30話 君は国と戦えるかにゃ?
「まず結論から言うにゃ」
猫耳少女は、先程までとは打って変わって真剣な表情を見せる。背筋に冷たいものが伝う。
「この件は、穏便に済ます。これは決定事項だにゃ」
「……と、言いますと?」
嫌な予感がする。
「……報酬は、出なかったにゃ」
「ん何だって!?!?」
それは、不味いですよ!!
「俺!! マフィア止めたんですけど!?!?」
ギルドでは依頼達成の報酬とは別に、強力な魔獣や犯罪者を討伐、拿捕した際に特別の報酬が出る。
「それが街の救世主に対する仕打ちですか!?」
「この件は、ギルドの耳に入ってないにゃ」
「それを! するのが! あなたの仕事でしょう!!!」
確かに今回の件、ギルドはほとんど関わってない。
しかし、それなりに大きな功績のはずだ。だから何かしらの褒賞はあると思っていた。
「マフィアの構成員を多数拘束したことで、騎士団はこの件から引き上げたにゃ」
「っ! 何で!?」
これはおかしい。
確かに抗争は起きて、そして終結した。しかし、騎士団はまだ何も証拠を抑えていないはずなんだ。
奴隷の腕輪や人身売買の取引相手、被害の規模、首謀者と協力者、何も……それなのに、手を引く、だって?
「そういうことだにゃ」
つまり、何かしらの圧力が働いたのだろう。
「今回は手回しが早かったにゃ。今から決定を覆すには、色々覚悟が必要になるにゃ」
「……具体的には?」
彼女はまた、目を伏せる。
その姿はまるで、決死の覚悟で戦った戦士達の生還だった。死地に赴いて、悲願を達成出来なかった敗将の弁明だった。
「シュー君は、“国”と戦えるかにゃ?」
息を飲む。次に、怒りが込み上げる。
「市民を危険に晒しておいて、表沙汰にならなかったら揉み消すんですか!?」
言って、脳の冷静な部分で考える。
「そういう事になるにゃ」
為政者とは、そういう生き物であると。
「問題は大きいにゃ。今回の件が表沙汰になれば───」
もはや彼女の言葉は言い訳にしか聞こえない。
強大な権力の前に、力及ばず正義を貫けなかったと。志半ばで剣を納めてきたのだと。
戦ってもいない者が宣うのだ。
「───”天使教”の逆鱗に触れかねないにゃ」
───今度は宗教ですか。
俺は逆に冷静になっていた。というか諦めていた。
「異種族排斥は、彼らの教義に反するにゃ。差別や、まして人身売買なんて以ての外だにゃ」
怒りとは、無視出来ない感情だ。それ自体が生きる原動力ともなり得る程に。戦いの引き金にも、なり得る程に。
しかし、と思う。その矛先を間違えている。
「人間が、例え一部であってもその思想を持っていると、世界に知れるのは不味いんだにゃ」
重い言葉だった。
この言葉を発するのが彼女でなければ、或いは反論の余地があったのかも知れない。
しかし彼女は異種族、そして内情に精通する情報屋。全てを見通して、俯瞰して、繋いで来たんだ。
「問題が大きくなれば、千年前の大戦を現代に再現する事になるにゃ」
平和とは、一夜にしてならないものだ。千年の歴史を紡いで、それを振り返った時に得る感慨だ。
「……何で、そんな話になってるんですかぁ??」
俺は憤り、悟り、諦め、そうして泣いた。
俺は、戦ったんだ。マフィアと。強大な組織、その思想と。
その対価がこれでは、余りにもあんまりだ。
「力及ばず、報酬を用意出来ませんでした。申し訳ありません、にゃ」
言って、ルーニアは頭を下げる。
「……いや、君は悪くない」
怒りの矛先を間違えている。
天使教は、誤った思想を持つマフィアこそ糾弾すべきだ。
そして俺は、それをしない天使教にこそ怒りを向けるべきだ。
目の前の少女に憤るのは、筋違いである。
「君はたぶん、よくやってくれたんだろう」
だから、この怒りは、この剣は、仕舞わなければならない。
「シュー君……」
ルーニアはゆっくりと顔を上げ、
「君ならそう言ってくれると思っていたにゃ!」
いつも通りの笑みを取り戻していた。
「いやぁ、話が大きくなって焦ったにゃ」
これは気まぐれと言うより豹変だ。
彼女の変わり身の早さに、俺は言葉を失っていた。涙も、いつの間にか止まってしまった。
感情は凪いでいて、何も考える事が出来ない。
「でもこうなっちゃったら仕方無いにゃ。人生諦めも肝心だにゃ」
正しく絶句していた。
「だから、先の話をしたいにゃ」
ルーニアは声のトーンを一つ落とす。
それが何を意味するか、これから何を語るつもりか、俺の脳は先走って悟ってしまう。
「シュー君は今回、闇を統べる権力者と太いパイプを得たにゃ」
俺は、マフィアと対立した。そのはずだった。彼らの暴力が俺の魂を貫かない様に対策し、迎え討った。
「全く、信じ難い悪運だにゃ」
しかし気付いたら、いつの間にか目の前には宗教と独裁者が立ちはだかっていた。
「彼からのメッセージを預かってるにゃ」
犯罪と暴力を切り売りするヤクザと正面からぶつけられ、その報酬は人格者を騙る宗教と民衆を統べる独裁者に掠め取られてしまった。
「代読するので聞いて欲しいにゃ」
「やっぱり詐欺だったのか!!!」
目の前の詐欺師はそれら全てを巧妙に使い、俺の人生を弄ぶ。
「にゃ、詐欺かどうか、最後まで聞いてから判断して欲しいにゃ」
「えぇい黙れ黙れ!」
俺はルーニアに依頼した。その対価が俺の全財産を大きく上回るものだった事は言うまでも無い。
だから、どうしても必要だったんだ。ギルドから出る報酬が。努力に対する対価、正当な評価が。
───これじゃ、このままじゃ、
しかし、どうやらそれを受け取る事は出来ないらしい。すると、俺は路頭に身を投げてしまう。
───家にも帰れないんですけど!!
