52話 ドMについて、どう思う?
「私は、ドMなのだろうか」
ダンジョンの調査を終えた日、騎士団の分隊長であるケインは一足先に街に戻った。
『警備の仕事があるっス! それに、早く帰ってもっと鍛錬しないと……俺、頑張るっス!』
薬に当てられて偽りの気力に満ちた彼を見送った俺達は、一晩レジルでの休暇を過ごした。
のどかな田舎町は、空気が澄んでいて良いリフレッシュになった。そして今日、馬車に乗って帰宅する手筈となっていた。
「考えた事もなかったのだ、自分がドMであるなどと」
リアムはこの馬車には乗り込んでいない。
『新しく出来たお友達とゆっくり話がしたいの。悪いけど、先に帰っていてくれる?』
第一の詐欺師と第二の詐欺師の会合。遂に出会ってしまった最凶の二人。
嫌な予感しかしない状況ではあるが、奴も何かしら考えがあるのだろう。そう信じたい。
そして自然、用意された馬車に乗り込んだのは俺と回復した剣聖・レイスの二人だ。
いけ好かないこの男との旅路は憂鬱だが、寝て過ごせば済む話だ。俺は考えるのを辞めて目を閉じる。
「しかし、気付いてしまったのだ。自分の性に。どうしようもない、ドMである事に」
……コイツはずっと、何を言ってるんだろう。
馬車に乗り込んでしばらくは無言だった。
お互いに好印象を抱いてない上に、多弁でもない。レイスは口数の少ない方だし、俺も必要がなければ話さない。
そんな居心地の悪い沈黙を破って語られたのが、彼の性癖についてだった。
恐ろしい話ではないか。
俺はいつの間に彼と性癖を晒し合う程の親密な関係を築いたのだろう。
もしかして俺には何か秘めたるコミュニケーションの能力があって、いつの間にか彼の心の扉を全開にオープンさせてしまったのだろうか。
「私はドMなのかも知れない」
しかし、と思う。巻き込まないで欲しいのだ。
俺は他人の性癖など微塵も興味が無いし、聞きたくもない。
何も考えず、頭を空っぽにして眠りたいのに、言葉のインパクトが強過ぎて思考が吸い寄せられてしまう。勘弁して欲しい。
そして俺は未だ、この世界のジェンダー事情というものに疎い状態だ。
もしかしたらこの世界では前世の日本とは違い、性癖などの込み入ったパーソナリティについても雑談の中でカジュアルに話すものという認識なのかも知れない。
そう考えれば、不思議と納得出来る気がした。
二人きりになった途端に被虐性愛を暴露され動揺したが、彼にとっては日常の風景なのかも。
しかし他人の性癖など、どの感情で受け止めれば良いのか。喜怒哀楽、多分哀だな。哀れ。もう考えるのは辞めよう。とにかく眠いんだ。
「貴様は、ドMについてどう思う?」
俺は、ドMについてどう思っているのだろう。考えてみよう。
ドMとは、マゾヒストの事だろう。他者から肉体的、精神的苦痛を与えられる事に過剰に性的快楽を覚える異常性癖。
言葉にするのも気が引ける。犯罪者予備軍とまでは言わないが、騎士団としては憎むべき個性なのではないか。
───いや、待てよ?
ふと、全く別の考えが浮かんだ。
俺の知識は、前世から繰り越されたものだ。そして今世の俺は友達が少ない。だから、その答え合わせを経ずに今日まで過ごして来た。
つまり、だ。
この世界の「ドM」とは、俺の想像する被虐性愛とは全く別物なのではないか?
