109話 こんな感じなんだね
男は暗闇の廊下を目的の部屋へ向けて歩く。コツコツと、自分の足音だけが響く静寂の中で考えずにはいられなかった。
何故、こうなったのか。
腕には自信があった。知識も蓄えた。魔法理論の研究も、周囲が遊び呆けている間机にしがみついて続けたんだ。そうしてやっと、ここに辿り着いた。
登り詰めた先にゴールがあるとは思っていなかった。誰でも、聡い者なら途中で気付くものだ。山頂までの道程は全て準備でしかなく、その先に何を成し遂げるかが命題なのだと。
だから山頂からの景色を見下ろしても、何の感慨も抱かなかった。
例え、自分が山頂と信じていた場所を、遥か高みから見下ろす山がその先にあるのを知ったとしても……。
「……はぁ」
そして、今日も男は辿り着く。
「……悪く、思うなよ」
男は扉を開け、部屋へと足を踏み入れる。誰からも歓迎されない、本人すら忌避する目的のために。
「はは……醜いな」
誰に言うともなく呟く。
男は医者だった。
人体の構造に精通し、患者の声無き声に耳を傾け、最良の処置を施して最適な状態へと導く───。
そんな、医者だった。
「……これで、何人目だろうな……」
それが百を超えて、もう数えるのは辞めた。
世界には確かに“不可能”が存在する。魔法はそれを否定するが、その魔法すら全ての人類に平等に与えられるものではない。
男は気付いてしまったのだ。救いようのない命があることに。
「これが“ゴッドハンド”か、馬鹿馬鹿しい」
異名が蔑称に変わったのはいつからか。その言葉に胸を張れなくなったのは、言うまでもない、二年前だ。
男はその人物に出会い、唆されてしまった。それが、悪魔の囁きであると内心で気付いていながら。
「……これで最後だ」
もう、終わりにしたい。心底そう思って、患者に繋がれた点滴、そこに入れてはいけない薬を注入する───
「“発芽”」
その時だった。
「っ……!?」
「動かないで欲しいな」
男は声の方を振り返る。しかし同時に、ありえない場所から突如生え伸びた何かに身体を拘束されてしまった。
「話が聞きたいんだけど、良い?」
驚くほど冷たい声だった。それを聞くまで、いや、聞いて、振り返って目で確認した今ですら、その存在を認識できない程希薄な気配で佇む青年。
「な、何だっ! 君はいったい……!?」
焦りと共に安堵した。
「最初に思ったのは───」
自分の最期を見届ける存在が、
「───何でおじさんみたいな人が、この街にいるのか、って事だ」
慈悲のかけらも宿さない瞳をしている事に。
☆☆★★★☆★☆
「魔法、こんな感じなんだね。確かにこれは便利だ」
俺は木で縛り上げた男を見据える。
「ま、これは“魔石”使った裏技だけど」
俺は呪文を唱えただけ。ただ合図を送っただけに過ぎない。
それでも魔石は刻まれた魔法式を忠実に再現して内包するエネルギーを消費、見事樹木を生成してくれた。
「さて、話をしようか……あぁ、あまり動かない方が良い。動くと更に絡みつくから」
「何だ君は、何が目的だ?」
「だから、話が聞きたいんだよ」
男は困惑した表情で首を傾げる。
「おじさん、何してたの?」
「……」
質問を聞いて、男は溜息を吐いた。
「……ふ、分かっているから、君はここに来たんじゃないのか?」
「そうだね。これは俺の仮説だけど───」
その表情には確かな“諦め”が感じられて、俺は腹が立った。
「───おじさん、殺そうとしてたよね?」
それは、恐ろしい仮説。
「ゴッドハンドの異名を持つ自分が、治せなかったから。その事実を、認められなかったから」
「ふん……」
そして、下らない現実だった。
「……正解だよ」
言って、男は力無く笑った。
「それで、君は彼を助けに来たのかな?」
「うん。困るんだよね」
暗闇の病室、そこに置かれたベッドでいびきをかく男。
「それ、友達なんだ」
「美しい友情だな」
寝てるのはゲビルだった。
「そんなんじゃないよ。で? おじさんは、自分の評判を下げないために、治せない患者を殺してたってこと?」
「そうだ。死人に口はないからな。死因など、医者の私ならどうとでも誤魔化せる」
「へぇ。その評判は、その異名は、おじさんにとってそんなに大事だったの? 人を殺してまで、固執するほど?」
「私はこれでも知れた医者でね。富も名声も恣だった。それは私にとって唯一の誇りなのだ」
