閑話 賢者は迷宮で惑う旅人の針路を見届ける
迷宮の深奥では強者達が刃を交わす音が絶えず響き渡っていた。
クエストは既に佳境。
参加する冒険者、そのほとんどが歴戦の猛者達。これ程の強者達が覇を競うクエストなど、歴史を振り返ってもそうは無い一大事件だと誰もが思っていた。
そしてそれは我自身も。
「命拾いしたな───」
対峙する女に言葉を掛ける。
「───“鉄壁”のラズベルよ」
「……異名でマウント取るの、やめてくれる?」
ラズベルは油断なく身構えながら返答する。気の強さは相変わらずだなと苦笑した。
先の戦闘。“剣王”が落ちてくれるなら静観するのも一興に見えたが、その一方で久方ぶりに彼女と話してみたい欲求もあった。
「すまぬ。この呼び名は嫌いであったな」
「馬鹿にしないで。名前に拘っているのはあなたの方でしょ?」
「うむ。お主も呼ぶが良いぞ、“白麗”とな」
「嫌味ったらしいのよこの“引き篭もり”」
彼女と我は、顔を合わす度にこうして罵り合う関係である。
「続きを所望するか?」
「……やめておきましょう」
しかし、決して不仲という訳ではない。
「元々、私達に与えられた役割は“足手纏い”だしね」
「もしやお主、何か知っておったのかね?」
だからこそ、正面切って問い質す。彼女の挙動、その隠せない違和感について。
「まぁ、ね。こっちも色々あるのよ」
「ふむ、“勇者”のパートナーは相応に重責のようだな」
溜息を吐く彼女にその真意を察し、追及の言葉に替えて労いの言葉を贈る。彼女に課された役割というものは、誰にでも務まるものではないのだ。
「代わってくれるかしら? まぁ、家から出られないあなたには到底務まらないでしょうけど。はぁ。日がな一日研究して過ごすなんて、羨ましいことね」
皮肉たっぷりに言い放ち、満足げに笑みを浮かべる。わざとらしく溜息など吐く姿は癪に障るが、愚かな男どもはこれを“可愛い”と言って憚らない。理解不能である。
「む、良いのか?」
「……へ?」
そこで、意趣返しをしてやることにする。
我の返答が予想外だったのか、ラズベルは目を見開いて絶句していた。いい気味だ。
「我は仕事を探しておってな。それでこのクエストに参加したのだ」
「ま、まぁ、あなたにしては珍しいと思っていたけど……」
「そうか“勇者”の相棒とな。なかなか胸躍る誘い文句ではないか」
「ちょ、あなた本気なの!?」
「? そう言っているが?」
慌てた様子で言葉の真偽を問う姿は、まぁ、確かに可愛らしいと言えるか。百万歩譲って。
「“勇者”の供となれば報酬も期待できよう。悪くはない話だな」
「な、ダメよ!」
ラズベルは遂に身を乗り出して制止にかかる。彼女は何故か、我に対して並々ならぬ対抗心を燃やしているのだ。
「冗談だ」
「っ! 下らないまねしないでよね」
彼女は“勇者”のパートナーとしての役割とは別に、ごく個人的な目的で彼に追従している。我はそれを知る、数少ない一人であった。
「その様子を見るに、やはり難航しているようだな」
“賢者”と謳われながらも、その心根は年頃の少女と変わらないのだと再確認する。これはまぁ、可愛いな。異論は認めない。
しかしどうやらそちらの目的の方は進展が無いようだ。あれだけ腕が立ち顔も良く、“勇者”などという名声まで得た男となれば、並の努力では視界に入ることも難しいのだろう。
「えぇ。今は“惚れ薬”を研究しているところよ」
「……迷走しているな」
予想外の発言が彼女の口から飛び出す。
───そこまでであったか……。
“至剣”は、浮いた話を聞かない男だ。その姿勢は“剣聖”とも酷似している。彼女の恋路は険しい道のりとなりそうだ。
「ふ……こうしていると思い出してしまうな」
「忘れて」
『あなたを、“白麗”と見込んで尋ねるわ───』
それは、我が彼女と出会った時のこと。
我とて知れた魔導士だ。同業者から情報提供を依頼されることもあれば、国から魔法開発の依頼を受けることもある。
そしてその時既に“鉄壁”として名を馳せていた彼女のことを、我は認知していたのだ。
我と同じくして“叡智”を求める彼女とならば、さぞかし有意義な対話となるだろう。そう思って応対したのだが、
『───男の落とし方を教えなさい』
専門外だった。
「あの時の私は馬鹿だったのよ」
「うむ。恋は盲目と言うからな」
「“引き篭もり”を頼るだなんて……」
「八つ当たりなど醜いぞ」
そうしていつしか、彼女のことは気の合わない妹だと思うようになった。
「見てくれに頼るでない。我らは魔導士であろう」
「えぇそうね。やっと気付いたわ。帰ったら新しい調合を試さないと……」
「待て待てそうではない」
何か確信を得たかのような眼差しに歯止めをかける。これ以上進んではいけない領域に、彼女は踏み入っているに違いない。
「魔力は感情により励起する。それを見つめるのが我ら魔導士ではないか」
きっと、人間とはそういう風に作られている。
「導いてやれば良いのだ」
「……簡単に言わないでよ」
ラズベルは不貞腐れたように、しかし刺すような視線で我の胸の辺りを睨む。
『引き篭もり淫魔あああああああ!!!』
彼女は我のことをなんだと思っているのか。
「逸るでないぞ。何よりも“秩序”を重んじていたのはお主であろう」
「えぇ、分かってるわよ」
溜息と共に呟かれる返答に安心する。
人の心とは、得てして合理的でないものだ。だからこそ魔法の叡智は無限の可能性を秘めているのであり、それを司る魔導士は自らを律さなければならない。
これは、彼女の矜持のはずだった。
「……あなた、あれと手を組んでいたの?」
「成り行きよ。それが最善であった故そうしたまでだ」
「へぇ……何者なの?」
話題はとある男の話に移る。
「さて、な」
それは我自身も気になっていたことだ。しかし、答えの出せない問いでもあった。
「しかし、強いぞ」
未知数。故に、侮れない。
分かっているのはそれだけだ。
「ふーん───」
恐らく彼女も、気になっているのだろう。魔法を研究する者ならば、あれの異常さに気付かない方がおかしい。
「───視えないけど」
そう、視えない。
魔導士として、“賢者”として、魔力を見つめ続けてきた我らの目をして見切れないその“在り方”。
「もしかして───」
人間を始めとする生物は、常に体表から放出される表層魔力を持っている。そしてそれを意のままに操るのが魔法だ。その魔法こそ、長年の研究から導き出された人類の叡智。
それを持たない種族など、我は一つしか知らない。そしてそれは、太古の昔に滅ぼされたはずなのだ。
「───マギョウ……?」
ラズベルの言葉にはっとする。
一連の出来事、彼の挙動を順に並べる。しかしそのパズルには、どうしても埋められない空白があった。
彼女の言葉はそれを埋めるピースとして上下左右を綺麗に接合し、我の脳裏に一つの絵となって仮説を打ち立てる。
そして渇望した絵の完成形を俯瞰し、底知れない畏怖に震えた。
「ふむ───」
考える程、検証する程にそれは確度を増して現実味を帯びる。
「───あり得ぬ話ではないな」
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