ラブ・ザ・ロアー!
「バイタルチェック、オーケー…
さあ指先は動くかな?」
「言わなくてもわかるでしょう」
「はは、舌もちゃんと動くようだ。
ならちゃんと立ち上がるのはどう?」
「ばかにして…きゃっ!」
びたん、と受け身も取れずに倒れ込む幼女。それを見ていた褐色肌の人物はただ何をするでもなく観察して考え込むように、メモをとっていた。
「うん、ただ転んだだけか。床に鼻をぶつけても出血のみ!うんうん、異常なし!フフフ、流石はボク!完璧だ!」
「……ひとのころんだのを見て、なにやら満足そうにしてんじゃないわ」
身体に繋げられたいくつもの物々しいコード、電極は今やその身体から離れて役割を終えた。培養されて小さいものだった肉は、今や身体としてなりたっている。人らしく歩き、そして転ぶということは、それを如実に表していた。
「さあ、改めて目を開けなよ。
これがキミのもう一つの…いいや、厳密には初めての、か。ただのルーンの化け物からダークナイトの身体という変遷だし、人として生きるのはこれが初めてなはずだものね」
「ということで。初めての人生にようこそ、ロア」
ぐ、ぱ、ぐ、ぱ。
改めて信じられないように、怪訝なような顔でそのロアと呼ばれた人物は静かに相手を見つめ直した。見つめるというより、睨む、という方が近しいよう。
「いいのね?私にこんな身体を与えちゃって」
「んん?身体がやっぱ欲しい〜って泣きついたのはキミだろ?まあ気が変わったならその身体も捨てたらどうだい、いつかのボクの身体のように」
「相変わらず一言多いわねぇ…!
そんなんだからヴァンにも引かれるのよ、ダルク」
「はあぁ!?引かれてないから!引かれたことなんて一度もないからな!何を適当言ってるんだこのバーカ!」
ある、一人の名前を出した途端に先までの綽々とした態度を消して焦り激昂する、彼、もしくは彼女の名前はダルク・アーストロフ。
ダルクはある、精神生命体への肉体を培養し作り。
そしてまた、それを受け取ったのはロアという少女。
過去に、『暴食の魔女』と呼ばれるまでに暴れたものだった。
「身体を与えていいの?っていうのは、つまり…
私が、またこの世界を壊す気になったらどうするちゅもりなの?私がまた、お腹がすいたらどうするつもり?ってコト」
「フン。その時は君の脳幹に埋め込んでるそれを爆破するだけさ。まあ、暴れた時だけじゃなくボクが機嫌を損ねた時『うっかり』起爆してしまうかもしれないな。機嫌取りには気を遣ったらどうだ?」
冷たい表情が交わされる。
一瞬、沈黙が漂い。
そして返しに一言を言わんとした瞬間。
「へえ、ならその前にあんたの、ちょの手を喰ら…
…ちょの、その手を食べてわたち…
ああもう、したったらずで喋りにくいー!うまくはつおんできない!なぁによこの身体!!!」
耐えきれず、ダルクが吹き出した。
「あっはっははは!!ボクがやったこととはいえ随分滑稽だ。なぁんだよ、シリアスっぽくならないじゃないか!雰囲気を守れよぉ!」
「ふん!もーやめやめ。無駄にギスギスしたってつまんないだけだもの。ていうか、それも出来ない身体になってるけど」
「なんだい、キミがふっかけてきたんだろう?
それに、それに舌足らずもキミが言い出しっぺ。もし出来るならあの時の、『ロア』だった頃の見た目と似たような身体にしてほしいって言ったろ?できるだけ忠実に再現した結果がそれなんだから、感謝してほしいくらいだ」
「……むう、喋る機会がなかったからきぢゅかなかったけど、そんなに幼い身体だったのね、あのからだ…」
あの時。
あれももう、幾年も前になることだ。
喉の千切れたダークナイトと、記憶が焼き切れたダークナイトは二人で旅をしていた。前者はただ身体を使われていただけ、後者はまたその記憶も取り戻した、と今となってはもう二度とないものではあるが。
だからこそ、それを少しでも再現をしたかった。
それは魔女としての悪辣さからの打算というよりは。
「まあいいわ!あんたなんかと話してる暇は無いの!