犬は、飼い主を恐れていた。
「これ以上何の話があるんだよ!」
俺は憤慨した。
「だから、メッセージがあるにゃ」
すると、背後に音も無く現れた女性店員が、何やらデカい四角のお盆を持ってきてそれを置いた。
上に乗っているものには布が掛けられており、何が置かれたかは分からない。
「ありがとにゃ」
ルーニアはそう言って、お盆に乗せられた封筒を手に取る。
中身を取り出すと、それは便箋だった。メッセージとは手紙の事らしい。
「拝啓、親愛なる青年へ。この度は娘の身を守り戦ってくれた事、心よりお礼申し上げる」
ルーニアは手紙を読み上げる。
挨拶から察するに、マフィアのボスからのメッセージみたいだ。
「そして“薬の妖精”の件、情報は君から得たものだと聞いた。厄介事に巻き込んでおきながら私の命まで気に掛けてくれた事、重ねてお礼を申し上げる。誠にありがとうございました」
ボスは手紙の中で、自らの命に触れた。手紙を書けている事からも、彼の病状は回復しているのだろう。
それは“薬の妖精”のおかげだが、その情報を流したのは俺だ。
これが、ルーニアへの依頼だった。
「君のおかげで私の病状は驚く程早く回復している。今まで床に臥せっていたのが嘘の様だ。近い内、業務にも復帰出来るかと思われる。そうなったら改めて、礼をさせて欲しい」
文章から感じるトップの人格は、かなり硬派な人柄の様だ。そりゃあ、人身売買なんて下劣な商売は好まないのだろう。彼が復帰したら俺の身も安泰というものだ。
というかそれが目的だった。
降り掛かる火の粉を払うのは簡単だが、その場凌ぎで根本的解決には至らない。
問題の根底にあるのは派閥争いなんだ。彼が目を光らせている内は、同じ事は起こらないだろう。
そうなれば、エルフと結婚しているという理由で俺の身に危険が降りかかる事も無くなるはずだ。
「今はまだ問題も多く、直接君に会って礼をする事は難しい。従って、手紙での挨拶となる事をどうか許して頂きたい」
それについては全く問題ない。手紙で十分だ。そしてルーニア越しで良い。
頼むから住所とか特定しないで欲しい。何より心の平穏に支障をきたす恐れがある。
控えめに言ってこれ以上関わりたくない。
「そしてこれはささやかな礼だ」
そこまで読んで、ルーニアはお盆の布を取る。
「一千万用意した。ぜひ受け取って頂きたい」
「イッセンマン!?!?」
新たな英雄の登場である。
「受け取れません!!」
「これはほんのささやかな、礼とも言えないただの紙切れだ。そしてケジメでもある。こちらの顔を立てると思って、どうか受け取って欲しい」
ルーニアはまた手紙を代読している。
恐らく、その通りの文言が書いてあるのだろう。こちらの人格も織り込み済みという事か。
アリエラあたりが告げ口したのだろう。勘弁して欲しい。
「もし受け取って貰えなければ、うちの者が直接礼に行ってしまいかねないので、悪しからず」
脅迫だ。そして既に住所とか色々特定されてるっぽい。あれ、俺今礼をされてるんだよね?
「この通り、全てシュー君の望み通り進んだにゃ。満足かにゃ?」
「望み通り……かな?」
ルーニアは手紙から顔をあげ、俺の目の奥を見据える。
「にゃ? あたしの言った通り、全力出したら稼げたにゃ」
───そんな、猫みたいに「ね?」って言われましても。
俺の命綱、英雄・ゴヒャクマンはその命を賭して役割を果たしてくれた。
依頼の対価として支払った彼の活躍はご覧の通り、大きな成果を生んだ。
穏便に返却するという目標も、形は違えど達成出来た。
そして俺は、この新たに現れた英雄を受け取らなければならない。理由は二つ。
一つはマフィアの脅迫。ケジメを重んじる彼らの逆鱗には触れたくない。
そしてもう一つ、こちらが最も重大な問題だ。
俺は、飼い主に対価を支払わなければならない。
奴も無関係でないとはいえ、俺が勝手に巻き込んだのは確かだ。奴が内心で今回の一件をどう考えているのか定かではない。しかし、巻き込む事に不安は無かった。
打算があったんだ。
本来はマフィア拿捕の特別報酬で賄うつもりだった。
金を求めているらしい奴にそれを与えれば、納得とはいかないまでも許しを乞う材料には出来ると踏んでいた。
しかし、その線は潰えた。
「それと、娘がどうしても君に礼を述べたいと言って聞かないので、手紙を同封する」
ルーニアはまた、手紙を読んでいる。
さっきから“娘”と称される人物、恐らくアリエラであろうと考えるまでもなく分かるその人は、何やら俺に言いたい事があるらしい。
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