5話 婚約破棄を申請します
『民法における“詐欺”とは、他人を欺罔して錯誤に陥れる事なんだって』
『……なに? 急にどうしたの?』
それは前世の、小学生の時の記憶。
『シュー君時々、話が噛み合わない時あるよね』
難しい言葉を使う奴=すごいという方程式。つまり俺はすごいということ。QED。証明完了。
『まぁね。俺IQ200だから、何でも知ってるんだよね』
『“あいきゅー”って何?』
『頭の良さの事だよ。相手と自分のIQが20違うと、会話にならないって言われてるんだ』
『なるほど、だから時々、シュー君の言ってること分からない時があるんだ』
『はは、まぁそうなるね』
『やっぱりシュー君、おバカだったんだ!』
『ん〜?』
『そうじゃないかなって思ってた!』
『待って待って、違うよ?』
『大丈夫! おバカなシュー君がこれ以上バカにならないように、私、いっぱい勉強して色々教えてあげるね!』
『君、バカの意味って分かってる?』
『うん知ってる! 私、あいきゅー220? だもんね!』
『あの、そうじゃなくてえと、俺が天才で君がバカであの……』
彼女は、同級生のウツミちゃん。こんな変わり者の俺と唯一まともに話してくれる変わり者。
『で? 何の話だっけ?』
『? ……あ、詐欺! そう詐欺だよ!』
この日の会話は、今でも鮮明に思い出せる。
『今朝ニュースでやってたんだ! “結婚詐欺”に遭ったおじさんのニュース!』
『“さぎ”って?』
『騙されて、お金を奪られたってこと!』
『え……かわいそう』
『……そうだね。でも何で騙されるんだろう。“愛”が無ければ分かるはずなのに』
『ふーん。でもシュー君、色んな言葉知っててすごいね』
『はは、まぁね』
『おバカなのに、勉強頑張ってて偉い!!』
『ん〜?』
『シュー君、“さぎ”されたらダメだよ』
『え、いや俺は騙されないよ? IQ200の天才児だから……』
『でも大丈夫! 私、あいきゅー220だから助けてあげるね!!』
『だから! 俺天才だから! 騙されないから!!』
彼女と話すのはとにかく楽しかった。その中で、夢……というか、目標もできた。
そんな彼女に、俺は一つだけ嘘を吐いた。
あの時から全てが始まったのだ。
そうこれは、真実と嘘とが織りなす愛の物語なのである……。
「───さっさと起きろ!!」
「ぐっはぁ!!」
怒号と共に、衝撃は腹部に走った。
あまりの痛みに目を見開くと、黒髪のエルフが居た。奴は風呂上がりなのか、髪が濡れている。
「支度しろよ」
「何で殴ったの!?」
「仕事だ。一分で準備しろ」
会話にならないし全てのセリフが命令形だね。
「……今日はギルドで手続きもしないといけない。依頼も早い者勝ちだし、急ぐに越した事はない……分かるな?」
「うん……うん?」
何かを説明してくれているのは分かる。だが絶妙に的外れだ。俺が聞きたいのはそんな事じゃない。
「わかったよ」
何も分かってないけどとりあえずそう返答して、準備を終えた俺達はギルドに向かった。
☆☆★★★☆★☆
ギルドで依頼を受けた俺達は、街外れの道を進み森の深部を目指す。
この世界の生き物は、一部を除いてみんな体から“魔力”を放出している。それを意のままに操り、摩訶不思議な現象を起こすのが“魔法”だ。
だから魔法を使用するためには、魔力の扱いを極めなければならない。
「ねぇ」
自然の魔力に満ちた森。恐らく奴の土俵であるそこで、俺は立ち止まって呼び掛けた。
魔力は光や音のように、刺激として感知する事ができる。
この魔力を察する技術、“魔力探知”を身に付ければ、魔力の操作性が向上するだけでなく、相手の気配を察して行動を先読みすることなんかも可能。
「……何?」
だから、俺は疑問だった。
「どういうつもり?」
このエルフが、一体何を考えているのか。
「君の目的が分からない。俺を騙して、仮初の夫婦を演じて、何を企んでるの?」
だから、聞いてみることにした。
「別に。何も企んでなんかいないわよ?」
「……そっか」
嘘じゃないっぽい返答だ。
魔力は感情により励起される。だから、嘘をついたり演技したり、そういった意図的な行動によって生じる“緊張”に敏感に反応する。
「じゃあ、質問を変えるね」
相手がエルフであること……魔法に対する造詣の深さを加味しなければ、奴の言葉は疑いようもなく真実だ。そう、断定出来る程に奴の魔力は自然体だった。
すると、当然の疑問が浮かぶ。
「何で俺と結婚したかったの?」
男の癖に。
「何でって……」
照れたように目を逸らすエルフを、俺は凝視する。
もう騙されない。
それが演技なのは魔力を見れば分かる。しかし、流石エルフ。騙されていると自覚するまで気付かない程自然体な魔力だ。
だが、もう二度と騙されない。見切ってやるよ、お前の思惑を……!