いざこうやって身体を手に入れたならやることは一つ!彼に逢いに行って真っ先に見てもらうのーー!」
ば、と立ち上がり、跳ね上がってから急に走ろうとした…まま、手と足は宙に浮かび、びたりとまた地面に叩きつけられる。
その、ボディランゲージの多さ、感情の起伏の激しい様子を見てまたダルクは笑った。
(今となっては年相応というか。
ふつうに、ただの幼子にしか見えないな)
「…ぐ、う…」
「そう焦るんじゃないよ、身体を手に入れたのなんて本当に久しぶりだろう?あとそれに服も着ていきな。全裸のまま飛びついたんじゃ…今の世界にゃ法律はないとはいえヴァンが色々困りそうだ」
「うるさいうるさい!あんたは私のおふくろか!」
「…母か。製造者って意味では確かにそうかも」
「うわ、うわわわ!余計なこと言っちゃった!
やめちぇよその目!すごい不気味!いや!!」
「んーふふふ、別に?別に母性になんか目覚めてないよ?
中身はあの最低の魔女だもんねー、ロアちゃん」
「ぎゃー!!さぶいぼ!!」
…
……
「ふぅ…」
一仕事を、終えてきて。
少年は拠点に戻ってきた所だった。
人ではない彼に長い休息こそ必要ない。
ただ、疲労というものは名残のようにある。
普通の生き物に比べればずっとずっと活動時間は長いのだろうが、その不便な名残は、しかし自分がまだぎりぎり生き物であるのだと言われているようで、嫌いではなかった。
そう思いながら、ソファーにどかりと座りこむ。
(…馬鹿みたいに動いてる時は思い出しもなにもないけど。
こうちょっと休むとたまーに思い出すな)
こうして、自分の身を顧みずに歩き続けたことが、何回かある。
その中でも一番印象に残ってるのは、あれは自らが一度記憶を失った時のことだった。あの時には片腕が無くて。記憶も目的もなくて。
そしてその代わりに、横には元気なあの子がいた。
喋れないかわりに、ぴょこぴょこと跳ね回る…
「────♪」
ぴょん、と膝の間に座ってくる小さな体躯。
呆然とそれを眺める間に、手と首をくるりと可愛らしく動かして、喜色を全身で表すその顔は、黒いマスクに覆われていた。
「♪!♪♪!」
「…………ウソだろ?…ロア!?」
「うん!ひさしぶり、ヴァン!」
はらりと黒いマスクを取った下から笑顔で話す幼女は、今まで思念体としてずっと話していた存在であり。そしてだからこそ、今目の前にあるものが、信じられなくて。
「久しぶり、じゃないはず、なんだけどな。
だけど、なんだろう。いや、ひさしぶり。
それしか言う言葉が見つからないな、うん。
久しぶり、ロア!」
「〜〜〜〜ッ!」
ぴょん、ぴょん。
全身を動かして、そう感情を語る。
敢えて喋れる彼女が、その喜びを言葉で伝えないのは、二人の中にあるあの憧憬を、やり直して回想したかったから。
「…そっか、身体を作ってもらったんだな。
よかった。変なとこはないか?痛かったり辛かったりは…」
「ぴんぴんしてるわ。
認めたくはないけど、ダルクあの子すごいわね」
「はは、本人に言ってやれ。あいつ自己肯定感低いから、そういうのめちゃくちゃ喜ぶから」
「は?あの子が?誰か他の子と勘違いしちぇ…してない?」
そうして膝の上でしばらく、他愛のない話をした。
話をするというのは、あの時に出来なかったこと。
だからか、ロアは敢えて何度も膝から飛び降りて、ボディランゲージのみで話をしてから、また膝に戻り。
そうするたびに二人の顔は楽しく。
…そして、ほんの少しぎこちなく、なった。
その心の内訳は、すぐに話される。
「複雑な、気分なの」
「複雑、か」
「うん。わたしが好きになったのは、貴方だけど貴方じゃない。いや、そうなんだけれど…そうじゃなくて…」
「…今は『オレ』の方のヴァンだけど、『僕』の方に…ってのもまた違うんだよな」
「うん。その……
…わたしが、ちゅ、好きになったのは、記憶を失って彷徨ってたあの時のヴァン。私を見つけて、共に迷い歩いていたあなた。だから記憶を取り戻した貴方は確かにそうだけど、内包してる人でも違う存在にも思えて…」
「…」
「……そして私も、模造して作った身体にはなった。
中身もあの時の記憶がある、私、ロア。
だけどそれは完璧なあの時の私じゃない。
こうしてつらつらと、話せてるのがまさにそれの証明。
…だから、どうってわけじゃ、ないんだけど、つまり」
「大丈夫」
そう言って、ヴァンは少女の脇を掴み、掲げあげた。
あの頃では片腕が無く、絶対にできないことだった。
「オレは確かに、さっき、あの時を取り戻したかのように思えて嬉しかった。無くなったらものが戻ってきてくれたことが、嬉しかったよ」
「でもそれよりオレはまたロアにこうして、顔と顔を見合わせられたことの方が嬉しい。あの時の再現だから、じゃない。オレとロアだから嬉しいんだ!それできっと、ロアもそうだ!」
「そう、かな」
「ああ、そうさ。…いや、違くてもいい。そしてそのまま、オレのことを嫌いになってしまっても、それでも大丈夫だよ。
「その時はもう一度。
オレを好きになってもらうから」
ぽかん、と間が空いて。そうしてから耳を赤くした少女はぐっと思い切り息を吸って。
叫んだ。大きな大きな声で、叫んだ。
「き……
きざーーっ!変なセリフ、似合わない、最悪!気持ち悪い!誰に教えてもらったの!?いやよ、いや!」
「え、変か!?折角オレと僕で徹夜で話し合って考えたとっときのかっこつけの台詞だったのに!」
「ばかみたいな時間の使い方してんじゃないわよ!」
お互いあたふたと、格好のつかない、さっきまでの落ち着いた雰囲気は消え去ったような様子で話し込む。しかし少女は隠し切れないくらい、その耳まで真っ赤で。
「ふん!ありえない!
