プロローグ 自己肯定感。それは“真実の愛”の証明
どうやら俺は自己肯定感が高い方らしい。
理由とか条件とかも無く、ただ俺が俺であるだけで素晴らしい。そんな感覚が身に付いている。
自己肯定感は、幼少期に親から愛情を注がれることで身につくものらしい。
人生初心者の子供達は世界のことを何も知らない。だから、無知な赤ん坊は世界が恐ろしくて泣き喚く。
そして自分が泣いた時に親が世話を焼いてくれる事で、「自分は世界に受け入れられている」と安心し、眠りにつく事ができる。
両親が喧嘩ばっかりしてたら、まして子供に虐待なんかしようものなら、子供は怯えて世界を拒絶してしまう。
これは何も大袈裟な表現じゃない。人生初心者の子供にとって、“世界”とは即ち家庭なのだから。
愛に満ちた家庭でこそ育まれるもの。それが“自己肯定感”だ。
やがて成長した子供は、面倒を見てくれる存在である親を否定する。
反抗期ってやつだね。
そうする事で自我を確立させ、親の言いなりじゃなくて自分の意志で決めるって事の経験を積む。
恐ろしい話だ。
子供とは親に庇護される存在。親に見捨てられたら簡単に死んでしまう。
それを、正面から否定する。拒絶する。口答えしても、暴言を吐いても無視しても、両親は絶対に自分を見捨てない。今までもそうだったし、これからもそう。
“自分は世界に受け入れられている”、その“確信”。まさに“自己肯定感”って感じ。
そして俺は、この自己肯定感が人より高かった。自己愛が過ぎたんだ。だからだろうか。
恵まれた家庭に胡座をかいて、親を否定し過ぎてしまった。傲慢だったんだ。
その結果俺は、幸か不幸か二度目の人生に恵まれながら、前世の経験を活かせないでいる。
考えもしなかった。俺を受け入れていたはずの“世界”がまさか、俺に対して牙を剥くなんて。
───懺悔します。
前世のお父さん。田舎の中小企業に勤める、顔だけ二枚目のお父さん。
あなたは推理小説を読むのが趣味でした。そして好きな作品が映画化された時には、よく私を映画館に連れて行ってくれましたね。
そんなお父さんに私は、「何で、探偵は死人が出てから偉そうに出てくるの?」というようなニュアンスの身も蓋もない質問をした事がありますね。あれを謝罪します。
考えてみて下さい。当時私は小学生だったのです。
平日昼のミステリやサスペンスよりも、日曜朝のヒーローものが好きな年頃だったのです。学校でその映画の話をしても、同級生にウケることなどありません。寧ろスベって恥ずかしい思いをしました。妹も同様の経験があるそうです。
当時の私は小難しい謎解きよりも、爆発物を大量に使ったド派手な演出の勧善懲悪が好きだったのです。
ヒーローは遅れてやって来るのがお決まりですが、手遅れになってから来るのではお話になりません。
あなたの失敗は単純に、作品の対象年齢を考慮しなかった事です。
加えて言うなら、あなたの鑑賞態度にも問題がありました。物語の進行に先立って、犯人を先読みしようという姿勢がとにかく鼻についたのです。
『なるほどな。この伏線、つまり……犯人はあいつだな』
正直どうでも良いですが、そもそもネタバレとかマナー違反です。
そして何より、評論家気取りのあなたは自身の推理が外れると、「駄作だ!」と作品をこき下ろす癖がありました。
その姿が、酷く醜悪に見えたのです。
あなたは私に、真実に到達することが如何に困難であるかを教えてくれました。
ある日、そんなお父さんに張り合って、私が犯人を推理して見事言い当てた事がありましたね。その時もお父さんの推理は的外れで、あぁまた癇癪が始まるかなと私は思いました。
しかしあなたは、「天才か!? 俺の息子、天才だったのか!?」と言って過剰に喜んでいましたね。今だから言います。あれ、結構嬉しかったです。
そしてだからこそ、お父さんの言葉通りの息子になれなかったこと、重ねて謝罪します。
前世のお母さん。雰囲気美人な専業主婦のお母さん。
あなたは自身の昔話をこよなく愛する女性でした。そんなお母さんに私は尋ねました。
『何でお父さんと結婚したの?』
あなたは言いました。
『モテていたからよ。昔はね』
内心鼻で笑っていたことをここに謝罪します。
当時既に四十に差し掛かっていたお父さんは、前髪の後退を嘆いていました。逆に下腹部は前進していて見事な中年体型を形成しており、お世辞にも魅力的とは言えませんでした。
あなたが自慢げに語るお父さんが昔モテていた話と、自分が如何にしてライバルの女子を蹴落としてお父さんを手に入れたかという話。
