閑話 野花は人に気付かれて自らを花と自覚する
「申し訳ありません……」
私は十歳の時に父を亡くした。その頃にはもう弟が居て、私は学校に通っていた。
「いや謝って欲しいんじゃなくてね? 依頼を受けてもらいたいんだよ」
母は女手ひとつで私達姉弟を養ってくれた。昼夜問わず働いて、家では幼い弟の面倒を見て、寝る間も惜しんで家事をして……そんな母の姿を、私は何となく眺めていた。
「……しかし、薬草採集の依頼は冒険者の方達に余り人気が無く……もう少し、その……報酬額が高ければ、と……」
「そこを何とかするのが君達の仕事じゃないか。こっちも商売なんだ。そう易々と報酬を変えたりできない訳。薬が無かったらみんな困るだろう? そのために僕達は日々研究してるんだ。そこんところ、分かってもらえないものかね」
「はぁ……」
しかし、自分が働くようになって、気付いた。世界とは、何と厳しいものなのか。
学校での成績はずっと中の上だった。可も無く不可も無く。
ただ、魔法の適性が無かったことで、道は絞られた。
母の店の常連だったギルドの幹部のおじさま。彼が私を雇ってくれて、今、私はギルドで受付嬢をしている。
誰にでもできる簡単な仕事、しかしそれすらままならない私。
自信など最初から無かった。ただそれにしても、現実は厳しかった。
「とにかく今日中に受注してくれ」
「……いえ、約束はできかねます」
「君ぃ、さっきからそればっかりじゃないか。じゃあ聞くがね、何ならできるんだい? 全く。依頼を受け付けないギルドなんて何の意味があるのかね」
「申し訳ありません……」
私の仕事が決まって、母は喜んだ。私も最初は嬉しかったのだ。
自分にも、できる事があるのだと思いたかった。しかし、思い知ったのは無力感だけだった。
辞めたいと何度も思ったがそれはできない。今は弟が学校に通っているのだ。
彼は私と違い、魔法の才能があるらしい。本人も真面目で、将来を有望視されている。
そんな姿を見て、思うのだ。
早く、代わって欲しいな……なんて、羨望の眼差しを送るのだ。惨めである。
「はぁ……もういい。それじゃあ頼んだからね」
言って、依頼書を私に押し付ける男。理不尽だなぁ、と思う。
薬草、山に生えてる草がそんなに欲しいなら、いっそ自分で取りに行けば良いのに。そんなことを思いながら、しかし口を閉ざす。
「……声は、掛けさせて頂きます」
自分にはそれくらいしかできない。
「ふん。しっかり頼むよ」
「はい、申し訳ありませんでした……」
平謝りしながら考える。羨ましいな、と。
街を歩けば甘い香りを漂わせる華やかに着飾った女性達。
どうやら女性に花飾りや香水をプレゼントするのが流行っているらしい。自分と同じ年頃の女性達は皆、愛だの恋だのよろしくやっているのだ。
まるで、違う世界の話のように自分には関係無い話題ではあるが。
「よぉ、その依頼───」
そう思って自嘲していた時、その人は現れた。
「───俺が受けてあげようか?」
見ると、黒髪の青年が立っていた。
ここはギルドの受付だ。冒険者が依頼の受注や報告にやってくる。そして彼は、依頼を受けてくれると言う。
「ほう、君が?」
「うん。それ、薬草採集? 前にやった事あるからできると思うよ」
私は彼を知っている。そう、以前にも同じ依頼を受けてくれたのだ。
薬草採集。報酬も難易度も低い、誰でもできる人気の無い仕事。
彼はそれを、嫌な顔一つせずに引き受けてくれた。
「ふーん、赤いルピナスか……面白い花を探してるね」
「……君は薬草に詳しいのかい?」
「まぁね。最初に思ったのは───」
そして、今回も……。
「───報酬、安いなってことだ」
「あぁ、またその話か……」
依頼主の男は目頭を押さえる。それを見て、私は少し慌てた。
「あっ、あの……」
「この依頼、先週も出てたよね? その時より報酬が下がってるのは何で?」
「……別の依頼主が出したものではないのか? 私はそれで、十分な報酬だと認識してるがね」
ほとんどの冒険者は依頼内容と報酬額しか見ない。私だっていちいち全ての依頼書の内容を暗記したりしない。