……そんな言葉なんて、必要ないのに。わたちが言葉を言わなくても、私はあなたを好きになったし、あなたが言わなくてもわたしは、ヴァン…あなたを…」
「ロア…」
「ロアぁぁぁ…」
「うわあああああっっ!!?」
口を尖らせて、甘酸っぱい空気を吸うように堪能していたロアの余韻を壊したのは黒々とした呪いのようなその声だった。桃色の髪と健康そうな顔からはしかし恐ろしげな声と目が向けられている。
「あ、イスティ。ただいま」
「おかえりなさいヴァン!お疲れ様!
ロア。身体を作ってもらえたんですね。よかったですね。随分楽しそうですね。よかったですね」
「よかったって言ってる割には随分目が黒いよーっ!」
じとぉ、と張り付くような粘着質的な視線を向けて感情の抑揚のない声でそう幼女に話しかけるイスティから、なんとか逃れるようにヴァンの後ろに隠れて怯えるロア。それを見て困惑したように少年は頭を掻く。
「そんなに怯えることもないだろ…ほらイスティも悪ふざけするんじゃない」
「あはは、やりすぎましたかね…
やっぱり私この手のジョークは下手みたいです。そこまで驚くとは思わなかったんですけど」
「いや…だってわたし本格的に目覚めてから、あの子に怖いイメージしかないのよ。私が呼ぶまで二度と出てくるなだの力を搾り取るだの言われるわ笑顔のまま魔術で串刺しにしてくるわでもう……」
「そ、そんなことして…!ましたけど!!」
「してたのか!?」
「はいぃ……色んな意味で黒歴史なんです……」
げんなりと顔を伏せる聖女を、背中をよしよしと撫でるヴァン。さっきまではこっちを抱っこしてくれていたのにと、黒い幼魚はむっと頬を膨らませた。
その伏せた顔が、確か喜びに動いているイスティ・グライトを見て更に強く頬を膨らませる。
「しかし…本当に、随分と可愛い姿になったんですね、ロア。ずっとなでなでしたいくらいです」
「いやね、みんなしてこどもあちゅ…あつかいして。中身は今までと変わらない私なのよ?魔女なんだから」
それを言った途端、ヴァンとイスティは顔を見合わせて、そうしてから二人ともがロアの頭にぽんぽんと手を置いて微笑ましげに撫で始めた。
「あああああもう、それいや!
わたしもう行くから!」
「どこに?」
「住まいのさんぽ!
この身体を慣らさせる必要があるの!」
「あ、なら私ついてきますよ!
途中で怪我したりしても治しますから!」
「ええい!あんたもお母さんか!!」
そう、のっしのっしと…本人は思っているだろうがその体躯の小ささからどうしてもちょこちょこ、という擬音にしかならない、そんな勢いで歩いていくロアと、それにうふふと笑いながら着いて歩くイスティ。
ヴァンはそんな姿を見送って。
こんなところが見られるなんてな、と感慨深くなり。
そして、今ここで休む前よりも。ずっとずっと強く。
この世界を復元するための力が湧いてきていた。
…
……
「……はぁーーっ、疲れた」
…あの、後。大丈夫ですか痛いとこはないですかーと一分に三回のペースで聞かれながらずっとこの城を歩いて、そうしてたらなぜか保護者ヅラしたダルクが生体データの回収といいながらわたしを取り合いになる、なんて色々あって。
ようやく夜中に一人になることができた。
ほんとうに、疲れた。
そしてつかれを癒すひまもない。
そうして一人になった廊下で。
大理石の床にずるりと黒い穴が空いた。
穴ではない。これは、扉だ。
ずぅぅぅ…人影が、現れる。
「……」
「…来ると、思ってた。
わたしが一人になるまで待ってたんでしょ?
