32話 チート能力“自己肯定感”
「八十四番、出ろ」
「ふぅ……やっとか……」
立ち上がり、出口を目指す。
ここで過ごしたのはたったの三日。しかし、自身の半生を振り返っても指折りの長い三日間だった。
「釈放だ。もう悪さはするなよ」
「ふん。誰に言っているんだ?」
これが騎士流の挨拶か。彼らはその短い言葉に様々な想い、希望を託しているのだろう。そして実際に、その言葉に背を押される者もいるはずだ。
「夜、か。明るい旅立ちを求めていた訳でもないが……」
しかし自分は違う。そう彼は思った。
「俺に引導を渡すのは、民衆の剣である騎士か、腹に魔物を飼う同業者か……神にでも選ばれた英雄だろうと思っていたのだが……まさか……」
暗い夜道を歩きながら思う。彼は、憎いのだ。
「よぉ、待ってたよ。元気だった?」
「……君のようなただの青年とはな……」
彼は、力を求めた。
心を囚われてしまったのだ。魔法の持つ無限の可能性に。
それは、人が求める限り際限なく湧き出る水のようであり、また口にした者を中毒にさせ死に至らしめる毒のようでもあった。
やがて自らのそれで満足出来なくなった彼は、いつしか他人からも奪うようになってしまった。
「何故、と聞いても?」
「……おじさん小物っぽかったから、コソコソするの得意だと思ったんだよ。だから悪事の証拠は処分してるだろうし、根回しして外に出るのも簡単だろうと思ったんだ。今回おじさん、誰も殺してないしね」
「なるほどな。それで、出迎えてくれた理由は?」
「同じだよ。おじさん、コソコソするの得意でしょ? あんまり嗅ぎ回られると、気分良くないんだよね」
対峙する青年は溜息を吐く。そして、
「陽を浴びたければ黙って通り過ぎれば良い。全て忘れて、今世で生まれ変わる覚悟があるならな」
底冷えする冷たい声で言った。
「……俺は、君に聞きたいことがあるのだが、良いか?」
そんな青年を見て、彼は聞いてみたくなった。
「……冥土の土産ってやつ? 悪いけどそれも日本語じゃフラグなんだ……手短に頼むよ」
「ふ……恩に着るよ」
目の前にいる青年の、その在り方について。
「……君は随分と魔力を手懐けているようだ。自然過ぎて、最初は侮ってしまったがな。しかしそれ故に不自然なのだと気付いた。それは、およそ普通の生活をしていて身に付くものではない」
青年は、その全身から一切の魔力が漏れ出ていない。地を転がる石ころのように。
最初は才能の無さ故に、或いは鍛錬の不足故に、使役可能な魔力が極度に少ないのだと思っていた。
しかしそれでは、漏れ出る魔力がゼロである理由に説明が付かない。
あり得ない。それは自然の在り方であって、生物としては不自然過ぎる。
青年はまるで、魔力から解放されたかのような存在なのだ。
「……おじさん前振り長いよ、なんて答えて欲しいの?」
「君は、魔法について、どう思う?」
魔法。求める者が、辿り着いた時に得る万能。人類の叡智。
「魔法、ね───」
それに不可能はないのだ。
「───不便だなって。そう思うよ」
「……至言だな」
期待した答えを得て、彼は思わず笑みを漏らした。
魔法。飲んでも飲んでも無くならない水。どれだけ飲んでも飽き足らず、飲み過ぎて身を滅ぼしてしまう毒。
「無欲、か。だから君は……」
それは欲だ。魔法とはそれを満たすための習慣だ。
「……あのさぁ、そうやって都合よく解釈して美談にするの、中年の悪いとこだよ」
「あぁそうだな。君はエルフを娶っているのだったか」
「……違うよ、あれはご主人様なんだ」
青年は何故かばつの悪そうな顔をした。
「そうだ。俺からも質問して良い?」
「何かな?」
「“奴隷の腕輪”」
青年は真剣そのものの表情で口を開く。
「最初に思ったのは、よく考えたなって事だ」
「ほう……それが、どうかしたかな?」
「アレ、考えたのおじさん?」
「あぁ、その通りだ。それが何か?」
「これは想像なんだけど」
青年が何を言うつもりなのか、彼は先走って理解してしまう。
「元々、教育目的で作った物なんじゃない?」
「……理由を聞いても?」
気付けば彼は問い返していた。
「まず、思考を制限して隷属させるとか回りくどいなって思ったんだ。で、もしかして元々は違う目的で使うものだったのかな? って……違った?」
