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閑話 人魚姫は声を得て愛を歌う


「お嬢! そんなんじゃ男は(なび)かねぇっすよ!」


 やたら賑やかだ。


「あぁ〜もう何でそんなかってぇ言葉使うんすか!」


 耳障りな声が聞こえる度に眉間に皺が刻まれる。


「ただいま戻りやした! お嬢! いい感じの便箋買ってきやしたよ!!」


 まるでお祭り騒ぎだ。


「……そんな、いっぺんに注文するな。……恋文(ラブレター)など初めて書くんだ、要領が分からん」


「そんなもん、俺だって書いた事ねぇっすよ!」


「じゃあ何でお前がアドバイスしてんだよ! どけ!」


「いやおめぇこそ、こないだ花屋のねぇちゃんに振られてたろ!」


 良い大人達が、まだ陽も昇り切ったばかりだというのに、揃いも揃って何をそんなにはしゃぎ回っているのか。考えただけで溜息が出た。


「そうだぞ! お嬢、ここは俺に任せてくだせぇ! そのシュートってガキ、バチコリ落として見せましょうや!」


「お前らちょっと黙れ! お嬢、こういうのは思い出を振り返るんですよ! 一緒に過ごした時間を思い出させるんす!」


 俺は溜息と共に俯き、目頭を押さえる。


───何で、こうなっちまったかねぇ。

 時は数時間前に遡る。




★☆☆★★☆☆☆




『オヤジの容態(ようだい)は!?』


 街外れの廃倉庫での戦闘を終え、アジトに戻ったお嬢は開口一番にそう叫んだ。


『へ、へぇ、しかし容態も何も、まだ医者は到着したばかりで……』


『……お前が───』


 部下の男が説明するが、お嬢の耳には入らない。


 そこに居たのは、美しい容姿の少女だった。華奢な体躯に小さな顔、細く伸びる特徴的な耳、やや幼さを残す表情とは裏腹に目の奥には意志の光が見える。


『───”薬の妖精”、なのか?』


 お嬢は問い掛けた。


 それは彼女が、この危険な情勢下で単独行動を起こしてでも見つけたかった存在だ。そして長らく尻尾も掴めなかった存在でもある。いきなり目の前に現れても、すぐには受け入れられないのだろう。