「あなたのことが、気に入ったからだけど」
「なるほどね」
それは十分に有り得る可能性だ。疑うのも馬鹿馬鹿しい程に。
まず俺の容姿は整っている。前世なら、間違いなく今年のジュノンボーイは俺だっただろう。
そして、不幸な少女になけなしの報酬を恵んであげる程度には人格者だ。前世ならノーベル平和賞とか受賞してたに違いない。
参ったな。俺は思いやりのある日本人だから、自分に好意を向ける相手をぞんざいに扱うことができない。
「正直、君が何者でも俺はどうでもいいんだ。ただ───」
「ガアアアアッ!!」
瞬間、俺を挟んで二箇所で爆発的な魔力が生じた。
一方は背後から忍び寄って来ていた“魔獣”。野生特有の“隠蔽”を使いこなす森のハンター、ハウンド。
そしてもう一方は、
「───敵か味方かくらいはハッキリしときたいんだよね」
俺の、正面にいたエルフ。
「ガゥア……」
─── 一撃か。可愛げがないね。
俺を挟んで出現した二つの強烈な魔力の“圧”は、既に鳴りを潜めている。
一方は絶命によって。そしてもう一方は、完璧なまでの“隠蔽”によって。
「どういうつもり?」
声の方を振り返る。
「何が?」
───転移魔法か……?
全く目で追えなかった。
結果から言うと、エルフは俺の背後から飛び出したハウンドの脳天を拳で砕いていた。
「あなた、気付いていたわよね?」
まぁその通りだ。冒険者が森に入るのに、周囲の警戒を怠る事はない。
「ま、必要ないかと思ってさ」
エルフは俺を騙していた。目的は未だ図り知れない。
だから、人目につかない森までついて来てみる事にした。害意があるなら尻尾を出すだろうと。
「そう」
だが奴はここまで一度も、一瞬も俺に対して“殺気”を放っていない。
それは今、魔獣に対する正真正銘のそれを肌で感じて確信した。
「合格、ってことかしら?」
そして、同時に理解した。
「うん、それで良いよ」
俺の頬を大粒の汗が流れる。
「WIN - WINの関係で行こう。俺は君に部屋を提供する」
これも、進○ゼミじゃ習ってない。
「君は、俺を殴らない」
“森の賢者”が、こんなにも武闘派だなんて。
「あら、素敵な条件ね」
「でしょ?」
強過ぎる。それで何で野盗から逃げてたの?
「ふふ。僕達───」
少し、面倒なことになったかも知れない。でも、不思議と気分は悪くない。強がりじゃないよ。寧ろ、今までが退屈過ぎたんだ。
「───良い夫婦になれそうね」
「はは……かもね」
だって素手喧嘩最強エルフの相棒なんて、胸が踊るじゃない?
☆☆★★★☆★☆
「婚約破棄だ」
魔獣の跋扈する森で、俺は決意を口にする。
「俺は君との婚姻関係を破棄するぞおおおおお!!」
そして絶叫した。
「……行ったわよ」
「グラア!」
「おおわっ!」
俺は剣を振るってハウンドの突進を受け流す。
「グゥルル……」
俺達はギルドで依頼を受けて、ここに来た。
そう依頼。わざわざギルドに依頼を出すのだから、相応の理由があるのだ。
危険が伴うだとか、単純に面倒だとか。
「そらすなよ!」
「あなたねぇ……」
俺達は今、魔獣の群れに囲まれている。
皆カチキレてる。何でって聞くまでもなく、さっきエルフがぶっ殺したハウンドの家族なんだろうなぁ。とか思いながら、俺は素通りしようと決めていた。
だってそうでしょ?
