第97話 家族会議①
~大洋view~
「去年の俺らは大学受験してる奴らを高みの見物してたのになぁ」
「なんだ藪から棒に」
寺沢が愚痴るように言ったセリフに突っ込んでみる。
ここは高専で俺が所属しているA4の教室。今は束の間の休み時間だ。
この『A4』というのは四年A組という意味であるが、他に連なるクラスは『T』『R』『W』があり、ABC順ではなく学科を表している。
俺達のA組は航空宇宙工学科で、Tは情報通信工学科、Rはロボット工学科、Wは医療福祉工学科だ。
二年に進級する際に学科分けされて以降クラス替えというイベントは発生しないため、この教室のほとんどの奴らとは馴染み深いとも言える顔ぶれになっている。目の前にいる寺沢とは一年のときも同じクラスだったので、もう四年目の付き合いだ。
「だってさ、もうすぐ就活だろ。あっという間すぎて現実感ねえよ」
「まあ確かにな」
高専は五年制。入学してしまえば大学受験を経験することなく進級していき卒業する。普通高校へ進んだ中学時代の友人との繋がりを保っていれば、寺沢が言ったように彼らが大学受験に苦しむ姿を傍観することができる。
しかしその一年後、進路という問題に直面するのは俺達の番だ。高専の卒業生の進路は大半が就職なので、俺達は春に始まる就活へ向けて動き出している。
高専生の就職率は高い。卒業予定者に向けて学校へ寄せられる求人倍率はなんと約二十倍。その求人に学校推薦で斡旋されて入社試験に臨むことで、大手名門企業へも手が届く。推薦なので内定が出ればそこで就活は終了。何十社も受けることはない。大抵は一社で済む。
大卒と比べたら楽ではあるのだろうが、それでも人生の大イベントだ。推薦なので学校の看板も背負っているわけだし、最初の一社目が本命になるので、それはもう真剣に企業を選ぶ必要がある。ちなみに、求人の奪い合いになったら成績順で上の方が推薦を得ることになる。
寺沢は自動車大手を狙っているらしい。うちの学校の就職先として花形のひとつなので、後期末テストで上位を取らないと推薦を取られかねない。なので最近は勉強に力を入れているらしい。もっとも、成績上位陣がそこを狙っているという話は聞いていないので杞憂かもしれないが。
「もうすぐ就活で、それが終わったら卒研で、そしたらもう卒業して社会人だなんて信じらんねえ」
「だなぁ」
「一年後、どうなってんだろうな俺ら」
「さあなぁ」
「おい、他人事じゃねえんだぞ」
「わかってるよ」
「ほんとかよ。またなんか変なことしてるし、説得力ないぞ」
「変なことって?」
「それだよそれ」
「これ?」
寺沢が目線で示した先にあるのは、俺の手元のかぎ編み棒と毛糸玉だった。
「突然編み物なんか始めてどうしたんだよ。しかも何気に上手いし」
「まあちょっとな。昔やったなって懐かしくなって。お前もやってみるか?」
「興味はあるけど、就活が終わってからだな」
「興味はあるんだな……」
意外だなと思ったが、それを言ったら俺も人のこと言えないし、寺沢だってクラフトマンシップは人一倍高いから手芸の類も好きそうだ。
「何用に作ってるんだ?」
「人にあげる用。自分じゃ使わないし」
「誰?」
「うーん。兄」
嘘をつきました。
「ああ、双子の兄さんか。そういうの好きなのか」
「あいつこういうの好きだからな」
「しかしまあどうして急に……。あ、そういえばお前もうすぐ誕生日か。なるほどそういうことか。双子同士でもプレゼントってするんだな」
「ん? あ、ああ……」
いや、兄弟同士で誕生日プレゼントとか一度も渡したことなんかないんだが……。まあ勘違いしておいてもらおう。
本当の贈り先である九音君は、もうすぐ第一関門である両親の説得をする。それより前にこれを完成させて渡したかったけど、さすがに間に合わなかった。吉報を聞いて、そのうえでこれを渡せればこれ以上ないのだが上手くいってくれるだろうか。今は彼女の武運を信じるしかない。
ああ、彼女の件といえば、寺沢にひとこと言っておくことがあったな。
「そういえば、お前にひとつ感謝しておくか」
「なんだ? この前見せてやったレポートの話か?」
「いや、何度か手伝ってやったバイトのことだよ。あの経験があったおかげでちょっと人助けができそうなんだよ」
「ああ、仕事の話か。なんの役になったか知らんが、感謝は受け取っておく。学食でも奢ってくれ」
「そいつはちと高いな。これの作り方教えるからそれでチャラだ」
「えー。まあそれでいいや」
いいんだ?