「ふ……その通りだ。確かにあれは、ほとんどの人類がそれぞれの感覚で行なっている魔力操作を、腕輪を通して共有できないかという試みに基づく道具だった」
いつの間にか、彼は青年との会話を楽しんでいた。
「故に腕輪なのだ。魔法と手には、密接な関わりがあるからな」
「そうだね。あと、言葉もかな」
「ほう……そこまで分かってしまうか」
彼は素直に感心した。
「すごい発明だね」
「ふふ、歴史に名を残せないのが残念だよ」
あり得ない可能性の話をして、自らを嗤う。
「おじさんは頑張ったんだね」
「俺は欲深い人間なのでな」
「でも、それを悪用しちゃったんだ」
「国に受け入れられなかったのだ……代わりに、一部で独占されていた魔法知識の共有がなされることになった」
学校の教科書が書き変わった瞬間だ。それにより、一躍この国は魔法大国となった。
「ま、国も馬鹿じゃない。隷属化の懸念とか、元々あったんだろうね」
「耳の痛い話だな……」
もう、笑うしかない。
「だが、研究は無駄にならなかった。別の計画を考えたのだ。だから俺は、長い年月を掛けて完成させた。最後の一手を他人に頼ることになったのが心残りだがな」
口惜しい、と。名も知らぬ協力者の架空の姿を思って呪う。
「へぇ。でも何で、そんなものを作ろうと?」
青年の問いはごく真っ当なものだった。それでいて嘲りや非難を一切含んでいなかった。
だから彼は、正直に話すことにした。
「俺が幼い頃はまだ、魔法と呪いは同一視されていたのだ」
スラムを彷徨う孤児。そんな、ありきたりな悲劇を味わった彼を拾ってくれたボス。
それから魔法の才を見出され、溺れるように知識を求めた若き日の記憶。
「曰く、願いは神に届いて奇跡を起こすのだと」
だが、何者にも成る事ができなかった。懐かしい。
「呪術思想が強過ぎるね、まるで宗教だ」
彼は頷く。願っても救いの手を差し伸べることのない神……青年の言う通りだ。
「若い俺はそれを変えたかったのだ」
「そっか。やっぱおじさん、教育者になりたかったんだね」
「何故、そう思う?」
見透かすような青年の瞳。直視出来ず、彼はわずかに視線を逸らす。
「極秘の計画に、チンピラを使うなんて不作法過ぎる。で、もしかして就労支援のつもりだったのかなって」
「だとしたら俺は、彼らを掬い上げた救世主という事になるな」
「そうかもね。でも人助けしたいなら、ちゃんとした教育を与えるまでが慈善事業だよ」
「ふ……そんな事をしては、馬鹿な連中がつけ上がるだろう」
「そうだね。ちょうどおじさんみたいに」
「酷い言いようだ。返す言葉も無いがな」
言って、彼は自嘲する。
感謝していたはずだ。彼も。組織に恩を返そうと、社会に貢献しようと考えていた時期があったはずなのだ。
「君の言う通りだ。教育を受けて思い上がった俺は、国を変えようとして挫折し、次に組織の乗っ取りを考えたが、それも結局は……無様だな」
彼の独白を、青年は表情を変えずに聞いている。
「……変わった事もあるんじゃない?」
「あぁ。学校の数は随分と増えた。教育の水準も見違える程高まった……田舎の方はまだ遅れているようだがな」
「全くだよ」
彼の言葉に、青年は目を背ける。
「ちゃんと教育が行き届いてれば……あぁ、嫌な事思い出しちゃった」
「ほう……何があった?」
問われ、青年は語る。
「手を繋いだら子供ができると信じてる子が居たんだ」
「それは、学校の有無以前というか……」
「その子に告白したら、差し出した手を魔法で焼かれた」
「……魔法で? 偏った教育がなされている地域だな……」
しかし恐らく事実だ。青年の顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。
「何で、俺は振られたと思う?」
「……子供の考えなど想像を絶するが……要するに、好みでなかったのではないか?」
「違うよ。俺、いじめられてたんだ」
青年は首を振って返答する。
「弱かったからだよ。村で一番ね」
「これは悪い事を聞いてしまったな、謝罪する」
「気にしなくて良いよ。ただの思い出話さ」
「そうか……しかし、興味深い事実だ」
青年の持つ特異性。
