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第96話 花音SOS

~花音view~


 週が明けて、朝。私と九音は学校への道を歩いていた。

 今朝は二人ともなぜか目覚ましよりも目が覚めて、なんとなくそのぶん前倒しでいつもの身支度を済ませ、いつもより二本分早い電車に乗って登校していた。早く来たとこでとくに意味はないけど、遅いわけじゃないしたまにはこんな日があってもいいかなんて思う。


「九音、二百万なんて言って大丈夫なの?」


「だから大丈夫よ」


 昨日、菅平さんに向かって九音が啖呵を切ったそのセリフに私は驚いた。

 学生の私達にとって二百万円はもちろん大金だ。さしもの売れっ子作家の九音といえど、売れるようになった期間はまだ浅く、今年度の売り上げも家庭の方針で扶養の範囲内とされているので、今の九音がポケットマネーとして使える金額はせいぜい百万そこそこが限度だろう。

 昨日心配になって一度確認したそのセリフを今朝も繰り返し確認したくなったのは許してほしい。


「金策のアテがあるの?」


「それについては大洋さんと相談してるから、なんとかなるわよ」


 九音の大洋さんに対する信頼は厚い。パソコンを修理してもらったのがきっかけとはいえ、盲信していないか少し心配だ。まあでも先輩の弟だから杞憂だと思いたい。


「危ない事だけはしないでよ」


「真っ当にやるつもりだから。そこは安心して」


「それならいいけど……。どうするか決まったら教えてよ」


「わかってる」


 やっぱり不安だ。九音と大洋さんは何をするつもりなんだろう。



 **



 九音とは教室で別れてひとりA組に入る。

 教室内にはクラスメイトの男子や女子が数名登校していた。日直だったり、朝練上がりだったり、まあ早朝のいつメンってやつっぽい。普段の私の登校タイミングはボリュームゾーンの中間層なので、ちょっと新鮮だ。


「あれ? 飯山ちゃん今朝は早いんだね。なんかあった?」


 私に気づいたクラスメイトの女子が問いを投げてくる。


「おはよ。なんか早く目が覚めただけで、とくになんもないよ」


 ま、そういう日もあるよねーなんて合わせてくれる。だよねーって話をつなげつつ、カバンを自席の脇に掛けて一限目の授業の準備をしておく。

 少しずつ人が増え始め、朝の挨拶がそこかしこで聞こえてくる。


「ねえ飯山ちゃん。今日はこの前みたいな髪形にしてこなかったんだね」


「え? ああ、あれ」


 先週先輩に結ってもらった編み込みスタイルのことを言っているんだろう。


「あれはあのときの特別だから、今日も明日も普通だよ」


「そうなの? あれ良かったのに。またやってみせてよ」


「やー、あれ自分じゃできないし」


「そっか。あれ? じゃああの日はどうやってセットしたの? 昼休みにお手洗いでやったのかなって思ってたんだけど」


「それはまあ……」


 それはまあ、先輩に……。


「それは?」


 繰り返し問うてくるその表情は、訳知り顔に見えた。

 あれ? もしかしてこれ誘導尋問なのでは?


「それは、まあ……」


「「それは~~?」」


 ひえっ! なんかギャラリーが増えてるし!


「まあ………………ね?」


 はぐらかすのに失敗したのを自覚した。ギャラリーが一様にニヤニヤした目つきになってる。


「やっぱあれなの!? 最近できたっていう彼氏!」


「秋谷っちのお兄さんでしょ! 昼休みによく来る。お兄さん髪結えるの!?」


「いやっ! あのっ……」


「うそ、マジ? 彼氏に髪結ってもらえるとか羨ましすぎない?」


「いいなぁ。ねえ、ゆっこの彼ピはそういうのできないの?」


「いや、トシ君そういうのできないし。てか普通の男子にはできないでしょ。あーでもそう思うと飯山さん羨ましいな~」


 ギャラリーが勝手にキャッキャと盛り上がり始めた。なんかすでに私と先輩の交際が既定事項になってるんだけど。まあ、間違ってないけどさ。間違ってないから否定もできないっていう……。

 あとこちらをチラチラ窺っていた男子達がなぜかため息をついている。なんで?