レイスもドMドMと連呼するだけで何を連呼してやがるんだこの変態騎士は。どうでも良いわ、俺は眠いと言ってるだろう。
ドMの語源となったオーストリアの小説家、ザッヘル=マゾッホがこの世界への転生を果たしていようがいまいが関係ない。
「教えてくれ。ドMについて、どう思う?」
「なんなんだよ君、さっきから」
「私か? 私はドMだが?」
「OK分かった降参だよ。話だけは聞こう」
「私はドMだが?」じゃねぇんだよ。どの顔で言ってんだ。
忘れがちになるが、この男はリアムと並ぶ傾国の麗人。男女問わず無数のファン・パトロンが彼に追従している。
ドM連呼しやがって、いったい何人の顔ファン達の性癖をぶち壊したら気が済むのか。
「……聞くけど、ドMってあれ? 女王様的な、お仕置き的な事で合ってる?」
俺は、いったい何を質問しているのだろう。
「女王様、なるほど、そんな呼び方があるのか。礼を言う。いや間違いなく私が求めているのはその女王様との逢瀬に相違ない」
この男はいったい何を言っているのだろう。儚げな表情の無駄遣いだ。
「どう思う、か。別に、なんとも思わないけど」
他人の性癖など心底どうでもいい。
「そうか。重ねて礼を言う。不安になったのだ、私はおかしくなってしまったのかと、な」
「へぇ」
奇遇だね。俺も今、全く同じ事を思っているよ。
「あの気丈な物言い、その信念を支える自信と覚悟、それを裏付ける経験と研鑽───」
レイスは窓の外に視線を移し、目を細める。
「───名は、シーナだったか。気高く美しい、花の様な女」
「……なるほど」
俺は目頭を押さえる。
───詰められて、悦んでしまったか……。
レイスは騎士団長を務める立場ある存在。あぁまで詰め寄られる経験はさぞ新鮮に感じた事だろう。
それに、俺自身はレイスの排斥的な態度しか拝んで来なかったが、一般的には人格者で通っている男だ。
天使族で正義を愛する騎士団の長。まぁ、シーナの仕事に対して誠実な態度が“刺さった”んだろうね。
「素直に心奪われたぞ。こんな感覚は初めてだ」
俺は溜息を吐いて、視線を窓の外に移す。
「シーナ、綺麗だよね」
容姿だけでなく、色んな意味で。
「同意する……貴様は、随分と彼女に買われている様だな」
「いや別に飼われてないから」
「? 彼女の発言、あれは貴様を高く評価してのものだろう」
「は? ……あぁそっちの意味か。あれはまぁ、過大評価だよ」
「む、貴様彼女の発言に疑義を呈するつもりか?」
「いやそんなつもりは無いけど……」
「今すぐ撤回しろ!」
「何だよ、どうしたんだよ君、急に面倒くさいな」
そもそも最初俺たちの存在に疑義を呈したの、お前なんだよ。
「貴様、何故実力を隠している?」
「またその話か……」
“クエストで見極める”とか息巻いてたの、どこのどいつだ?
「評価を得ているのだろう? それは力なき者には成し得ぬことだ。力がありながら、それを扱う術を知りながら、何故隠す?」
貫くような真剣な眼差し。言い逃れとかは無理そうだ。それにここは狭い馬車の個室。逃す気は無いって事か。
「それは、怠慢と言うものだ」
強い言葉を使いながら、声に非難の色は窺えない。
試しているのだろう。“剣聖”、やりにくい相手だ。
「……“冒険者の矛盾”」
俺は溜息と共に、明かす。
「俺はたぶん、君が思ってるよりずっと“本気”で生きてるよ。出せる力を出し尽くしてね」
「ほう」
「だから、もし君にそう見えないのだとしたら、それは世界のシステムがそうなっているからだ」
「どういう意味だ」
「世界は絶妙なバランスで成り立ってる、って事」
別に、納得して貰おうとは思わない。
「社会において、人は役割を選んで生きている。時計塔の針や、それを動かす歯車の様にね」
大小様々の歯車が、相互に干渉しあって世界を回している。大きな歯車を動かすため、無数の小さな歯車が日々その身を削って力を送り込んでいるのだ。
「所詮、今の俺は換えの効く小さな歯車だよ。そして社会は小さな歯車に、それ以上の役割を期待しない」
俺は今、割と十分幸せだ。歯車として人生を終えても別に後悔しない程度には。
「だから、文句は言わせないよ。俺は俺なりに、小さな歯車の役割を全うしているからね」
今はまだ、ね。
「……名声を欲しないという事か。謙虚だな」
「まぁ、ちょっと違うけどそれで良いや」
「だが、少なくとも彼女は貴様の力を高く評価し、買っていた」
剣聖は、まるで幼子に諭す様に、静かに話す。
「その期待を、裏切らないで貰いたいものだ」
「初対面のくせに、随分入れ込んでるね」
「なに、貴様も言ったであろう。彼女の誠実さを指して、“綺麗だ”と」
「はは……え?」
言ったっけ? そんなこと。
「……とにかく、俺は俺が決めた価値基準に従って取捨選択してる。文句があるなら対価を用意する事だね」
無論、大した事は出来ないけど。
「そうか。よく解った」
素直な返答。会話が成立していると実感する。
そうして話題が途切れ、しばし沈黙が流れた。騎士団長の爆弾カミングアウトのせいで眠気も吹き飛んでしまった。
別に、気まずさとかは感じない。ただ、暇だなぁ……と思っていた。
「ねぇ、こっちからも質問、良い?」
だからあくまで興味本位で、気になっていたことを聞いてみる事にした。
「君、何でそんなに異種族嫌いなの?」
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