はっきり言って、現実味が無かったのです。
当時私は小学生でした。ドロドロの昼ドラより爽やかなヒーローものが好きな年頃だったのです。
愛憎劇など私には十年早かったのです。お母さんが企てた陰湿な作戦よりも、ヒーローの必殺技の方がよほど魅力的に見えました。
そして何よりあなた自身が、そうまでして手に入れたお父さんよりもテレビで活躍する美青年の方に熱い眼差しを向けていることに矛盾を感じました。
滑稽に見えたのです。
しかし、過去の栄光を誇る事は悪い事ではありません。事実、昔話をするお母さんの瞳は一点の曇りもなく透き通っていました。私はその姿を見て、バカにしながらも同時に安心していたのです。
子供に昔話を笑って聞かせる程度には、今もお父さんに対する愛情があるのだと。
あなたは私に、結果よりも過程が大切であることを教えてくれました。
全ての家庭が幸せとは限りません。愛を誓い合った二人が、離婚を選択することもあるのです。
二人の築いた家庭は間違いなく愛に満ちていて、私にとってそれが当たり前の“世界”でした。
私の自己肯定感こそが二人の育んだ“真実の愛”の証。
だからこそ私は自分もそうなれると信じて疑いませんでした。だって、その“世界”しか知らなかったから。
───しかし現在、俺は厳しい現実を前に立ち竦んでいます。どうやら俺は、小学生の頃思い描いたヒーローとか怪獣とかが居そうな世界に転生したようなのです。
「ほーらポチ、おいで〜」
手を広げて俺を呼ぶ超絶美形の異種族・エルフ。
その容姿は常軌を逸して美しく、張り切った神が完徹して仕上げた最高傑作なのだろうと一目で分かる。
「ワンワン!」
俺は背骨で反応して服従の姿勢を取る。
我慢だ。
俺を犬扱いするこの人物は、俺のご主人様でもある。
“森の賢者”と名高いエルフは非常に知能が高く、この世界固有の概念、“魔法”への造詣も深い。
寿命が長く、美しく聡い。神から圧倒的な優遇を受けた、完全無欠のご主人様。しかしこの人物が、世界に対してひた隠しにする“秘密”を、俺は知っている。
それが今日の歪な主従関係へと俺を陥れているんだ。
「よしよし。ほーらご飯ですよ〜」
〜今日の献立〜
パン×2
レタスみたいな瑞々しい草×2
(計280kcal)
どうやら今日の餌は、素食を愛するエルフらしくパンと草だけみたいだ……我慢、我慢。
「ワン」
俺は意識的に声を出して奥歯が鳴るのを回避した。
「ふふ、いい気味ね」
例えば閉鎖空間に監禁されて、体罰と犬扱いを繰り返し受けたとする。普通の人は洗脳されて犬人間になっちゃうらしいね。
でも俺は大丈夫!
何故なら俺には前世で鍛え上げたチート能力、“自己肯定感”があるのだから!
「よーく食べたわねー。ほらポチ、お手」
そう、だから俺は例え自分が犬扱いをされていても!
そんな自分を心底愛することができ、その上で、
「ワン」
ご主人様に向かって中指を突き立てることが出来るのだ!!
「あら、いい度胸ね〜。よしよーし」
ゆっくりと、しかし暴力的に、俺の中指は曲がってはいけない方向に折り畳まれた。
「フゥーッ……フゥーッ……!」
ぐぁまんだ……ッ!!!
「こーら。そんな息を荒くして、威嚇しちゃダメでしょお?」
人生初心者の子供達は、経験から学習して世界を理解し、自分の人生を決めていく。
どこに行くか、何をするか、いつ動くか。
そして、誰と過ごすか。しかしこの前提は、俺には当てはまらない。
俺は前世の記憶を残して生まれ変わった転生者だ。経験も知識も、前世のそれを引っ提げてこっちの世界に転生して来た。
そのはずだったんだ。
「もう、躾が必要ね───」
ご主人様は、引き絞った中指を弾く。
「───ふふ。お仕置きよ」
ズガン、と。衝撃が俺の脳天を撃ち抜いた。
懺悔します。俺は二人の子供でありながら、未だに教えを生かす事が出来ていません。
お父さんのように“真実”を追究するべきでした。そうすればお母さんのように、どんな結果も受け入れて「自分は間違っていなかった」「今の自分は幸せだ」と胸を張る事ができたのかも知れません。
あぁ……“真実の愛”はどこにあるんだろう。もしかして俺の妄想だったのでしょうか。
「良いこと? ポチ」
お元気でしょうか我が両親。遠い異世界からではございますが、簡単に近況報告をさせて頂きます。
「あまり“僕”の機嫌を損ねないようにね?」
結婚詐欺に遭いました。結婚したら、相手が男の娘だったのです。
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