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第94話 ぬいぐるみ

〜大洋view〜


 俺達は水族館の定番、イルカショーも観ることにした。

 イルカショーといえば半露天で扇形のスタジアムをイメージするが、ここのはなんと円形プールを三六〇度客席で囲った天蓋付きの、なんというか闘技場みたいな施設だった。

 驚くべきことに、プールの側方から放水やスモークを焚いたり、天井から滝のような噴水を円を描くように流すギミックが設えてあってすごく新鮮だった。


「すげー……」


「すごいですね。他のとこでもプロジェクションマッピングとか、水中カメラの映像をオーロラビジョンで流すなんてこともしてるって聞きますよ」


「マジか。観てみたいな」


 眼前では天井からシンガポールのチャンギ空港のように流れ落ちる滝の内側で、イルカとインストラクターさんが輪になって泳いでいる。


 くるくる、くるくると。


 その様子を、隣に座る九音君は上の空で眺めているように感じた。

 もやもや、もやもやと。

 ほんの少しの違和感だけど、たぶんそんな様子だった。


「最近、何かあった?」


 ()くなら今かなと思った。

 ノコギリエイのときは純粋に元気だったが、それ以外はどこか空元気な様子が伝わってきた。悩みを抱えているという話は本当のようだった。


「……実は――」


 彼女はぽつぽつと語り始めた。


 年始にアートクラブの恩師だった豊橋先生が入院されたこと。

 お見舞いに行った際に筆を置くと聞かされたこと。

 今先生の手元にある作品は全て手放すことになっていること。

 制作途中の最終作が未完成のままになりそうだということ……。


「つい先日、ギャラリストから絵画の査定が届いたそうです」


「ギャラリストって?」


「えっと、美術商のことです」


 ヨコモジがわからないオッサンの気分を味わってしまった。


「美術商か。じゃあ本当に売っちゃうんだな」


「……どうして売っちゃうんでしょうか」


「そりゃあ…………いや、どうしてだろう……」


 画家を引退するだけなら、なにも全て手放す必要無いのではないだろうか?


「今先生の手元にある絵は、どれも何かしらの理由があって残してあるはずなんです。プロの画家ですから、作品は基本的に売ってきたはずなので」


「売れ残りの可能性は?」


「だとしたら今回ギャラリストさんは買い取りませんよ。先生が二束三文の見積りでも手放すつもりなら売れ残り説もあり得ますが……」


「だとしたら、残ってる絵は大切のものかもしれないと?」


「はい」


「そうか……」


 まだ俺が持ち得る情報が少ない。どんな問題があって、何が正しいのか判断することはできない。

 しかしそれでも、俺は目の前の少女の味方をしたいと、純粋にそう思った。


「なあ、君はどうしたい?」


「私は……」


 少し考えるように息を置いて、それから小さく、しかししっかりとした意志を持って口を開いた。


「私は、絵を手放してほしくない。それ以上に、私はあの氷瀑の絵が未完成のまま世に出てしまうのが悔しい……悔しくて悔しくてたまらない。最後まで描き上げて、それで心置きなく引退してほしい」


「たとえそれが家族に負担をかけて、先生自身の身を削ることになっても?」


「本当は良くないことなのかもしれません。でも、私のエゴが許されるのならこうしてほしいですし、もし先生も同じエゴを秘めているのなら、それを解き放ちたい。だって私も先生もとっくに、美術に魂を捧げているのだから」