恐らくそれは、青年の過去の経験或いはそれに起因する彼の人格にあるのだろう。
“弱かった”。
「つまり、今は違うということか」
青年は薄く微笑む。それが答えだった。
「どうやって、強くなった?」
「それも違うよ。皆が弱くなったんだ」
青年は間を置いて続ける。
「魔法を覚えた事でね」
「……何だと?」
「おじさんは、自分の心臓がどんな形か知ってる?」
「……心臓?」
立て続けに語られる発言の意図が分からず、何度も聞き返してしまう。
「どういうことだ?」
「実は心臓は四つの部屋に分かれているんだ。血を投げる部屋と受け止める部屋が左右に一つずつ付いているんだよ」
「それは、知っているが……」
「考えてみてよ。心臓から投げ出された血が肺を通り酸素を含んでまた心臓に戻り、酸素を含んだ血がまた心臓から投げ出されて全身に巡っていくんだ」
「それに、何の意味が?」
「魔力も同じだよ」
さっぱり意味が分からない。
「世界は絶妙なバランスで成り立っている。俺達の身体もそう。生きるため、最適にデザインされてる。俺達は意識しなくとも、心臓は勝手に動いて生命を維持してくれる。それってとっても素敵な事だと思わない?」
そして、青年は言い切る。
「それに比べれば、おじさん達が“意識的に”操る魔法なんて、瑣末なものだよ」
「なっ……!」
「魔法とは“表現”だ」
青年は笑う。
「人はそれを、相手に合わせて使い分ける。本当、不便だよね」
「……」
「確かに魔法はすごい。“無限の可能性”ってのも、あながち過言じゃないと俺も思うよ。でも、だからこそ……何でもできるからこそ、人は何をするか選ばないといけない。そして何かを選んだ時、同時に選ばなかったものを惜しんでいる」
「……つまり、君は何も求めなかったからこそ、そこに辿り着けた、と?」
「ん〜ちょっと違うけどそれで良いや」
少し、分かった気がした。
「解釈の問題だよ。俺はただ、魔法が無くても自分がとっても素敵な存在だと知っている」
「……それに、どれ程の価値がある?」
「ほら! そうやって他人に評価を委ねるから見失うんだよ。俺はもっとシンプルな理由で生きてる。だから大切なものを見失う事がないんだ」
彼は直感的に理解した。青年は、それを持ち続けているのだろう、と。
手を焼かれても、こっぴどく振られても、周囲から侮られ、蔑まれ否定され尊厳を踏み躙られても、青年は確かにそれを抱き続けて来たのだろう。
大切なもの。それは、彼が随分前に手放してしまったものだった。
「といっても、難しい事はできないよ。ただ、生きるための最低限は満たせる。そんな感じ」
「なるほどな……見せてもらっても?」
彼は今、悔しいのだ。
「……良いけど、良いの? おじさん、今ならまだやり直せるよ?」
「優しいな」
「まぁ、半分は下心だけどね。これはおじさんが意識下で操る魔法とは全く別の、無意識下での魔力の行使だ」
「君は今日、いったい何度常識を覆すつもりなんだ」
そして、嫉妬していた。
「俺は狭量だからね。誰かが考えた下らない常識とか興味無いんだ。んで、これはあくまで根源的欲求を満たすための魔法だから、複雑な事はできない」
「では、その魔法はどんな目的を成すのかな?」
憎んでいる。目の前の、自分が辿り着けなかった境地に若くして至っている存在を。
「ん〜俺の場合は“死にたくない”かな。思考を放棄して、殺意を向けてくる敵を反射で迎撃する。だから意識的な行動、例えば手加減とかができない」
「なるほど不便だな、元より必要無いさ」
清々しい程に。
「……本当に良いんだね? 前は混戦だったから防衛優先で結果的に死人は出なかった。でも、一対一なら確実に死ぬよ?」
「くどいぞ……いやそうだな、もう一つだけ聞いておこう」
「何?」
「その魔法を、ニホンゴでは何と言うのだ?」
彼の問いに、青年は少し考えてから返答した。
「“自己肯定感”」
「……そうか」
言って、彼は剣を抜く。
「有意義な対話の礼だ。俺の本気を見せてやろう」
「好きにしたら良いと思うよ」
そして魔力を解放した。
「知っているか? 魔力は感情により励起される。人間の感情を最も強く揺さぶるもの、原動力は“欲”だ」
「その通りだね」