彼は、そんなにも自分の肩書きに固執していたのだろうか。それはそんなにも価値あるもので、手放し難いものだったのだろうか。
「そっか。嘘だね」
俺にはとても、そうは見えない。
「最初は俺も、功名心で道を踏み外したのかと思ったけどね。でもそれは違ったみたいだ」
「ほう。それは何故?」
「だっておじさん、ゴッドハンドなんて呼ばれても、少しも嬉しそうじゃなかったからね」
「ふ……そこまでお見通しとはな」
男は肩を竦める。
「だが、誇りに思っていたのは事実だ。それに縋っていたのも……ある意味、固執していたと言うのも間違いではない」
男は語る。
「幾人もの怪我人が、病人が、救いを求めて私を訪ねた。皆その目には絶望を抱いていた。最期を悟っている者もいた。その目が、輝きを取り戻すのを見るのが嬉しかった。だがいつしか、それは私を縛る呪いに変わったのだ───」
静かに、自身の過去を振り返るように。
「───ある日、私が助けた患者が人を殺した」
言って、男は嗤う。
「その患者は私の友だった」
男の目から、雫が落ちた。
「殺されたのは、私の妻だ」
「……そっか」
「世界は掌を返した。それまで私を称えていた者達がこぞって私を罵った。そうしてやがて、“治癒魔法”が扱えなくなった……今の私のそれは、全盛期の三割程度の効果しか発揮できないのだ」
男は樹木に身を委ね、しかし力強く言い切る。
「だから、私は復讐した……!」
それは彼を絶望させるのに十分な経験だったのだろう。救いの手を差し伸べた相手が、その手を握ったはずの人間が、別の者を殺めるなど。
その“魔の手”が、自らの最愛の人に向かうなど。
「殺したんだね。医者のおじさんが」
「あぁ……そうだ」
それは、ある意味自然の成り行きだったのかも知れない。
「そっか。やっぱりおじさん、“闇医者”なんだね」
闇医者。法外な対価の代わりに、素性を問わず治癒を施す者の総称。
「何故、そう思う?」
「治せたからだよ。魔力は感情によって励起される。だからその特性は、人格の影響を色濃く受けるんだ」
闇医者は別に犯罪者という訳ではない。法外な報酬も、合意された取引なら何も問題はない。
「人殺しに共感するなんて、真っ当な人間には無理だからね」
あるとすれば、相手が犯罪者だということだ。
「この街、でかいマフィアがいるよね。だからそれに巻き込まれる子供だっている。そして一般的に、犯罪者は医療を頼れない。薬やってるの、バレちゃうからね」
彼は分け隔てなく、見境なく、治していたのだろう。相手が犯罪者でも、悪意に気付いていても。
「だから、大人に利用されて大火傷した子供を治療して騎士団に情報を流し、秘密裏に保護したりとかしてたんじゃない?」
「……昔の話だ」
そして、そこに誇りを持っていた。
「今の私に、そんな大それた力はない」
「そんな事ないでしょ」
「君に何が分かるんだ」
「この街、教会が無いよね」
教会、それはありきたりな宗教施設。
「必要ないんだ。おじさんが居たからね」
「……買い被り過ぎだ」
「謙遜するなよゴッドハンド。君だって“神”なんでしょ?」
「……知らないのか? “神聖魔法”、あれは正しく“奇跡”だ。人の成せる業ではない」
「そうかなぁ」
“天使教”。“全種族平等”を騙り、“奇跡”を吹聴する黒い噂の絶えない集団。
「胡散臭いでしょ、あれ」
「罰当たりだな」
「はは。俺は無宗教だからね」
「そうか……お喋りはこれくらいで良いだろう」
男は真剣な表情で口を開く。
「殺しに来たのだろう? ならば、さっさとそうしてくれないか」
「いや何勘違いしてるんだよ、そんな事しないよ」
「……何?」
「言ったでしょ? “話を聞きに来た”、ってさ」
「……何が聞きたい?」
「そうだな、とりあえず───」
その時、扉が開いて、一人の人物が姿を表す。
「───彼女の報告を聞こうか」
「なっ! 君は……!」
男の顔が驚愕に染まる。
「お待たせしましたわ。探し物、見つかりましたわよ」
「うん。ありがとね」
現れたのは、薬屋のエルフだった。
「それじゃあ聞かせてもらおうか。ゴッドハンドが知り得る、“魔力変質性機能不全”の全てをね」
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