の出来事だ。
確実に力を付けていた俺は、クラスでも一目置かれる存在となっていた。
それは言うならばVIP待遇。俺の席の周りには誰も寄り付かなくなっていた。
満足した。騒がしい教室の中に安息の地を見出したのだ。
───俺を中心とした、絶対的“不可侵”。そうか、これが“結界”か……!
そこが俺の支配領域である事は、もはや周知の事実となっていた。
俺は、孤高の存在感をほしいままにしていたのだ。断じて腫れ物扱いされていた訳ではない。
俺はクラスの頂点に君臨し、そして思った。
───虚しい……。
確かに俺は「街の変なおじさん」的な意味での「特別感」は得たが、どうも「コレじゃない」気がする。
そして気付いた。
───心が充実していないんだ!
古今東西、世界には多様な芸術が存在する。
音楽や詩、または絵や小説など、実に様々な芸術が文化となって生活に溶け込み、人々の心を豊かにしている。
芸術とは、感性。つまりセンスだ。
そして時に人の感性は、芸術に昇華されると金銀財宝をも超える価値を叩き出す事がある。
それは海を越えて大陸を渡り、この島国の小学校、その教育課程で採用されている教科書にも載る程だ。
───これだ! この“価値”こそが俺の求めた“特別”だ!
「センス」とは、如何にも高尚で魅力的な個性だと思った。
そして俺は、クラスの女子に話し掛けた。
『猫は皆の家に侵入して集めた個人情報を売り捌いて生活してるらしいよ!』
するとその女子は神妙な表情で聞いていた。やっと話の分かるやつに出会えたらしい。
ちなみに、この女子はハナミヤちゃんではない。彼女とはあれ以来話していなかった。
彼女は俺を畏れ、仲間を集めて身を隠しているのだ。そして時折遠巻きに俺の方を見ながら、仲間達とヒソヒソ呟き合っている。
───呪詛か? 残念だが“結界”を得た俺に呪いは効かないぜ。
やはり「特別」じゃない奴に興味は湧かない。矮小な存在よ、哀れなり。だから俺は、あくまで善意に突き動かされて言ったのだ。
『0が何人集まっても、0より上には行けないよ?』
放課後の職員室に呼ばれたのはこの日が初めてだった。
今回俺が声をかけたのは、ウツミちゃんという独自の歌を創作している子だった。
いや、歌というより詩というのが正しいか。メロディーは無く、短い文章にこれでもかと想いを捻じ込んでいる。
───やや内向的な性格は、自身の内なる「特別」と対話しているのだろう。
彼女も俺と同じ求道者の様だった。
その日から俺は無意識に、ウツミちゃんを観察する様になった。
彼女はクラスメイトといたずらに戯れる事をせず、最低限の人物とだけやり取りを交わしては、ひたすらノートに齧り付く様に何かを書き込んでいた。
───まだまだだな。しかし筋はある。極めればいずれ、彼女も“結界”を得るだろう。
俺は同類の出現に咽び泣いた。
彼女のノートにびっしりと書き連ねられているのが、彼女オリジナルの短歌であるとは後に知った。
彼女は短歌を愛し、一方で流行りのポエムを嫌悪していた。何でも、古の貴族の雅な感性と、それを短い詩に載せる卓越した知性に感動したのだとか。
そしてある日、彼女は俺に一句詠んだ。
───陽に急かれ 屋根を選べば 涼しけれ 踏む影見ては 次ぐ屋根を待つ
詠んで、俺の顔を真剣に見つめた。
『なるほどね、中々の名句だ』
さっぱり分からなかった。
しかし、ウツミちゃんは俺の言葉を聞いて表情を輝かせた。胸にくるものがあった。チョロ過ぎる。
そしてあろうことか、ウツミちゃんは俺に「へんか」なる謎の概念を要求した。
───「へんか」、「変化」? 変われって事? え、もしかして嘘バレてる?
違った。「返歌」とはつまり、ウツミちゃんの詠んだ句に対する返事の句を返せという意味らしい。
恐ろしい話だ。
俺はそれまで短歌なる概念をロクに知りもしなかったのだ。
それを、ウツミちゃんの難解な句を解読した上でレスポンスを返せとは、高度過ぎやしないかな? そして俺に全くと言っていい程利が無い。一方的な搾取だ。
俺は考えた。そしてその上で、
『タイムカプセルって知ってる?』
問題を先延ばしにする事にした。
作った短歌を今見せるのは恥ずかしいから、お互いの短歌をタイムカプセルに入れて、大人になってから答え合わせをしよう。
結構ロマンチックな事考えるな、我ながらセンスがある。
この話をした時、ウツミちゃんは少し顔を赤くしていたが、その意味は分からなかった。
約束通りに二人はタイムカプセルを埋め、程なくしてウツミちゃんは学校を休む様になる。それが三年生の時。
彼女が陽に耐えられない程病弱な身の上だと知ったのは、四年生の時だった。
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