96話 決着のようだな
弟との関係が変化したのはいつからか。考えるまでもない。あれは、二年前だ。
それまでの彼は、聡明で実直、そして無欲だった。そう思っていた。
王位継承権を握る立場でありながら権力に固執することなく、兄である俺を陰ながら支援する役割を買って出てくれた。
周辺国と比して特別裕福な国ではなかった。ここアレクサンドリアのように発展した都市がある訳でもなく、帝国のように強大な軍事力を誇る訳でもない。
ただ、気候には恵まれていたために豊富な作物が採れた。平和な国で民は文化を競った。
芸術の国。そんな認識だった。
ある時王都上空にドラゴンが現れた。
俺は単騎で出陣し、これを討伐した。
そして、帰還した俺は三時間にわたる説教を弟から受けた。
曰く、「王よ、あなたは王なのです! 魔獣討伐には兵をお使い下さい!」
また、ある時飢饉で国が傾いた。
作物は輸入に頼ることとなり民には苦労を強いることとなった。胸を痛めた俺は、「そうだ!」と弟の言葉を思い出し、宮廷の兵を労働に駆り出した。
森やダンジョンで魔獣を狩り素材を集め、それを資金として民に分配した。僅かながら経済が上向いた。
当然宮廷の防備は手薄となり、弟はこれに激怒した。
曰く、「王よ、あなたは王なのです! 御身の安全を第一にお考え下さい!!」
三日飯を抜いたこと、その三日間手薄となった宮廷で三十の刺客を手ずから返り討ちにしたことはもちろん内密にしていたが、やがてバレると弟は卒倒して言った。
曰く、「王よ……あなたは、王なのです……どうか、どうか御身をご自愛下さい……」
その頃はまだ、我が国は平和だった。民は勤勉に働き、国はその生活を支援した。
良い国だった。そう言い切ることができる。
そんな我が国に、突如として彼女は現れた。美しい容貌、卓越した魔法の知識。宮廷魔導師として取り立てられるのに時間は要さなかった。
そうしてすぐに、彼女はいくつかの研究で成果を上げた。特に回復薬の品質向上の研究成果は目覚ましいものがあった。その道で、彼女の右に出る者は居ないであろうと断言できるものだった。
彼女は、エルフだった。智に富み、高潔で誠実であった。そんな彼女の手腕に疑いを持つ者など居なかった。
だからこそ、騙されてしまった。
作物の品種改良による取れ高の増加、輸入に頼っていた呪器の国内生産、回復薬の品質向上による冒険者達の死亡率の減少。
手掛ける事業全てで赫赫たる功績を納め、国に多大な富をもたらした。一時の好景気に国は沸いた。そして、同時に知ってしまったのだ。
成功の味と、競争の興奮を。
彼女に追従するように、或いは先んじようとして、あらゆる者達が競争に身を投げた。功を焦るようになった。
しかし俺はそれも良いかと思ったのだ。民に活気が出るのならば、と。
俺が呪器の開発に同意したのは、装備を強化することで兵を減らせると考えたためだ。
国費で賄う兵が減れば、国民の税も下げられると思った。作物が取れるのは良いことだ。傷が治るなど、もっと良いではないか。
しかし、ことはそう簡単ではなかった。仕組まれていたのだ。全ての事業が、軍備の増強に繋がるように。
やがて、彼女は国政に口を挟むようになる。無論、直接ではない。しかし、宮廷内での彼女の地位はもはや王に次ぐ影響力を持っていたのだ。
気付いていたさ。弟が彼女に気があることなど。
当然、彼女に不信感を抱く臣下が現れる。そしてその者たちの不審死が相次いだ。
そうして不穏な空気が宮廷に満ちた頃、俺は配下に毒を盛られた。やったのは、シエルだ。
曰く、「宮廷は殿下にとって、安全な場所ではなくなりました」
昼夜問わず襲い来る刺客に対し、勢力が二分された宮廷内では護衛リスクが高いと判断したと言う。
悩み抜いた末、睡眠薬と催眠魔法を二重に仕掛けて俺を攫ったのだとか。王に対してあるまじき造反。褒めて遣わす。
そして俺の亡命と時を同じくして、我が国の軍が国境を侵犯した。
装備を増強された一部部隊の暴走。それが定説となっているが、真実は恐らくそうではない。裏で糸を引いている者がいるのだ。
それまでも国境付近での小競り合いはあった。しかしこの部隊の攻勢は勢力の次元が違ったのだ。
確実に戦争になる。誰もがそう思った。だが、そうはならなかった。
英雄は、二人居た。一人は“勇者”アレックス。彼は単騎で軍本拠地を襲撃し、司令部を無力化した。
もう一人が“勇者”ジーニアスだ。彼は単騎で、迫り来る敵部隊を押し留めた。
そうして俺は今、国を捨てた暗君として興行に参加している。
彼、ジーニアスに対して怨恨など無い。寧ろ国の暴走を止めたことに感謝しているくらいだ。しかし王として、再起を誓った俺は挑まなければならないのだ。
戦う王、“英雄王”として暗君の汚名を雪ぐために。
☆☆☆★☆☆☆☆
「やるではないか! 流石“勇者”だ!」
通常の“欺瞞”は、相手の認識を逸らすことを主目的とするために実体を持たない。
魔力を質量に変えて実体を与えることは不可能ではない。しかし、その手間に対してメリットが少ないのだ。
そもそも相手に狙い撃たせるための的にそこまで魔力を割く理由がない。人体、衣服、そして武器。素材も質感も違うそれらを精密に再現するなど事実上不可能である。
故に、幻影で誤魔化すのだ。目を一瞬奪うことができれば成功、そんな技術だった。
