97話 役者はサービスしないとね
「キレが無いわね、どうしたの? さっきのあなたはもっと強かったはずよ」
「……はぁ……はぁ」
膝をつき、肩で息をするシエルを見下ろす。
「もう終わり? だったら、約束通り恥をかいて貰わないといけないわ」
───ここまでか。いや寧ろ、よく戦ったと讃えるべきだろうな。
シエルとの再戦。
先の戦闘では“剣王”の介入があったために付けられなかった決着を、今回はきっちり付けることができそうだ。
「……まだだ」
「そう。じゃあ立ってくれる?」
毅然と言い放つが、刺すように放たれる視線とは裏腹に彼女の肉体は既に限界のようだった。
足が立たないのだろう。苦悶の表情から察するに、自重を支えることすらままならないのだと分かる。
痛めつける趣味はない。恥をかかせるとは言ったが、一思いにとどめさしてやろうと思っていた。
「……見事だったわ」
「屈辱だ……手心を加えられて……なお手も足も出ないなど……」
僕は溜息を吐く。
大気中の魔力操作、その曲芸とも言うべき離れ業を、僕はシエルに対して使わなかった。
結論から言って必要がなかったし、そもそも使う気が起こらなかったのだ。
「非魔力依存戦闘、良い鍛錬になったわ」
「馬鹿にしおって……」
「あら、賞賛しているのよ?」
どうもこの女とは息が合わない。先程から会話が噛み合っていない気がするのもそうだが、問題はその表情だ。
何だその目は。エルフに親でも殺されたのか? 強烈な怨恨を抱かれているようだ。
「……殺せ」
「ハリーの言葉、本気にしなくて良いのよ? あれたぶん冗談の類いだし───」
前言撤回。
「───それに、とても死にたそうには見えないもの」
瞬間、強烈な踏み込みと共に破壊的な威力を秘めた突きが繰り出される。僕はそれを、結界で防いだ。
「がああああああああ!!」
「まるで獣ね」
シエルは咆哮と共に両拳を結界に打ちつける。
驚いた。もはや立つこともできないのだろうと見くびっていた。
「けど残念。今のあなたにこの結界は───」
破れやしないと。
「あああああああ!」
「───なっ!?」
高を、括っていたのだ。
「死ねっ!!」
「っ……!!」
いっそ清々しいとすら感じる明確で純粋な殺意。
───重い!
まるで児戯に夢中になる子供のような透き通った感情を向けられ、「もしかして僕はこの女の親に手を掛けたのだろうか」と記憶を辿る。
いやそもそも人間を殺した経験そのものがないと結論を出す頃、僕は全身に激しい衝撃を受けた。壁まで吹き飛ばされたようだ。
「おおおあああああああ!!」
「……悪いけど」
先程までの見事な体技とはかけ離れた、獣のような単調な攻撃。
「手加減できないわよっ!」
「ぐっ」
それを躱し、腹部に蹴りを入れる。
───固い!
手応えがおかしい。
───腹に鉄でも入れてるのか!?
ドレスの下に金属製のコルセットでも着用しているのだろうか。運営が許したのならそれも反則ではないのだろうが、恐らくそうではない。
肉体が強化されているのだ。先程までとは異次元のレベルで。
現状、僕が扱えるのは大雑把な結界がせいぜいだ。それも近接戦闘での駆け引きに使えるような水準ではない。
ただの分厚い壁。展開すれば、僕自身の行動すら制限してしまう。
そして今のシエルは、それをものともせずに破壊してくる。
───何だ、こんな魔法聞いたこともないぞ!
「ああああああ死ね!」
「少し」
仕方ないと諦め、大気中の魔力を右手に大雑把に集める。
「落ち着きなさい!」
「がっ……」
そしてそれをシエルの頭部に叩き込んだ。
「……っ!!」
僕は痛みに顔を顰める。
───諸刃の剣か。
扱い慣れない魔力は、自らの肉体をも平等に傷つける。右拳は自身の血で濡れていた。
「ぐっ……くう」
痛みが原因だろうか。表情から察するに、シエルは我に返ったようだ。地に膝をつき、頭を押さえている。
「ぐ……何だ、私は……」
「……気分はどうかしら?」
目が泳いでいる。混乱しているのか? しかし先程のような殺気や覇気は感じられない。そして何故だろう、この現象には見覚えがある。
「何を……していたんだ……?」
「……冗談を言っているの?」
似ている。
「まぁ良いわ。仕切り直しましょう」
「あぁ……すまない、気を失っていた……のか?」
何故疑問系なのか。
どうやら本当に混乱しているらしい。訳の分からない状況ではあるが、これも“剣王”の何かしらの魔法なのかも知れない。
ならば、決着は急ぐべきだ。
「また、恥を晒してしまったようだな」
「えぇそうね。そしてごめんなさい。あなたには、もう一度恥を上塗りしてもらわないといけないわ」
言って、身構える。
「安心してね」
シエルもなんとかといった様子で立ち上がるが、足が小刻みに震えている。
「恥ずかしい思いをするのは、僕も一緒だから」
「何を……?」
シエルの返事を待たずに駆け出し、隙だらけの脇を取る。そして潰れた右手
を振り上げた。
回復術の使えない現状では、拳は役に立たない。だからこそ、道具に頼ることにした。
「興行だもの。役者はサービスしないとね」