ねえ?まずーいお医者さん」
細長い嘴を持つマスクをその顔に被って、その手には銃を構えて。その冥界よりの扉から現れたその異形の人物はその小ぶりな銃をそのまま確かにわたしにむけた。
「そうよね。ルーン体ではない、あの時のように追い出された一時的な死でもない。今の、この無力な身体に受肉した私を殺せば、わたしを、『暴食の魔女』を完全に殺し切ることができる。当然のきけちゅよね」
「ククー、親切にご説明どうも」
「ふん。
…この身体でやりたいことは、終わらせてきた。
逃げようとも思わないわよ、ドクター」
「そうか。ならば、遠慮なくとらせてもらおうか。
かあさんの、みんなの仇をッ…!」
引き金に力が加えられていく。
ぐっ、と目を瞑る。
ぱしゅ。小さな銃声。
暗闇の瞼に、液体が垂れる。
………ん?なにこれ?
「きゃっ!?ぺっ、ぺっ!
えっなにこれ、にがっ!?」
「ククー、面食らった顔だこと!
あはは、ほーらほらもっと食らえ。水鉄砲なことにも気付かず覚悟を決める姿はお笑いだったぞ、ほれほれ」
「水…いやこれお酒!?なんで酒を飛ばしてくるの!?頭おかしいの!?」
「ちょうど持ってた液体がこれしかなくてな」
「このアル中ドクター!!」
暫く、そのやたら物々しい水鉄砲は私の顔を狙い撃ちにして、私がやめろと言ってもやめることはなかった。だけどそこには殺意は、微塵もない。なぜだろうか。
「なんで…なんで、殺さない?」
「私の復讐の相手は、魔女だ。お前のような…ククっ、クククク。お前のような非力で普通な少女ではないさ」
ま、またただの幼子扱いされた。
それはなんだかやはりショックなことで。
なんだか色々とプライドが無くなっていく。
「………あの日以来…」
「…?」
「あの日、あの時。ロウ姉さんが狂って私以外を殺した時から、魔女狩り教団は私だけになった。私だけが魔女狩り教団で、魔女狩り教団は私だったんだ」
「そして、その私はもう死んだ。
ここにいる私はただの、よく喋る屍人だ。
だからもう、魔女狩り教団は、壊滅したんだよ。
だからお前を狩るのも、もうしやしない」
「……ふん」
「それに」
「今となっては君は、生きたままの方が苦しむだろう?」
「…………」
心の奥を見透かされたようなそれに、私は言葉を返せなくて。酒臭い髪の毛を、所在なさげに弄るしかなかった。
「…じゃあ、なら、あなた何しに来たのよ」
「ククー、なあに簡単なことさ」
「ダルクくんが科学に詳しくなって博士ポジを取られちゃったのが寂しくて、慌てて出番を作りにきたんだよ」
「なんの話?」
そう言いながら彼女は私とすれ違っていく。
どういう意味だそれは、と聞き直しながらそちらの方向に振り返った時には、ハイレインはもう何処にも居なかった。
「………くそっ」
生きたままの方が、苦しむ。
なるほど、確かにそうかもしれない。
撫でられた時のひとの、暖かさ。
心配をされるということ。
人を好きになっていい、ということ。
好きな人に触れるということ。
誰かと、対等に喋れること。
私には、できなかったこと。
必要のなかったこと。
そしてそれをわたしはたくさん奪ったということ。
だからわたしは許されなかったということ。
この第二世界は、全てが失われた世界。
罪も、罰もない。
彼らはその世界で必死に許されようとしている。
誰かに、ではない。きっと、自分自身に。
「くそっ、ちくしょう、ちくしょお…!」
ぼろぼろと、意味もなく涙が流れる。
私はそんな世界を喰らい尽くそうとしてきた。
そうして全部滅ぼすことが全てだったのだ。
今となっては、それが苦しい。
苦しくて、たまらない。
確かにそうだ。
あのまま撃たれて死ねば、どれほど楽だったろう。
だけれど、わたしは。
(…ヴァン。わたし、あなたがすき。
そして、あなたが大切なものも、たぶん)
贖罪。
言葉の意味は、まだわからない。
だけれどその上で。
皆のそれを見つける旅を、一緒に叫べるだろうか。
そう、ただ思った。