「おじさん、もしかしてロプスって名前じゃない?」
「あぁ……そうだが……」
「ふーん、おかしいな」
でも、嘘だ。以前の依頼も今回の依頼も、出したのはこの男自身だ。
「それは前の依頼の依頼主の名前なんだけど」
黒髪の青年は顎に手を当てて微笑む。
「勘違いではないのか?」
「赤いルピナスの薬効、確か強烈な発奮作用があったよね。幻覚症状の回復とかに使う薬草じゃなかった? それをこの短期間で使い切るかぁ……メジャーな薬じゃないはずだけど」
「……研究に必要なのだ。素人には分からんだろうが……」
「花飾り。流行ってるよね」
青年はずっと微笑んでいる。対して狼狽えるのは依頼主の男だ。
「あぁ……そうなのか?」
「赤いルピナスには発奮作用があって、街では女性に花飾りを贈るのが流行ってる……俺は法律にはそんなに詳しくないんだけどさぁ」
そして彼は、決定的な一言を口にした。
「催淫剤、合法なんだっけ?」
「っ!!」
「その感じだと、もう作っちゃったのかな? んで、監査が入る前に在庫を調整しないといけなくなって、慌てて依頼を持ってきた。報酬が安くなってるのを見るに、お金の準備すらまともにできない程切迫した状態みたいだけど、大丈夫そ?」
「っ! もういいっ! 依頼は取り下げる!」
男はそう吐き捨てて青年から依頼書を取り上げ、走ってギルドから出て行った。
「……あの」
残された私は青年に声を掛ける。
振り返った彼は相変わらず落ち着き払った態度で、それを見た私は狼狽する。
「あぁ、君、シーナだっけ?」
「っ……」
何を言われるんだろう……。
薬草の知識がないことを咎められるだろうか。それとも、依頼主に良いように言われていたことに苦言を呈されるのだろうか……しかし、何を言われても仕方ない。
実際に依頼主の思惑を暴いたのは彼で、私は何もできなかったのだから。
「お手柄だね」
だからその言葉には、正直困惑した。
「え?」
「上司に報告すると良いよ。あと騎士団にもかな。さっき俺が言ったこと以外にも、色々出てくると思うから」
彼の表情には侮蔑や嘲笑が一切混じっていなくて、それどころかどこか暖かくて、私は見入ってしまった。
「ですが、あの……」
「? あぁ、気にしなくて良いと思うよ」
返答に困る私に、彼は首を傾げながら言った。
「おじさんはあぁ言ってたけど、別に依頼を受け付けるだけがギルドの仕事じゃない。冒険者の味方にもなってくれないとね。そういう意味では、君の行動は立派だったと思うよ」
「……はい?」
何故か語られる賞賛の言葉に、今度は私が首を傾げた。
「君はさっき、おじさんに取り入ってたら一緒に一儲けできてた訳だ。けど、君はそれを良しとせずにギルド職員の職責を全うした。正義感って言うのかな? 俺、そういうの嫌いじゃないよ」
言葉の意図は分からない。それでもどこか、肯定された気がしたのだ。
「ありがとうございます……」
「じゃ、あと頑張ってね」
自分の存在に、意味はあるのだと。
「頼りにしてるよ」
その日から私は、生まれ変わったように仕事に取り組んだ。
そして、真剣に働くようになって、理解した。世界は、少しも厳しくなんかしてくれないのだと。
寧ろどこまでも無関心で、無知な者に対しては非情なまでに冷たく接するのだということを。
報告を誤魔化す冒険者、冒険者を格安の労働力として買い叩こうとする依頼主、それらと共謀して甘い汁を啜るギルド職員……。
いくらでも楽ができる、できてしまう世界を知って絶望し、同時に覚悟を決めた。
世界が楽をしないように、私が世界に対して厳しくなろう、と。
『正義感って言うのかな?』
彼の言葉を真実にしたい一心で。
そのためにはもっと知識が、そしてそれを生かすための判断力が必要だ。
過去の依頼やその報告書に目を通し、冒険者に適切に助言する。そして彼らの淡白な報告から最大限の情報を引き出し、依頼主にフィードバックする。
まずは、私自身の評価が必要だ。実績と信用、貢献度と好感度。
そうすることで、私が評価したい人の評価が上がるのだ。
「ねぇ、ルーク……」
「何? 姉さん」
これは、恩返しだ。こんな私にできる、せめてもの。