「俺は、欲深い人間だ……!」
言葉を紡ぐ。
「お前など敵ではない!」
「……すごいね」
「怖気付いたか?」
「うん、感心してる。見える? ほら、手が震えてる」
自らを、その在り方を肯定するために。
「……それじゃ俺からも、最後にもう一つ」
「命乞いか?」
「冥土の土産だよ」
「ほう……」
「俺の魔法は手も使わないし詠唱もない。無意識に発動する」
「本当に不便だな」
「だから、合言葉だけ決めてるんだ───」
ふと、青年の姿が霞んだように気配が薄まった。
「行くぞ……!」
瞬間、彼は一歩踏み込む。
「───どうでもいい」
「……っ!」
刹那。薄まった気配が激しく揺らいだような錯覚を覚えた直後、胸に、穴が空いていた。
「……見事」
最後に、一目見ておきたいと力を振り絞って背後を振り返る。その時の青年の顔は、とても言葉通りの表情には見えなかった。
その在り方を見届けて、満足した彼は───
「……ありがとね。俺の、つまらない一人語りに付き合ってくれて」
地に伏しこと切れた亡骸を見下ろして呟いた青年は、まだ温かい心臓を握り潰す。そして血濡れの左手でポケットから何かを取り出し、その可動部分を引き抜いた。
バチン
「痛ってぇぇぇえええええええ!!!」
青年の叫び声は、暗い闇夜に名残惜しそうに響いた。
☆☆★★☆★★☆
「にゃはっ!」
血で濡れた手をハンカチで拭いて、あぁ、この後どうしよう……ってなってた俺の元に差す闇より昏い光。
「よぉ、何か用?」
「いつも言ってるけどそれ、あたしのセリフだにゃ?」
現れた猫耳少女は、現場の悲壮感を吹き飛ばす明るい笑みで問い掛ける。
「それで? 話はできたかにゃ?」
「うん。今日会って、最初に思ったのは───」
自らの血に溺れながら、満足げに微笑む亡骸を見つめて、思う。
「───おじさんも、奴隷だったんじゃないかってことだ」
楽しく生きるのって、意外と難しい。
「……俺、弱いね」
全ての力を自分のためにしか使えない臆病者。それなのに、首を突っ込まずにはいられない愚か者。
そして、それで良いと思っている薄情者。
「で、どうしたいにゃ?」
あくまで事務的に、淡々と手続きを踏むように、彼女は問い掛ける。
「別に。俺、仇討ちとか興味ないんだ。無駄だって分かってるから」
それはきっとどうでもいいことだ。人とはそれぞれの価値観を指針に、それぞれのゴールを目指すべき生き物なのだから。
本来幸福とは衝突などしない。その瞬間俺達は既に踏み外しているんだ。怨恨、嫉妬、憎悪、どれも不合理に過ぎる。
それはただ、ぶつかった衝撃で手放してしまった地図を拾い損なった者の勘違いだ。
「……けど、一回くらい挨拶しても良いかと思ってる」
「にゃはっ!」
猫耳少女の明るい声が響く。
「言っといてよ。そっちから来ても良いよ、ってさ」
「かっこいいにゃあ、シュー君は」
「はは、まぁね」
考えていた事がある。この世界の実情と、鬼畜神の思惑について。
「あと、これの片付けも頼むよ」
「それは大丈夫だにゃ。もうすぐ本職が来るはずだにゃあ」
「そっか……」
『ふん……後悔するなよ?』
誤算。
アテが外れたんだ。
俺の下らない妄想を神は嘲笑っているのだろう。
所詮俺など無力な一個人だ。社会の枠組みの中でしか生きられない。それなのに俺と来たら、基本魔法すら使えない無能。手元にあるのは殺すための力のみ。誰かと仲良く手を取り合って生きるなど夢のまた夢だ。
俺は世界から拒絶されている。
神は、俺を懐柔なんかする気がなく、正面から打倒しようとしているらしい。
期待しても無駄。今後もつまらないイベントしか起こらないし、その度に難解な出会いを積み重ねる事になるだろう。
つまり、今までと何ら変わらないって事だ。
「帰るか……送るよ」
「にゃはっ! 手繋ぐかにゃ?」
遠回りしたな……と思う。でも、別に焦ったりしない。
「いや、やめとく……トラウマがあるんだ」
いつだって人生初心者の俺達は、世界を知る事でしか自分を理解できないのだから。
これで一章完結です。数話ほど番外編的なのを挟んで二章に入ります。
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