僕は右手に持ったナイフで、シエルのスカートに深くスリットを入れる。
「あら、真っ白だなんて可愛らしいわね」
「……ふん───」
そして身を逸らし、アングルを調整する。
「───完敗だ」
薄く微笑んだシエルはそう言い残し、失敗条件に抵触したために転移した。立ったまま戦場を辞した彼女は、敗北を受け入れてなお清々しい表情だった。
「……さて」
一方、僕は───
「はいはい、今行くわよ」
右手の動作を確認し、奥歯を噛む。拳を振り回すのは無理そうだ。
☆☆★★☆☆★☆
「むん」
「単調過ぎるよ」
伸縮する長大なハルバート。対峙すれば居竦む内に両断されてしまうそれの“弱点”を、俺は知っている。
「接近戦では小回りが命だ」
懐に潜り込んでしまえば良い。
距離が離れる程に遠心力は増し、対処不可能な破壊力を持つ。しかし接近すれば、手の届く程の距離にまで詰められれば、そこにあるのは純粋な“膂力”のみ。よって───
「捕まえた」
ハルバートを握る持ち手に近ければ、素手で止めることも可能だ。
「む……」
「そうそう、君ならそうする」
エルディンはバックステップで距離を取る。下がってくれるなら好都合だ。剣を振る間ができる。
「だから、逃がさない」
俺は迷い無く踏み込んで距離を潰し、斬りつける。
エルディン相手に距離を取られるなど自殺行為だ。そしてそんな俺の動向を、彼も察していたのだろう。俺の剣は彼の腕を浅く斬りつけただけに終わった。
「……構えろ」
「受けるかよっ!」
俺は、エルディンの周囲に爆発的な魔力の放出を探知した。拳を振りかぶるエルディンを尻目に、俺は全力で地を蹴って射線を躱す。
「……とんでもないね」
凄まじい衝撃波が脇をすり抜けた次の瞬間、後方で壁の砕ける音が響いた。
「……何故、躱せた?」
「さぁ、何でかな?」
目測にして五メートルの距離を置いて対峙する。
───考えを、状況を整理しよう。
しかし考える程に詰んでいる。
手始めに彼我の戦力を分析してみよう。先の攻防で、エルディンには軽い手傷を負わせた。全力の踏み込みで斬りつけたが、負わせられたのは浅い切り傷のみだ。
エルディンは常人と比べ、魔力出力の桁が違う。
無造作に放出されるだけの表層魔力は、通常であればただ消耗して終わるだろう。しかし彼の場合、目的を明確にしないが故に盾にも矛にもなり得るのだ。
量が、多過ぎるために。
放出される魔力は接近する刃に抵抗し威力を減衰させる。そして蛇口を絞れば高火力の衝撃波にもなる。
結界、威力魔法と目的を分けていない。ロスは増えるが、論理よりも本能を根拠に戦うエルディンのような戦士にはお誂え向きという訳だ。
対する俺は無傷。ハルバートは大振りでなければ脅威ではないし、衝撃波ももととなる表層魔力が垂れ流しになっているのだから読み易い。
しかし、流石は歴戦の猛者“剛刃”。隙を突いて一撃を加えても、大した出血になっていない。
戦況は膠着を余儀なくされている。
五メートル。これが互いに合意した安全圏だ。
エルディンは俺の踏み込みに対応でき、俺はエルディンの大振りに対処できる。
───もう少し、消耗してくれると思ったんだけど……。
剣による傷の浅さに加え、問題はもう一つ。魔力消費の少なさだ。
いや少ないというのは間違いか。元となる魔力量が尋常じゃないんだ。あれだけの衝撃波を放ちながら、エルディン自身にはまだ余裕が見える。残弾が何発あるのか、想像も難しい。
───現状の打開は困難。何か、きっかけが必要だね。
「むん」
考える俺をよそに、エルディンはハルバートを振りかぶる。
「……やっとか」
しかしその鋒は俺を対象と捉えていなかった。
「お待たせ。待った?」
「いや───」
ドレスを身に纏っているとは思えない身軽さで、戦闘に介入するエルフ。
「───俺も、今来たとこ」
「そう、じゃあ行きましょうか」
振り上げられたハルバートを、リアムは踏み止める。やはり遠心力の乗らない手元なら、魔法による強化無しでも簡単に受け止めることができるようだ。
「“熱胎動”」
悪寒が走る。
───リアム。
───『分かってる』
俺はエルディンに斬りかかる。エルディンはハルバートを振り抜いてリアムを払い除けると、その柄の部分を伸ばし、背後の俺目掛けて突き出した。
───そんなことも……まぁできるよね。
「“氷鎖縛”」
俺は地を蹴って跳躍する。瞬間、それまで立っていた地面が凍結するのを視界の端で確認する。
───やばいね。
距離を稼ぐ必要がある。
俺はハルバートの柄を踏み台にして更に跳躍。リアムの居る地点へと退避した。
「仲間外れとは酷いことをする。我も混ぜてはくれんかね?」
当然、彼女がこの状況を座して見るに留めおく訳もない。
「仕方ない。ちょっとだけだよ?」
「そうね。ふふ」
危機的状況に瀕しながらも、リアムの表情は明るい。
「楽しくなってきたわね」
やはりコイツは戦闘狂。冷や汗をかいているのは俺だけみたいだ。
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