「私最近ね、仕事が楽しいの」
「そうなんだ、良かったね。何か良いことでもあったの?」
怠け者の世界が、彼の足を引っ張らないように。
「うん。素敵な人に出会ってね。冒険者をしてる人なんだけど───」
そしていつか、彼の言葉通りの私になれた時こそ、きっと彼の隣に───
☆☆★★☆☆★☆
「おはようございます」
今日もギルドで仕事。本当は可愛く着飾って街を歩いてみたいのが本音。
「あぁ、シーナ……うん、おはよう」
どこかバツが悪そうに目を伏せる彼。私が仕事をする、しても良いと思える、唯一にして最大の理由。
「はぁ……先日は来てくれませんでしたね」
「あぁ、それはその……」
「連絡もくれないだなんて……正直かなりショックでした」
「それはね、まぁ……ごめん」
謝罪する彼を見て、思う。
そっか……私は「申し訳ない」と思って貰えるくらいには、彼に想って貰えてるのか……。
それだけでちょっと嬉しい。
「仕方ないですね、今回は許してあげます」
「……でもさ、当日の誘いだったし、俺も忙しいし……」
「シュートさん、はっきりと断らなかったじゃないですか。それなのに連絡もくれないだなんて……」
「うん、俺が悪いね。ごめん」
「それで、いつ貰えるんですか?」
気分が良い私は、調子に乗って彼に要求してしまう。
「プレゼント。言われた通り、ずっと期待して待ってるんですけれど?」
「え? いやそれはその、ルークから何か貰わなかった?」
「えぇ、もちろん貰いましたよ? でもそれってルークの分ですよね? シュートさんは? 何も無いんですか?」
「え……いや……」
我ながら、ずるい言い方だと思う。
「ふふ、冗談です」
彼が弟から頼み事をされ、その報酬を受け取らなかったことは知っている。
その上プレゼントまで要求するなんて、これ以上は嫌われてしまうだろう。だからこの辺で勘弁してあげるのだ。
「約束通り、依頼はいくつかキープしてますが……」
「シーナ」
仕事の話に切り替えようとした私の髪に、彼は触れる。
「……誕生日おめでとう」
手で確かめる。髪留めを差してくれたみたいだ。
私はすぐにポケットから手鏡を取り出して、目でも確認する。
「……花飾りの髪留めですか、もう流行りは過ぎてますよ?」
一瞬言葉を失った。
それは、あの日私が諦めた贈り物……未練がましく羨望の眼差しを送っていたものだった。
彼の方を見ると、目を背けて頬をかいていた。
「どうですか?」
彼に質問する。感想を言うべきなのは私の方だろう。
失礼な奴だな……と自嘲しながら。
「似合ってるよ」
知ってる。優しい彼はいつも私の欲しい言葉をくれる。
分かった上で、それでもその言葉が聞きたくて、私はずるい女を演じるのだ。
「ありがとうございます。大切にしますね」
言って、切り替える。私には仕事があるのだ。
彼は頼まなくとも私に優しくしてくれる。でもそれは、私が彼を必要とする理由であって彼が私を必要とする結果には結び付かない。
私は私で、証明しなければならないのだ。
「ふふ……それで、今日はどの依頼を受けますか?」
自分の存在意義を。
「うん。これにするよ」
「討伐依頼ですか……珍しいですね」
「まぁね。たまには身体を動かしておこうと思って」
言って、手続きを済ませた彼の背を見送る。そして一人でまた、手鏡を眺めるのだ。
───白いスミレ……か。
花言葉は、小さな幸せ、誠実、
───ありきたりな私にぴったりね。
そして、あどけない恋。
自分にはどこか遠く、似つかわしくないと思っていた。しかしそれは、手を伸ばせば意外と近くにあるものだったのだ。
彼はきっと、特別なことは何もしていない。ただ、道端の花に気付いて立ち止まっただけ。
「シーナ先輩! この依頼なんですけど……あれ? 髪飾り、珍しいですね」
しかし、そのたった一度の経験で気付かされた私は、今日も咲き続けなければならないのだ。
「あぁ、これはね……」
もう一度彼に立ち止まって貰うために。
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