 彼女はすでに美術に殉じる覚悟を持っていた。

 かっこいいと思った。眩しいと思った。


「わかった。やろう」


「何をですか?」


「君の願いを叶えよう。関係者の本音を引き出して、問題を整理して、正していって。そうすればきっと君が語った希望は叶う」


「叶うって……そんな都合よくいきませんよ」


「俺は叶うと思うな。だって、君は先生と同じ美術に魂を捧げた者同士なんだろう? だったら気持ちはひとつだよ」


「…………だといいんですけど」


「大丈夫だ。俺も微力ながら協力するから頑張ろう。手遅れになる前に」


「手伝ってくれるんですか?」


 ずっと俯き気味だった九音君が顔を上げ、俺へと振り向いた。


「俺にできることでしかできないから本当に微力だけど、でも言っただろ。なんでも相談してくれていいって。相談を受けるからには手だって貸すよ」


「っ…………」


 彼女は呆けたように俺を凝視していた。


「まあ細かいことを考えるのは後にしてさ、今は今を楽しもうぜ。ほら、よそ見は危ないぞ」


「え? ……きゃあっ!!」


 イルカの尾びれが勢いよく跳ね飛ばしてきた水しぶきの不意討ちを受けた九音君の反応がおかしくて、俺は大いに笑った。



 **



 イルカショーが終わり、俺達は売店へと移動した。

 水族館にちなんだ数々のグッズがところ狭しと並んでいる中に、小さな水槽も置かれているのが粋な感じだ。小型の熱帯魚が泳いでいて、客をもてなしているようだ。


 そんな中で、俺はぬいぐるみの陳列棚の前で足を止めた。


「水族館の定番グッズですよね」


 九音君も同時に足を止めて言う。

 チンアナゴとかイルカとか、人気の生き物のぬいぐるみが賑やかに整列している。ファンシーにデフォルメされたのとかリアルに再現されたのとか、いろいろだ。


「どれがオススメとかある?」


「水族館のぬいぐるみでオススメなのは、各々の水族館が監修したオリジナル商品ですね」


「オリジナルのぬいぐるみと、そうじゃないのがあるのか」


「このチンアナゴとかは余所の水族館でも置いてある販路の広いやつですね。私的にはここでしか買えないってほうが断然いいので、この中だとコレかコレですね。この水族館の看板役者です」


 そう言って示したのは、やはりというか、マンタとノコギリエイの二種類だった。


「私も買おうかしら。うーん、どっちにしようか悩みますね……。どっちも買っちゃおうかなぁ」


「俺はこれにしようかな」


 マンタを手に取る。


「大洋さん、ぬいぐるみ買うんですか?」


「ちょっとお土産にな」


「……ひょっとして女の人?」


 やけに神妙な顔で訊かれる。


「まさか。大河だよ」


「えっ? 先輩にぬいぐるみ……?」


「意外に思うかもしれないけど、あいつぬいぐるみ集めるの好きなんだよ」


 大河はちょっと乙女な趣味があったりする。ぬいぐるみ集めとかはその一例だ。

 最近だとシマエナガとか、あとハンバーガーチェーン店マスコットのカラフルなゾウとかのぬいぐるみを買っているところを見た。


「そ、そうですか……。だからぬいぐるみを……。ってことは私もマンタのぬいぐるみを買ってしまったら先輩とお揃いに!?」


 苦虫を嚙み潰したような顔をしてあからさまにショックを受けている。

 あいつ、九音君に嫌われすぎかよ……。


「そんなに嫌なら別の買うけど……」


「い、いや! 大丈夫です! 私から勧めておいて私の都合で撤回させるなんて、そんな勝手なことできませんので……!」


「でもやっぱりマンタも欲しいんでしょ?」


「ほ、本当に大丈夫ですから! ノコギリエイちゃんだけでも私は充分ですので!」


 ノコギリエイのぬいぐるみを抱え上げて必死に訴えてくる。

 しかしそうは言っても、彼女にはこんなしょうもないことで我慢してほしくないなと思ってしまう。


「……だったらさ、俺が作ってあげるよ。マンタ」


「え? 作る?」


「ぬいぐるみじゃなくて編みぐるみでいいならだけど」


「大洋さん、編みぐるみ作れるんですか!?」


「小学校高学年ぐらいの頃、大河が編み物にハマっててさ。俺も付き合ってやってたんだ」


 やってみたら俺の方が上手くできて、あいつはヘソ曲げて辞めたというおまけエピソード付きだ。

 ちなみに泉美も真似して挑戦してたけど、こちらは三日坊主だったっけ。まあ小学校低学年に編み物は早かっただろう。


「なんかいろいろ意外すぎる……」


「まあちょっとブランクあるから時間は欲しいけど……」


「それは全然構いませんけど、作るなんて発想よく出てきましたね」


「いいかい九音君。高専生が学校で叩きこまれることは『無いものは作れ』って思考なんだよ」


「そ、そうですか……」


「そういうわけで、出来上がったら連絡するよ」


「わかりました。楽しみにしてます。その……ありがとうございます」


 はにかんだ表情でお礼を言ってくれた彼女の声は、俺のやる気に薪をくべてくれた。

 ブランクは長いが、なんとなくあの頃よりも良いものが編めるような謎の自信が湧いてくる。


「じゃあ後で毛糸を買いに行こうかな」


「あ、私色選びたいです」


「いいね。だったらこの後の買い物も付き合ってくれ」


「はいっ」


 笑顔を浮かべて答えてくれる。

 その笑顔は、今日初めて見る一片の憂いの無い純粋な微笑みだった。

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