「あのときの髪形どんな感じだったっけ。確かこの辺から編み込んでたよね?」


「違うって。それだと長さが足りなくなるからもうちょい前からだって」


 ちょっと! 私の髪はオモチャじゃないって! 先輩の手つきはもっと優しかったのに!

 あ、やっと泉美来た! ねえちょっと助けて! こっち来て! おい、笑うな無視すんな!


「ねえ、もうすぐホームルーム始まるしそれぐらいで……」


「おーい! 今日なべちゃん先生休みだからホームルームも一限も無いってよー!」


 私のやんわりとした静止は、唐突な大声に阻まれてしまった。そのビッグニュースを嬉々として教室へ持ち帰ってきた男子生徒の言葉にクラス中が沸きたつ。

 いつもなら嬉しいはずのそれは、今の私に限っては凶報に等しかった。


「じゃあ飯山ちゃんの髪形再現大会だね! 最初は私からだよ!」


「あんたヘタクソじゃん。あたしに任せなって。カンペキに再現すっから」


「なにをー!」


 やめて! 私の髪で争わないで! いやほんと争うなし。


「あー来た来た。兄貴こっちだよこっち」


「……えっ?」


 私を囲っていた女子の輪をかき分けた泉美が、どういうわけか大河先輩を伴って現れた。


「えっと、これどういう状況?」


 先輩が困惑気味に訊いてくる。


「せ、先輩、どうしてここに……?」


「君がピンチだって泉美が通報してきて……。胡散臭いからそっちにもメッセージ飛ばしたけど既読つかなかったし、念のため来てみたんだけど……」


 先輩は周囲を見回す。

 先ほどまで私に向けられていた大勢の女子の好奇心が、今は全て先輩へと向けられている。全員が全員、それはもうツヤツヤの笑顔だ。遠巻きにしている男子達までもが興味深そうにこっちを見ている。