『……その肩書きはわたくしのものではありませんわ。ただ───』


 少女は緩やかに否定する。しかし、実際に彼女はここに現れたのだ。瞳に意志の光を宿して。


『───近い技術を持っています。ご期待には応えられるでしょう』


 息を呑む程に美しく、洗練された所作で彼女は礼をする。


 その姿を見て痛感する。我々にはもはや、選択肢など無いに等しいのだ。


『……大切な人なんだ……だから、頼む』


 悲痛な言葉だった。縋るしかないのだ、その白く細い腕に。


 しかし、と思う。


『お任せを。”森の賢者”の名にかけて、回復させて見せますわ』


 その少女の腕が、後光でも差しているかの様に錯覚してしまう神々しさを持つ少女の姿が、“藁”程に細いとはどうしても思えなかった。


『わたくしは薬を研究するエルフ。必要に応じ、人間にとっての未知の薬物をも使用しますわ。ご納得頂けますね?』


『あぁ。家族の同意が必要と言うなら私がサインしよう。全面的に同意する。全ての手を尽くしてオヤジを治療してくれ』


『ご協力、感謝致しますわ。では、こちらにサインを』


 手続きを終え、エルフは治療を始めた。


『投薬して効果を見ます。わたくしの見立て通りなら、すぐに目覚めるでしょう』


 治療に入る前、少女が残した気休めの様な言葉は、


『……アリエラ……それにジークか……?』


『オヤジ……!』


 現実となってお嬢の頬を濡らした。


『……礼を言う』


『結構ですわ』


 俺の短い礼を、少女はさらりと受け流した。


『報酬さえ、しっかりと払って下されば』


 数々の名医が匙を投げ、もはや回復は絶望的とまで言われた患者をいとも容易く治療した少女は、事もなげに言うとその場を後にしようとする。


『……そうですわ』


 少女はふと、何かを思い出したかの様に立ち止まり、振り向いた。


『何だ? 報酬の吊り上げならお嬢と交渉してくれ。それも、明日以降だと助かるのだが……』


『いえ、報酬はサインを頂いた書面の通りに。不当な報酬は天使教(・・・)の審査に影響しますわ。言い忘れたのは、患者の病気についてですの』


 それは、こちらも聞き損ねていた事だ。回復の感動から、重要な情報のやり取りを失念していた。


『これは間違いなく“魔力(・・)変質性(・・・)機能不全(・・・・)”の症状ですわ』


『……初耳だな』


 聞き馴染みの無い病名だった。


『それもそうでしょう。原因不明の奇病として、長らく治療法が確立されなかった病気ですから』


『何だと?』


 違和感。


 彼女は確かに、「見立て通りならすぐに目覚める」と言った。原因も分からないのにそんな事を言えるはずもない。そして、彼女は言葉通りに患者を目覚めさせて見せたのだ。


『……先人達の知恵と弛まぬ研究に、感謝する事ですわね』


 少女はそう言うと、今度こそ用は済んだとばかりに踵を返し、歩き去って行った。


───「原因不明の奇病」、ねぇ。

 引っかかるものは、ある。


『……なぁオヤジ、話がある』


『あぁ聞かせておくれ。私も可愛い娘の話が聞きたい』


 お嬢の言葉に、我に返る。そりゃあ、積もる話もあるだろう。ボスは丸一年も床に臥していたのだ。愛し合う親子がその時間を短く感じるはずもない。


 しかし、と思う。令嬢の側近という重役を与えられているものの、身体は一つなのだ。腕に多少の覚えはあるが、戦いを終えた今、少しは休息というものが欲しかった。


『私、結婚しようと思うの』


 そんな淡い期待とは裏腹に、話がややこしくなったのは彼女の言葉が原因だった。




★☆☆★☆☆☆☆




 そして現在。


「ジークの兄貴も、何かアドバイスとか言ってくだせぇよ!」


 組織の男達は、異様にはしゃいでいる。それはもう盛大に、お嬢本人を置き去りにする勢いである。


「……お嬢」


「何だ、ジーク。お前も文句があるのか?」


 しかし、と思う。それも仕方のない事なのだ。


「普通に書いてどうするんですかい」


 口の先を尖らせ、不服そうな表情を隠しもしない彼女の仕草は、マフィアの令嬢という身の上を一瞬忘れさせる程の可憐さがあった。


 それ故に、溜息が禁じ得ないのだ。


「情報屋に送るなら、暗号で書かんと受け取っても貰えんでしょう」


「そ、そうか、確かにそうだな」


 お嬢は照れた様に頬を赤らめる。


───たった二度の接触で、ここまでお嬢を虜にするとはな。

 嫉妬を通り越して尊敬の念すら抱いていた。


 彼女を危険なマフィアの活動から遠ざけていたのは、組織全体の総意だった。もちろん、実の父であるボスもそれに賛同した。


 可愛かったのだ。


 俺自身、こんな薄汚れた社会で生きる身の上を、呪った経験など数え切れない程あるのだ。親の顔も知らず、街外れのスラムでガキ大将をやっていた自分を拾ってくれたボスこそ、真の父であると心から思っている。


 そんな父の一人娘。妹が出来た様だと感じ、兄として背を見せる役割を自覚するのに時間は要さなかった。そして、彼女を守る役割には自ら志願した。他の者に同じ事が務まるとは今でも思っていない。


 しかし、俺は下手クソだった。それもそうだろう。可愛い妹を戦いから遠ざけたい。その一心で行動した結果、彼女は疎外感を感じ、自信を喪失するなんて誰が考えようか。


 だから、迷っていたのだ。


 堅気の男と一緒になって、平凡な幸せを手にして欲しい。今でもその想いは変わらず組織の男達の総意だ。しかしそんな意図とは裏腹に、お嬢はどんどん組織の重要人物へと成長していってしまう。本人がそう望んでいるのだから仕方がない。俺にはどうする事も出来なかった。


「なぁに恥ずかしがってんですかお嬢!」


「そうっすよ! 本気で書かねぇと伝わるもんも伝わんねぇですよ!」


「……あぁうるさい! お前達に相談した私が馬鹿だった!」


 だから、これはお祭りなのだ。


 お嬢の手紙、拙い言葉で書かれたそれは、確かに彼女の歳にしては幼い文章だっただろう。しかし、それが彼女の真の言葉なのだ。


「お嬢。仲を深めるなら、まずは自分の弱みを見せなくちゃあなりやせん」


「おぉ! ジークの兄貴、やっぱ良い事言うぜ!」


 溜息が漏れる。こんな簡単な事だと、誰か教えてくれれば良かったのに。


 彼女が産声を上げてから十八年、やっと声を取り戻した彼女が、初めて歌うのだ。


『お嬢のデートの誘いを断ったら、殺す』


 不意に思い出した自身の言葉に笑みが漏れる。いつか義弟(おとうと)が出来たら、飲みにでも誘ってやろうと思った。



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