しかし“剣王”はこれを、二つの武器によりより高度な魔法へと昇華する。
「もはや隠し立てする意味も無いな、何より本気でやらねば届くまい!」
「そうすべきだ。できるのならな」
「言ってくれるな。後悔するなよ? ───」
一つは彼の魔法体系。
「“偉大なる王の義務”」
彼の魔法は、信を置く配下と魔法式のやり取りを可能とする。
これにより、構築の隙を見せずに魔法を行使できるのだ。多少複雑な魔法式であっても、分業できるなら実践可能。
寧ろ“剣王”の戦術においては、より高い隠蔽性を得ることができる。
“剣王”の戦術における“欺瞞”の用途は大きく二つ。
一つは単純に陽動。見せることで欺く。幻影を攻撃させ、それをもって“刺客”と判断する。
宮廷で戦うための戦術だ。誰彼問わず疑って攻撃する訳にはいかない。手間ではあるが、証拠を押さえ、現行犯で始末する必要があった。
“欺瞞”は、正確に敵を見極める手段でもあるのだ。
そしてもう一つが、“欺瞞の欺瞞”である。
「これならなどうだ?」
“剣王”は“欺瞞”を発動する。
「……」
“至剣”は背後に現れたもう一人の“剣王”、その剣を受け止めた。
「……アイツの言う通り、“良い剣”だな」
それは“鉄壁”が残した言葉であり、剣王のもう一つの武器。
銘を、“千刃剣”・ミルサーブル。“複製”の魔法を付された、“剣王”の呪器である。
通常の“欺瞞”は、武器を複製できないというのが定説だ。それは魔力の質に由来する。
“金”の魔力を有するドワーフであれば、魔法“錬金術”を駆使する事で剣の複製も容易だろう。
しかし、人間の“火”の魔力でそれを再現するのは難しい。劣化した武器を複製するくらいなら、得意な火で焼いてしまった方が効率が良い。
しかし“剣王”は、自身の魔法体系とこの呪器を併せることで、武器すらも実体化した“欺瞞”を実現した。
「これは……負の産物なのだ」
ミルサーブルは、フランベル王国で作成されたものであり、“剣王”が生産を認めたものだった。
「面白い効果だな」
「興味があるのか? だが貴様の魔法とは相性が悪かろう」
ミルサーブルには、欠点がある。製作者はそれを、“安全機構”と呼んだ。
確かに“飛空剣”の魔法を扱う“至剣”にとって、複製可能なこの剣は相性が良く見える。しかし、それは不可能だ。
「……なるほど、制約があるということか」
この剣に付された“安全機構”とは、“手元を離れた複製剣は消失する”というものだ。
増やした剣を刺客に使われること、手を離れた剣に魔力を供給し続けることが無いように考案されたシステム。
故に、仲間に貸し与えたり投げ飛ばしたりすることができない。
使い勝手の悪い代物だ。複雑な魔法式を刻むために刀身を長くせねばならず、そうした長剣は“至剣”のような二刀使いにも向かない。
「だがそれなら、もっと良い剣を選べば良いだろう」
「これより良い剣は、確かにあろうな───」
会話しながらも互いに剣をぶつけ合う。
“剣王”は“隠蔽”を使わず、単純な“分身”として“欺瞞”を操る。しかし、複製剣を持つ分身は強力だ。
二対一を苦にしない、“至剣”の剣技よ天晴れと“剣王”は思った。
「───これは、民から贈られた剣なのだ」
しかし、負ける訳にはいかない。
呪器開発を担う研究者達が、富を求めるならばもっと汎用性の高いものを生産すべきだったのだ。
しかしこの剣は、明らかに彼のためだけに生み出されたもの。
これを受け取った時、“剣王”は彼らに言われた気がしたのだ。
“戦ってくれ”と。
「貴様の“飛空剣”、どうやら剣の間合いには侵入できんようだな」
“至剣”の魔法体系、“征空剣”。それは牽制を目的として撃破を重視しない。
例えば十人の敵に対して、一対一の戦闘を十回繰り返すことで勝利を目指す戦術だ。
これは“至剣”自身の剣の技量の高さありきの魔法である。彼は剣の間合いにおいて、一対一ならば最強を誇ると自負しているのだ。
「なら、どうしたと言うんだ?」
故に、“至剣”を中心に半径二メートルの範囲に“飛空剣”は侵入しない。
「貴様とて、二対一では受けきれまい」
「その割に、焦っているようだな」
“剣王”は精巧に作り込まれた分身をも巧みに操り、着実に“至剣”を追い詰めていく。
「……見事だ。“剣王”フレデリック・フランベル───」
そして遂に、“剣王”の分身は“至剣”の背を完全に捉える。
「───だが、残念だったな」
「ああ、そうか」
しかし、“至剣”の背を捉えた“剣王”の分身、その背を既に“至剣”は捉えていた。
「なるほど便利な魔法だ」
「貴様には、それもあったのだったか」
突如現れた二人目の“至剣”は、“剣王”の分身を一刀の元に斬り伏せる。
彼は対峙した“剣王”を強者と認め、二本の“飛空剣”を自らの分身の手元へと握らせていた。
「……決着のようだな」
「ああ、そのようだ」
対峙する二人の強者は頷き合う。
「せめて一太刀浴びせたかったが、な」
「背の傷、治さない方が良かったか? それは悪いことをした」
「貴様、言ってくれるではないか」
そこには怨恨も嘲笑も介在しなかった。
「……挑戦なら受け付ける。いつでも相手になろう」
「ふん。どこまでも不遜な男だ」
そうして、二人は握手を交わした。
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