 思ったのと違うであろう状況に、先輩の表情は引きつっている。そりゃあそうだよね……。


「泉美……お前嵌めやがったな」


「ハメてないし。どう見てもピンチだし」


「この減らず口が」


「ねえ秋谷っちのお兄さん! この前飯山ちゃんの髪を結ったのってお兄さんなんですよね!?」


 泉美との口喧嘩をものともせず割って入っていくクラスメイト達の気迫に先輩がたじろぐ。

 先輩から私にアイコンタクトが飛んでくるけど、私にはどうすることもできない。というかどうすればいいのかわからない。ごめん、助けて先輩……。


「…………」


「痛い! 兄貴痛いってマジ痛いごめんなさいもうやめて大河兄いいい!」


 先輩は泉美のこめかみにグリグリと拳をめり込ませながら、しばらく渋い顔を浮かべた後に女子達へ向かって口を開いた。


「あの髪形はどうだった? 似合ってたか?」


「そりゃあもちろん! あんなに嬉しそうな飯山ちゃんも珍しかったし、めっちゃかわいかったです!」


「ちょっ!? なに余計なことまで!」


「だって事実だし。だからまた見たいな~って思ったんだよね」


「そうか……。なあ、花音」


「なんですか?」


「こうなったらもう開き直るか」


「え? え? ってわあああ!?」


 一瞬の隙に両脇に腕を差し込まれたと思ったら一気に体を持ち上げられて、そのまま真下に着地した。

 きゃーきゃーと女子の黄色い声が沸き上がる。気が付けば、私はあろうことか先輩の膝の上に座る格好になっていた。


「せ、先輩これって!?」


「ちょっとそれ借りるよ」


 若干パニックになりかけた私をよそに、先輩は近くにいた女子生徒からヘアブラシを横取りし、私を膝に乗せたまま髪を梳き始めた。

 頭頂から後頭部へと流れるヘアブラシの感覚が伝わってくる。

 ゆっくり、するすると、リズミカルに。

 ああ……やっぱり先輩の手つきは優しい。ちょっと遠慮がちだけど、下手ではないし、とても安心できる。

 先日よりも至近距離で髪に触れる彼の存在を感じていると、頭の上から声が降ってきた。


「今日は一限休みなの?」


「あ、はい。先生が休みだそうで」


「そっか。じゃあゆっくりやれるな」


「先輩は自主休講ですか?」


「もちろん」


「相変わらずですね~」


 リラックスしかけていたが、そういえば今の私達は包囲されていたんだった。

 はっとして周りを見回すと、周囲を囲むクラスメイト達は一様にぽーっとした表情でこちらを見ていた。


「羨ましい……」


「これは……想像以上に甘いわね……」


「今度トシ君にやり方教えてやってもらうしか……」


 その感想に急に羞恥心が戻り、穴があったら入りたい気持ちになったが、今の私は先輩にすっぽりと包まれてしまっていて逃げ場なんてなかった。


「ねえお兄さん。どっちから告ったんですか?」


「秘密」


「キスとかしましたかー?」


「秘密」


 質問攻めに遭うも、私の髪を編む手を止めずにのらりくらりとかわしていく先輩。

 告白は先輩からだったなぁ。あのときを思い出すと、今でも胸がドキドキする。

 キス……は、まだしてない。してみたい気持ちは……あるけど……シチュエーションとか、ね? 特別にしたいよね。うう……この調子だといつできるのかな。


「飯山ちゃんのどこが好きですか?」


「……全部」


「ぴゃっ!?」


 先輩の直球なひと言に私は面食らい、外野はまたきゃーきゃーと盛り上がってしまっている。


「先輩!? なに恥ずかしいこと言っちゃってるんですか!?」


「いや、だってこの場で具体的なこと言いたくないし。だったら全部としか言えないだろ……」


「でも! ……で、でも……うぅ……」


「で、飯山ちゃんのほうはお兄さんのどこが好きなの?」


「えええ!?」


 別にそんなの無いし! ……なんて心にもないことを言うわけにもいかず。

 だって私は先輩のことが本当に好き。かわいい絵を描くその手が好き。私のヴァイオリンを褒めてくれるところが好き。自転車でストイックに走る姿が好き。逞しい脚の筋肉が好き。腕に浮き出た血管が好き。怖くない声が好き。さり気ない気遣いが好き。ありのままを尊ぶ姿勢が好き。あどけない寝顔が好き。

 この気持ちは私と彼だけしか知らなくていい。


「……全部」


 結局、私も先輩と同じ手段を選んだ。


「わっ! お兄さん顔真っ赤!」


「えっ!? 見たい!」


 振り返ろうとしたら、首の回転が途中で止められた。


「頭動かしちゃだめ。編んでる途中」


「えー!? いいじゃないですかちょっとぐらい!」


「……やだ」


「先輩のけちー!」


「今度なんでも奢るから、今は勘弁してくれ……」


「むぅ……しょうがないですね」


 とかなんとか言っていたら、また外野が(かしま)しく騒ぎ始めた。そんな感じで私と先輩は遊ばれながらも、なんだかいろいろ吹っ切れたような気分になった。



 **



「人気者だねあの二人」


「あれ、浦野君。おはー」


「おはよ秋谷さん。朝から賑やかだね」


「いやー、我が兄ながら甘ったるいよね」


「これは目論見通りなのかな?」


「んー? あたしはちょっと面白くなりそうだから連れてきただけだよ?」


「誤魔化さなくていいよ。こうしてあげたかったんでしょ。秋谷さんは」


「こうして……って?」


「あの二人が学校内で、せめてこのクラスの中だけでも自然体でいられるようにしてあげたかったんだよね。先輩が卒業するまでのこの短い間、昼の生徒会室で逢瀬を重ねるだけだなんて寂しいだろうって」


「…………」


「秋谷さんは優しいよね」


「あたしは、べつに……」


「ほんと、似たもの兄妹だね」

シリアス気味の展開が続くとアイスブレイクにイチャイチャを書きたくなりますね。

ところで、Xの利用規約が変わって投稿画像がGrokのAI学習に利用される仕様になってしまいましたね。作中では古き良き(?)Twitter時代の仕様を想定して『ツイッター』銘で描写していますが、もし『X』だったら大河はとっくの昔にイラスト公開をやめていたでしょうね。

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