寺沢や就活のことはさておき、俺は彼女の武運を祈りつつ編み棒を動かすとするか。
**
~九音view~
「お母さん、お父さん。大事な話があります」
家族全員が揃った水曜夜の食卓で申し入れた私の言葉をきっかけにして、食後のダイニングテーブルには私に対して両親が向かい合う形で座り、そこはかとない緊張感が漂っていた。
花音は私に同席したほうがいいかと訊いてきたが、どちらでもいいと答えると自室へと向かって行ったのでここにはいない。花音はこの件について不干渉を選んだらしい。これは想定内だ。
対峙する両親は、珍しくかしこまった私の様子に探るような視線と態度を向けている。
ここから先は全部私の交渉にかかっている。大丈夫。大丈夫だと心の中で自分を叱咤し、第一声を放った。
「私、先生の絵を二百万円で買おうと思います」
やはり、二人とも驚いた顔になり、それから思案するように眉間にしわを寄せた。
「とりあえず、経緯を説明してほしいな」
お母さんの言葉に応えて、私はこれまでの経緯を二人に話した。
ひと通り話し終えたところで、まずお母さんが口を開いた。
「その絵は本当に二百万円もするものになるの?」
「なるよ。絶対。私は二百万円でも足りないんじゃないかって思ってるぐらい」
「でもプロの査定は現時点で九万円だったんでしょ? 根拠は?」
「無いわ。でもわかるの。信じて」
明確な根拠はないけれど私には見えている。
査定は九万円でも、花音は現時点で百万円の絵と同等と言っていた。そしてそこからの加筆で倍以上のものに化けると私は感じている。花音の感性と私の感性を合わせて弾き出した、ロジックなんて無い見積。無理筋ではあるけど押し通すしかない。
「……これについてはひとまず置いておくわ。金銭感覚についてはしっかり躾けたつもりだし」
中学生の身で同人作家として少なくない額の収入を得るようになった私に対して、両親はお金に関する知識を教育してきた。その辺りは同世代の人たちよりもしっかりと備えてきた自負はある。その甲斐あってか一応は信頼してもらえたようで、ひとまず胸をなでおろした。
「それで? 二百万円は出せるの? 最初に言っておくけど、貸すことはできないからね」
「さすがにそこまで貯金はないだろう? そもそもあったとしても、学生が二百万円もする買い物をするのは父さんは反対だ」
お父さんの言う通り、私の貯金は二百万円には届かない。私の預金残高は二人とも確認できる環境なので、当然聞かれる質問だった。学生の私が数百万円もの売買をすることが非常識だってことも理解してる。
「お金は持ち出しじゃ全然足りないけど、なんとかする。ちゃんと真っ当な方法で集めるよ。変なことはしないって約束するし、これからその手段を説明するわ。それとお父さん」
「なんだ?」
「二百万円の買い物、どうしてもダメ?」
「……あくまで一般論だよ。常識的に考えて、学生が高額なものを買ってもそれを持て余してしまったり、人間関係が歪んでしまったり、社会に出る足掛けの貯金が大きく目減りしたりと、不幸の種になることが多いからね。そのことを理解したうえで、父さんたちも納得できる意義を示せる買い物だと言うのなら認めてもいい」
「うん、わかった。それも今から言う」
お父さんの心配はもっともなことだ。
例えば私がオーデマピゲの腕時計でも買ったらどうなるか。着けて行くようなハイソな場との縁は無いし、クラスメイトに見せびらかしたら皆からの私を見る目は変わるだろう。概ね悪い意味で。学生が高額な買い物をするということは、だいたいこうなるオチなのだろう。
でも、私のケースはこれに当てはまらない。
「お父さん。私が買おうとしているのはブランド物のバッグでも、宝石でもスイスの腕時計でもない、美術品です。ミーハーな気持ちで買う物じゃない。価値のわからない俗物的な人間が欲しがるようなものじゃないわ」
「しかし、高額な美術品には資産価値が生まれる。それが二百万円だと知れば、誰でも興味は持つはずだよ」
「狙ったわけじゃないけど、興味を持つというのなら好都合だわ」
「好都合? 言っただろう? 人間関係が歪むかもしれないと。金ヅルだとか、そういう色眼鏡で見られるようになるぞ」
「大丈夫よ。だって〈イクス〉の名義で買い取るつもりだから」
「〈イクス〉で? なるほど、それなら学友には影響ないだろうけど……。しかし〈イクス〉としての活動には支障があるんじゃないか?」
「〈イクス〉のほうも大丈夫。やり方を工夫するから」
「工夫ってどうするんだ? いや、そもそも二百万円をかけてパトロンになってまで九音がその絵にこだわる理由はなんだ? それは他の人じゃ駄目なのか?」
「駄目。だって私は先生と約束したの。先生の絵を特等席に飾るって。多くの人に、未来までずっと見てもらえるようにする。それこそが私の使命」
幼い日に交わしたあの約束を忘れたことなんて、私は一度もない。果たすべき使命であり、師への恩返しであり、かけがえのない思い出だった。
この約束を果たすためならば二百万円なんて惜しくない。
「それに、こんなことができるのはもう私しかいない。中途半端に終わらせたら絶対後悔する。最後の力を振り絞って描ききってほしいなんて、そんなわがままみたいなことを訴えられるのは、きっともう私だけ」
教え子だけど血縁者ではなく、大人に近いけど子供な私にしか、もうこんなことはできない。
「だから私がやるの。先生に後悔の残らないようにやりきってもらって、そして約束を果たす」
「後悔の残らないように、か……」
お父さんは目を細め、思案気な表情を浮かべた。