「俺は、魔法が使えないって、言ってるだろおおおおお!!」
俺達が受けた依頼、「薬草採集」なんだが!?!?!?
「なんだ、やれば出来るじゃない」
俺は遮二無二になって剣を振る。
「ま、及第点ってところね」
俺が一体のハウンドを相手する間も、脳筋エルフは手際良く拳を叩き込んで犬を肉に変えていく。見ると、既に敵は残っていなかった。
「ハァ……ハァ……あ、改めて……言わせてもらう」
俺は息を整えるのもそこそこに、再度決意を表明する。
「……婚約破棄だ……!」
そう、「婚約破棄からの逆転ざまぁ展開」である。
こんな命知らずの脳筋エルフと一緒に居たら、命がいくつあっても足りない。俺はこの逆境を乗り越えて、一発逆転幸せなスローライフを満喫するんだ!
「……あのなぁ」
「何だよ」
エルフの口調が変わった。嘘クサい演技を辞めたのか?
魔力を見るに、この反応は……
───呆れ……? この状況で、あっちが??
理解できない。
「一つ断っておくが、僕達の関係は既に戸籍上の夫婦。口約束での婚約関係とは訳が違う。分かるか?」
「そうだね」
俺が「婚約破棄」と言った事、その揚げ足を取っているのか?
そんなもの無意味だ。
「けど、君は男だった。虚偽の申請、立派な詐欺だ」
この国には法律がある。故に、俺の優位は揺るがない。
はずが、
「そうだ。確かに僕は男だ。期待に添えなくて悪かったな」
このエルフ、不敵に笑ってる。
「もしお前が望むなら、今日にでも役所に行って手続きをしよう。お前が本当に“離婚”したいなら、な」
「……何が言いたいの?」
「この国では重婚が認められているそうだな」
「まぁ、そうだね」
重婚。男なら一度は夢見る桃源郷。だが俺みたいな低所得者には関係ない制度。
言葉だけの幻想郷だ。
「でもその分、トラブルも多いそうだぞ? “離婚”の制限が強まる程度にはな」
苦し紛れの言い訳には聞こえない。
「結婚のトラブルが増えた為に、離婚時には裁判が通例となった……困るんじゃないか?」
「……何が?」
瞬間、エルフはほんの一瞬魔力を解放した。
それだけで、俺は目の前にドラゴンが現れたのかと錯覚して目を疑う。
視界には、変わらず美しいエルフが立っている。
しかしその微笑みが、眼差しが、余裕を湛える立ち姿が、どうしようもなく俺を萎縮させるのだ。
俺は、背筋に冷たいものが伝うのを感じた。
「離婚裁判は民事だ……最後まで行ってしまったら、ねぇ?」
“決闘裁判”。暴力を許容する異世界の、超原始的で不合理な紛争解決手段。
“民事”で、“最後まで行ったら”、落とし所を決める手段が必要になる……。
勝ち目はないだろう。法律がヤクザ過ぎる。
「わかった?」
「……この俺が、暴力に屈する男に見え……」
「お手」
「ワン」
詐欺師は手を差し出した。
「……君は俺に首輪を付けたつけたつもりだろうけど、覚えておくといい。両者を繋ぐ手綱、その主導権を握っているのは、俺かも知れないということをね」
「それは怖い。噛まれないようにたくさん可愛がってあげないとね? ポチ」
エルフは不快な程美しい顔から猫撫で声を垂れ流す。
「あの“犬小屋”も、既に共有財産なの。だから、仲良くしましょう?」
「はは、“ワン”ルームだけにね……なんちゃって」
俺は理解した。これは戦いなんだ。猛獣と人間との。
いつだって人類は、猛獣を飼い慣らして上手いこと共存してきた。歴史に習って俺もそうすべきだ。
「行きましょうか。ポチ」
犬小屋で共存するため、時に愛玩動物は猫撫で声で鳴かなければならないのだ。
「……ワン」
猛獣に。
面白いと思って頂けたら下の☆マークを押して評価をお願いします。執筆の励みになります。